以上に怒ったりするが、おもしろいことには、そうした日本人は、日本の欠点をついても、あ まり怒らないのである。こうした一辺倒はフランスほどでなくとも、どの国の場合にも多かれ 少なかれいるものである。近年の中国についての例など枚挙にいとまがないほどである。 私自身インドにたいへん興味をもち、インドはいつでも訪れたい国の一つであるが、時とし て、インドが大好きだ、インドの何から何まですばらしい、などというインド愛好者に会うと ャレャレという気持にならざるをえない。この種の人たちの反応というものは、現地の悪口を さんざんいう日本文化への逃避組と対照的であるが、こちらが受ける感じはよく似たものであ る。 どの国だって決してすばらしいこと ( ひどいこと ) ばかりあるものではない。それがこのよ うにみえるということは、何かその人の感情的なものが背後にあって ( 優越感とか劣等感という ようなもの ) 、知的な考察がくもってしまっているからであろう。その人が大好きでない限り、 個人の感情や感傷はひどく安つばくみえるものである。その人にその国がどんなにすばらしく 見えようとも、他の人には必ずしもそう映るものではないから、説得力がなく、むしろ反感を かいやすい。いわゆる感情的アプローチはこうした限界をもつものである。おもしろいと思う のは、この種のケースが他の国の人々にくらべて日本人にたいへん多いということである。外
ある。同じ人が二度、三度と海外駐在すれば、未経験者を送りこむより何倍かの成果が上がる のである。他方、二十代の新人を派遣する際には、それが将来プロとして役立っことを前提 に、人材を選抜して、現地ではべテランの上司のもとで働かせるというように、プロの養成に 力点をおくべきである。進出企業の中には、すでにこのようなことが実行されているケースも あるが、こうしたチームがうまくできているところは、まだまだ少ないのである。 しかし、日本人の場合、つづけて四 ~ 五年も現地駐在するということは、必ずしもよくない。 日本人らしい生気やリズムが失われ、本国のオーガニゼーションから、自他ともに忘れられた ような感じになりやすいからである。出世コースにのりながら本国と現地を交互につとめてい く、というのが理想的であると思われる。海外での仕事のプロとなることと同時に、オーガニ ゼーションの本流にいることがたいせつである。自分の属するオーガニゼーションにおいて欲 求不満をもっている人は、必ず現地における人間関係にそれがはねかえるものであって、この ことはぜひさけなければいけない。 個人の適応度をはかる最もよい指標は、現地の人々を相手にして楽しんでいるかどうかとい うことである。楽しめるということは、相手側のゲームのルール ( 社会のシステム ) を知ってい るということが前提となるのである。ルールを知らなければ、見ていても楽しくないし、いわ 175 適応の条件ーー結びにかえて
日本の企業、経済に結局プラスになるようになっている。もう少し、われわれの国自体を発展 させるような援助をしてもらいたい」という意見がつねにきかれる。 こうした代表的な意見は、実によく日本人の社会学的な考え方をあらわしている。すなわ ち、ここには「連続」の社会認識と、「義理人情」に端的に示されている二者間の関係の基盤 をなす思想がみられるのである。「連続」の社会の人たちは、彼らの社会学的世界を、「もてる 者」と「もたざる者」に分化してみることにならされていない。両者を一つの社会を構成する 二つの集団というような対応において認識していないのである。日本人にとっては、自分 ( た ち ) はあの人 ( たち ) よりもっているが、一方に自分 ( たち ) よりもっている人 ( たち ) がいる、 というように、相対的比較となり、二つのカテゴリーは断絶しているのではなく、いくつかの 異なる程度の人々によって全体として連続しているのである。したがって、多くの社会におけ る、いわゆるノブレス・オプリジェ、すなわち、上層の者にとっては、その特権をもたない人 人のために、一定の義務がある、という思想は出て来ないのである。 これは、昔から中国、インド、西欧などにみられたような、富と権力をともに掌握した顕著 な上層というものが日本社会に形成されず、一方、貧しい働き者を生み出した、全体として貧 しい経済によって支えられてきた社会であったことにも関係していよう。連続の思考にあらわ
カルチュア・ショッグは、どの国の人でも異国にはじめて行った場合に、きわめて強烈に受 けるものである。そして、その度合はそのときの年齢が高くなるほどひどくなる。特に、はじ めて故国から出て外国に行った場合が強く感じられ、はじめての国でも、前に他の国に行った ことがあればずいぶん違う。 日本人の場合、特にカルチュア・ショッグがひどいのは、日本社会というものが同一民族で 構成されており、島国で、大陸にある国のように異なる文化をもっ社会と隣接していないた め、自分たち以外のシステムが存在するということを、国内にいて実際に知る機会が皆無であ るためである。私がロンドン滞在中、興味深く思ったのは、ヒマラヤ国境のチ・ヘット人の村長 さんがロンドンにはじめて来たのであるが、この人のほうが、日本のインテリよりもずっとカ ルチュア・ショックをうまく処理していたことである。彼にとってのショッグは、ほとんど技 術的というか物質面に関することであって、対人関係ではない。日本人の場合と反対である。 彼の故国チベットは内陸にあり、いろいろな民族にかこまれているばかりでなく、その村が隊 商ルートに位置しており、その村長さんにとっては、異なるシステム ( 社会 ) の人々に接する ということは、日常茶飯事であり、何らの抵抗をもつものではなかったのである。イギリス人 のそれも、また一つの異なるシステムにすぎないのである。
他人からの被害を防ぐといった自己防衛、他人に対する疑惑を前提として機能している。鍵が 指の一部のようにさえなっている伝統的鍵文化をもつインドの鍵とは、必ずしも同じ意味をも っていない。今日でも鍵を忘れたり、鍵をかけることをおっくうに思ったり、また、鍵という ものを日常生活でもち歩かない人々が、まだどんなに日本には多いことかを考えてみればよく わかる。インド人ほどではなくとも、欧米人などとくらべても、日本人の鍵の感覚は驚くほど 違う。欧米などでは当然鍵をかけるようになっている所に、日本ではかけていない場合が少な くない。インド人に鍵をかけさせないようにすることは、鍵をいちいちかけることをいやがる 日本人に、鍵をかけさせるようにすることよりもむずかしい。なぜならば、同じような条件で 被害があったということを知れば、それによってその必要性が立証され、鍵をかけるようにな るが、この反対に、必要でないということを立証するのはたいへんむずかしいからである。そ のうえ、インド人たちの鍵をかける手つきをよく見ているとわかるように、 " 鍵をかける〃な どというより、指が自然にそこにいってしまうのである。物をしめる動作のビリオドとして実 にリズミカルにいくのである。あれをしないと、私たちがドアをきちんと閉めないのとちょう ど同じ気持になるのであろう、ということがよくわかるのである。 こうした文化の違いというものを知らないと、つい自分たちの価値基準で相手を判断してし
仕事に従事されている現地の日本の方々から、現地での生活のむずかしさ、失敗談などをきか され、それに対して、私が何気なくコメントすると、「ああ、そういうものですか。そのこと をもっと前に知っていたらどんなによかっただろう」などとよくいわれた。 社会人類学者にとっては、きわめて常識的になっていることでも、一般にはまだまだ知られ ていないことが多い。特に社会科学というものがアメリカやイギリスのようにさかんになって いない日本では、社会科学的思考法というものがほとんど定着していない。したがって、国際 的な仕事の中枢におられる方や、現地経験の相当ある方でも、どちらかというと倫理的、道徳 的な見地から問題をとらえられる傾向が強いのである。こうしたアプローチは、本文第一部・ 9 の「国内用の異国」に紹介した評論家たちの姿勢に通するもので、現実の場に処した場合、 あまり効用がないのである。ことに文化の異なる人々と接する場合は、特定の価値観に裏づけ られた見方よりも、経験主義的な社会科学的アプローチのほうがはるかに有効であると考えら れる。 そこで、本書では特にこの観点から問題をいちおう整理してみたわけである。異文化への対 応ということになると、無数の側面をもつもので、人類学の実態調査入門書的な、フィールド ですぐ役に立っハンドブッグ的な構成も可能であるが、本書では、前述したように、私たち自 170
異文化に興味をもつ人の場合だったら、相手が正式のやり方でやってくれるのを期待するも のである。日本にいる知日家の不平は、いつも、日本人が彼らを外人扱いにするということで ある。自分たちはそんなに不趣味な無知な者ではないというわけである。私自身も、インドの 家庭に招かれて、家族の人たちと同じゃり方で食卓に着かされることがどんなにうれしいこと か。手で食べられないだろうと、私にだけフォークやスプーンを出されたり、私のために、み んな手で食べず、フォーグやスプーンで食べるなどというのではたまらない気がする。オーソ ドッグスなよい家庭ほど、外国人の私に彼らと同じように手を使うことを自然にさせてくれる のである。そこには、自分たちの文化に対する自信がきわめて自然な形で発露されているので ある。そして、私にとっては、私がきわめて自然に彼らの文化の中に受容されているというこ とを示す彼らの歓迎さえ感じられるのである。 「手で食べる」という慣習は一つの文化である。その証拠に、彼らのしているように、うまい シ 具合に手で食べられるかどうか、試してみるとよくわかる。箸の使い方のように熟練がいる。 チ 特に、おしるこのように、どろどろした液体の食物を、指先だけを使ってロへ運ぶなどという ル カ ことなどにいたっては、神技に近い ( 私もまだこれはよくできない ) 。そして、カーストによっ て、その指の使い方、マナーもずいぶん違う。上層カーストの人々がどんなに品よく、指先を
つもの言語があるということと、全国的に英語がよく浸透していることのため、大多数の人々 が自分たちの言葉以外の第二言語に接しているのがつねである。また高校出ぐらいになれば、 相当英語ができる。このように、何語でもよいが、自分たちの言語以外を知っているというこ とは、いかなる言語を修得するにも強みで、インド人の語学能力は抜群である。若いインドの 技師など、一年日本に技術訓練に来ている間に、ほとんど日本語を身につけてしまう。こうし たインドの技師がどこでも日本人技師の通訳をしているのである。日本人技師に、英語あるい はインド語を彼らの日本語の水準に達せさせるには数年を要するであろう。このように大きな 差がある場合は、より合理的な方法をとるべきであると思う。 しかし、合弁会社全体の経営を日本語でするということは問題がある。そうした会社はあく まで先方の経済発展を促進させるのが目的であるべきで、単なる日本経済の進出であってはな らないのである。すべて日本語にするということは、その土地に日本の島あるいは勢力圏をつ くることに通ずるわけで、日本語の範囲は限定す・ヘきである。とくに経営のトップ・レベル は、その国の共通語で行なうべきであるし、また、それでなければ、やっていけないものであ る。方向としては、トップ・レベルにおける現地人のパーセントを大きくしていく・ヘきで、 ップが日本人で占められているのもまだ相当あるが、これが一つの反感を買う理由になってい 79 カルチュア・シ日ッグ
これについて興味深いことを思い出す。チベット人の友人が二 ~ 三週間の予定ではじめて東 京を訪れたときのことである。彼らは見るものきくものすべてがめずらしく、それをいちいち 私に訴えるのであった。その中で最も私に印象的だったのは、テレビで時代劇を見たときであ る。ちょんまげのさむらいたちが出てくると、思わず、彼ら二人は叫んだ。「あれごらん、あ あいう恰好をすれば、日本人があんなに立派にみえる ! 」江戸時代はわれわれ日本人が自らの 手で発達させた文化がすばらしい統合体を築き上げた時代である。時代劇の魅力は、その統合 の美しさ ( 日本人の体質にも感情にもマッチした、そしてその一部分を強調した ) にあり、日本につい て何の知識もない人々までをひきつける力をもっている。 これに関連したこととしておもしろいことがある。近頃、パンコッグのテレビでは、日本の テレビの時代劇などがタイ語の吹き替えで放映されている。タイ語のわかる在留邦人の方の話 によると、 ( タイの文化は全体にたいへんやさしく ) タイ語には日本語のようにドスのきく文句も ないし、口調もないので、とくにグライマッグスのわたり合いなど、とても気分が出なくて変 な感じがするのだそうだ。言語における文化の限界がよく出ている例である。 江戸時代にくらべると、今日の私たちは驚くほどの外来の文化、また西欧の刺激によって、 伝統的にもっていなかった文化要素を消化している。しかし、やはりいろいろな限界がある。
できよう。本論は実にこうした部分にあたる日本文化、日本人の行動、思考を特色づけている システムを提示したものである。 これは私たち日本人が多かれ少なかれ、みんな共有している文化の側面である。異文化への 適応の際の個人差というのは、この同じ材料から、どれだけすぐれた作品をつくり出すことが できるかという能力差にかかっている。もちろん、経験を生かすということもその重要な能力 の一つであろう。こうした操作のプロセスにおいて、従来はともすれば、知った仲間たちの間 だけで情報や経験がとり交わされ、こうした対外問題に関心をもっ多くの日本人の共有財産に はなっていなかったため、むだな試行錯誤がずいぶんくり返されてきたようである。 特に近年、日本経済の海外進出、国際化、国際交流の気運の高まりによって、さまざまな分 野で、日本人と外国人の接触は急激に増加してきており、私なども諸方面から、この問題につ いて意見をきかれたり、講演の依頼に接する ( 後者については、このところほとんど応じられない状 態で、ここにおわびをするとともに、本書をもって、そのかわりにさせていただきたいと思っている ) 。 特に、昨年はアジア経済研究所から依頼されたプロジェグトの関係で、私は東南アジア、イン ドにおける多くの日本人、ならびに彼らと接触のある現地の人々に会って話をする機会をも ち、異なる文化の接点で、両者ともこの問題で非常に苦労していることを知った。さまざまな 1 の適応の条件ー・一結びにかえて