「五大明王像」一覧 ◎は国宝、他は重要文化財 制作年の判るものは備考に記載した。 佐伯清之助不動明王 教王護国寺五大明王 教王護国寺不動明王 県 茨 群 埼 千 東 名 城 馬 玉 葉 示 所蔵者 不動院 不動寺 常楽院 飯尾寺 結縁寺 新勝寺 東京国立 博物館 世田谷山 観音寺 横山静子 極楽寺 浄楽寺 大山寺 八劔神社 日石寺 法華寺 円照寺 大谷寺 常禅寺 明通寺 明通寺 大聖寺 放光寺 牛伏寺 円鏡寺 願成就院 摩訶耶寺 常福寺 大聖院 無動寺 石馬寺 石山寺 延暦寺 延暦寺 名称 不動明王 ( 三驅のうち ) 不動明王 軍荼利明王 不動明王 不動明王 不動明王 ( 三驅のうち ) 不動明王 不動明王 ( 九驅のうち ) 不動明王 不動明王 不動明王 ( 二驅のうち ) 不動明王 ( 三驅のうち ) 不動明王 不動明王 ( 五驅のうち ) 不動明王 不動明王 不動明王 不動明王 不動明王 降三世明王 不動明王 不動明王 大威徳明王 不動明王 不動明王 ( 四驅のうち ) 不動明王 五大明王 不動明王 不動明王 大威徳明王 不動明王 不動明王 不動明王 ( 三驅のうち ) 形状 立像 立像 立像 坐像 立像 坐像 立像 立像 立像 坐像 立像 立像 坐像 立像 坐像 坐像 立像 立像 坐像 立像 立像 坐像 立像 木造騎牛像 立像 立像 立像 立像 立像 木造騎牛像 坐像 立像 坐像 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 石造 木造 鉄造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 銅造 木造 木造 石造 木造 品質 時代 平安 鎌倉 平安 鎌倉 鎌倉 鎌倉 平安 鎌倉 平安 平安 平安 鎌倉 鎌倉 平安 平安 ~ 鎌倉 平安 平安 平安 平安 平安 平安 平安 平安 平安 平安 鎌倉 平安 平安 平安 平安 平安 平安 鎌倉 鎌倉 備考 二童子 1251 1303 二童子立像 ノ ' 0 子 願文 1272 1064 1189 毘沙状 二童子 大岩日石 寺磨崖仏 1186 二童子・ 毘状 二童子 県 示 名 都 所蔵者 延暦寺 延暦寺 延暦寺 延暦寺 園城寺 園城寺 玉蓮院 金剛定寺 金勝寺 金剛輪寺 西明寺 正法寺 常照庵 善水寺 宗泉寺 大林院 東門院 苗村神社 円隆寺 京都市 広隆寺 三千院 積善院 聖護院 聖護院 正寿院 地蔵院 浄瑠璃寺 神童寺 大覚寺 大覚寺 醍醐寺 名称 降三世明王 軍荼利明王 大威徳明王 金剛夜叉明王木造 不動明王 黄不動尊 不動明王 ( 三驅のうち ) 不動明王 ( 三驅のうち ) 軍荼利明王 不動明王 ( 二驅のうち ) 不動明王 ( 三驅のうち ) 不動明王 ( 三驅のうち ) 不動明王 ( 三驅のうち ) 不動明王 不動明王 ( 三驅のうち ) 不動明王 不動明王 不動明王 不動明王 ( 二驅のうち ) 不動明王 不動明王 不動明王 不動明王 不動明王 不動明王 不動明王 大威徳明王 不動明王 ( 三驅のうち ) 不動明王 五大明王 軍荼利明王 大威徳明王 五大明王 形状 立像 立像 木造騎牛像 立像 坐像 立像 立像 立像 立像 立像 坐像 立像 立像 坐像 立像 坐像 坐像 立像 立像 坐像 立像 坐像 立像 立像 立像 立像 坐像 銅造騎牛像 立像 立像 立像 騎牛像 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 銅造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 木造 品質 時代 鎌倉 鎌倉 鎌倉 鎌倉 平安 鎌倉 鎌倉 平安 平安 鎌倉 平安 鎌倉 鎌倉 平安 鎌倉 平安 平安 鎌倉 平安 平安 平安 鎌倉 平安 鎌倉 平安 平安 平安 鎌倉 平安 鎌倉 平安 平安 平安 平安 備 考 二童子 二童子 神奈川 富 石 福 山 長 岐 静 滋 6 ろ 山 川 井 梨 野 阜 岡 重 賀 1211 毘沙状 二童子立像 二童子 二童子 両童子 護摩堂 毘状 鎌倉 ◎講堂 ◎御影堂 1276 二童子 1176
悪人が善人を苦しめるとき、その善人を救うのが優先です。だから五智如来は、私たちを ふんぬぎようそう 守るために、悪魔に立ち向かうとき、それこそ恐ろしい忿怒の形相となるのです。つまり 五如来は、それぞれに明王の姿へと変身するのです。 あしゆく ほうしよう ぐんだり あみだ ごうさんぜ 大日如来は不動明王に、阿闔如来は降三世明王、宝生如来は軍荼利明王、阿弥陀如来は ふくうじようじゅ こんごうやしゃ 大威徳明王、不空成就如来は金剛夜叉明王にと変身するのです。その彼らを五大尊、また しいます。 は五大明王とゝ ほつりき つまり五大明王とは、五智如来がもっそれぞれの法力を、強力な形で、私たちに働きか けて下さるときの姿です。その五如来の法力と、明王の働きをつぎに簡単に説明しておき ましょ一つ。 剣は魔を断ち切る 大日如来は、仏界全体の姿ですから、私たちにとっては、ありがたい極楽国のようなも のです。これが不動明王に変身しますと、その働きは積極的です。 ぼだい 彼は経典の中で「わが身を見るものは菩提心 ( 仏道に入る心 ) を起こし、わが名を聞く 松ものは、悪を断ち善を修し、わが説を聞くものは大智恵を得、わが心を知るものは即身に 成仏 ( 悟りを開く ) する」といっています。 また彼は、いつも右手に魔を断ち切る剣をもち、左手には、悪魔を逮捕、また水火の中 さく で苦しむ私たちに投げかける、救いの投げ縄のような索をもっています。 阿閃如来は、この美しい仏界が、いついつまでも不動であり不変であることを守る法カ をもっています。これが降三世明王に変身しますと、いろいろの武器 ( 仏器 ) をもって悪 ましよ、つぼんのう 魔に向かい、あらゆる魔障煩悩を打ちこわし、すべての汚れを取り去って、美しい菩提心 を起こさせるように働きかけるのです。 この明王が像として造られるときには、男女を両足で踏みつけている表現にします。こ れには、おもしろい話がありますので後述します。 なわ
軍荼利明王
宝生如来は、私たちが住むこの自然界で、あらゆるものを、つまり私たちにとっての宝 ものを、無尽蔵に生み出すことを法力としています。これが軍荼利明王に変身しますと、 多くの手にいろいろの武器をもち、魔ものを降伏するのです。 こ・うまん ここでいう魔ものとは、私の心にひそんでいる「我」にとらわれる愚痴、見解、高慢、 愛着などのことです。 じゅみよう 阿弥陀如来は、この仏界が永遠の生命をもちつづけられるよう、つまり無量の寿命をも っことを法力としています。これが大威徳明王に変身しますと、六本の足をもって大白牛 に乗り、手には多くの武器をもって、一切の毒蛇悪竜を降伏するというのです。古来、戦 勝祈願のために、この像だけを造ったということも多いのです。 しゅじよう 不空成就如来は、私たち衆生には、どのような願いごとでも、すべてを成就させて下さ ぼんのう る法力があるのです。でもその前に、私たちの一切の煩悩を断ち切って、自分にとってう れしいと思う心と行為を、他人のために行うことを条件としているのです。 これが金剛夜叉明王に変身しますと、いろいろの武器をもち恐ろしい形相となるのです。 つまり私たちが、他人をよろこばす前に、自分の心の中に住む魔ものを降伏することは、 いかにむずかしいかということが、この形相からもうなずけるでしよう。 貧しい人々に崇拝されるシバ神 さて以上が、五大明王の働きについてですが、それらの中で、降三世明王の足下にいる 男女像について、次のような話が伝わっています。 お釈迦さんが仏教を説かれる前に、インドでは、インド教という古来の宗教がありまし た。その中で主神となっているのが、宇宙を創造したというプラフマンという神と、この 神に対抗して、すべてを破壊するという狂暴粗悪なシバ神という神がいました。 こんにち この両者は、今日もなおヒンズー教の中で盛んに信仰されていますが、特にシバ神は、 インドの貧しい人々にとっては、将来に期待をもたせてくれるありカオしネ 、ゝこゝ申として、崇拝 ) 」、つぶく
ンズー教のシバ神など、異教の神がみだったのですが、釈迦の教えに従い、仏教の護り神 唐となったものなのです。だから、インド風の、なにかアクの強い、おそろしい姿に造られ ているのです。 まっ 中央の坐像が不動明王です。全国の真一一一一口宗や天台宗のお寺に祀られ、「お不動さま」とし 館て親しまれているのがこの姿の像なのです。岩をかたどったという、四角い箱をたがい違 しっしつざ こ、つはい ) こつみ重ねたような瑟瑟座という台座にどっかりと坐り、火焔がうずまく意匠の光背を 立し。 良背にしています。その名の通りどっしりと、なにがあっても動かないような安定した姿で 奈 たば べんばっ す。髪の毛は右から左へなでつけ、左耳の前で束ねて弁髪とし、両眼をいからせ、上の歯 つるぎ と牙で下唇を噛みしめたおそろしい顔で、右手には両刃の剣を持ち、左手には悪をからめ けんさく 取る羂索を下げています。この姿は、お経で決められた形を忠実にあらわしたものです。 どん しん ごうさんぜ 不動の向かって右隣りにあるのが降三世明王像です。貪 ( 慾望 ) ・瞋 ( 怒り ) ・癡 ( おろ かさ ) という三つの悪をこらしめる明王です。顔が四つ、腕が八本ある異様な姿で、よく だいじぎい みると、四面とも額にもう一つの眼が刻まれています。そして岩座の上に横たわる大自在 きさき 天 ( ヒンズー教のシバ神のこと ) とその后である烏摩の体を踏みつけて立っています。 ぐんだり 不動の左隣りのは軍荼利明王像です。三つの眼をいからせ、牙をむき、腕は八本ありま れんげ す。そして岩の上の二つの蓮華を踏む両足にも、また八本の腕にも小蛇を巻きつけていま しよう力い す。人が出会うすべての障碍を除いてくれる明王とされています。不動明王の左後ろは大 すいぎゅう 威徳明王像です。なんと六面をつけ、腕は六本、そして足も六本あり、うずくまる水牛の 背にまたがっています。この像も六面とも眼は三つずつあります。そして右後ろに立つの こんごうやしゃ が金剛夜叉明王像です。三面で腕が六本あります。三面のうち正面だけ、両眼が上下二重 に刻まれ、額の一つと合わせて合計五つの眼を持つ、こわい姿です。 ぐんじよう 五大明王像は五体とも体の色は青 ( 群青 ) ですが、一つとして同じ姿はありません。彫 刻作品としてみると、体も手足も太くひきしまり、不動像は怒りを内に秘めたようなおだ やかさがありますが、ほかの四体は、怒りを表にはっきりとあらわし、動きも豊かで、両 足のふんばりも力強く、実に安定もよく、また腰に巻く裳は、太いひだを刻んでおもおも てん いきよう
ふみわり 足下に蓮の花を踏む ( 踏割蓮華 ) 。 〔所在地〕 〔材質〕 京都市南区九条町 1 もくぞう こうどう まき 木造 ( 槇材 ) 。彩色。 教王護国寺 ( 東寺 ) ・講堂 〔制作された時代〕 電話 075 ー 691 ー 3325 〔国宝の指定〕 平安時代 ( 承和 6 年 = 839 年 ) 〔仏像の種類について〕 「木造五大明王像 ( 講堂安置 ) 五驅」 仏像の姿はさまざまで、その種類も数え切れないは として昭和 27 年 3 月 29 日に 孑旨 . 正。 によらい 〔五大明王の名称と特徴〕 ど多いのですが、主なものを大きく分けると、如来・ ふどうみようおう ばさつみようおうてんぶ 菩薩・明王・天部の四つに区別されます。 不動明王 = 中尊。両眼をいからせ、上の歯と牙で下唇 ふんぬ を噛みしめる忿怒相。髪は右から左へなで 五大明王は明王に属します。如来の命をうけ、悪を べんばっ と つけ束ねる弁髪。右手に剣を執り、左手に 打ち破り、威をもって教化するために激しい忿怒の表 しつしつざ 羂索 ( つな ) を下げる。瑟々座に坐す。 情をして、様々な武器を持った姿で表されます。 ごうさんぜみようおう 降三世明王 = 不動明王の右前に安置。顔は四面、手は 〔拝観の案内〕 八本で左右第一手は「降三世印」を結ぶ。 ◇京都駅 ( 八条ロ ) から西へ徒歩約 15 分。 軍荼利明王 = 左前に安置。眼が三つで、八本の手を持 近鉄東寺駅から徒歩約 7 分。 だいしんいん つ。胸の前で両手を交叉する「大瞋印」 ◇拝観日年中無休 を結ぶ。各腕や足に蛇が巻きついている。 ◇拝観時間午前 9 時 ~ 午後 4 時 30 分 だいいとく 大威徳明王 = 左後方に安置。顔は六つ、手は六本。足 〔年中行事〕 も六本。水牛にまたがる。左右第一手は 修正会 1 月 3 日 印を結ぶ。 彼岸会 3 月 21 日 こんごうやしや 金剛夜叉明王 = 右後方に安置。三面六手で、正面の顔 弘法大師誕生会 6 月 15 日 しようりようえ には眼が五つある。手に五鈷杵、箭、 精霊会 8 月 12 日 剣、左手は金剛鈴、弓、羂索を持つ。 弘法さんの縁日が毎月 21 日に行われ、境内がにぎわう。 きようおう きば ぐんだり 羅城門へ東寺南門前 9 東寺西門前 ■教王護国寺境内図 蔵■ー 0 鐘 書院 御供所 蓮華門 " 勤番所 北門 灌頂院 0 5 ( ) m 毘沙門堂 0 事 坊 客 小子房 東門 大師堂 大日堂 本殿書院 穴門 鐘楼跡 宝物館連 ′ . 八幡宮跡 北大門 講堂 ( 五大明王像 ) 九条通り 南中門跡 北総門へ 金堂 食堂 夜叉神堂・ : ロ 拝観受付 0 ・ ロ 客殿 ス、 - 島・ル又 ノ・山一 観智院 ーー駐車場 . ・ . 社蔵跡 ロ 五重塔 瓢池 宝蔵 賀 洛南会館 東大門 ( 不開門 ) 東寺東門前 9 交番 消防署 七条大宮へ 近鉄東寺駅へ 大宮通り
ゞレ・ 軍利明王
京都・教王護国寺講堂 鑑賞のガイド 一切の魔障を砕く五大尊・ 密教彫像の精華、五大明王 火祭りと不動信仰・ 教王護国寺 ( 東寺 ) の沿革史・ 教王護国寺 ( 東寺 ) の年表・ 「五大明王像」一覧・ ヘム 孑市 教王護国寺 ( 東寺 ) 伽藍復原図 ワ〕 . っ 0 LO 0 講堂内陣 8 , 、 . 1 LO Q.C 教王護国寺 ( 東寺 ) 史 五大明王目次や 4 4 : 西村公朝 : ・西川杏太郎 : ・ ・ : 岩橋政寬・
しくひるがえらせ、ポーズも自由にかえながら、一組の群像として見事な統一がとれてい ます。 槙材を刻んで造った木彫像ですが、頭から体にかけての主要な部分が一木から刻み出さ ふた れ、材が乾燥した時に割れるのを防ぐため、後頭部と背中に穴をあけて像内を刳り、蓋を 当てています。そしてこの一材からはみ出す両手や衣の端などに別の槙材が矧ぎつけられ た、一木造りで出来ています。面白いのは、水牛に坐る大威徳明王で、本体の頭から体、 そして像の下の水牛の胴だけが一木で刻み出され、その材からはみ出す、水牛の前と後ろ に別の材を継いでいるのです。そして木彫の表面には漆が全面に塗られて地固めが行われ、 まっこう 髪の毛や胸飾りその他の細かい部分は、漆に木の粉や抹香を混ぜて練った木屎漆で整形し てんびよう ています。この技術は、天平時代の乾漆造の技術なのです。東寺を造営したエ人の中には、 ぞうぶっしょ 多分、もと東大寺の造仏所で働いていた人たちも多くいたと想像され、その人たちによっ て天平の技術が、ここに伝えられたと考えることが出来るでしよう。 さいしき こうして仕上げた像身には、美しく彩色が施されていたのです。はじめに述べたように、 何回か修理がくり返されているので、木彫の技法にも彩色の細部にもはっきりわからない あざ うんげん 所が多いのですが、造られた時は五大明王像の体は全体が青く、衣にはさぞ鮮やかな繧繝 きりかねもんよう ( 段々のポカシ ) 彩色や截金文様が飾られていたことと思います。 のち 五大明王はもとはそれぞれ独立して造られた像ですが、後に一組に組み合わされたもの なのです。インドや中国では、五大明王として一組となった作例は残っておらず、中国か ほうぐ 像ら伝えられた密教儀式に用いる法具の中に五大尊つまり五大明王の姿を浮彫りであらわし 針た鈴が残されているだけで、つまり、この講堂安置の五大明王の彫像は、インド、中国、 ・ー、、・」。 - 鷺、 ( 「そし日本を通じミ現存する最古 0 例と」う = と」なります。 寺教王護国寺には講堂の仏像のほかに、国宝になっている名像がいくつもあり、またこの 寺の歴史と信仰を知る上で大切な絵画や工芸品、それにお経や古文書などがあります。こ しの れらを拝観し、弘法大師を偲び、またいまも真言道場としての厳しさを秘めたこの寺の雰 囲気を十分に味わって頂きたいと思います。 まき いちぼく じがた こくそ
五大明王