彼は次のように言った。 「先生、ばくは先生の言われた〃あるがままみに忠実に従っているだけてすよ。ばくは対人恐 怖症だから、ほかの人と一緒に卓球をやったり、中庭て雑草を抜いたりすることが嫌なんてす。 だから一人のときにはきちんと仕事をやっています。看護婦さんに非難されることはありませ ん。 ばくは自分の気持に忠実に行動しているんてす。人と会って緊張するのがいやだから、おし とう気持がばくの本心てあり、その本心をその ゃべりをしながら一緒に作業はしたくない、 ままに認めるのが〃あるがままみじゃあないんてすか。だから、ぼくは自分の心をあるがまま に認めて、それに沿った行動をしているだけてす」 なるほど彼は彼のいうとおり、自分の本心の一面を「あるがまま」に認めて、それを行動に 移していのてあろう。その点ては、彼の発言は合理的てあり、筋が通っている。しかし、こ こて重要なことは、彼はもう一面の、自分が人間としての本質を生かしながら生きたいという 欲望に従った「あるがまま」を忘れているのてある。そこて筆者は次のようにいった。 「確かに君は自分の一面の欲望に忠実てあり、そしてその欲望をあるがままにした行動をとっ ている。しかし、なぜ君がここに入院しているのだろうか。君は対人恐怖症て、人前て緊張し 160
棒を使う時には棒の先が震えているものてす。私などは十年以上アナウンサーをやっています が、未だに本番になると、膝がぶつかって鳴るんじゃないかと思うほど、下半身が震えてしま 今度はうまくやろう、今度は震えないてやろうと田 5 えば うのてすよ。それが不思議なことに、 思うほど、努力をすればするほど、逆に震えてしまうんてす。何とかなりませんてしようか」 筆者は次のように答えた。 「あなたは震えるということを自分だけの問題だと思っている力、それは誤りてす。あなた以 外の多くのアナウンサ 1 が同じ体験をしているはずてす。私とて例外てはないのて、放送の前 になると喉がカラカラになったり、 胸がドキドキしたり、 手足が小刻みに震えてみたり、自分 にとって都合の悪い状態がいろいろやってきます。以前ならば、それは自分にとって都合の悪 いことと考え、しかも自分だけに起こるなどと考え ( これを差別感という ) 、何とかしてその苦痛 あせ を取り除こうと焦ったものてす。しかしそうなると逆に、取り除こうとしているところに注意 手足が震えたり、どうしようもなくなってくるのてす。 が集中し、心臓がドキドキしたり、 ところが、私はこういう状態は私以外の誰にてもやってくるものなのだと考え、あえてその 状態をなくしようと努力をしないようになりました。そして一方、話の内容をよりよくしよう とか、相手にどうしたらそれが明瞭に伝えられるだろうかとか、自分と他者の間の具体的な効 132
ーー入院療法と外来療法 入院療法の実際 神経質 ( 症 ) を治すには、まず神経質の本態を知ることが大切てあり、それはこれまてに述べ てきたことによって、かなりのところまて理解されたことてあろう。次に大切なのは、自分自 身をよく知ることてある。そのためには、自分のもって生まれた性格および成長発達過程をふ り返ってみることも大切てある。そして「とらわれ」や「はからい」に自分が振り回されてい ないかどうか、自分の真の欲望を生かしきっているかどうか、そうしたことを再検討する必要 がある。 ところて、森田療法には、神経質 ( 症 ) を治すために二つの形式がある。その一つは入院療法 てあり、もう一つは外来療法てある。 まず入院療法について簡単に概説してみよう。 第一期は、一週間、日常的な外界と遮惞された「臥褥 ( 静かに寝ていること ) 療法」が行なわ 122
どない。 また、神経質者は、甘えることがてきず、人に依存することがてきにく ヒステリー者は、どこまても人に甘え、依存し、その上て自分の勝手な感情や意志を通そうと する。したがって、外見上は神経質者のそれと異なって非常に明るいが、つき合っていると、 身勝手てうんざりさせられる。 なお、ヒステリー者は、常態て自分の思いが通らないと、 無意識のうちに自分自身の身体に 病気や異常な状態を作り出して、人々の注意を自分に惹きつけようとする。これがヒステリー の転換症状と呼ばれる病になるのてある。 以上のように、同じ神経症ても、さまざまなタイプが含まれており、これを同一平面て考え ることはてきない。 そのなかにあって、神経質者の性格は、「生の欲望」を充分にもっており、 その上なおよりよく生きたいという 願望が旺盛て、その一方、教条主義的になりやすくとらわニ れやすい性格なのてある。 いのに対して、 63 神経質 ( 症 ) のメカズム
ー縁起恐怖 ー罪悪恐怖 ー過失恐怖 とくしん ー濆神恐怖 ー尖鋭恐怖 しよけい ー書痙 ( 従来は普通神経質に入れられていたが、むしろ、人前て ~ たな字を書くことを恐れるとい う心理機制が強く、対人恐怖的なニュアンスの方が大きい。しかしこの症状については、普通神経 質のところて述べることにする ) 対人恐怖症の症例 森田療法の場合、対人恐怖症は治療効果を最も期待てきる症状の一つてある。対人恐怖とい うと、他人が恐いという印象を与えるが、その多くは他人が恐いのてはなく、他人に対してク自 分がどのように受けとられるかみが恐いのてある。たとえば、先にあげた対人恐怖症の内容を 見てもらえばわかることてあるが、自分の目つきが他人にどう見られるか、自分の赤面が他人 にどう映るか、自分の表情を他人が何と見るか、が恐いのてあり、人によっては、自分の笑顔
いと努力したら、どういうことになるだろうか。おそらく、努力をすればするほど緊張が強く なり、自分の意に反してうまくいかなくなってしまうはずてある。 つまりそれは、次のような心理的メカニズムに準拠している。 たとえば一例として、しよっちゅう喋るときに震えがちなある人が、震えまい震えまいと努 力をした結果、かえって震えがひどくなり、会場て立往生して会議をやめてしまったとする。 この場合、彼はまだ喋っていない時期から、もし自分が震えたらどうしようという「予期不安」 にとらわれていたのてある。そして上手に喋ろうとすればするほど、その「予期不安」は拡大 され、実際に喋る段になると、緊張ばかりが大きく目立つようになって、話の内容が忘れられ てしまうのてある。そこてしまったと思い うまく話そうと考えて年れば焦るほど、むしろマム イナスなストレスが話すという行為の上に重なってゆき、ついには立往生する結果になって、ニ 逃避せざるを得なくなってしまう。つまり、「精神交互作用」とは、自分にとって不都合な心身メ の の弱点を取り除こうと努力をすればするほど、逆にそこに注意が集中し、結果としては自分に 症 質 不都合な症状 ( 神経症の症状 ) を引き出してしまうことをいうのてある。 経 心ー身のメカニズム あ
ら、私がかけた迷惑の方がもっと大きかったのてはないかと思っています。つまり私は、まっ たく自己中心的な生き方をしてきたんてす。 ても今は違います。胃癌を手術して、自分の命があと何年か限られたものてあると知ったと き、私はその毎日、毎日、一時、一時が、ものすごく大切なものだということがわかってきま した。だから、それまてに自分勝手て迷惑をかけた息子や夫のために、一生懸命に働こうと考 えるようになったのてす。そして今、この年齢になってしまいましたけど、それまてにやりた くてもてきなかったことを積極的にやることにしました。囲碁を習いに行ったり、お習字をや るようになったりして、毎日がすごく充実しています。そうすると、あんなに気になった症状 が、いつのまにか気にならなくなって、健康な方向へ、健康な方向へと考えが向かい、行動が 法 てきるようになるのてす。 療 クあるがまま〃という言葉をさんざんに教えられてきたんてすが、今私は、本当に〃あるが森 ままみということがわかるような気がします。私はもう神経質 ( 症 ) から解放されたといってもか よいように田 5 うんてす」 常 彼女は、胃癌てあることを知ったことが契機となって、自分の存在の真実を認識し、自分の日 真の欲望に目覚め、それを実践するようになったのてある。彼女の夫もその変化に驚きを示し
過酷な詰め込み勉強て、それについていけないときには、学友との競争に勝てないという劣等 感をもつ。また、一種の〃英雄主義時代みて、肉体の強さを誇りたがるこの時期には、水泳や 鉄棒がてきないと、心に大きな傷をつくる。さらに、生まれつき自分の容姿に欠陥があったり、 要求水準が高過ぎて、自分の容姿が他者に劣り、特に異性に恰好が悪いと思われていると考え るようなときには、劣等感が強くなる。「劣等感」 ( インフェリオリティ・コムプレックス ) という 言葉を創始したアドラーは、特に生まれつきの身体的欠陥を神経症と結びつけ、「器官神経症」 といっているくらいてある。 つまりこのように、自我が強化されるに従って、他者や社会との関係の中て自分がどのよう に生きていけるかということを強く考え始めるのがこの時期てあり、「自己肯定」がてきる場 合と「自己否定」を中心にして強い劣等感を形成する場合と、一一つの道を選ばなければならな きろ い岐路に立たされる。 大切な「自己内在化」の時期 以上のことは、特殊な人間が課せられる問題てはない。ご ナれても一度は何らかの形て、そう した壁を感知するものてある。というよりも、むしろそこて自分自身を深く考えることが大切
て、自分の肩身を狭くしないてよいような会社に移ろうと考えています」 いかにして克服したか そこて筆者は、»-a 氏に次のように尋ねた。 「あなたは今ここて、自分の本当の心を見つめてごらんなさい。 今まて営々と築いてきた銀行 ての地位や立場を捨て、楽な仕事に移りたいのか、それともいろいろな苦しさがあっても、自 分の能力をフルに発揮して真の欲望を生かしたいのか、どちらなのかを」 すると»-ä氏は次のように答えた。 「それは当然、今まてのように自分を銀行の最前線て生かしていきたいのが本心てす。しかし、 今の私にはペンを持つ手が震えるということの苦しさが人生のすべてて、それが治らないのな方 治 ら、あらゆることを捨ててしまいたいという心境てす」 »-a 氏と筆者の対話は、 &--ä氏の外来受診中にくり返された。当初、銀行をやめるといっていた 氏は、次第にそれが自分の本心てはなく、それまてと同じように銀行て活躍をしたいという質 「欲望」をもちながら、そのことが実現てきないために本来の欲望を放棄して、もう一方の逃神 避的な欲望に従おうとしていることを理解した。また、彼が悩みとする人前ての身体の震えや、
方て、「自己内在化」がてきず、自我の形成が薄弱て、自分の中にうつ屈するエネルギーを、他 者にぶつけていく場合がある。つまり、家族が自分をこのようにしたのだという怒りを暴力的 に家族にぶつける場合に家庭内暴力が起こり、学校の先生が悪いのだということて、暴力的に 先生につつかかっていくときには、校内暴力が起こり、学友との間てマイナスのエネルギーが たんらく 短絡的に他者を傷つけるときには、 : ししめの問題が起こってくる。 ぜいじゃく すなわち、これは「自己内在化」が充分にてきず、自我形成が脆弱て「生の欲望」のエネル ギーをどこに向けてよいかわからず、誤ったはけ口を外に求め、誤った「自己外在化」をする 結果なのてある。 こうしてみると、この時期の「自己内在化」は、自分の中に「生の欲望」のエネルギーを圧 縮し、自省と共に自我を強化し、それをどこに向けて生かしてゆくか、非常に重要な心理機制 になるのてある。すなわち、ここて圧縮されたエネルギーが、その後にやってくる森田のいう 十七歳以後の思春期に自己の希望の道へと、あるいは創造性へと、自分を振り向けてゆく重大 な岐路になるのてある。 「社会構成期」