しろ敵意をふくんだ排他的な位置を相手に対してとった時に使 われ、協力関係には使われない。共存、協力関係にある場合、 亠よちがってはっきり - させよ、つとでもす・れば「水くさい」とい、つ 非難となる。 連続の思想は個体を独立させて識別することに対して大きな 抵抗をもつ。「甘え」が可能なのもこの連続の思想があればこ そであろう。 このような個体の結びつきというものは、二者の場合におい てのみ理想的にいく可能性をもっている。というのは、この状 態の実現には、第三の要素をもちこまないで、その二つの個体のもっている要素を素材として 形成されるからである。要素によってお互いに相手のものを受け入れ、相手に譲歩することに よって成立する性質のものであるから、第三者を入れるということは、問題を複雑にし、その 成立の可能性をぐっと低めてしまう。実際、日本人の人間関係は、すべてこの特定の二者間の 関係を基盤として成立しているといえよう。この関係の累積が集団の組織となっている。とい うことは、集団成員の大部分の者は、何人かとそれそれ独立に第三者を入れない二者関係をも ・第 3 図
語のうちの一つという認識ではない。「国語」は別格であり、そのまわりに英語、フランス語 等々が存在するのである。 どこの国でも、もちろん、ある程度の自己 ( 集団・国 ) 中心的な見方というものをもつのは 自然であるが、日本人の場合、それが極端なほど無意識にあらわれているのである。この事実 ( 社会学的認識 ) は、日本人の伝統的思考に、近代西欧思考を特色づけている「対立する二項の 設定」という論理構造が見出せないことによって、いっそう、他の社会のものとの違いが明確 に指摘できるのである。 日本的思考によると、異なる二つのものの存在は、敵対する関係か、あるいは合流を可能と する関係である。そして、合流は、二者が独自性と対等性を維持しながら協力体を構成すると いうのではなく、一方が他方を呑流するか、従属させるか、あるいは、二者とも完全に各くの 独自性を喪失して一つとなるという結果によってのみ可能である。もちろん、敵対関係は一方 が他方を破るか、永久に交わらない平行線を行くかしかない。したがって、二者による建設的 な展開は望めない。すなわち、テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼという展開や、・ハランス・ オプ・パワーの論理は出てこないのである。 この二項対立の論理は、最近評判のレヴィストロースの構造主義の諸論文の基盤の一つを
はまったく異なるものであるといえよ、フ。それは水が自然に流れるような、からへのスム ーズな展開が生命となる。したがって、なぜからへであって、から O へでないのかとい う論拠は説明できない。作成者がからへがきわめて自然で美しいと感じたからである。そ れゆえ、そのきめ手となるものは、きわめて作成者の主観に依存せざるをえない。そして観察 者はその作成者の主観に共鳴することによって理解が可能となる。 からへのかわりに、論理的には、から O へ、あるいはへとアルタネイテイプ ( 他の 方法 ) があるはずである。しかし、日本の思考はアルタネイテイプを設定して、その中でえら ぶというよりも、からへという線が自然に浮かび上がってくるという性質のものである。 そして、からに来たときには、もうそれは決定的であって、議論の余地はなくなるのであの む る。 アルタネイテイプとは、よく日本で訳されているような「二者択一」という意味だけではな を く、いくつかの可能性を用意してもっていることで、諸条件に照らし合わせて、そのうちで最 も適切であるという方法を実行しようとすることである。 の 本 日本式の″流れ〃を重要視する場合と、アルタネイテイプを設定して、諸要素を考慮した全 体の論理構造から選択された結果は、あるいは同じかもしれない。巨匠の作品が異なる論理構
能が高くなることはいうまでもない。 ョソのヒトーー第三カテゴリー 日本人にとっては、この第二カテゴリーまでが自分と関係をもつ人々で、それ以外は他人 ( ョソのヒト ) である。三河地方の農村などではこれらの人々を「世間のヒト」とよんでいる。 ここでは便宜的に第三カテゴリーとよぶ。この第三カテゴリーは無限の広がりをもち、そのカ テゴリー自体の外廓はないといってよい。したがって外国人などもこの第三カテゴリーに入り 、つる。 個人にとって第一、第二、第三というカテゴリーよど、こ、 オしオ二十代までに形成され、その 後、その各の成員が入れ替わるということははとんどないのがつねである。それは、日本人 の場合、普通二十代後半までには仕事がきまり、その仕事をとおして集団帰属ができ上がるか らである。第二カテゴリーは、実際知らない人々をずいぶん多くふくみ、年を経るにつれて知 り合いの数は多くなっていくわけであるが、その知り合いとなりうる基盤というものは、やは り二十代までにできるため、その可能な範囲はきまってしまっている。 したがって第三カテゴリーであった人が、第一、あるいは第二となる可能性は、二十代をす 114
れた「より : : : 」という比蛟級に主眼をおく考え方は、庶民的というか、中産階級の一つの大 きな特色である。そして事実、日本は諸外国に比して昔から、貧富の差がきわめて少なかった 社会であり、中間層がドミナントな役割を果たしてきた国である。そしてこの傾向はいうまで もなく今日いっそう顕著になってきている。したがって、その考え方自体もいっそう強くなっ ているといえよ、つ。 連続の思想は、「義理人情」にあらわれた二者間関係に結びつくのである。すなわち、日本 人が関心をもつのは、すぐ自分の近くにいる「より : ・ : 」という人たちである。連続の社会学 的認識においては、近くにいる人々が何よりも重要な対象で、遠くの人々は、それがとくに下 の のほうに位置づけられている場合にはいっそう関心がなくなる。したがって恩恵を受けたり、 む 与えたりする人々は自分に関係のある人々、すなわち「仲間」 ( あるいはイ間になりうる可能性の ある人 ) に限定されてくるのである。見も知らない外国の貧者はおろか、同じ日本社会にどん なに貧しく困った人がいようと、極端にいえば関係がないのである。この種の人たちとは「や 国 の りとり」 ( 与えることもふくめて ) を可能とするシステムもなければ、そこに思いがいたらないの である。貧困者に対する同情は、いかにそれが熱烈で美しい言葉であらわされようとも、それ日 は「あわれみ」でありその背後には優越感の満足があり、社会的責任は感じられないのである
日本文化 ( システム ) への逃避 日本食への執着 カルチュア・ショッグというものは、快感よりもむしろ不快感をともなうものである。それ は自分たちのやり方がうまく機能しなくなるからである。舗装道路の上を快適に走っていた車 が急に起伏の多いガタガタ道にさしかかったり、道がなくなったりして立ち往生するのと同じ 具合である。また、左側通行になれた者にとっては、それが右側通行になるようなルールのシ フトがある。こうした場合、いかなる道でも行くことが可能な、馬力のある、またさまざまな ケースに備えをもったジープが必要なように、こちら側の態勢がよほどしつかりしていなけれ ばならない。 しかし、そうした装備を自らのシステムとしてもっている個人は非常にまれで、 多くはそうした境遇にさしかかって、さまざまな試行錯誤をくりかえして鍛えられていくわけ である。 このプロセスにおいて、発展性とか積極性そして弾力性に乏しいと、自分たちのシステムへ
能の度合、可変性の度合、ならびに、各このシステムの統合のされ方というものは社会によっ て相当異なっている。その違いが特定現象に端的にあらわれると、私たちは「文化が違う」と いう認識をもつのである。一つの社会の統合されたシステムは、ちょうど精巧な機械のような ものである。それが自分たちが生まれ育った社会のものであれば、特に説明されたり、考えな くとも、肌で知っており、きわめて自然に対応できるのである。しかし、これが他の社会の場 合であると、それはきわめてむずかしく、その全貌を把握したり、その深部にまで達するとい うことはほとんど不可能である。 文化の違いの根強さ たまたま私が出席したある国際的な学者の集まりで、新しい研究機関ができることになり、 そのセンターがアメリカの首都ワシントンにおかれることになった。国際的な研究機関である ので、その所長は国籍をとわず選ばれることになり、その結果、そこに出席していた英国人の 学者にみんなの意見が一致した。ところがその英国人は「アメリカにおかれるセンターの所長 になる資格は私にはとてもありません。なぜならば、アメリカのやり方に私が精通するという ことは不可能です。事務の運び方一つをとってみても、英国のやり方とずいぶん違います。外 11 カルチュア・シ日プグ
の集団成員にとっては、ある意味で共有財産をさくということになり、好まれない。あまりに も集団内の福祉が徹底しているために、集団外への福祉ということには無関心となっている。 さらに、集団内において、与えるということは、そのリターンの可能性が高いため、与える ときには、何らかのリターンを期待するということが習性となっている。リターンの期待なし に与えるということに相当な抵抗を生む。そして、相手が第三カテゴリーの者である場合は、 リターンを期待することはむずかしい。実は、社会福祉の充実とか、低開発国援助というの は、このカテゴリーに属するために、なかなか日本人には抵抗のある問題となるのである。社 会的慣習の欠如によるものである。この慣習的な社会学的認識の枠をふみ出さない限り、問題 は真に理解されないし、解決に向かうことができないのである。
ここにあげた二つの型では、いずれにおいても、自分の城 ( 部屋 ) をもっているために、家族 成員といえども侵されることのない自分の権利をもちうるからであると思われる。家族成員は お互いに相手が不可侵の場をもっている、という認識がしらずしらずのうちに形成されるもの といえよう。共通の場での発言はつねにそうした背景をもつものとなる。事実、イギリスで は、相手の立場を尊重し、自己の立場を守るという不可侵の約東のうえにたった個人主義がみ られる。一方、インド・イタリアでは、大勢のなかで自己主張することによって確立される、 個人主義というものがみられる。 この意味で、日本の家の中の生活では、とても個人主義は育っ可能性がない。ここでは、い かに相手に順応するか、あるいは相手を順応させるかという習性が発達することになる。個人 のとりでがないわけであるから、弱い者は無防備で、つねに強い者の庇護を受けざるをえない 状態におかれる。いわゆる「なれあい」という関係が日本人の社会生活のあらゆる面に顔を出 しやすいのは、ここにその原因が求められるのではなかろうか。 また、私たち日本人はどうも社交性に欠けるようであるが、これというのも、私たちの家の 中に「共通の場」というものがないためと思われる。イギリスでも、インドでも、イタリアで も、子どもたちはまず、この共通の場で自己主張をしたり、他人の意見をきくことを学び、さ ひご
造をもっ外国人をも魅きつけるのはそのためであろう。〃流れ〃の方向は、ある時点をとれば、 現点と次の点を結ぶことであるが、巨匠の場合は現点にすべての要素が凝集され、その力によ って最も適切な次への方向が決定されるわけであるから、その凝集度が質の高いものであれば あるほど、論理的に考えても最もすぐれた結論と一致する可能性が考えられる。また、いくら 論理的に考えた結果といえども、その仮設設定のごく端緒、ならびに、最終決定には論理以外 の要素があることはいうまでもない。 したがって、この一見非常に異なるようにみえる二つの 操作は、それほど異なったものではない、とも考えられよう。 しかし、二点を結ぶ場合のほうがリスグが大きく、巨匠と凡人の差がきわめて大きくなる性 質をもっている。また、きめ手が論理的に説明できないため、名人芸とよばれるものは別とし て、よい作品と駄作の区別が第三者につきにくい。日本において、芸術作品や論文や小説など の水準が全体として低くなりやすいのはこのためであると思われる。 個人プレーの作品の場合はともかく、対人関係を前提とする仕事の場合は、アルタネイティ プ設定の方法のほうが、相手 ( ならびに第三者 ) にもわかりやすく、納得させやすく、さらに、 当事者が諸条件を完全にコントロールしていない場合を考慮すると、より有効で安全な方法で あると考えられる。二点を結ぶ方法は、どうしても近視眼的、主観的になりやすい。