202 れない時代である。それゆえお互いに愛想はよいのだが ( 例団地のエレベーターで見知らぬ 人と一緒になったとき ) 、心を開いているわけではない。ありきたり ( ステレオタイプ ) の会 話である。 こういう生活が続くと、本当の自分を語りそれを聴いてほしいという願いが出てくる。外 界とつながっているという安定感が得られないからである。アメリカ人がちょっと知りあっ ただけの人間に、自分の家族のこと仕事のことをオープンに語る心理である。人恋しくなる のである。そして私の見るところ、人生でふれあいのもてる人を数人もっている人は、完全 に孤軍奮闘している自主独立の人よりも精神の健康度は高いように思われる。大家族主義の 中国系アメリカ人には精神疾患や非行率が少ないのはそれを示唆している。 ふれあいを求める時代になった第二の理由は世の中がテクノロジーの時代になったからで ある。直接会話しなくてもファクスがコミュニケーションを助けてくれる時代である。機械 を扱う人は一日中人と会話しないでも生きられる時代である。その結果、本当の自分を表現 し受けとめてもらうという体験がしにくくなった。 なぜ自分を表現し受けとめてほしくなるのか。前述した精神衛生の保持、促進のほかに、 自分のアイデンティティを定めたいからである。自分は何者であるかという意識、人生にお つまりアイデンティティーーーは本当の自分をつかまないこ ける自分の存在感 ( 居場所 )
とには定めようがない。お座なりのつきあいやひとりごとだけでは本当の自分はつかみにく アイデンティティというのは本当の自分を知ったときに定まる。たとえばアメリカ社会で アメリカ人とっきあっている間に「やつばり、俺は日本人だなあ」としみじみ思う瞬間があ る。お座なりのつきあいではわからないが、つきあいが深まってふれあいのレベルになると 自・他の相異がはっきりする。日本人同士でも同じである。結婚して初めて、しみじみと自・ 他の相異に気づき ( 自分はどういう人間か、相手はどんな人かに気づき ) 、アイデンティティ がさらに育つ。 て ーーある程度意識して 今の時代はふれあいの機会が少ないのでーー都市化とテクノロジー え ふれあいの瞬間を体験するようにしないと、自分のアイデンティティを定められない悩みが に 生じる。そういう時代である。 あ 私がアメリカでカウンセリングの実習のときに出会った最初のクライエントが「私は私自 身が何者であるかをつかみたい ( 一 want ぎ be myself. ) 」と私に迫ったことがある。当時 い あ ( 一九六一年 ) のインターン仲間は「ふつうのアメリカ人はみんなそういう思いをもってい ふ る。俺たちだってそうだ」と説明してくれた。私は日本にもだんだんこういう訴えが増えて くる時代がきたと思っている。
134 の知的好奇心の問題ではない、と。これは一九六〇年代のミシガン州での経験であるが、今 の日本もこのような問いを発せずにはおれない時代になったのだ、というのが私の感慨であ みいだ なぜ今の時代は本当の自分を見出しにくいのか。 人口移動の激しい時代であるから、どこの誰ともわからない人と仲よくつきあうことにエ ネルギーを費やさざるを得ない。その結果、自分を抑えて人にあわせるようになる。そうこ うしているうちに、自分は本当にうれしくてニコニコしているのか、人に悪く思われまいと くだん してニコニコしているのかわからなくなる。そこで件のク一フィエントの問いになるのであ ではどうすれば、本当の自分を発見することができるか。そのハウッーが三つある。 まず第一のハウッーは、団地の運動会に出てみる、会社の忘年会の幹事をしてみる、みん なと一緒にスキーに行ってみる、ボランティアで高齢者の世話をしてみるなど、さまざまな 状況に身をおいてみることである。すると今まで気づかなかった自分に気づくからである。 原理は結婚と同じである。結婚してみて初めて自分は配偶者に母 ( 父 ) を求めている甘えん 坊であると気づくようなものである。人間はある状況になってみないと生地がわからない。 たとえば私は教育実習をしてみて初めて自分は思ったほど生徒にもてないこと、意外にも
きあいにはこれで充分であろうが、本来ふれあう方が自然な間柄 ( 例親子、師弟、夫婦、 親友 ) のときには、無精せず自分の心情を伝える工夫をせねばならない。 つまり、ふれあいには「手ねりようかん」の要素がある。したがって、誠実な人柄でない とふれあいはもてないという理屈になる。 ではゴルフづきあい、マージャンづきあいの仲間は談論風発することがあるが、あれはふ れあいか。ふれあいに近いものがあるが、ふれあいとは言い切れないと思う。ふれあいに近 いとは、あそびの世界には責任も権限もないので、ひとりの人間としての交流がもちやすい ( 地位や役割にとらわれず本心が出しやすい ) という意味である。しかし、ふれあいとは言い ーソナリティ ( 人柄 ) そのものをわかちあうのが主軸 て切れないのは、行動を共にはするが。ハ かになっているわけではないという理由からである。仲よしとか親和的というだけではふれあ いとは言い切れない。各自がそれぞれの人生で重要性の高い感情・価値観・事実をわかちあ あうほどに心を許しあっているかどうかがふれあいの大事な条件である。 今の時代はふつうの人々も心ひそかにふれあい体験を求めている時代である。なぜそうい い あう時代になったのか。 ふ ひとつには人口移動が激しくなったからである。都市化するにつれ、自分の周りは知らな い人ばかりとなる。どこの誰ともわからない人と適当につきあう社交性をもたないと生きら
賀状を書きながらいつも思うことがある。 この人とのつきあいは、今の共同プロジクトが終わるまでのことだ。これから幾十年も つきあうわけではない。ならばいっそ賀状を出さない方がよいか、と。 私の結論はこうだ。 いちど親密になったからといって、今後永遠につきあわねばならないということはない。 えしかし、永いっきあいが誠実で、短いっきあいは表層的・社交辞令的であるとはいえない。 を特に今の時代はそうだ。これほど人口移動が激しい時代だから、むかしは十年かかってつく 「た深い人間関係を今は数週間で、いや数日でつくるのでなければ、共同作業はできないの 自である。 しばしのつきあいのあと別れのときがくることは目に見えていても、その期間は心をこめ 思いをつくしてつきあうのでなければ、いつまで経っても、かりそめの一時しのぎの人生し 本当の自分を表現する方法
I 自分の行動を変える 今日のようにさざまな考えの人間が共存している時代では、心のなかで唱えているだけ では伝わらない。こまめに表現することである。
しようさん 話すのがおとなの常識だと思う。これをユニークな教授だとか深みのある人物だと称讃す ることは私にはできない。 なぜ常識不足になるのか。 常識を教わっていないからである。親も教師も常識を教えることをためらう傾向がある。 時代の変化を考慮しすぎるからである。しかし時代が変わってもそれほど変わらない常識と あいさっ いうものがある。たとえば挨拶、お礼、ことば遣いがそうだと思う。先日も友人から電話が あり、息子の勤め先の中学校に講演会に行ってくれないかという。私の思っている常識では この場合、息子さんからもひとこと挨拶があってよさそうなものだが遂に何ということもな るかった。 え 変 常識不足の第二の原因は、元服に相当するイニシェーション ( 通過儀式 ) がはっきりしな に ス いからである。「今日から自分はおとなである / 」という自覚を持っ機会があるようでない。 をむかし私は十四歳で陸軍幼年学校に人校直後、外出時の両親への挨拶、手紙の書き方、上 ス レ級生になれなれしくしないこと、やがて自分の部下になるであろう人にあまり甘えないこと スなど、おとなとしての箸のあげおろしを教わった。 Ⅲ これが私の元服であった。 はし
ないからする」と事務的に割り切って水につかる、あの要領でつきあうとよい。 なぜ、あまり好きでもない人づきあいをした方がよいのか。ひとことでいえば自分の存在 感が確認できるからである。自分はやはり自分だ、これが自分だ、という意識は人との関係 においてのみはっきりするものである。完全に自分の世界にだけとどまっていては自分は何 者であるのかその正体がわからなくなる。 特に今日のように世の中がテクノロジーに満ちている時代では、知らぬまに人づきあいを しないですむから、その結果、自分で自分の正体がわからなくなる。虚無感、無感動などが その表れである。たとえば、最近よくいわれるオフィス・オートメーションに由来する心理 的障害がそれである。一日中人と口をきかない状況が来る日も来る日も続くのが心の健康の ためにはよくないのである。それゆえ、人づきあいの嫌いな人でも、人づきあいをした方が え得なのである。 を現代人から人づきあいを奪っているものがテクノロジーのほかにもうひとつある。それは 人口移動の激しさである。たとえば転居したのをきっかけに子どもが登校拒否をおこす例が の 自よくある。これは短期間のうちに新しい人間関係をつくる能力が乏しいときにおこりがちで ある。つまり今のように人口移動がはげしい時代には、人づきあいが嫌いでもそれをあるて いどできる能力がないと、生きにくいのである。
フラストレーションを突破する方法 自分と他人をうまく合わせていく方法 時代の先を見る方法 「である」思考否定で悩みを消す方法 きびしい現実に対応する方法 世渡りがうまくなる方法 不遇から立ち直る方法 人間関係を育てる二つの方法 挫折を乗り越える三つの方法 人から見られて自分を鍛える方法 人からどう思われているかを知る方法 人生を二本立てで生きる方法 ふれあいーー。・あとがきにかえて 187 巧 6 巧 9 191 本文イラスト 加藤智子
戦時中に青年期を過ごした私は、今でも軍人のしつけが残っている。 そしてこれは私の発見であるが、このしつけはアメリカ人のそれとそっくり同じなのであ る。それゆえ私はアメリカ時代の六年間を、むかしの軍隊生活の感覚で過ごしていた。 ではそのしつけとは何か。ふたつある。 あいさっ ひとつは挨拶 ( 軍隊では敬社 ) 、もうひとつは時間厳守である。このふたつは、年齢・職 業・性別・地位に関係なく、自戒の着眼点にした方がよい。厳格にいえば、した方が得であ る。 なぜ得か。世の中は自分ひとりでは生きられないからである。自主独立がよいことで、甘 え・依存はよくないことだと思っている人もいるが、そんなことはない。世の中は持ちつも たれつである。人の世話になどならないと豪語していた人でも、葬式は人にしてもらってい 5 しまりのある人生を送る方法