132 「そしたら私はどうなっちゃうわけよ と私はふざけてだが言ってみた。 「君もいたし、今、幸福だしねー 父は少年のようにのびをして、海と山と空をいっぺんに見た。 「とにかく言うことないよ、最高だ」 「そう言い切っちゃう下品さが好きだな、おじさんはあたしを素直にさせる珍しい人 間だ」 つぐみが真顔で言った。父は嬉しそうに笑って、 「つぐみちゃんも、今までずっとさそかしもててきたんだろうに。今回は今までにな く好きになったのかい ? と一一 = ロった。 つぐみは首を少しかしげて、つぶやくように、ささやくように告げた。 「うーん : : : 今まであったことのようにも思えるし、かってなかったとも言える。あ のね、今までってさ、何がどうなっても、相手が目の前で泣きわめいてても、どんな : ほとり . 、つ に好きな奴が手を握らせろとかさわらせろとか言ってもさ、何かこう :
200 つぐみはか細い声で言った。 「どんな時でも、こんなに何もかもに対して無関心になったことなんてない。本当に 何かがあたしの中から出ていってしまったようだ。今までは、死ぬことなんて何とも 思っていなかった。でも、今はこわいんだ。自分を駆りたてようとしても、いら立っ ばかりで何も出てこない。真夜中に、そういうことを考えているんだ。このまま調子 が戻らなかったら、死ぬ、そういう気がする。今、あたしの中には激情が何ひとつな こんなことは初めてだ。何に対する憎しみもない。自分がちつぼけな病床の少女 になっちまったみたいだ。 1 枚ずつ葉が散ってくのが本気で怖しかった奴の気分がわ かるんだ。そして、まわりの奴らがこれから、少しずつ今までより弱っちまったあた しのことをバカにしはじめて、少しずつ影が薄くなってゆくことを思うと気が狂いそ うだ」 私は黙ってしまった。つぐみが本気でしゃべっているらしいことに驚いたのだ。そ して、つぐみに今まで本当にこんな感情が訪れていなかった、その傲慢さにあきれた。 失恋の気配がこわいのか、陽子ちゃんに言われたことがこたえているのか。そして、
145 祭り つぐみがロ火を切った。 「お、おまえ、いくらあたし達の間を裂いて通ったからって : : : あたしだって今ほど にはしないそ」 私と陽子ちゃんはその言葉にぶっと吹き出し、恭一は言った。 「違うんだ」 照らし出された横顔は暗く、その声だけが深刻だった。しかし、すぐに彼は明るい 調子に戻って続けた。 「今の奴らにやられたんだ、これ」 そして、目の下のあざを指した。 「暗がりでいきなりだからさ、ひとりお・ほえるので精いつばいだったんだけど、確か に今の奴だったんだよね、だから」 「何でまた ? 私が言った。 「この土地では俺の親父の評判は悪いよ。うちのホテルが地上げでもやったんだろう。 まあ、突然よそ者がでつかいホテルを建てて観光客を引っぱっちゃうわけだから、
へ入るなり私の表情を見てにやりと笑い 「ばれたか」 と一一 = ロった。 私は瞬間、怒りと恥かしさで真っ赤になった。そして勢いよく立ちあがり、つぐみ を思い切り突き飛ばした。 「ま、まりあちゃん」 と、びつくりした陽子ちゃんが言った。 つぐみはふすまをがたんと倒してひっくり返り、壁に激突した。おばさんが「まり あちゃん、つぐみは今」と言いかけたが、私は涙を。ほろぼろこぼしながら首を振り、 「黙ってて下さい ! 」 と言って、つぐみを強くにらみつけた。私があまり本気で怒っていたので、さすが のつぐみも口がきけなかった。だれも、つぐみを突き飛ばしたりしたことはなかった。 「こんな腐ったことやってるヒマしかないならーと私は「行書体練習帳」を畳にたた きつけて言った。「今すぐ死ね、死んでいいー 瞬間につぐみは今、そうしないと私が彼女と永久に絶交するつもりだということを
160 「権五郎がしなし どうもさらわれたらしいんだ」 つぐみはいるか、という恭一の電話の声があまりにも暗く、急いでいたので、何か あったの ? とたずねた私に彼はそう告げた。神社で出会った、恭一を憎む男達の姿 が一瞬、いやな感じで頭をよぎった。 「どうしてそう思うの ? 」 私はそう言いながらも胸の内にあせりがこみあげてくるのがわかった。 「ひもがすつばり切られてるんだ」 恭一は落着いた声を装って、言った。 「わかった、すぐ行くわ。つぐみは今、かかりつけの病院に行ってて留守なんだけど、 伝言していく。どこにいるの ? 」 私は言った。 「海岸の入口のところのポックス 「そこにいてね、今すぐ行くから」 と言い、電話を切った。
199 面影 「あのな、おまえにだけ言うけどな、あたし、だめかもしれない。きっと死ぬ 私はぎよっとした。あわててべッドの横の椅子にかけてつぐみのそばに寄り、 「何言ってんの と言った。少しあきれてしまった。 つもと何が違うって言うのよ。入院だっ 「順調に良くなってるっていうじゃない、い て、あんたが直りぎわにまたムチャしないようにつて閉しこめてる要素が強いのよ。 精神病院みたいなもんじゃない。生死には関係ないでしよ。しつかりしてよ」 「違うんだ」 つぐみは真顔で言った。その時彼女の瞳の翳りは今まで見たことのないほどまじめ で暗かった。 「わかるだろう、人の生き死につていうのはそんなもんじゃない。もう、やる気がな いんだよ、全くないんだ」 「つぐみ ? 」 私は言った。 「今まで、こんなことは本当にいっぺんもなかったー かげ
108 「ちょっとここで待ってて。下を見てくるから 玄関にかけおり、げた箱にはいつくばってつぐみのサンダルをさがした。いつもっ ぐみのはいている白い花のついたビーチサンダルがきちんとそろえてお客さん達のサ ンダルにまざっているのを見つけてほっとした時、廊下を歩いてきた政子おばさんが、 「どうかしたの ? 」と言った。 「つぐみが部屋にいないのよー 「えっー政子おばさんは目を見開いて言った。「だってあの子今、すごい熱なのよ。 今さっきお医者さんに来てもらって注射したばっかりなのに : : : それで熱が下がって 調子づいちゃったのかしら : 「きっとそうよ 「でも私、ずっとフロントにいたけどね、まりあちゃんのあと誰も出てないわよ。館 内にいるんじゃないかしら・ : ・ : とにかくさがしてみましよう おばさんは不安そうに言った。 . し / . し 「何なの、 と私はため息をついた。
196 私には、その気持ちがよくわかった。冷えてきた体の真ん中に、恭一の視点が届い て胸を熱くした。 つぐみはただそこにいるだけで、何か大きなものとつながっているのだ。 闇の中で私は確信しなおして言った。 「この夏は楽しくて、一瞬だったような、すごく長かったような、不思議な気がする。 恭一がいて良かった。つぐみも最高に楽しかったに違いないわ」 「あいつ、大丈夫だよな」 恭一は言い、私は強くうなずいた。波と風の大きな音が、立っている足元をあやふ やにしてゆくような気がした。夜空に散らばる明るい星を、数えるようにじっと見つ めた。 「今までにもよく、入院なんてあったから」 私の声も闇にまぎれた。恭一は海を見つめて、風にけずられてしまいそうな、はか ない目をしていた。今まで見たいつよりも、心細そうに見えた。 この町からつぐみがいなくなってしまうこと。この若い恋が新しい局面を迎えるこ と。
195 面影 をふちどる船明かりのように、つぐみの行動を言葉にすればするほど、つぐみの生命 の光が今ここにあるみたいな強烈さで話のそこここに輝きはじめるのだ。 「あんな傑作な奴いないよー 聞き終わると、笑いをこらえながら恭一は言った。 「穴だって。何考えてるんだろうね」 「本当よね」 私も笑った。あの時は陽子ちゃんに悪いのと、気持ちが高ぶっていたのとであまり 思わなかったが、今思えばその妙にまっすぐな、そしてどことなくひねくれた方法が ひどくつぐみらしくておかしかった。 「俺ね、あの子のことを考えていると、いつの間にか巨大なことを考えてしまってい る時があるんだ」 恭一が告白のようにふいにそう言った。 「考えがいつの間にか、とてつもなく大きいことにつながっている。人生とか、死と か。別に、あの子が体弱いからではないんだ。あの目を見ていると、あの生き方を見 ていると、何とはなしに厳粛な気分になっているんだ」
227 つぐみからの手紙 授業はいつも見学だったし、考えてみればクロールもできません。毎日、学校へ行 く途中のあの坂道で、必ず息が切れたことも、長い朝礼に参加したことがないのも、 思い出しました。そういう時、いつもこのちつ。ほけな足元ではなく、青空ばっかり 見上げていたもので気づきもしなかったわけです。 息が苦しいし、体はふとんに押さえつけられているように重い めしもろくに食えません。食えるものと言えば、うちのばばあが持ってくる漬物な んかだって、笑っちゃうだろう ? まりあ。 今まではどんな目にあったって、心のどこかがビンビンしてたのに、今は在庫がゼ ロなんです。正直に弱音を吐くよ。 夜がまた、いやなんだ。 消灯になって、この病室が巨大な闇になると減入っちまってどうしようもない。泣 けてくるほどた。位くと疲れるから、闇に耐えるんだ。小さなライトで、この手紙 を書き進める。意識が遠くなったり、戻ったりしてふらふらだ。少しこじれたら、 すぐコロリだな。そしてくだらない死体になって、バカなおまえたちがわあわあ泣 くんだ。