する。すべて自分が自分を責める結果てある。原則としてこの人たちは他人を責めない。 さかの甘え心から身近な家人に八つ当たりすることがあっても、根本的には自責的てある。 さい。むしろ、あま このニュアンスが退却神経症の人にはまったくないか、あってもごく小 りにも反省的、自責的てなさすぎる。何度も不義理の欠勤をしておきながら、ケロリとしてい る。後に述べるように例外もあるが、原則的に自責性の有無が一つの目印たりうるだろう。 りちぎ しよう まじめ きちょうめん 性格が几帳面、正直、真面目、小心、律儀、仕事好き、強い責任感、完全主義、凝り性、 い等 人と争えぬ、人と折合いが悪くなると自分の方が折れる、人に頼まれるとイヤといし ( の特徴がある。 彼らも 退却神経症の人も実はかなり似ている。というのは、三〇ページてもふれたように、 Ⅲみたからてある。退却する前は完全主義の〃仕事人間みてさえあった。ただ、 〃几帳面人 うのはその完全主義は「自分の気がすまないから」というニュアンスが強く、人のことは二の 次になる傾向があった。うつ病人間のように、人と折合いが悪くなると自分の方が折れる、人 に頼まれるとイヤといえないといった「他人との関係を円満に維持しようとする配慮」は退却 型の人にはふつうないか、あっても少ない。 人にわるく思われないように配慮するところは退 却神経症の人にもあるが、それは自分のプライドを傷つけられないための「目くばり」て、人 さ
かない、 っこうに深刻に事態を案じるところがないなどという情報をつけカ 日えられると、分 裂病の人が自分を病気と自覚てきないことと重ね合わせて、ますますその疑いを深めるかもし れない 実は私自身、最初に人づてに彼らのことを聞いたとき、そう思った。 ひんど 分裂病は十七、八歳から三十歳にかけて好発する、比較的頻度のたかい精神障害てある。「こ の一年間」という時間を限っての有病率をしらべると、千人あたり二人から三人だという。一 生に一度てもなったことのある人を全部数えると ( 生涯有病率という ) 、千人あたり八・五人くら つまり切り上げていえば百人に一人くらいということになる。決して稀な病気てないこと をおわかりいただけよう。 大学のキャンパスのなかにも、したがって何人かは必ず分裂病の人がいる。 いかに大学入学 時に面接や心理検査を厳密に行なったところて、それ以後に発病する人の予測的診断は行なえ また分裂病という病気は知能そのものをおかさないから、重症の状態にないかぎり、今 日の知能重視の入学試験をクリアすることはこの病気の人にとって必ずしもむずかしくない その上一般的にいって、今日の精神病はひと昔前にくらべて症状のあらわれ方がマイルドに じづら なっている。とくこ ( 大学生てはその傾向がつよい。分裂病といっても、精神病という字面から まれ 124
少し専門的な話に架入りしすぎた 次は性格。先に若い人のところても述べたように、やはり " キッチリ型。の人が多い。臨機 の処置は不得手て、 たとえば、すぐに提出する必要のある書類ても、自分のチェックが完了し ないうちは提出てきない。 こういう人は、時と場所によっては質の高い仕事をする人てある。 入念すぎることが美徳たりうる仕事はいくらもある。また、調子のよいときなら、この人たち ゅうずう もこうも鬲通のきかぬ人てはない。、 少しばかり不調になると、硬さの出る人というべきか。 一般的に今日、青年にしても中年にしても、男にしても女にしても、その不適応の。ハターン が何てあるにしても、 " キッチリ人間。がつまずきやすい傾向をもつように、私どもには田」えて ならない。ひょっとすると管理社会が〃キッチリ人間〃を要求し、また大量再生産するのて、 母集団として増えたから、そういう印象を与えるのてあろうか。 〃キッチリ人間みも、よくみると、自分の気がすまないからそうする人と、人に ( あるいは社会 に ) 合わせてそうする人と、大きく分けて二つのタイプがある。もしそう考えてよいなら、ここ て挙げている退却神経症の人は前者、つまり自分の気のすむようにきちんとしたい人に入ろう。 非社交的な完全主義者
くない。私の表現ていえば、ノイローゼとまて到らぬという意味て「準ノイローゼ」型のもの の中には、一人てに立ちなおっていく人もいる。 ( ーし力ない。たいてい周 しかし、その場合ても「すぐに田 5 いなおして」とい - フように簡単こよ、。 りの人との、それもタイミングの良い出会いなしには脱出は容易てないようにみえる。先輩、 教師、医師、宗教家との出会い。面白いのは異性 ( 女性 ) との出会い。早い結婚てうまくのりき った人もいる。そういう人は、前述の山田氏の言ていえば、女性との折合いのまずまず良い人 。 , 、つ ' し」い , フ一」し J に」もなっ , フ . カ 一見重そうにみえたが、リカバリー ・ショットとして意外に良い社会適応をはたした人もい るから、努力を放棄しない方がよい。二年ばかり行方不明になっていた人が、母親の執念て帰 郷し、無事学業を終えたばかりてなく、立派に社会人になったのを知っている。このお母さん は、何度も新聞広告を出した。その努力には頭が下がる。 一般に重い方のタイプの人は少し内向性がつよかったり、弱力的だったりする。また、その けいそう 経過中に、一過的にだが、対人恐怖症状、軽うつ、軽躁 ( というか行動過多 ) 、軽い昏迷、関係妄 想などの出ることがある。私はだから「ボーターライン群」とよんている。しかし、はじめ心 配したのたが、一例も分裂病という精神病に移行した人はない。 分裂病の人の自閉はここてい
性格の第二。若い人の場合にはいま一つはっきりしなかったが、どちらかというと社交性の 少ない人が多いことに気づく。といって性格異常というほどの内気ぞはない。けっこうマージ 家族ぐるみのつきあいの相手がいたり ャンもするしゴルフもする。しかし、親友がいたり 一見平均以上に社交的にみえる。本人にきいてみると、人との間をつくろうためにか なり作為的に努力をしてきたと告白する人もある。人とのつきあいをどの程度にしたらよいか み、このし」ころか , わカり・にノ、 いため、人の求めに決してイヤといわす、むしろこちらから徹底的 に組合や運動部の世話をしてきたのて、結果として高い評価をうけてきた。しかし根本的には 日・ごし」い - フ人 0 いる : フい - フ人 人にむを開くこと力なかなかてきない つきち - いつもきれいていオし 第三。プライド高く、ぶざまな姿を人にみせられない んとしていたい。なりふりかまわず、ということはてきない。自愛者 ( ナルシスト ) といっても合 Ⅷ物 よい。調子がわるくなれば、出勤してモタモタしているよりも、さっと人前から姿をかくしたの マ 一種の美意識の持主ともいえるかもしれない。 プライドの高さと関係することの一つだが、人に何かを習うのが下手だ。自分て努力してす るのはい くらてもするが、人にアレコレいわれるのがいやてある。 一言ていって彼らの性格は、諸家の従来の研究をも参照して次のようにまとめることがてき
頑張っている。うつ病の人のなかには、医師が休息が必要だといってもなかなか休まない人も いる。休ませても、少しよくなると仕事へもどりたがる。退却神経症の人が、少しても不安が たいしょ のこると休んてしまうのと対蹠的てある。うつ病のこの頑張りは彼らの責任感の強さ、人に迷 惑をかけることを嫌う控え目さ等による。彼らは自分を責める。心理学用語を使うなら「超自 我」の強力な人てある。 3 うつ病の人の無気力は職場だけてなく家庭てもどこても同じようにみられる点。 退却神経症の人は仕事に関する生活部分をはなれれば、不安や無気力から解放される。会社 くったく の運動会やゴルフ・コンべては屈託ない。 仕事を休んているくせに、家庭てはふつうてある。 。退却神経症の退却は選択的・部 右のうつ病の人の奧さんがいっているような行動特性はない 合 分的だが、うつ病の人の退却は全面的だと表現してもよいだろう。 の ④うつ病の人はたいてい自分を責める。 ン たとえば、自分は今、病気になっているのてはなくて怠けているのてはなかろうか、と田 5 っマ たり、そもそもの悪い性格がついに露呈してしまった、今まての三十年間を偽りの自分てすごリ してきたのてはないか、と考えたり、自分がいては会社に迷惑をかけるから、退社した方がよサ し」士ロム間 5 いのてはないか、といったり、果ては人生という舞台から自分などは消えた方がよい 市一三卩 6
少なくとも典型的なうつ病とはち しかし、この退却神経症的自殺志向者はうつ病てはない。、 。。、よ、うつ病の人 がう。自殺未遂の人たちに会って話をきいた限りてはそう田 5 う。一番のち力しー この人たちは職場をはなれ は苦しいものたから、どうかしてほしいと人に救いを求めるのに、 いや求めることをいさぎよしとし れば苦しくないということもあって、人に救いを求めない ないというべきか。自分の困難を人に相談することて解決しようという相互扶助的発想をほと んどもっていないこと。結果としては自殺することて大迷惑をかけるとわかっていても、人に いろいろ相談して助けを求めるよりは、その場を自分が去ることを選ぶ。 そういえば、大学を卒業し就職する前後にも理由のない自殺がある。かってこの時期の青年 の謎の自殺を後追い的に調べてみたことがあったが、結局理由はよくわからなかった。その中 合 から一例を引用してみよ - フ。 Ⅷ吻 の 高校の先生として就職三週目、自宅から少し離れた林の中て決行。二十二歳、男性。 ン きようだい 男三人同胞の末子、おとなしい、やや内向的な人。勉強もてき病気もせすといった具合て、マ おうせい きちょうめん たいへん几帳面、責任感旺盛てあった。 手のかからない人だった。ただ間違ったことが嫌て、 一つエピソードがあった。中三の時、風紀委員となり、不良て評判の悪い子とっき合い出しサ た。そのことを知って母が注意すると、悪い子だからこそ友人になってあげなくてはならない
なしていく人、競争心がつよく攻撃的て、いつもアタック、アタックていく人ということにな爲 わ - フ . カ こういう人が循環器系の疾患になりやすいと彼らは指摘した。今ていえば「虚血性心疾患」 てある。 「熱中型の執着性格」 心療内科医・前田聡氏のデータては、急性心筋梗塞の人におけるこの行動パターンの頻度は かんしつかん 六五ー七〇パーセント、冠疾患重症例てはとくに高率にみられるという。管理職に多いのも、 ト′、い , わ、れるし」おり心に」い - フ。 しうと、「熱中型の執着性格」 ( 下田光造、森山公夫 ) この性格は、精神科医の手もちの性格表て、 か。昔、クレチマーというドイツ人がいった体格の特徴もあるかもしれない。少し肥満体型て、 丸い頭蓋、うすい頭髪、細い四肢など。こういう人は社交的て、エネルギッシュて、現実志向 たから、企業人として優秀てないはずがない。 退却したい 気持などおこらない。たとし この人たちの辞書には「退却」という言葉はない。 ちょっとくらい憂うつになったとしても、頑張りに頑張る。血圧が上ったり、心筋梗寒がおこ こうそく ひんど
右の学生もそうだが、大学生ケースは一般的に言葉が豊富て、いろいろと表現してくれるの て、教えられるところが多い。そんなにわかっているのなら、自分からもっと積極的にやって 来れば、と思 , フのたカなかなかそうしてくれない 「強迫思考」の体験 軽いケースて比較的自力てやって来る人の中には、私の経験ていうと、「強迫思考」という症 状をもつ人がいる。それが受診のきっかけになって、うまくいったとい - フこともある。 強迫思考とは、「バカな考えが一人てに頭に浮かんてきて邪魔になる」といった類のものて、 ささい 些細なのだが、本人には苦しい。退却神経症の人は一般的にいって強迫的なニュアンスの少な からずある性格 ( 類強迫性格 ) なのて、ときどき些細な強迫思考を体験している。 しかし、そういう人ても何年も留年していると、次第につきあえる同世代の友人が少なくな 合 ってくる。同宿の下宿人たちもいっとはなしに入れかわって、年の若い人たちにかわる。若者場 たちは、大人からみると理解しにくいことだが、一年とか二年の学年の差に敏感て、まるて異生 人種のような言い方をよくする。ただてさえ人づきあいのうまくない彼らにとって、異人種は大 、」 6 る
何人か集まって小さな商いを考える人たち、コンピュータ関連の小企業を設立する人たち。し にゆうわ かし、「手造り」の、「手ごたえ」のある、「直接」の、「身近」な、「柔和」なといった形容詞の 似合う内容が求められている点ては、昔と同じように田 5 う。 ″脱サラ々のできない人たち 考えてみると、企業や役所の管理機構が整備されればされるほど、各々が「直接」に触れる 度合は減る。とりわけ、入社後何年かたって中堅 ~ と進むにつれて、書類、データ、コンピュ ータを介する間接性の世界へ入っていくのは情報化社会てはむしろ当然だろう。ちょうどその ころ、脱サラ心理がうごめくのも理由のないことてはないよ - フに思 - フがどうてあろ - フか 最初からやり直したい。新規まき直し、とてもいうか。そういうむ理も脱サラ志向の人によ合 の くある。一種の〃キッチリズムみてある。御破算にねがってのやり直してある。 ン しかしながら、脱サラの実行てきる人はまだ幸せといえないか。彼らはある種の身軽さをもマ っているはずだ。青年的なむこう見ずを実行にうっせる身軽さをもっている。若くして結婚しリ し若くても、軽々サ 子供をもった人や、たまたま多くの家族の養育の責任を負っている人は、たと、 の転身はゆるされまい あきな