こうしたことからもよくわかるように、日本人は、家族というものを、個々人にわけない で、一つの集団として考えている。そして実際、いつも家の中で集団的な動き方をしているこ とが注目される。いちおう、部屋の仕切りはあるが、障子や唐紙なので、すいてみえたり、隣 室の戸がきこえたりするというばかりでなく、寒い季節を除いては、障子や唐紙はつねにあけ られているのが普通である。家族成員は、いつでも勝手にどの部屋にも行けるが ( ある部屋は 他の部屋に行く通りみちにさえなっている ) 、だいたい、みんないつもよって話をする部屋という ものが自然にできていて、なんとなくそこにいっしょにいるという具合である。 全体的にみると、各人はいつもだれかといっしょにいるということになる。各人に属するき まった部屋というのがないために、一人ばっちでだれもいない部屋にいるということは、なに かはっきりした理由がない限り、ちょっと不自然になる。私たち日本人はだれでも経験するこ とと思うが、たとえ、個室という自分の部屋があっても ( これは西欧的建築の様式として日本にと り入れられたもので、主人の書斎とか子供の勉強部屋という形でできているのがつねであるが ) 、一人で そこにいて何かしていても、居間のほうから家族の楽しそうな笑い声がきこえてくると、何と なく落ち着かず、そちらに出ていく、ということになりやすい。多くの奥様方は「ウチの主人 はせつかく書斎を作ったのに、少しもそこで仕事をしないのですよ」とか、「すぐ書斎から出 102
る。日本でも田舎にいけば、東南アジアほどひどくなくとも、相当似た現象がみられるのであ る。それはそうしてもさして困る人々が出ないからである。シンガポールの業者の多くのよう に、自己資本でやっていれば、自転車操業で、一日の違いで金利にひびくという多くの日本の 業者とは、背景となるシステムが違うのである。 日本で生活していても、実際、約束が守られないことはいくらでもある。そうしたとき、同 じ日本人でも、東南アジアで約東が守られなかったときのように、ひどく怒ったり、相手を軽 蔑したりしはしない。それは、その約東が守られなかった背景となる理由がよくわかっていた り、その守られない範囲 ( 度合 ) というものが慣習的にわかっていたり、また、どうしたら、 相手に実行させることができるかという方法を知っているからである。東南アジアでの違い は、質的なものではなく、その度合、方法の違いにすぎないのである。一定のシステムのない / ステムがなかったら、彼ら自身でさえ、つつがなく生活できないは 社会というものはない。、、 ずである。外国人がうまくいかないというのは、決して相手が悪いのではなく、外国人がその がんちく システムを知らないからである。「郷に入っては郷に従え」とは実に含蓄のあるふるい言葉で ある。人々の表現の背後にあるシステムを探り出し、その表現の真に意味するところを知らな ければならない。表現は真意を伝達する手段であるが、真意をそのままあらわすものではな ′一う 23 カルチュア・シ日ッグ
日本の企業、経済に結局プラスになるようになっている。もう少し、われわれの国自体を発展 させるような援助をしてもらいたい」という意見がつねにきかれる。 こうした代表的な意見は、実によく日本人の社会学的な考え方をあらわしている。すなわ ち、ここには「連続」の社会認識と、「義理人情」に端的に示されている二者間の関係の基盤 をなす思想がみられるのである。「連続」の社会の人たちは、彼らの社会学的世界を、「もてる 者」と「もたざる者」に分化してみることにならされていない。両者を一つの社会を構成する 二つの集団というような対応において認識していないのである。日本人にとっては、自分 ( た ち ) はあの人 ( たち ) よりもっているが、一方に自分 ( たち ) よりもっている人 ( たち ) がいる、 というように、相対的比較となり、二つのカテゴリーは断絶しているのではなく、いくつかの 異なる程度の人々によって全体として連続しているのである。したがって、多くの社会におけ る、いわゆるノブレス・オプリジェ、すなわち、上層の者にとっては、その特権をもたない人 人のために、一定の義務がある、という思想は出て来ないのである。 これは、昔から中国、インド、西欧などにみられたような、富と権力をともに掌握した顕著 な上層というものが日本社会に形成されず、一方、貧しい働き者を生み出した、全体として貧 しい経済によって支えられてきた社会であったことにも関係していよう。連続の思考にあらわ
このシステムは、単に海外に対しての姿勢にあらわれるばかりではなく、国内をもふくめ て、いわゆる現場軽視の思想に露骨にあらわれているのである。 どんなにすぐれた実力をもっ記者でもパイロットでも、いっかはその仕事から足を洗って本 社の管理職につきたいと願うのである。現場の仕事がどんなに好きでも、自他共に向いている とわかっていても、この中央 ( 本部 ) 中心の社会的価値観には勝てないのである。「パンコッ クにとばされた」とか「カルカッタにとばされた」などという表現は、その本人からもまた第 三者からもよくきくところである。海外滞在が長いと出世がおくれる、ということは多くのサ 一フリー マンたちのロにするところである。また、実際、みんな本省や本社から離れたがらな い。日本国内においてさえそうである。いわんや海外の仕事を専門とする国際的なオーガニゼ ーションに日本人が入りたがらないのは当然である。出世がおくれるどころか、その後の就職 の保証すらないからである。とにかく、本国の中央から遠くにいるということは、マイナスを 意味するというのが常識になっており、事実、日本の人事というものがその傾向を充分もって いることはいなめないのである。 この現場軽視の思想が、現地駐在員の発言権を弱め、彼らの現地生活は腰かけ的な一時しの ぎのスタイルを生むのである。それそれの現場がステーションとして根をおろしており、中央
い、つまでもない。 日本人が現地の人々と真剣にとりくんだ場合、その理解度が相当な水準に達し、仕事がスム ーズにできるまでには、現地経験通算五年はかかるものと思われる。私は、たまたま昨年、東 南アジア、インドで多くの海外駐在の方々にお会いしたが、その中で群をぬいて優秀な方だと 思ったのは、五年以上の外地経験をもたれているきわめて少数の方々であり、その方々の意見 は、二 ~ 三年滞在の方々のそれと、はっきり異なる性質をもっていた。もちろん、そうした方 方は語学もたいへんよくでき、現地の人々と親交を深めておられる。エコノミック・アニマル ではなく、プロという感じである。こうしてみると、私たちを制約している日本文化をのりこ て え えて、異質の文化に対応できるようになるには、・こ、こ、 オしオし五年という年数が必要と思われる。 アメリカのビジネスマンの場合、日本でちゃんと仕事ができるようになるのには少なくとも び 三年かかるという。日本人の場合、欧米では東南アジアなどより少し短くてもよいかもしれな い。というのは、欧米の場合、気候風土への対応はそれほどきびしくなく、その国自体の諸制件 の 度が古くから確立しており、さらに、一般日本人の欧米向きの姿勢が、順応を促進する役割を もっからである。しかし、本格的な対応ができるようになるには、やはり五年ぐらいは必要で適 ーないかと思われる。「同じアジア人だ」などというが、日本人にとって仕事をしていくうえ
とき感心したのは、まず、学生として留学させ、コースを終えると、次にはスタッフとしての 訓練のため、大学の教官と同じ部屋を与え、同僚の待遇とし、すべてイギリスの教官と同じレ ・ヘルでつき合いをさせ、スタッフとして上位にたつ者の社会的に必要なことがすべて知らず知 えとく らずのうちに会得されるようにしたのである。 ョソモノとしててなく 外国に滞在した者にとって、その国の ( 人々の ) イメージは、そこで接触した人々によって つくられるのがつねである。その当事者の貧しい人間関係は、その国に対する貧しいイメージ となりやすい 日本における長期滞在の外国人の多くが、必ずしも日本に対して好感をもっていないという ことは、一つには、日本人の中にとけこんでいくことがむずかしく ( これは日本の場合、社会組 織と言語による壁がとくに厚いため ) 、きわめて限定された範囲の人々としか接触がもてないと うことに密接に関係しているものと思われる。さらに、彼らは内向的な日本人と違って、でき るだけ、それぞれにとって望ましい日本人に会いたいと思っているのに、なかなかそれができ なかったり、また、たとえ会うことができても、言葉ができないために意志疎通がうまくいか
この教授ばかりでなく、こうした錯誤は日本人と外国人が接した場合、数限りなくある。こ の両者の間のギャップまで親切に説明できる文化的通訳はあまりにも少なく、私はしばしば絶 望的な感じをもつのである。もちろんこうしたギャップは日本の場合だけでなく、どの国にも 多かれ少かれあるものである。だれでもいちおう、自分のスタイルで相手を見るものである。 しかし、それと同時に、このアプローチではうまくいかないのではないか、という相手との違 いを考慮する用意があるのがつねであるのに対して、日本人の場合、そうした考慮とか、謙虚 さが欠如しているというところに特色がある。 さらに、この日本人と異なる文化をもつ人々とのギャップは、日本人の思考方式が他の国の 人々によく知られていないことによっていっそう大きくなっている。たとえば、イギリス、フ ランス、アメリカ、中国、インドなどのような国々は、よきにつけ、あしきにつけ、その国の ソトにいる多くの人々によって、よく知られている。これらの国々の全体像ならびに特色が相 当よくわかっているのに対して、日本の場合、知られているのは、私たち日本人からみると、 極端な側面の断片的な部分であるために、イメージとしては何となく気味がわるいものとなっ ており、まったく知られていないより、マイナスの効果さえもっている。このようにソトから もウチからも、日本と諸外国の距離は驚くほど遠いのである。 122
る。語学自体の能力よりも、こうした社交的な慣習の欠陥のほうが致命的かもしれない。実 際、外国語の会話能力は、日本語と比例しているように私には思われる。 日本人は気心のあった人と共にいるというムードを楽しむが、会話自体 ( 言語表現によるやり とり ) を楽しむという風習はあまりない。話のやりとりは、共にいるということを楽しむ要素 の一部分となっている。したがって、快適な会話というのは、気心の合った仲間ということが 前提となっている。だから気心があっていれば、お互いに少しも口をきかなくても気まずくな るということはない。多くの社会では、お互いにただ黙っているということは苦痛となる。そ こに間隙ができやすいのである。その間隙を埋めるために、気のきいたやりとりが発達してき ているといえよ、つ。 ある日本研究家のアメリカ人がしみじみ語ったことがある。彼がかって日本の地方都市 ( 古 い落ち着いた城下町の ) で、中学校の先生をしていたことがあったが、その学校の職員室では、冬 ストープをかこんでよく先生たちがお茶を飲みながら休むのがつねであった。そうしたとき、 日本の先生たちは、ときとすると長い間お互いに一言も話し合わなかったりする。しかし、そ れにもかかわらず、そこには何ともいえないあたたかい落ち着いた気分が流れていたという。 何もしゃべらないで、あんなに充実した気分にみち、お互いの心の交流が行なわれるというこ
ば、他方、怠慢から「語学などできなくとも結構やっていけるのだ」などというまったく誤っ た主張さえみられる。もちろん、片言で海外の滞在期間を何とかごまかして過すことはでき る。禁欲的で、我慢強いその本人はそれでよいとしても、現地の人々は「われわれとログに話 もせず、楽しみもしないで、いったい何のためにあの日本人は来たのだろう」と見ている。 「よく働く、黙々と働く」などということよりも、「日々の生活を共に楽しむ」ということの ほうを高く評価するのが多くの国の人々のつねである。日本人は働くからエコノミッグ・アニ マルとよばれるのではない、働くことしかしないからである。 また、言葉が通じないために、大小の誤解による不幸な問題も起こっている。そして、悲劇 的なのは、言葉が通じないので、本人にはその起こっていることすらわからなかったりするこ とである。 通訳を同伴するだけの余裕のある人は、「通訳を使えばいいさ」というかもしれない。 ア し、マレーシアのあるトップの方などは、「交渉は通訳を使った途端にむずかしくなります、 せめて英語で交渉のできる人を送ってください」といっている。実際、時として相手の気持を ル カ ほぐすような気のきいた冗談が必要なのである。冗談は通訳されるとその効果は半減するばか りでなく、通訳の身になれば、一方の文化にしかうまく適用できない冗談も少なくない。いず背
は、相手方の出版社がよく名のとおった一流のもので、また編集者 ( 出版社 ) にとっては、著者 はよく知られた作家であるとか一流大学の先生であるとか、などという理由で、約東を履行す るに違いない、とふむわけである。また、約東が守られそうになくなると ( この場合、ほとんど 著者に責任があることが多いが ) 、カンヅメにするとか、毎日おしかけるというように、圧力をか ける方法がある。こうして何とか実現にもっていくのである。 とにかく、契約書など双方ともよく読まなくても、どちらも被害をこうむってたいへんなこ とくに一流とされている場合には。 とになるなどとい、フことはまずない。 ところが西欧では決してそうはいかないのである。私が先年ロンドンに行ったとき、ちょう ど、話のすすんでいた私の著書の出版が決定し、出版社を訪れると、早速契約書を示され、サ インしてほしいという。私は、とにかく西欧ではサインということがたいへん大きな意味をも っということをきいていたので、日本式によく読みもしないでサインしようとする手をふとと めて、「まだ明日もロンドンにいますから、今日これを拝借して、よく読んだうえで明日サイ ンすることにしましよ、つ」といって帰ってきた。 その夜は、ちょうど友人のロンドン大学の教授の家にお招きを受けた。そこには三、四人の 学者も招かれていて、いずれもいく度か著書を出版した経験をもつ人たちで、その中には私の