二人が、佐分利夫人を争っても、到底自分は彼の敵ではあるまいと思った。 彼を送ってから一カ月もしないうちに、金子二等兵は上海郊外のクリークの戦闘で華々しい戦 死を遂けた。 彼の戦死の記事は新聞社の特派員に依って、詳細に報道されて、紙の社会面を賑わした。 決死隊に選ばれた彼は、右手を対岸にかけたまま、機銃の一斉射撃を浴び、左手を二回高く突 き上げて、敵味方環視の中で水中に没したということであった。 彼の戦死の報が新聞に載った時、木原と鮎太は佐分利家を訪ねた。珍しく二人は信子の居間に 面通された。 の 机の上に、金子の小さい写真が飾られ、それが黒いリボンで結ばれてあった。そして床には、 水 たんざく わきま う「この夏は血も汗もただに弁えず」という彼が出立の日に遺して行ったという短冊がかけられ、 漲その前に線香が焚かれてあった。 何もかも、鮎太には意外だった。彼が自分の写真を佐分利夫人のところに遺して行ったという ことも、ちょっと信じられぬ彼の一面であったが、鮎太は少しも嫌な気はしなかった。 また彼が俳句を作るということは知っていたが、このように重々しい句が、彼ののほほんとし た人柄から生み出されているとは知らなかった。句の意味は多分に独りよがりのようであったが、 鮎太は彼自身の勝手な見方で、その句の意味を考えていた。金子の佐分利夫人に対する気持がい つか鮎太などは遠くに置いてけばりにして、血も汗も弁えぬ烈しいものになっていたかと思った。 109 シャンハイ ひと
する一連の歴史小説の中で生き続けて行く。井上靖の歴史小説の底を流れている思想は、悠久な ほんろう 時の流れの中で翻弄される人間の頼りなさ、はかなさの中に人間の運命相を見るという考え方で ぎようが ぎよくわんき ある。これら歴史小説の先駆をなす作品としては、『異域の人』『僧行賀の涙』『玉碗記』などの 短編があるが、「白い河床」から歴史的運命観への飛躍にとって過渡的な意味を持つのが、『澄賢 房覚書』「ある偽作家の生涯』の二作品である。人生を水の涸れた川筋と見るという意味では、 この二作品はまさに「自い河床」をそのまま具現していると言っていいであろう。 がんじん 『天平の甍』は、日本に戒律をもたらすために、唐の高僧鑒真を招こうと、遣唐船で唐に渡った 品 作 四人の留学僧の物語である。それは個人の意志や情熱を越えて、自然及び時間と戦う人間の運命 と 人的な姿である。ここに脈打っているものは、歴史そのものの鼓動であり、運命の鼓動である。こ そんたく 靖こでも絵画的手法は生かされ、登場人物の心事の忖度は厳しく排除され、明確な形象だけが積み 井上げられて行く。するとその背後に、どうしようもない運命の姿が浮び上がってくる。それは 「白い河床」の発展深化した叙事詩の世界である。 ろうらん 『楼蘭』になると、この手法はさらに徹底して行われる。千五百年の周期で沙漠のなかを移動す る湖。丁度その移動に当って、水の引いて行く口プ湖のほとりで砂に埋もれて行く一小国。この イメージ自体が既に歴史と自然の持っ壮大なポエジーである。ここでは登場人物は遙かな遠景の 中の点と化し、歴史そのもの、運命そのものの顔が大写しにされる。 これ以後、敦煌千仏洞成立の由来を作家的空想で埋めた『敦煌』、ジンギス汗を描いた『蒼き 幻 5
「鮎ちゃん、あの人どう思った ? 」 「僕は、あの人、好きだ」 鮎太は全く、冴子の心とは遠く離れた別の意味で、そう強く言った。 「幾ら好きでも、私の方がもっと好きよ」 冴子は、特徴のある細い透き通るような声で笑うと、 いきなり鮎太の肩を抱きしめて来た。 鮎太は身をもがいたが、冴子の二本の腕にこめられたカは意外に強いもので、それが身内に滲 物みるように快かった。冴子は執拗に鮎太の上半身を抱きすくめていたが、やがてくつくっと切れ くちびる ろ 切れに笑った。冴子の唇が鮎太の頬に捺された。 ふとこ す鮎太は冴子を突きのけると、懐ろに手を人れた。カステラの紙包みは見る影もなくひしやげて あいた。カステラを包んでくれた少女に悪いと思った。 「何、それ」 「お菓子を貰ったんだ」 加島というのが、大学生の名前らしかった。 ちょうだい 「わたしに半分頂戴 ! 」 しつよう
は事件だけでなく、さきに述べたような意味で感受したことの内容に由る。人間の成長の根はこ ていねん こにあると云ってもよかろう。そして、やがて人間は一つの諦念に達するようである。「樹木は 伸びても天に達しないことになっている」というのがそれである。「あすなろ」の悲しみは、永 久に檜になれない悲しみにはちがいないが、「天に達しない」人間の限界への認知をひそかにふ くみながら、しかも「天に達しよう」ともがく青春の憧に宿る美しい悲しみと考えてもよかろ かかわ う。未来に対しては誰も自信はないのだ。自信とは空想である。それにも拘らず「檜」であるこ とをのぞむ人間の努力と夢の切なさを、「あすなろ」の説話は象徴しているようである。人間は この意味でいじらしい存在だ。自他をふくめてそれをみつめているところに、この作品全体をつ らぬく暖さがある。 ここには六人の女性が登場する。女性の六つのタイプと云ってもよい。たとえば「深い深い雪 さえ」 の中で」の冴子。少年鮎太の心に愛と死の或る純粋さを刻印したという意味で一種の教育者と云 ってもよかろう。人生の入口に立っ少年の感受性に、異様のショックを与えたものとして語られ ている。少年はその死の意味を語ることも説明することも出来ないが、何か或る深い感銘をうけ た。少年鮎太にとってはこれが生涯での最初の洗礼であったと云ってもよかろう。 第二は「寒月がかかれば」の中の雪枝である。気性のはげしいこの女性によって少年は文字通 り鍛えられてゆく。「懲らされる」ということの一面が、この物語によくあらわれているが、こ 『あすなろ物語』について
ら後から詰めかける群衆を到底捌き得ようとは思われなかった。 」んばんちゅうどう 初夏の夕暮であった。四明岳から根本中堂まで、鮎太は、ケープルの中で一緒になった若い僧 侶と話をしながら歩いた。採燈護摩という祈が如何なるものか、鮎太は全くそれに就いての知 識の持ち合せがなかったので、僧侶にその事を訊きながら歩い しゅほう しゅげんどう 護摩と言うものは火を焚いて仏に祈願する密教修法の一種で、修験道の当山派では柴燈と書き、 本山派では採燈と書く、そんな事をその僧侶は話してくれた。 敗「要するに、山中の薪を集めて、不動明王を本尊として護摩法を修するわけで、祈願の効果はと こうよう もかくとして、国民精神を昻揚すると言う意味では、今日、やはり一つの意義はありましよう ね」 長身の若い僧侶は、そんな言い方をした。 勝乢に立「たが琵琶湖は見えなか「た。夕暮のせいもあ「たが、曇「ていた。 根本中堂の寺務所で、鮎太は京都の支局へ記事を送る電話の交渉をし、そこで時間を潰した。 定刻の八時近くになると、大阪や京都の各新聞社の記者たちが顔を揃え、寺務所は急に賑やか になった。鮎太の顔見知りの記者たちも何人かいた 薪が焚かれる場所は根本中堂から一町程離れている四明岳の山頂であった。準備が整わないの で、少しおくれると言うことだった。 記者たちは、煙草を喫みながら寺務所でごろごろしていたが、全国に中継放送するという放送 145 りよ の
戦国時代、宣教師に随行して渡来した外国船 辻邦生著宀女土、圧皿記員を語り手に、乱世にあ「てなお純粋に世の 道理を求める織田信長の心と行動をえがく。 愛を失い、結婚に破れ、芸術の空しさを苦汁 辻邦生著廻」廊にてのようになめつ「、生の意味、芸術の意味を 近代・又学賞受賞模索し続けた亡命女流画家マーシャの生涯。 日本では婚約者が待っているのにパリからの リ・テレーズと運命の邂逅を の岬・帰途、修道女マ した留学生の内面を描く表題作など短編 5 編。 この世は生の歓びに満ちていると唱えるべル 辻邦生著眞晝の海への旅ナールを船長に、世界の海〈乗り出した + 一 人のクルー : ロマンの香りの溢れる長編。 都会の喧噪から逃れ、草深い武蔵野に移り住 佐藤春夫著田園の悳鬱んだ青年を絶間なく襲う幻覚、予感、焦躁、模 索 : : : 青春と芸術の危機を語った不朽の名作。 少年期の憧憬から老年期の枯淡な境地まで、 島田謹二編佐 ~ 滕 ~ 脊 , 天十討集宝石のようにきらめく詩語を選び、伝統的な 詩風に新しい思想感情を注ぎこんだ二百余編。 辻邦生著
たらす人生の皺が、この辺りから次第に強まってゆくありさまがうかがわれる。 まいきょ 最後の「星の植民地」は、敗戦直後のさんたんたる発墟における鮎太の生活である。妻子を疎 開させ、ひとり大都会の焼野原の上に相変らす記者生活をつづけながら、たとえば熊さん夫婦の ような野性的な生活力のたくましさを描き、またオシゲという正体不明の浮浪児とも云える若い 奔放な女性との一時の関係が語られている。荒涼とした魂の所在のない彷徨がつづけられている わけだが、作者は自分の接した様々の人々、多くの女性、それらの「生きる」ことのいじらしさ て のうちに、「あすなろ」の美しい悲哀を感じとっているようである。 っ 五ロ 「あすなろ」とは云わば井上氏の人間愛の象徴のようなものだ。「あすなろ」であるところの人 物 よ間によって、自分という人間もまた育てられて、人間を知ってきたということだ。ここには告白 あ調はすこしもない。しかし今まで述べてきたような意味で、この作品は作者の感受性の劇の告白 だと云っても差支えあるまい。幼年、少年、青年、壮年の各時期にわたって、心にうけた様々の はんすう 人生の屈折を語っているのだ。「思い出す人々」を通じて、心に感受したものを、改めて反芻し ているような作品である。 明日は何ものかになろうと努めている多くの「あすなろ」群像を通じて、人間の運命といった ものをもこの作品は考えさせてくれる。たとえば犬塚山次のように、戦争中も戦後も、ただ自分 の特殊の研究にのみ没頭して、一切を忘れているような、或る意味で執着の権化ともいうべき変 あた
と言ったが、鮎太は気持がしらけて、一口も酒は飲みたくなかった。 わず 僅か三カ月ばかりの間に、高等学校の仲間の気持はまるで、ばらばらになっていた。佐分利家 を挾んで意味もなく、みんな刺げ刺げしくなっている感じだった。 その晩、鮎太は酔っ払った木原を連れて、彼の本郷の下宿へ行った。 下宿の部屋へ入っても木原は、妻をめとらば才長けてと、何十回も同じ歌の最初の歌詞だけを 繰返して唄い、下宿の主人に注意されて、漸く床に就いた。そして床に就くと直ぐ正体なく眠っ てしまった。鮎太は眠っている木原の右の眼から涙が流れているのが、何か気になった。 よ 面鮎太は下宿で借りた蒲団の中で、いつまでも眼を開けていた。佐分利家で昼中眠「てしまった の ので、少しも睡くなかった。考えてみると、九州からわざわざ出て来たが、全く意味のないこと 水 うになっていた。大沢に言われた通り佐分利家で自分が示した態度はなっていないようであった。 漲突然訪ねて行って朝食を御馳走になり、昼中眠り、起きるとこんどは夕食を御馳走になり、その 果に何の理由もなく不機嫌になって飛び出したのだから、これ以上我儘で莫迦な行為はないわけ であった。 それにしても、大沢と金子は英子に、木原は貞子に恋をしているらしいことが、奇異な気がし た。美しいと言えば英子も貞子もそれぞれ花のように美しかったが、鮎太自身にとっては、二人 は到底愛情の対象には考えられなかった。 鮎太は自分が美しい姉妹のいすれでもなく、高校生活三年を通じて、ずっと佐分利夫人に惹か ようや わがまま
217 頼』などの時代小説も、すべてこの時期に発表されたものである。井上の恋愛小説が多くの人に 迎えられた原因は、井上の描く恋愛が常に、功利とか金銭とか名誉心などの世俗的要素を除外し た場所で、純粋に恋愛感情そのものとして取扱われているからである。従ってその恋愛は必然的 に、男女が互しー 、こ愛を確認し合った時に終るという形を取る。これを私は「恋愛純粋培養」と呼 そうりよう んだことがあるが、これが読む者に一種の清潔さと爽涼の気を感じさせるのであろう。そういう 視点を取らせるものは、もちろん井上の詩人の眼である。いすれにせよ井上は、『あした来る人』 『氷壁』によって第一線作家の地位を揺がぬものとした。 作 現代のように巨大化したジャーナリズム機構の中では、小説家は納得の行く作品を細々と書い 人て次第に忘れられて行くか、多作に自滅するか、いずれかの道を取りがちである。その中で考え 靖られる唯一の可能性は、時代のジャーナリズムの要請に応えながら、同時に作家的にも脱皮成長 井して行く道である。これは言うに易く、行うに難い道であるが、井上靖はこれを実行した最初の 作家と言ってよかろう。新聞小説によって自らの地歩を揺るがぬものとした井上は、徐々に歴史 小説への脱皮をはかり、見事にこれを実現した。井上が象徴的な意味で現代の作家だというのは、 そういう意味である。 とうりき 現在の井上靖は、短編集『月の光』『桃李記』に見られるように、小説とも随筆ともっかぬ形 で身辺や肉親知友を描きながら、そこに個性を越えた人間の原存在を見ようとしている。物の表 面の奥にあるものを見ようとするのは、もちろん、長い間物の形とイメージを見つめ続けてきた
この二人の死を超えて行かねばならない。己れに克って人生を歩んで行かねばならない。中学 に入って、沢山本を読まねばならない。そんないろんな昻ぶった感情が入り混じって、いっせい に鮎太の心から噴き出し、それが鮎太をそこに棒立ちにさせていた。 「おらあ、もう帰るぞ」 どういう理由か、ひどくしゅんとした顔になっている堅市の声で、鮎太は現場に背を向けたが、 その時初めて、鮎太は二人の死の持っ本当の意味が、その怖ろしさと悲しさが、突然大きい勢い でで自分を押し包んで来るのを感じた。 中 の 雪 深 深 おの