その際に、後者の欲望を生かしていけるように設定していくのが、この時期の骨子てある。 この時期は一週間以上続き、「生の欲望」を生かして生活することが習慣づけられると、知ら ず知らずのうちに、不安・葛藤が存在しても、それまてとは違った健康な日常生活を維持して いける「態度」が形成されていくのてある。 次の生活訓練期には、前期ててきあがった「生の欲望」を生かしうる態度を、現実社会に振 り向けていかねばならなくなる。具体的には、病院から学校に通うなり、会社に通うなりする 視線のやり場に困ったり のてある。学校に行くと対人関係に緊張を感じて顔が赤くなったり、 するというようなことが、予期不安として心に迫ってきても、その不安があるから学校へ行け 勉強をしたり ないというのてはなく、不安を受けとめたまま学校に行き、学友と話をしたり、 するという目的を果たすのてある。また、会社に行く途中、電車の中て息苦しくなり、死の恐方 怖を感じて途中から家に戻ってきてしまうというような習慣をもっていた人ても、再度起こる治 の のてはないかという予期不安を抱いたまま、また、ときには実際に不安発作を引き起こしても、 症 それをそのままに受けとめて、会社て人並に仕事をしたいという「生の欲望」を大事にし、会質 社に行って仕事をするという態度を維持するようにし向けるのてある。
「態度形成」による治癒 以上のようなよき行動の習慣化は、森田療法による治療にとってはたいへん重要なことてあ り、これを「態度形成」と呼んている。その態度形成が完全になされたときに、退院となり、 日常社会に復帰していくのてある。 しかし、それてもまだ「生の欲望」の二面性は続いているのてあり、現実から逃避したいと 欲望は絶えず衝突する。そこてさらに弱 フ欲望と、現実てよりよく自分を生かしたいという ( い自分と戦いつつ、よりよく「生の欲望」を生かしていくという態度を維持するように努力し いつの間にか被治療 ていくのてある。そしてそれが本当に日常生活そのものになったときに、 者は不安な自己を常に振り返ることなく、前向きに、「生の欲望」に従って自分を生かしきって しけるようになる。以上が森田療法における入院治療の概要てある。 外来療法の実際 次に、外来療法について簡単にふれておくことにしよう。 入院療法と外来療法の差は、外来療法の場合には、入院療法のような具体的な日常生活上の 指導がてきないことてある。森田療法はよく行動療法と同格の治療法だといわれることがある 126
子供が感染症を引き起こし、一時は生命も危いといわれたのてある。それが治癒して一段落し たときから、彼女の神経質 ( 症 ) の症状が始まった。 最初は自分の手が汚れていて、それが感染の原因になるのてはないかと不安になり、何回も 手を洗った。また、おしめの中に針が紛れ込んていて、それが子供に突き刺さり、心臓に達す るのてはないかと不安になって、何度も何度もおしめに針が刺さっていないことを確認しなけ ればいられなくなった。 そうした症状が次第にひどくなって、家事も育児も不可能になり、医大精神科を受診した。 その結果、強迫神経症の診断が下され、 Z 病院に入院することになった。約三カ月の入院て症 状は軽減し、家へ帰ったが、姑との争いを契機として再び症状がひどくなり、特に〃針恐怖〃 が強くなって、自分が座る座布団も椅子もすべてを一度調べあげてからてないと、知らぬまに そこに針が刺さっていて自分の身体に入り込み、心臓に突き刺さって死ぬのてはないかと不安森 す 生 たとえば彼女が、路上て針が落ちているのを見つけようものなら大変てある。夫を促して外 常 科の病院に連れて行かせる。夫は、道に落ちている針がおまえに突き刺さるわけはないてはな日 いか、とくり返し説得するのてあるが、あまりにも強硬な彼女の態度に折れて、結局は彼女を うなが
がなされたものを現実生活に振り向けていくのてはなく、最初から現実社会の中て真の欲望を 生かしていけるような態度を形成するようにし向けていくことてある。外来ての面接、さらに は日記指導を通じて、治療者は被治療者の内面に、よりよく「生の欲望」を生かしうる動機づ けを行なっていかなければならない。 被治療者の自覚を促す それにはます、従来のように〃、 カくあるべし〃という誤った理想主義を掲げ、それが実現て ール・オア・ナッ きないと、おれは駄目だといって逃げ出してしまうような、すべてか無か ( オ シング ) の心理状態から被治療者を解放し、自分の内面には弱さもあれば醜さもあり、不安に髑 むと同時に、克己心もあり、よりよく自己実現をしていきたいという気持もあるのだというこ とを、自覚てきるようにしていくことが大切てある。 ただし筆者は、この自覚が治療者の説得によって生まれるものてはないと信じている。不安・ 葛藤の多い日常生活をなんとか健康な態度て過ごし、そのありようを治療者にぶつ。 ナ、治療者 が被治療者と共に不安を抱い 葛藤を感じたり、揺れ動いたりしながら、日常行動を通じ てよりよい態度が被治療者の中に形成され、そして内面的な自覚が深まっていくのを待つのて 128
が、それは誤りてある。しかし、行動を重視する治療法てあることには相違ない。したがって、 単に言語的な対話 精神分析療法のように、治療者と被治療者が〃治療同盟みをつくって、ただ のやりとりをするものてはない。森田療法における外来療法の場合には、治療者と被治療者が 病院て話し合ったことを、被治療者が日常生活の中て実践していくことが重要なポイントとな そのために筆者は、外来療法においては、森田療法の一つの特有な治療技法てあるところの 「日記」を重視することにしている。 日記については、前述の入院療法においても、軽作業期から一日にあったことを中むに記載 して、らい 、それを治療者が読んて意見交換を行ない、治療者、被治療者の意思の疎通をはか るのてある。しかし、被治療者の内界の深層をク不問み ( 無意識に抑圧されているものを精神分析方 のようにあえて顕在化させようとはしない ) にするという態度をとる森田療法の建て前としては、治 の あまりだらだらと不安・葛藤を日記に書かせないようにしている。 症 しの質 ただし筆者は、外来治療の場合には、被治療者の行動とともに深い内面の変化を知りた、 て、ある程度自由に、なんても日記に書くことを被治療者に許容している。 ここて重要なのは、入院治療のように治療的な場を設定して、そこてある程度「態度形成」
5 強迫観念に基づく行動 「はからう」とは、物事を処置することてある。つまり、考えたことを、動作、態度、行動に 示すことてある。そこて次に、神経質 ( 症 ) 者についての「はからい」を考えてみたい。 神経質 ( 症 ) 者における「はからい」は、神経質 ( 症 ) 者が自分の強迫観念に基づいて、物事を勝 手に処置することをいう。たとえば、先にあげた一卵性双生児の君は、顔が赤くなるのを見ム こもう少しそのことを突込んニ られるのがいやだといって、会合に出るのをやめてしまった。彼 ( カ メ て聞いてみると、 の 「自分の顔が赤くなるにつれて、同席する学友がそわそわし始め、だんだん雰囲気が面白くな くなって、会話が変な方向に行ってしまうんてすよ。ばく一人のために皆の会合を台無しにし質 神 ては申しわけない、と考えるから、ばくは会合に出席しないんてす」と述べる。 この場合、君は赤くなるのを人に見られたくない、自分の劣等感を人に察知されたくない 「はからい」の行動
以上のように、筆者の仮説に従えば、神経質 ( 症 ) は、先天的素質もさることながら後天的な 環境要因、それも「前社会化期」「社会化準備期」の環境が大きな影響を与えていると考えられ るのてある。 性格は変わり得る ところて、神経症の患者さんと面接をしていると、「僕は生まれつきの性格だから」とか、「生 来が暗いんてすよ」とか、「もって生まれた性格は改まりませんよ」などという言葉をしばしば 耳にする。そんなとき、筆者は、 「もし、あなた方の性格がまったく変わらないとしたら、神経症の治療を受けても治らないと いうことになります。しかし、神経症が治るということは、その人が自分の身体を考える考え 方や、人に対する考え方や態度が、少なくとも病前とは変わるということてしよう。性格と うのは、その人の知・情・意の指向性をいうのだと私は理解しているのて、神経症が治ること によって、その指向性が変わるのてあり、したがって性格の全部てはないが、ある部分は変わ るとい - んるの′しはない、てしょ , フか」 と答えるのてある。ここて、筆者の性格に対する理論をごく簡単に述べておこう。
という感情をもっているのてあるが、それを、赤くなることは同席する学友に絶対におかしく 思われ、またそのことが学友に迷惑をかけるという強迫観念にしてしまっているのてある。そ してさらに、自分が出席しない方が皆が和気藹々と会合がてきるという、勝手な理由づけにす り替えてしまっている。そのことは、一種のフィクションによって自分を正当化することてあ り、これを「合理化」という。 つまり君は、自分を合理化して会合に出ないという態度、行動をとっているのてあって、 「とらわれ」に基づいた自分自身の〃処置みを行なっているのてある。これを「はからい」と とう多少おかしなニュアンスをも いう。「はからいの行動」という言い方は、「行動の行動」い つが、後 ( こ「目的本位の行動」という言葉を説明するのて、以後、自分の思うように処置した 行動を「はからいの行動」と呼ぶことにする。 日常生活からの逸脱 この「はからい」の心理は、必ずしも神経症者に特有のものてはなく、我々日常人もしばし ば「はからいの行動」をとる。たとえば筆者なども、今日はあの会合に出たくないという考え が根底にあるとき、その気持ちを、いろいろな理由をつけて歪曲し、自分の都合のいいように
ては、「今」「ここ」ての生きる意味を一つ一つ大切にしながら、生きていこうという姿勢が、 自分なりにつくられてきたと思う。 森田療法の効用 ところて、このような自分の性格が、どのようにして形づくられてきたのかを考えてみると、 筆者の幼小児期体験に言及しないわけにはいかない。筆者の両親は、筆者の物心のついた頃か ら別居の状態てあり、母はことのほか厳しい人てあった。母はアパートをいくつも持っていて、 男顔負けの事業的な手腕家てあった。したがって、母は、一般的母親の役割を演ずるとともに、 それ以上に厳しい父親の役割をも演じていたのだと思われる。 たとえば、小学校の頃、友人の家に遊びに行って五時に帰ると約束し、その時間を十分ても かぎ 遅れようものなら大変てある。玄関の扉も窓も鍵が閉められ、どこからも入る隙がなかった。 あるときなど、横なぐりの雨が吹きつける中て、一時間も玄関の前て立ち尽したことがある。 その一面、母は非常にやさしかった。本来はそのようなやさしさを表現し続けたかったのて あろうが、おそらく父性的な教育を意識していたのて、人一倍厳しい態度をとったのてあろう。 そんなことから、筆者は、「男の子はかくあるべし」という躾を、母親から叩き込まれてきた。 しつけ 182
一人の人間にひそむコスモスとカオスの大いなることを、これほどじかに痛感させられたこ とはない。意識の宇宙史はまさに近傍にこそ眠っていたのだった。い ずれその記録は、先生の 多くの友人や知人の方々の証言をまじえてまとめなければならないとおもう。 しかし、いま思い出すことは、先生が死の直前まて何度も強調しつづけた言葉、すなわち「生 きることの自由とは、意味の実現に賭けることなんてす」という言葉ばかりてある。そこには、 植物人間となってまて生きたくはない、 それては意味の実現にはならないという強烈なメッセ ージがひめられていた。五月に入って病状が日毎に悪化してからは、先生は意識の白濁にさえ 意味を発見しようとしていたのだ。言 読者は、本書の半ば、先生が出産まもない愛児を失うとき きようじん に見せた強靱な態度に、おそらく同様の感動をおばえられるてあろう。 本書の「おわりに」は、「自分が可能な限り、目が見えなくても、耳が聞こえなくても、身体 が動かなくても、〃人間としての自由みを守り通してゆきたいのてある」とむすばれている。先 生はそのとおりに最後まて自由を守られた。その自由は本書を口述筆記することによっても、 まさしく鮮烈に獲得されたのだと、私はおもっている。 5 「最後の自由」