「そういう話じゃ。どうせ雪の中だから、二、三日ほっといても腐らんけに、若い衆 ( 青年 ) も、 あさって 出るのは明日か明後日にするそうじゃ」 一年に二回か三回同じような事件が都会の若い男女に 村では心中事件はそう珍しくなかった。 依って惹き起され、その度に、村では青年たちが駆り出された。 鮎太は祖母の横を擦り抜けると、階段を降りて戸外へ出た。 その前日まで吹いていた風は落らて、真冬の陽が、早咲きの花をつけている梅林に静かに降っ 物鮎太は青年詰所に行って、そこにいた二、三人の子供を使って、部落の三年以上の子供たちを ろ 集めさせた。 す「天城の心中もんを見に行くんだ。みんな支度をして来い」 あ と、鮎太は一同に命令的に言った。十四、五人の子供たちは、すぐそれぞれ家へ戻って行った えりまき が、みんな首に襟巻を巻きつけ、腰に手拭いをつけ、途中で切れる心配のない藁草履を履いて、 又詰所に集って来た。 子供たちは部落を外れるまでは大人たちに怪しまれぬようにのろのろと歩いて行ったが、部落 、いっせいに駈け出した。そして駈けたり、停まったりして、下田街道を天城の峠の を外れると 方に向かって進んで行った。 いままで、いかなる心中事件の場合も、子供たちは大人たちに現場を見せて貰えなかったので、 したく
お「秀才で大人しいんですってそれも結構だけど、運動して躰をつくらなければ駄目よ。その ために、あんた、ここへ来たんでしよう。わたし聞いているわ」 そう言ってから、 「さっそくだけど、お庭掃いて頂戴。スパルタ式よ、ここ ! 」 鮎太はびつくりしたが、その言い方は不快ではなかった。言葉は娘として荒つばかったけれど、 表情は明るく、絶えす顔のどこかの部分が笑っているようであった。 五ロ 鮎太は庭へ出て、渡されたを持って、庭を掃いた。庭は二百坪ほどの広さを持っており、そ 三 1 ロ 物れを全部掃くのは容易なことではなかったので、鮎太はこれは大変なことになったと思った。 ろ 鮎太が半分ほど掃いた時、雪枝は十名程の小学校の子供たちを連れて来て、それぞれに箒を渡 すして、 あ「さあ、これ全部を、みんなで掃くのよ。よくって」 それから合図をして、掃除を始めさせると、鮎太の方に、 「あんたもういいわよ」 と言った。子供たちは近所の子供たちであった。 「自分のおうちの庭を掃くように丁寧に掃くのよ。お寺の庭だなんて、するい考えを起したら承 知しないから」 雪枝は小さい鐘楼の石組に背を凭たせ、子供たちの掃除を監督しながら、鮎太が思わず顔を見 ちょうだい からだ だめ
親は温和しいばかりのお人よしらしかった。雪枝はこの二人の手でわが儘いつばいに育てられて 夕食後鮎太は風呂にはいった。入浴の順番は住職の次が鮎太で、その次が雪枝だった。鮎太が 部屋で机に向かっていると、雪枝が風呂の中で昼間唄ったのとは違うがやはり同じような寮歌を 大声で唄っているのが聞えて来た。 朝は六時に起された。そして朝食のあと登校するまでの時間、鮎太は雪枝と一緒に廊下を隔て べつむね 五ロ て別棟になっている本堂の掃除をした。しかし、これも昨日の庭の掃除と一緒で、鞄を肩に下げ 1 一 = ロ 物た一団の小学校の生徒たちが狩り集められると、鮎太は作業から放免された。 ろ 子供たちはみんな鞄を本堂の廊下に置いて、手に手に雑巾を持って、長い廊下を四つ這いにな すって走った。 あ「太一はやり直し、もう一度丁寧に拭いて ! 清ちゃんはバケツの水を換えておいで」 雪枝自身は何もしないで、こまめに動いている十数人の小さい子供たちの間をゆっくりと歩き ながら、それぞれに言葉をかけて、上手に使っていた。 子供たちが柔順に彼女の命令に服し、嫌な顔一つしないところは、全く雪枝という娘の持って いる人徳のカであるらしかった。 「さあ、みんな、雑巾をしばって、きれいに勝手の横の陽当りに干したら、遅れないように学校 へ行きなさい。ぼやばやしていては駄目よ」 おとな じようず ぞうきん
183 の硬派の不良少女だった。気性は鉄火だったが、眼を細めて笑うと、色の黒い顔がひどく優しく なり、むつつりと黙っている時の横顔は、鮎太が何かの写真で見た外国の宮廷の皇女に似ていた。 ひげづらー さんの家を覗いた。髯面の熊さんの大きな それから鮎太は毎日のように、新聞社の帰りに、 躰の向うで、内儀さんの小さな躰が、こまめに立ち働いていた。 一見すると、似合の夫婦であっ た。しかし二人がそれぞれ子供を連れていることに、何か二人の間をしつくりさせないものがあ るようであった。内儀さんの連子は八つの男の子だった。 地「どうも、俺の娘よりも、自分の子供の方にいいものを食わせていると思うんです。それでなく 民て、ああ、まるまると肥るものではない」 植内儀さんがいない時、熊さんは鮎太にそんなことを言った。しかし、これは内儀さんの方も同 のじだった。 星「どうです。どこから仕入れたのか、おっさんと来たら、娘にあんな純綿のシャツを着せてやっ て。幾ら働いても、せいがないことですわ」 そんな愚痴をこばしたしかし、子供の事以外では、二人は仲睦じいようで、お互いにおっさ ん、おばさんと呼び合って、朝から晩まで汗を出して立ち働いてい はたけ 熊さんの店は終戦後一カ月の間に二回変った。最初の土蔵が二人の手で整理され、小さい畠が 耕された頃、持主がやって来て立ちのきを要求したからである。熊さんは仕方ないので、近くの 他の土蔵に変り、そこで店を開いた。二軒目の土蔵の時から、店には毎日のように客が立て込ん からだ おれ むつま
それを自分たちの眼で確かめるということは、それだけでも大きい魅力であった。 子供たちは部落を出る前に、大人たちの口から今度の心中事件の現場が峠より半里程手前の、 杉林の中だということを聞き知っていた。そこまでは一里半程の道のりだった。 街道が渓谷に沿ってじぐざぐに折れ曲るころから、街道は雪で白くなり、杉木立が多くなって 来る頃から、雪は一歩一歩深くなった。 (f) 橋の手前で、足指の冷たさに我慢できなくなった子供たら三人が落伍して、彼等は路に切 でり倒してある杉丸太の雪を払って、その上に乗って、他の連中が帰って来るのを待っことになっ 中 更に半町程行くと、又、数人の子供たちが落伍した。二人の四年生が泣き出し、三、四人が、 深おらあ、もう嫌だと言い出した。 深結局鮎太と、やはり同じ六年生の堅市と佐次郎の三人が、落伍者たちを路傍に残して、足指を 真赤にしながら、心中というものの妖しい魅力に惹かれて行った。 現場はそこから直ぐだった。杉木立の中に、二人の男女が半分雪に埋れて倒れていた。 あたり 雪は二人の男女の顔の高さとすれすれに降り積っており、四辺は少し蒼味を帯んだひどく静か な世界だっこ。 鮎太はやつばりお姉さんだったと思った。男の方の顔は半分雪面に俯伏しているので誰か判ら なかったが、鮎太はそれを確かめなくても、それが大学生の加島であることを信じて疑わなかっ あや うつぶ あおみ
ばならぬと思ったし、あのような不良は ( 鮎太にはハーモニカを吹いている少女が、そう見え た ) 、冴子以外にはないだろうと思った。 かばん 薄暗い板敷の横手の階段を上がって行くと、祖母の姿は見えなかったが、見慣れない鞄が一つ、 鉄の棒のはまっている北側の小さい窓の傍の畳の上に置かれてあった。鮎太はやはり冴子がやっ て来たのだと思った。 鮎太は幾らか興奮していた。二階から降りると、直ぐ部落の子供たちの集り場所にな「ている で青年集会所の前へ出掛けて行った。 すもう の鮎太はそこで、他の子供たちと、鉄棒にぶら下がったり、角力を取ったりして、夕方までの時 間を消したが、時々、心の中で「冴子が来た ! 冴子が来た ! 」と思「た。が、誰にもまだその 深ことは口外しなかった。 深そして、平生より遅く、春の日がす「かり暮れて、街道の両側にある家々に燈が入ってから、 鮎太は家へ帰って行った。 階段を上がって行くと、冴子は祖母とタ食の膳に向かおうとしていた。 「これが坊思ったよりましな子じゃあないの ! 」 そんなことを、冴子は初めて彼女の前に出た鮎太を見て、祖母に言った。明らかに敵意のこも った言葉であった。 「幾つ ? 」 ぜん
そう鮎太は言った。いきなり、一つの明るい光にぶつかった気持であった。熊さんが終戦後一 番早く自分の生活の建て直しに、積極的に取りかかった人物であった。言い換えれば翌檜第一号 と一一一口ってよかった。 その翌日の午後、鮎太は言われたように、無断で他人の半焼けの土蔵を借用して開業した汁粉 屋へ出掛けて行った。『砂糖人りの甘いお汁粉』というビラが下手糞な墨の字で書かれて、その ただ 下に ( 、、『但し本日は五人限り』と断わり書きがしてあった。ビラは竹の棒に挾まれて地面に突き 語さされてあった。 物鮎太が土蔵の前の方へ廻って行くと、土蔵の扉は開けひろげられてあったが、内部は暗かった。 ろ 「能 ~ さん、いるカ ? ・」 す鮎太が声をかけると、熊さんの細君と思われる女性が、半裸体で姿を出した。 あ「何か、用ですか」 ぶあいそ 不愛想ではあったが、小作りの思いのほか清潔な感じのする女性であった。四十七には到底見 えなかった。 「おっさんは、どこかへ子供を連れに行きましてん」 - 」ぶし 彼女は、握り拳で額の汗を拭きながら言った。 「熊さん、子供あるの」 「一人おまんね。十三の女の子だそうです」 180 ふ へたくそ
そんな同じ言葉を、鮎太は何人かの村人が話しているのを聞いた。しかし、鮎太は冴子をそう した悪人とは到底思えなかった。そうした噂をばらまいた郵便局長の娘と、山葵問屋の娘を憎ん 冴子が鮎太の生活へ人って来て二カ月程経った頃のことだった。 すみたけやふ 鮎太はあるタ方、冴子に、庭の隅の竹藪の前へ呼ばれた。 「伊豆屋の川に向かった奥の新しい部屋を知っている ? 」 ガラスは で「知っているよ。青い硝子が嵌まっている部屋だろう」 の伊豆屋というのは部落に二軒ある渓谷の温泉旅館の一つであった。 「玄関からでなく、そこへ入って行ける ? 」 深「行けるさ。川の石垣を上って行く」 深「そう、そして、どうする」 「庭へ出て、檜のところを廻って、離れの横を通って 鮎太にとっては、伊豆屋の庭は隅から隅まで知っている所だった。夏になると、伊豆屋の直ぐ 半町程の下が子供たちの泳ぎ場になった。毎日のように、子供たちは蝗のようにそこらを飛び歩 き、伊豆屋の広い庭にもぐり込んだし、宿の人の眼を盗んでは、浴場へも冷たい躰を温めに行っ ア」 0 「じゃあ、あんたに頼むことにするわ。タ御飯済んだら、もう一度ここへいらっしゃい 、」 0 ひのき いなご わさび
なぐ ぎようそう : ら 鮎太は、その時、自分より三つ年下の少年を殴らんばかりの形相で睨みつけた。どうして、突 然、怒りが自分を襲ったか、鮎太は自分自身で見当がっかなかった。 留吉が使者を辞退したので、次の時は、幸夫を使者に立てた。 「小母ちゃんが来ていて、荷物を作っていた」 と、幸夫は報告した。小母ちゃんという人物がいかなる女性か見当はつかなかったが、荷物を 造っていたというのは、彼が伊豆屋を引き上げるのではないかと思った。 で「手紙は誰に渡した ? 」 の「小母ちゃん」 小母ちゃんに渡したということが、ちょっと気にならないこともなかったが、鮎太はそのこと 深は冴子には内緒にしておいた。 深翌朝、鮎太は勉強を早く打ち切って家を出ると、留吉と幸夫の二人を伊豆屋へ偵察に派遣した。 加島とあの少女が今日この村を引き上げて東京へ帰るのではないかと思ったからである。留吉と 幸夫が帰って来ての報告は、やはり鮎太の予感を裏書きしていた。 「小母ちゃんと肺病のあまっこが、荷物を持って、坂道を上って来た。おらあ、直ぐ逃げて来 留吉は言った。 鮎太は腹が痛くなったからと言って、登校の子供たちの一団から離れると、少し遠廻りして、
「ふん」と、十三であるという事さえが、彼女にとっては腹に据えかねる事のようであった。 「みんなあんたをちやほやするが、冴子もそうだと思うと当てが違ってよ」 そろ そう言って、冴子は村では珍しい額で切り揃えたおかつばの髪の下で、ちょっと怖い眼をして 見せ、それから今度は優しく笑った。 みと 鮎太は、そうした冴子に半ば見惚れていた。村の娘の誰よりも色が白く、眼は大きく澄んでお 、表情は見るからに活き活きとしていた。 物祖母のおりようは、そんな冴子の毒のある言い方に気付いていなかった。五、六年前から、耳 ろ が遠くなっていて、鮎太は祖母と話をする時は、いつも口を彼女の耳もとに持って行って、大き すい声を出さなければならなかった。 あ鮎太は、毎日の日課の一つであったが、祖母の酒を一合買うために、平生より少し違うむつつ りとした表情で五合瓶を持って家を出て行った。 冴子の言うように、鮎太は村人から、他の子供たらとは区別されて「梶の坊ちゃん」と呼ばれ あまぎ 天城の南麓の小さい幾つかの部落では、梶家は昔から代々の医家で通っており、他の農家とは 格式が違うものとされていた。十三代目が鮎太の父であり、これも医者であったが、彼は村では なんろく びん こわ