げん・」う 狼』、元寇を朝鮮側から描いた『風濤』、大黒屋光太夫の漂流と流浪の生涯を辿った『おろしや国 すいむたん 酔夢譚』と、歴史小説の大作が相ついで発表される。『天平の甍』から『おろしや国酔夢譚』に 至る歴史小説の展開において、ひとっ指摘しうることは、『敦煌』や『蒼き狼』で多少の偏向と 振幅を示しながらも、井上が次第に年代記的、記録的手法を固めて行っていることである。これ には『蒼き狼』をめぐる大岡昇平との論争も影響を与えているかもしれない。 特に『風濤』と 『おろしや国酔夢譚』では、さながら煉瓦をひとつひとっ積み上げて外壁を築き上げるように、 五ロ 正確な史実と明確なイメージが丹念に積み上げられ、その背後に言わず語らすの間に運命の姿を 物浮び上がらせている。それは「白い河床」の極まった姿と言っていいであろう。 ごしらかわいん ぬかたのおおきみ ろ 井上はまた、『額田女王』や『後白河院』などの歴史小説で、日本の古い時代にも照明を当て じゅじゅっ すている。『額田女王』は、巫女であり、同時に歌人でもあった額田女王を描いて、呪術と芸術が あ分ち難く結びついていた時代にさかのばり、芸術の本然の姿と、古代人の心を探っている。 今ひとっ指摘しておかねばならないことは、井上靖が象徴的な意味で現代の作家だということ である。井上が芥川賞を得て文壇に登場した昭和二十五年は、中間小説と新聞小説の勃興期に当 る。幸か不幸か井上はそういう時期に文壇に出たのである。中間小説と新聞小説は昭和三十年頃 に最盛期を迎えるが、井上もまた昭和三十年を中心とするほば十年間に、これが一人の人間に書 き得るかと思われるほど多くの作品を発表している。 『あした来る人』『氷壁』『満ちて来る潮』『憂愁平野』などの恋愛小説も、『風林火山』『戦国無 216 ふうとう ばっ - ) うき
179 い戻っては来ないでしよう」 「来たらど , っする」 「謝まって、隣へ引越しますよ。とにかく権利を奪られんように、今日、手当り次第、そこらの 土蔵へ熊井と書いた紙を貼っておきましたよ。貼らんよりはいいでしよう」 熊さんこと熊井源吉はそんなことを言った。それから判断すると、熊さんは住人のいない他人 の土蔵を、当分の間転々とするつもりでいるらしかった。それから、 もら 地「ひとつお願いがあるんです。実は、明日家内を貰うことになりましてね。今日初めて会ったん 民ですが、私と同様に宿なしで、性質はいいようです。話がすらすらとまとまりましてね。戦争も 植終ったからひとっ共同で幸福な家庭を築き上げようってわけでさあ、不可ませんか」 の「不可んことはないだろう。相手は幾つなんだ」 星「二つ上です。これだけが玉に瑕ですが、案外若く見えます。四十七です」 鮎太は、この時初めて熊さんが四十五であることを知った。 「それで明日来てもらいたいんです」 「結婚式か」 「まさか。いま時、そんなことが出来ますか。結婚式は今夜挙げてしまいますよ。明日から汁粉 屋でもやろうと思うんです。午後店開きをするからぜひ来て下さい」 「よし、来よ、つ」 あや きず
よほど慎重にやっているらしく、どうしてもその会合場所が判らんです」 もら しぐれ こう言う電話を貰ったのは、十月の初めの、時雨模様の細雨が落ちている日の午後だった。 鮎太は直ぐ京都へ出掛けた。京都支局には立ち寄らないで、真直ぐに、東山の掛川早苗の家へ 向かった。 そして掛川邸の見かけは質素に出来ている玄関の格子戸を開けた時、そこに先客があるのを知 った。左山町介であった。 たたき 語彼は玄関の三和土の上に突立っていたが、鮎太の方を見ると、 物「よう、早いな」 ろ と言った。彼も今来たばかりらしかった。 す 「、よいト」 あ と鮎太が言うと、 「判っている。が、一応当ってみようじゃあないか」 そこへ鮎太の顔見知りの女中が出て来た。返事は決まっていた。 「お留守です」 「どこへいらしったか知りませんか」 左山が訊いた。 「全然行先きをおっしやらずにお出掛けになりました」
幸 田 文 著 流 新 れ 文 賞 着る れん大 るだ川 哀女の しのほ さ眼と はをり か通の なし芸 さて者 を、屋 詩華に 情や 豊か女 かな中 に生と 描活し くのて 名裏住 編にみ 。流込 幸 田 文 著 父 ん な と 偉娘父 大の・ な日幸 父常田 をを露 偲生伴 ぶきの 著生死 者きの のと模 思伝様 いえを がる描 イ云匚 1 い わえた る な父 記ー 録 文父 学。と 福 水 武 彦 著 風 土 たを画 芸追家 術い桂 家なと のが昔 、らの 愛、恋 と日人 生本と のとの 深いゆ 淵うき を特ち 描殊が た風た 問土愛 題にの 作育行 。っ方 福 水 武 彦 著 市 飛 男 はわ誇 なるり ぜ青高 死年い んの姉 だ棺と の。快 か美活 。しな 抒い妹 情姉。 溢妹今 れに る愛二 さ人 廃 れの 等がに 8 ら横 編彼た 福 水 武 彦 著 却 の 河 生長心 きけの るれ奥 親ば深 娘長く 四い流 人ほれ のどる 愛穢一 とれす 忘、じ 却澱の のむ河 葛。 藤過こ を去の 描を河 く抱は 長い先 編てが 福 水 武 彦 草 の 花 明恋あ な人ま 時をり 間失に のつも 中た研 に彼ぎ 昇澄 華ま さ孤さ せ独れ たなた 、魂理 青の知 春愛ゆ のとえ 鎮死に 魂を 歌、友 。透を
「人より二倍勉強するんだな。二倍勉強すれば二倍だけ出来るようになる。朝起きても学校へ行 くまで勉強。学校から帰っても、又勉強。ーーーそうすりゃあ、どこへだって人れる」 ほとんひとごと 大学生は殆ど独り言を言っているような調子で喋っていた。 「君、勉強するってことは、なかなか大変だよ。遊びたい気持に勝たなければ駄目、克己って言 葉知っている ? 」 「知っています」 吾「自分に克って机に向かうんだな。入学試験ばかりではない。人間一生そうでなければいけな 物 ろ 鮎太は、この時、何か知らないが生れて初めてのものが、自分の心に流れ込んで来たのを感じ すた。今まで夢にも考えたことのなかった明るいような、そのまた反対に暗いような、重いどろど すきま あろした流れのようなものが、心の全面に隙間なく非常に確実な速度と拡がり方で流れ込んで来る のを感じた。不思議な陶酔だった。 Ⅱに沿った道が、川から離れて、折返しに上り坂になる所まで来た時、大学生はふと立ち止ま ると、何かをびりつと裂いて、それをまるめると川の方へ投げた。 鮎太は、その時、大学生が破いたものが、先刻自分が彼に渡し、彼が机の上に置いた冴子の手 ゆかた 紙であることを知った。浴衣を肩までまくっている大学生の白い右腕の動きが、その時、鮎太に は印象的だっこ。
彼はそれを飲んだ時言って、あとはまた何を話しかけても喋らなかった。 突然未知の病人に姉娘の部屋からとび出された佐伯というその家は、農林省の元官吏で恩給生 活をしている当主と、その夫人と、姉娘、妹娘の四人家族であった。 「驚きましたよ。いきなり病人の唸り声が娘の部屋から聞えて来たんですから 。行ってみる と娘の蒲団の中に、見たことも聞いたこともない左山さんが寝て唸っている。娘が濡れ手拭いを しほっている」 語その可笑しさのある言い方の中に、当主の人の好さがまる出しになっていた。似た者夫婦で、 物佐伯夫人も見るからに好人物らしかった。 ろ 「上のお嬢さんはどうしたんです」 す「一時、どこかへ行ってしまいましたが、先刻戻って来ました。く何も訊かすにそっとしてお あこうと思っています」 鮎太は、やはり花をすっかり落してしまった中庭の小さい桜を見守りながら、当り障りのない 話題を探すようにしては、佐伯夫妻と変梃な時間を過した。 鮎太は、左山が自分の社の同僚を招ばないでわざわざ他社の鮎太を招んだ理由が解っていた。 事件がどう考えても感服すべき性質のものではなかったので、左山も余程考えての末の事であろ うと思われた。 二日目に、左山はずっと楽になってい 160 ふとん へんてこ さわ
「すまないな」 彼は詫びて、 「災難なんだ。部屋へ入ったら途端に胸が苦しくなったんだ」 「どこから人った ? ・」 「窓からだ。他に入り口がないからな」 「見上げた事だな」 敗「紅茶を飲みに来たんだ」 「俺に弁解する必要はない。起きられるようになったら、ここの当主夫妻にせいぜい弁解するこ とだな」 鮎太は、少し邪みに言「た。実際、左山ともあろう者が、どうしてかかる愚劣な行為をしでか 勝したかと思った。 三日目に、鮎太は姉娘の英子に初めて会った。事件に仰天して、いきなり姿を消してしまうく はたち らいだから、まだ妹と同様、少女臭さの抜けていない二十ぐらいの娘であった。 どこで知り合ったか知らなかったが、英子は左山とは一年程前から、お茶を喫んだり映画に行 ったりする程度の交際はしていたらしく、 1 」ちそう 「左山さんが私の部屋に来たのは初めてですの。お紅茶御馳走して上げると言ったら、来ると言 うので、窓を開けておいたんです。入って来るなり病気になるんですもの、困っちゃったわ」
かれてあった。東京の大学へ進んだ大沢、木原、金子の三人からの寄せ書きであった。 「佐分利夫人、英子さん、貞子さんの花々しき一家は金沢から東京へ移って来た。まるで俺たち を追いかけてやって来たようなものだ。まことに君にはすまない話だが、われわれは、また、毎 週一回ずつ佐分利家のサロンに集ることになるだろう」 これは法科へ進んだ大沢。ーー鮎太は仲間の中で、この大沢が一番苦手であった。何も勉強を しないくせに、成績は常に組で三、四番を上下していた。頭もよかったが、それ以上に要領がよ くちびる りかった。唇の薄い、睫分長い顔は、鮎太には軽薄に見えたが、鮎太の知っている女たち ( と言っ 面ても下宿の小母さんや寮の小母さんたちしかないが ) の眼には、彼は美貌な青年として映ってい の こ。佐分利夫人がいっか大沢に外国製のシガレット・ケースを与えたことがあったが、それ以来 水 う鮎太はこの大沢に軽い憎しみを抱いていた。 漲「佐分利さん一家が東京に出て来て、駒込の本郷中学の裏手に居を構えました。英子さん貞子さ んの二令嬢が東京の学校へ上がるためだと言うことです。今日初めて、われわれ三人は東京の佐 分利邸を訪れました。美しい人たちはどこにいても美しいと思いました。もう大学生になったか らと言って、夫人は上等のウイスキーを出してくれました。今までのように紅茶ではありませ ん」 これは剣道二段、農科へ進んだ金子。ーーー手紙を書くとなると、いつも柄になく子供つほい文 みずま 章しか書けない男である。二十貫近い金子が、佐分利家の庭に水撒きをして半裸体になった時、 まっ こま 1 一め びぼう
習は強いなかった。 運動会があってから一カ月程した五月の中頃、鮎太には全く思いがけないことが起った。それ は夏が初めて訪れた感じの、潮の匂いの強い宵であった。鮎太はその夜、ノートを買うために、 寺を出て、 z 市の目貫き通りの方へ、散歩しながらぶらぶらと歩いて行った。 「梶君、ちょっと頼まれてくれ」 呼びとめられて、振り返ってみると、同級生の山浦が立っていた。余り成績のよくな ( ばもとかくの噂のある、痩せつほちな小柄な生徒であった。 れ「何なの」 「大したことではないんだ。今年卒業した連中が、千本浜の料理屋で同窓会をやっているんだ。 そこへ行って、二、三人の連中を呼び出してくれればいい。俺たちをよく殴った連中なんだ。そ 月 寒うそう、君も一回殴られたことがあったな」 と山浦は言った。 「呼び出してどうするの」 「あとは、俺に任せておきな」 鮎太は別にその晩用事もなかったので、山浦に言われるままに、彼と二人で千本浜へと出掛け て行った。 松林の中の料理屋の前まで行くと、山浦は、呼び出して来る先輩の名を言った。 うわさ
「好きかも知れん」 と、ただそれだけ反抗的に言った。そして、 ひ 「俺はあの無ロで、清純なところに惹かれているんだ。英子さんの方が顔立ちは美しいが、あの はずか ひとの方が心は美しいと思うな。リーダーの一行を読ませると判る。羞しそうに、静かにそれで してはきはきと それから、妻をめとらば才長けてと、突拍子もない声で彼は歌い出した。生れつき木原は音痴 五ロ十ー十ー 1 三ロ 物「ちえつ、どいつもこいつも、白線を棄てたらたががゆるみやがって ! 硬派変じ軟派となる ろ か ! 俺は帰るよ」 ←は す今度は大沢が立ち上がった。 あ「帰る帰るもよかろう。しかし金は置いて行けよ。英子さんが鮎太の顔を洗う水を汲みに行 あきら しやくさわ たかね ったのが癪に触ってるんだろう。まあ、諦めるんだな、みんな ! いずれにしても高嶺の花だ」 さかず . き 金子はそう言って、銚子を振った。彼は盃を口に運ぶか、おでんを食べるか、ロを動かしづめ に動かしていオ 大沢は本当に出て行った。大沢が出て行くと、間もなく、金子もぶいと席を立った。あとには 木原と鮎太だけが残った。木原は、 「うるさい奴らがいなくなった。しんみりと飲もうや」 ちょうし