精神 - みる会図書館


検索対象: 森田療法
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1. 森田療法

これまてに述べてきたように、森田正馬は、人間の精神的な発達を「生の欲望」という独特 な観点からとらえている。しかも森田は、生物的て方向性をもたない欲望が、次第に人間的な 欲望に発展していって、人間としての方向性をもつようになり、さらにその個人的欲望が社会 化された欲望へと変化してゆくものとしてとらえている。これは、基本的に、筆者の意見とも 一致するものてある。 人間の精神的発達に関する理論としては、ウイニコットの「対象関係論」や、エリクソンの 「人生八段階説」などがあり、人間が生後に出会う母、父、仲間、師などの対象をどのように して自分の内にとらえ、自分の精神内容として内在化させていくかによって、人間の精神発達 力いかに行なわれるかが論じられている。 筆者は基本的にはこのような学説を肯定している力、ただ異なるのは、生物としての個がい かに社会化されていくかというところに人間発達をとらえる主眼を置いているのてある ( この点 ーという著書において既に論じた ) 。 に関する詳細は、『現代臨床社会病理学』ー岩崎学術出版社刊 と、う、根本的てしかもユニークな断面から、人間の 森田は、人間が生きるための「欲望」し と、 , フ題を、さらにこまかく解部し、田 5 精神発達を論じている。そこて、この「生の欲望」し 索を深めてみることにしよう。

2. 森田療法

印」があり、人間が一方に注意を向けるならば、必ず一方の注意は不鮮明になってくる。心臓 に注意が向いているようなときには、精神交互作用に振り回されて、注意が症状の方向に偏っ てしまっている。その逆に、精神交互作用のメカニズムが打破されると、本来の欲望を生かす 方向へと注意が向くのてある。 また縁起恐怖、雑念恐怖などの一般強迫観念症の場合には、気になることから注意をそらそ うと思えば思うほど、反比例して、症状に注意が向かっていってしまうのが常てある。それは また精神交互作用の悪循環の結果てあり、もしそこから脱しようとするならば、その観念を取 り去ろうと努力したり、気になる物事をくり返して確かめようとせず、〃もう少し確かめたいみ という不安・葛藤を残したまま、現実における日常目的に行為を移していくべきてある。ここ ても「注意の法則」が働き、自分の真の欲望が生かせるような現実目的を果たしていけるなら方 ば、そちらにいつのまにか注意が移って、日常生活の流れが強迫観念に中断されることなくス治 ムーズになっていくのてある。 症 以上のように、 神経質 ( 症 ) 者は、治癒を志したならば、まず自分が精神交互作用の悪循環に質 振り回されていることを自覚し、この状態を現実行動を通じて打破していくように努めるべき神 てある。 かたよ

3. 森田療法

分析学を導入し、それ以後、日本にはなやかな精神分析学の学問を展開させていった。したが って、ドイツにおけるクレベリン学派の影響を受けつつ成り立った、呉秀三教授から森田正馬 よ、さまざまな点て対立 の系譜に至る学説と、丸井清泰教授の精神分析学を基点においた学説ー 的な要素を秘めていた。ましてや、東洋文化ならびに思想をかなりとり入れている森田学説と、 西欧崇拝熱の強かったその当時の精神分析学系統の学説が、融和しようはずがなかった。そこ て、森田・丸井論争が何回もくり返されたのは有名なことてある。 以上のような経過をたどった後、最近になって、現実の治療に森田療法をとり入れようとす る外国の心理学者たちが現われた。カリフォルニアとハワイに「 ( 東道 ) 研究所」を開 くレイ / ルズ、あるいはドイツのポンに研修所をもっプラウアー等がそうてある。このように、 外国人からの関心が高まると同時に、日本文化を改めて見直そうという傾向が強くなった今日、 神経質 ( 症 ) 的傾向のある人も、一般の人も、森田療法の存在に関心を抱き、どのような内容を もった精神療法なのかということを知りたいという熱望が、筆者にも伝わってきた。 、こごナればわかるとおり、神経質 ( 症 ) 者だけてはなく、一 森田療法は、本書の内容を読んてしナナー 般の日常人にも共通した心理的メカニズムを対象とする治療法てある。したがって、学校ての 人間関係、会社ての問題の対処の仕方、家族・社会とのかかわり、その他、現実的な生活のな

4. 森田療法

た日常的な現実に背を向けてしまう。 それては、神経質 ( 症 ) を治すためには何を心掛けていったらよいのてあろうか。まず第て 大切なことは、自分自身が精神交互作用の矛盾を引き受け、症状に「とらわれ」、しかもその症 状から「はからい」によって現実逃避をしようとしている自分の現状を、つぶさに認めるべき てある。 とはいっても、「とらわれ」に自由にされ、真実が見えなくなり、現実から背を向けようとす 症状と自己と現実生活 る神経質 ( 症 ) 者には、正当て客観的な自己判断がてきるものてはない。 の間における関係が充分に把握されておらず、自己洞察がてきていないからてある。そこてま ず神経質 ( 症 ) を治すために重要なことは、精神交互作用のメカニズムを打破することてある。 方 治 あるアナウンサーの体験 たとえば、筆者があるテレビ局に出演依頼をされて出かけたとき、かなりべテランのアナウ 2 質 ンサーが筆者にこういったことがある。 経 「先生は精神科医だから、心の自己訓練がてきているんてすか。指し棒てパネルを指していて神 も何ら震えるところがありませんてしたね。大方の人は落ち着いているように見えても、指し川

5. 森田療法

実際に、声が出 以上のような「精神交互作用」の症状は、単に心理的な問題だけてはない。 なくなったり、胃が痛くなったり、 排尿が異常に近くなったりする。アナウンス五分前になる と必ず排便をしなければならない有名アナウンサーもいるほどてある。つまりこれは、精神と 身体の問題、心ー身のメカニズムを含んているのてある。 ちなみに、その点をわかりやすく図式化してみることにしよう ( 次ページ参照 ) 。 以上のように、人間は心と身体が密接不可分な存在なのてあり、その変化の過程て、誰の心 にも、「精神交互作用」による変化は必ず起こっているのてある。ところが、神経症の人はその 事実を認めようとせず、誤った理想主義によってそれを拒否し、自分だけにそれをなきものに しようとし、しかも完全に実行しようとするのてある。さらに不可能な場合には、〃すべてか無 かみという心理状態において逃避をしてしまうのてある。 名優でも足が震える これと逆の立場を紹介しよう。演出家の浅利慶太氏と歌舞伎役者の中村勘三郎氏のラジオ対 談ての話だったと思うが、勘三郎氏が『ヘンリー三世』を演じたときのことてある。初日の舞 台て、セリ上りから舞台に登場するとき、浅利氏が舞台の袖にいて勘三郎氏の足もとをふと見

6. 森田療法

精神交互作用のメカニズム 一般的な刺激 0 心身に対する反応が起こる 自分にとって都合の悪 い刺激および反応を拒 否する 0 0 拒否すればするはど、 そのことが新たな刺激 となって、さらに心身 の変化が増強される 具体的に心身の変化が 現われるので、さらに それをなんとかして打 ち消そうと無駄な努力 をする。それがまた新 しい刺激となる 消退する 0 精神交互作用の悪循環 が起こる 75 神経質 ( 症 ) のメカニズム まったく平常に復元す る

7. 森田療法

3 ー「精神交互作用」につ、て 4 ーー「とらわれ」の心理 5 ー「はからい」の行動 3 ー神経質 ( 症 ) の諸症状・ ー神経質 ( 症 ) とは何か 2 ー神経質 ( 症 ) の類型 田強迫観念 ( 強迫神経症 ) 図不安神経症 ( 発作性神経症 ) 3 普通神経質 4 ー神経質 ( 症 ) の治し方 : 1 ー入院療法と外来療法 2 ー「精神交互作用」を打破するⅧ 114 85 77 し 105

8. 森田療法

ここて注意する必要があるのは、フロイトが、「自己愛神経症」 ( 現代の分裂病を指すのてはないか と考えられる ) 、あるいは「精神神経症」と呼ぶような、ヒステリーをはじめとして、人生の初期、 すなわち幼小児期において家族関係に重大な問題があったり、深い精神外傷を負うような機会 があって起こる神経症とは異なるという点てある。 前述した人格発達の理論からいえば、神経質 ( 症 ) に悩む患者は、「家族期」においてはさほ ど大きな歪みを受けず、「前社会化期」のあたりから、現実と、形成された人格との間に、葛藤 を意識し始めるのてある。 もちろん歪みが少ないとはいえ、「家族期」にまったく間題がないとはいえず、筆者が行なっ た神経質 ( 症 ) 者の家族関係調査からすれば、対人恐怖症者は、両親のいずれかが非常に教条主 義的て〃かくあるべしみという教育が過剰になされていることが特徴的てあり、一方、不安神経 症者は、両親のいずれかに過剰に依存的になる家族関係をもっていることが特徴的てあった。 ' 」だ、ヒステリー者や、フロイトが精神神経症と命名したような意識下に深い傷痕のある神 経症者とは、一線を画することがてきる。つまり、現実社会において、日常生活を前向きに営 もうとする自我形成がある程度完成されているのてあり、その自我が、現に生きていかなけれ ばならない社会との接触の中て、何らかの負担を感じ、 ハランスをどこかて欠いている状態な

9. 森田療法

ーー神経質 ( 症 ) 者の性格 性格の特徴 前章て「生の欲望」について述べてきたが、ここては、神経質 ( 症 ) 者がどのようにしてつく られるかを老ノえてみることにしよう。 森田はその著書において、十の「変質者」の例をあげ、その一つに「神経質」を入れている。 現代ては「変質者」というと、・シュナイダーがあげるような、性格の極端な偏奇者を考え カちてあるカそうてはない。 森田があげる神経質を、彼のさまざまな著書から類推してみる と、普通の人から見て神経質的に性格が偏っているという程度のことてある。 そもそも森田は、日本にはじめて精神医学を樹立するのに大きな力をもっていた呉秀三教授 の東京帝国大学における門下生てあり、ドイツのクレベリン学派の精神医学的伝統を受け継い て、 した。この学派は、フロイトが神経症の環境論を標榜したのに対して、素質論が中心となっ ていた。したがって神経質素質という生まれつきの素質が森田によって問われたのてある ( 筆者 かたよ へんき

10. 森田療法

2 をとりやすい。これは神経質 ( 症 ) 者が、相反する感情を内在させ、相反する物事を包含しなが ら生きているという事実を受け入れるだけの、心の余裕と豊かさをもちえないがためてある。 したがって、神経質 ( 症 ) の治療は、西欧における精神療法とは異なり、症状を取り除くこと てはなくて、それを人間性の一部、あるいは現象そのものとして受容てきるような人格を、日 常行動を通じて獲得せしめる点にあるのてある。 以上のようなことを念頭において、神経質 ( 症 ) を理解していただければ幸いてある。そこて、 神経質 ( 症 ) がどのような症状から成り立っているのかを、これから検討してみることにしよう。 神経質 ( 症 ) の類型 森田は、前述のような要因をそなえた神経症の一部を「神経質」と命名したが、そのなかに 三つの大きな分類を行なっている。これらは病型は異なるが、いずれもヒボコンドリー性素質 の上に成り立ち、「生の欲望」が存在し、完全欲にとらわれていて、精神交互作用のメカニズム いて発症するということては共通している。そこて、以下に三つの類型を紹介することに