本文では紹介できなかったが、詭弁を ( も ) とりあげた、次のような書物がある。 阿刀田高「詭弁の話術』 ( ベストセラーズワニの本 ) ・フラジス他「き弁的推論』筒井・千田訳 ( 東京図書 ) ジョン・コンドン「ことばの世界』斎藤・横山訳 ( サイマル出版会 ) 田中美知太郎「ソフィスト』 ( 講談社学術文庫 ) 日本語特有の問題については、すでに多くの書物が出ているが、ひとつだけ挙げておこう。 大出晃「日本語と論理』 ( 講談社現代新書 ) 論理学については、次の本がおすすめできると思う。 フッペ、カミンスキー「論理とことば』大久保忠利訳 ( 紀伊国屋書店 ) 前原昭一一『記号論理読本』 ( 日本評論社 ) 「白馬非馬論」等、名家の諸論については次の書物にひと通りの解説がある ( 入手しやすい、適当な参考 書をご存じの方は、ご教示いただきたい ) 。 馮友蘭『支那古代哲学史』柿村峻訳 ( 冨山房 ) 参考文献 208
必ずがっきそって外出することになっている。また、店が空にならないように、三人そろって 外出することは禁止されている。 さて、 0 が外出したと仮定しよう。すると、次の結論が論理的に導かれる。 < が外出するとき、は残らなければならない。 これは店を空にしないために、当然のことである。ところが、さっきの説明によると、 が外出するとき、も外出しなければならない。 明らかに①と②は矛盾するから、 O が外出したという仮定はまちがっている。つまり、 O は外出 することができない。 しかし、そんなことがあるだろうか ? < とがそろって残ってくれさえすれば、 O は外出できる。当然、「 o は外出できない」とい うさっきの論証は、どこかがまちがっている。その「どこか」を発見し、なるべくわかりやすい 言葉で説明することが、われわれの「あそび」の目標である。 私なりの解答はⅣ章で述べるけれども、同好の士は、ご自分の解答を工夫されるとよいと思う。 私の解答が、理想の正解とは限らないからである。 もっと軽い。 ( ズルが好きな方は、次の問題のどれかに挑戦していただきたい。
たとえば〇山 x 子さんが不誠実であるかどうか、論理的には断定しがたいときでも、・フロポーズ するかどうかの瀬戸ぎわであればやむをえない。わずかなデ 1 タから「えいやめとけ」とか「ま あええやろ」と決断を下すのである。これは判断の問題 ( 哲学的には「帰納ーの問題 ) で、論理 の問題ではないから深入りはしないが、そそっかしい判断で詭弁にも逆用できそうな例を、いく つか挙げておこう。 【例 1 】お酒を飲むと、酔う。ビールを飲んでも、ウォッカを飲んでも酔う。ところで、お酒に も、ビールにも、ウォッカにも、水が入っている。ゆえに、水が酔っぱらう原因である。 【例 2 】「石森は酒を飲まないらしいね。あいつが酒を飲んでるところを見たことがないもの」 「そういえば、おれはラムちゃんがトイレに行くのを見たことがないぜ。あの子はトイレに行か ないんだな」 【例 3 】数学的な例では、次の式がよく知られている ( 数式が嫌いな方は、次の小見出しまで飛 ばしてください ) 。 日十十 41 簡単な計算でわかるように、 Ⅱ 0 とおくと、Ⅱ 41 Ⅱ 1 とおくと、Ⅱ 43 4
これまでたびたびとりあげてきた、寅さんや子供がふりまわす強弁は、相手がいう 小児病 ことを耳に入れず、ひたすら「自分がいいたいことをいいつのる」という点に特徴 がある。これを、小児型の強弁と呼ぶことにしよう。それしかできない寅さんのような人は、小 児病と呼べばよい。軽度の小児病患者は頭脳優秀な青年にもよく見られるので、私の経験でも次 のようなことがあった。 ある負けずぎらいの大学生と、東京の私鉄 ( 京王線 ) の特急電車に乗ったときに、次の停車駅 まで何分かかるかが話題になった。途中とばされる駅の数は車内の掲示でわかったので、その大 学生 ( かりに君とする ) は、ひとつの駅あたりおよそ二分半とみて、所要時間を計算した。私は 大体の所要時間を知っていたから、そこから逆算して、ひとつの駅あたりでは二分もかからない と主張した。 私は手をかえ品をかえ、「この前乗ったときは : : : 」とか「この線は駅の間隔が短いから : : : 」 などといってみたのだが、 co 君の返事はいつも同じだった。 児型強弁
がある。 「 : : : だそうだー式の琳ないしデマは、今もなかなか盛んである。東京に住んでいる家族が、横 浜の親戚の家に遊びにいって、そこで「東京の教育ママは、もっとすごいそうよーという噂をき いて驚いたという話があるが、具体的でありながら、すぐには確かめられないところが、導の特徴 なのかもしれない。東京で流行させるには「関西ではもっとすごいそうよ」とでもすればよい 噂の威力については、ここで今さら論じる必要はないと思うが、話のタネをお望みの方のために、次の 文献を紹介しておこう。 ィーデス ・ハンソン『花の木登り協会』講談社、ー アガサ・クリスティ『ヘラクレスの冒険』第五話「アウゲイアス王の大牛舎」高橋豊訳、ハヤカワ・ミ ステリ文庫 これは詭弁と強弁の境がますますはっきりしないものであるから、ひとっ実例をと りあげて、考えてみよう ( 以下の記述は、次の書物に基づく。原田正純『水俣病』岩波新 水俣市で奇病が発生したとき、熊本大学医学部や市の奇病対策委員会は、病因の解明に血のに じむような努力を重ねなければならなかった。奇病が細菌やウイルスによるものではなく、魚介 類の汚染によることがほ・ほ明らかになってからも、いったい何の物質による汚染が病因であるか 相殺法 0 -0
・、、なかなか確定できなかった。それにしても、マンガン、セレン、タリウム、水銀など、新日 窒水俣工場の廃水に含まれる物質が候補にあがり、また疫学的調査からも、工場廃水が原因であ ることは早くから推定されていた。しかし原因物質がはっきりしないと、水俣湾での漁獲を法律 で禁止することができない。そこで「魚をとってもよいが、食べないように」という苦しい指導 をしている間も、工場の廃水はひき続き流されていた。 このような状況の中で、「新日窒の責任ではない」という学説もいくつか提案された。そのひ とつは日本化学工業協会の報告による「敗戦のときに旧軍隊が水俣湾に捨てた爆薬が原囚かもし という珍説である。また東京工大の教授による「水俣病の原因は工場廃水ではない」 「病因は水銀ではなく、アミン系の有毒物質と考えられる」という説もあった。 「爆薬説ーのほうは、素人眼にもアヤシげであって、企業側の「ウャムヤにしてしまおうーとい う意図が露骨に感じられる。こんな思いっきの説と、まじめな研究班の苦心の学説とをコミにし て、強引に相殺されたのでは、これは詭弁どころか「強弁、といわれても仕方がないであろう。 このような、「 : : : とも考えられる、とか「・ : ・ : かもしれない」という論法は、詭弁的相殺法 弁になりやすいものである。ひとつやふたっ反駁されても、次から次へと新説を並べてウャムヤに してしまおうとする作戦なら、それはまぎれもない詭弁である。もちろん「 : : : とも考えられ るーという説が、学問的にも現実性のあるものであれば、それは貴重な反論として、真剣にとり
この方程式は、不定 ( 解がきまらない 0 でも 1 でもよい ) である。これが「矛盾は生じない が、どちらともきめられない」原因にほかならない。 逆に、不能 ( 整数解が存在しない ) の方程式や、不定 ( 解がきまらない ) の方程式から、無意 味な文章を組み立てることもできる ( 方程式の形には、ある種の制限がつくが ) 。たとえば ⅢⅡ 1 ー 2 という方程式からは、次のような文章が作れる。 左の枠の中に書いてあることはウソです 右の枠の中に書いてあることはウソです 170
と書ける。一方、 はウソである。 という文がにほかならないので、実は これを前の式に代入すると、次の方程式が得られる。 文 ()n が意味のある主張で、その論理値が、 0 か 1 かに定まるとしたら、そのはこの方程式 をみたすはずである。ところが、この方程式は ( 話を整数 0 、 1 に限ると ) 解をもたないので、 無理やり解くと s=1/2 になってしまう。これこそパラドックス発生の原因である。 では、 び そ は本当である。 あ 理という文 e からは、どんな方程式が得られるだろうか ? 結果だけ書くと、 e の論理値をーとし 論 て、 169
という主張が成り立つ。しかしこれを あるクレタ人はウソッキである。 と言いかえてよいのは第一の場合だけであって、第二の場合には、その「言いかえ」さえ、いわ れのない中傷なのである。 最初の主張 : は誤りである。 : とはいえない。 : とは限らよ、。 という形で述べられていると、全体から部分に及ぼす誤りはいっそう自然に ( もっともらしく ) 見える。ふつう「 : : : とは限らない」といえば「 : : : のときもあるし、そうでないときもある」 という意味になるからである。こういう言葉のまぎらわしさを利用すると、次のような「おきか え」さえもっともらしく見えてくるから、注意しなければならない。 飛 ( 正しい事実 ) はどれも、例外なく、でない。〔全体の否定〕 ( その表現 ) すべてのはでない。 ( その解釈 ) すべての < がであるとは限らない。
Ⅱ詭弁術 「あれは誰の胸像か」 と尋ねられた。 「あれはべ ート 1 ヴェンの胸像です」 「うむ、偉い軍人だそうだな」 ートーヴェンは音楽家です」 「ああ、音楽家のべ 1 1 ヴェンか」 これは論理的には筋が通っているー ある前提から結論を、理づめで導こうとするときには、次のような論法がよく使わ 三段論法 れる。 ( 第一段 ) は 0 である。 ( 第二段 ) はである。 ( 第三段 ) ゆえに、は O である。 これを三段論法という。たとえば 哺乳類は脊椎動物である。 ネズミは哺乳類である。 ゆえに、ネズミは脊椎動物である。