熊さん - みる会図書館


検索対象: あすなろ物語
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1. あすなろ物語

は取り上げられないだろうと思った。 だめ 「日本人の入墨では駄目か」 「日本人のは相当資料を持っているんだ。しかし、・日本人のでもないよりよ、、 ) ーししカら、撮れるん なら撮って貰いたい。資料だから多過ぎて困るということはないんだ」 鮎太は、いっかオシゲが、彼女が出入りしている賭場のことを語った時、男の人はみんな入墨 していると言ったことを思い出し、日本人の入墨なら、オシゲに頼めば何とかなるだろうと思っ 地たのである。 民「よし、じゃあ、一人紹介する、多分その女に頼めばい、 ( と思うんだ」 植鮎太はそう言って、犬塚山次を連れて、その足で熊さんの銀河に出掛けた。 の夜が物騒だったので、熊さんは平生でも日没と共に店を閉めたが、その日は観月の宴のために、 星特に早く店を閉めたらしく、鮎太が銀河に行ってみると、木製の粗末な卓と椅子は店の隅に積み 上げられ、土間には莫蓙が敷かれ、その上に熊さん手製の食卓が置かれてあった。そして食卓の 上にはバクダンと称せられる怪しげな酒と、野菜の煮たのと、急に最近出廻り出した進駐軍の罐 づめ 詰が口を開けて、幾つか並べられてあった。オシゲはまだ来ていなかった。 「おかげで、どうやら出世しました」 熊さんは、そんな挨拶をした。 「あほらし、 185 あいさっ かん

2. あすなろ物語

そう鮎太は言った。いきなり、一つの明るい光にぶつかった気持であった。熊さんが終戦後一 番早く自分の生活の建て直しに、積極的に取りかかった人物であった。言い換えれば翌檜第一号 と一一一口ってよかった。 その翌日の午後、鮎太は言われたように、無断で他人の半焼けの土蔵を借用して開業した汁粉 屋へ出掛けて行った。『砂糖人りの甘いお汁粉』というビラが下手糞な墨の字で書かれて、その ただ 下に ( 、、『但し本日は五人限り』と断わり書きがしてあった。ビラは竹の棒に挾まれて地面に突き 語さされてあった。 物鮎太が土蔵の前の方へ廻って行くと、土蔵の扉は開けひろげられてあったが、内部は暗かった。 ろ 「能 ~ さん、いるカ ? ・」 す鮎太が声をかけると、熊さんの細君と思われる女性が、半裸体で姿を出した。 あ「何か、用ですか」 ぶあいそ 不愛想ではあったが、小作りの思いのほか清潔な感じのする女性であった。四十七には到底見 えなかった。 「おっさんは、どこかへ子供を連れに行きましてん」 - 」ぶし 彼女は、握り拳で額の汗を拭きながら言った。 「熊さん、子供あるの」 「一人おまんね。十三の女の子だそうです」 180 ふ へたくそ

3. あすなろ物語

179 い戻っては来ないでしよう」 「来たらど , っする」 「謝まって、隣へ引越しますよ。とにかく権利を奪られんように、今日、手当り次第、そこらの 土蔵へ熊井と書いた紙を貼っておきましたよ。貼らんよりはいいでしよう」 熊さんこと熊井源吉はそんなことを言った。それから判断すると、熊さんは住人のいない他人 の土蔵を、当分の間転々とするつもりでいるらしかった。それから、 もら 地「ひとつお願いがあるんです。実は、明日家内を貰うことになりましてね。今日初めて会ったん 民ですが、私と同様に宿なしで、性質はいいようです。話がすらすらとまとまりましてね。戦争も 植終ったからひとっ共同で幸福な家庭を築き上げようってわけでさあ、不可ませんか」 の「不可んことはないだろう。相手は幾つなんだ」 星「二つ上です。これだけが玉に瑕ですが、案外若く見えます。四十七です」 鮎太は、この時初めて熊さんが四十五であることを知った。 「それで明日来てもらいたいんです」 「結婚式か」 「まさか。いま時、そんなことが出来ますか。結婚式は今夜挙げてしまいますよ。明日から汁粉 屋でもやろうと思うんです。午後店開きをするからぜひ来て下さい」 「よし、来よ、つ」 あや きず

4. あすなろ物語

内儀さんは横から逆襲した。鮎太は熊さんの味方でも内儀さんの味方でもなかったが、熊さん のなだめ役に廻った。また家を壊しかねなかったからである。熊さんは、実際に、時々座を立っ きようばう ては、羽目板に握り拳を当てたり、兇暴な眼付きでそこらを歩き廻ったりした。内儀さんの方は、 終始つんとして静かにしていた。 三日間、毎日のように、鮎太は銀河に引張り出され、別れたいという内儀さんと、別れるのは いたばさ 嫌だと言う熊さんの間に板挾みになった。 地そして三日目に、やっと銀河の店を売って、その金を山分けにし、自分の子供をそれぞれ自分 民のところへ引き取ると言うことで、別れ話が成立した。 もくあみ 植「そうすれば元の木阿弥で、後腐れがなくてさつばりしてい 。わしはまた伊那へ帰ります」 の案外、さつばりと熊さんは納得した。内儀さんの方は、折角店をこれまでにしたのだからと、 星多分に店に未練はあったらしいが、結局、彼女もそれを承諾した。 まきなお 「また新規蒔直しにやりますわ、頼みまっせ」 内儀さんは言った。彼女はまたどこかで喫茶店を新しくやるということだった。 内儀さんは、熊さんには未練はなかったが、熊さんの娘には愛着があるらしく、その娘が熊さ んに連れ戻される話が出た時だけ、声を上げて、その場に泣き伏した。 熊さんこと翌檜第一号の幸福な家庭の設計はかくして、終戦後一年足らずで崩壊しなければな らなかった。いい尸 人罰同士が集って、それでいて幸福というものが撼めないことが、鮎太には割

5. あすなろ物語

内儀さんのその言葉で気付いたのだが、店の内部は、掃除こそしてあったが、ひどい痛みよう まどわく であった。羽目板は割れ、窓枠は落ち、隅には卓や椅子の壊れた木片が積み重ねられてあった。 「見ておくんなはれ」 内儀さんはもう一度言ったが、熊さんは気難しく腕組みしていた。 「ど , っしたんた」 鮎太が訊くと、 「どうもこうもあらへん。敲き壊してやった」 地 民と、熊さんは言った。内儀さんは熊さんには取り合わず、鮎太に、 植「何が気に障ったか知らないが、この始末です。自分の物を自分で壊すのは勝手や。だけどこの の家も、この家の内部の品も、わたしが半分は造ったものです」 けんか 上さんは腹を立てて、大荒れ 星幾ら訊いても、喧嘩の原囚ははっきりしなかったが、とにかく、育 . に荒れて、家を半分敲き壊したものらしかった。そしてすった揉んだの挙句、その謝罪の意味で、 熊さんは半年間、この家を出るということを承知させられたもののようであった。熊さんは詰め 腹を切らされた形だった。 「半年経ったら、もともと、ここはおっさんも半分権利があるによって、家へ人れてやりますさ。 半年経たんと、うち諾きしません」 、こ。砧太は仲裁役を買って出たが、内儀さんの方も諾かなか 内儀さんの方が理路整然としてしオ角 195 たた

6. あすなろ物語

カカ肝心の熊さんの方があっさり諦めてしまった。 「半年やな。いい广 よ、半年したら大威張りで帰って来るぞ」 「何も大威張りで来ることあらへん」 「何を言ってけつかる ! 半年経ったら、大威張りで帰って、又、家を壊してやる」 「好きなように ! そしたら、また半年や」 こうした場合の熊さんの諦め方には驚くべきものがあった。 鮎太のいる前で、熊さんは風呂敷包み一つ持って本当に出て行った。熊さんの娘さんだけは内 物儀さんが預かることにした。 ろ そんなことがあってから五日程して、鮎太は伊那谷の山村から材木の運搬の仕事をやっている すと言う熊さんからの葉書を貰った。「おばさんに宜しく言っておくんなされ。半年間ここで働き へたくそ あます」そんな事が、下手糞なペン字で書かれてあった。 内儀さんは一人になると、 えら 「豪いもんだっせ。おっさんがいんようになってから、えらい繁昌です」 と言った。実際に、店は、熊さんがいなくなってから客がよく人って来るようであった。 「でも、おっさんはいい人じゃあないか」 「いい人は判っています。いい人だけれど、学問はないし、趣味は悪いし」 ぜいたく 「贅沢を言うなよ」 五ロ 6 っ」ヾ、、 あきら なだに よろ

7. あすなろ物語

186 内儀さんが傍で言うと、 「出世ゃないか。今時、ちゃんと一軒の店を持ち、食うに困らん奴はそう沢山はいないぞ、なあ、 梶さん」 鮎太は熊さんのそんな満足そうな表情を見ていて楽しかった。 「髯を剃るんだな」 鮎太が一「ロ , っと、 語「梶さんがそう一言うなら剃らんこともないか」 物熊さんは三寸はあろうと思われる髯を、しきりに、大きな掌で撼んでは引張っている。 ろ 「ごろっきみたいー 汚いったらありはしない」 す内儀さんは、熊さんの髯を前から嫌っていた。 あ「ごろっきゃないか ! ごろっきで悪かったな。そのごろっきのお蔭でお前は倖せになったんじ ゃあない力」 「あほらし、 鮎太はその日初めて、顔に薄化粧をしている内儀さんを見た。育ちは内儀さんの方が少し上等 さんが時々自分の趣味に合わぬ人物に見えてい らしく、そんなことから、内儀さんの眼には、 るようであった。 犬塚山次は、こうした場所には全然慣れていないらしく、黙って酒のコップを取り上げては、 きら しあわ

8. あすなろ物語

「酒と言うものは何年振りかな」 カふりがぶりと飲んでいた。 そんな事を言っては、・、、、 「大丈夫か」 鮎太が注意すると、 「大丈夫だろう」 クダンを喉に流し込んだ。 やたらに食卓の上の物を頬張っては、バ はず 地「オシゲさん、まだかな、遅いな。あの子が来んと、どうも弾まなくて不可ん」 民熊さんは時々立ち上がって行っては、扉を開けて戸外を覗いた。 植「しようもない ! 女の子だと言うと眼尻を下げて。鏡を見てごらん」 しっと の内儀さんは、そんな熊さんに嫉妬した。 しい年をしゃあがって」 星「お前さんだって男の客の時は返事が違うじゃあないかー 熊さんは熊さんで、やはり内儀さんに嫉妬していた。 さん夫婦がやはり幸福そうに見えた。 鮎太の眼には、 月が焼跡のビルの上に上がった時、スキーズボンの上に、真赤なセーターを着て、最初見た時 とは見違える程綺麗な服装になっているオシゲが飛び込んで来た。 彼女は店へ一歩踏み込んで、 「連れがあるで、ええか ? 」 187 きれい のど

9. あすなろ物語

8 「あの人はいい人です。うちより余程いい人です。でも、あの髯面を見ると、うち、かないませ ん。あの人のいいとこが、みんな嫌になってしまいます」 「まだ髯を生やしてるの ? 」 「そうですがな」 「じゃあ、僕が剃らしてやろう」 「剃ったって同じことですがな。剃ったらおっさんらしくなくなって、変なものですわ」 五ロ 鮎太は内儀さんを社の客室へ人れて、そこで、真剣に話を聞いてみた。あれこれ訊いてみた挙 物句の果てに到達した結論は、内儀さんが結局は熊さんを段々嫌いになって行くということであっ ろ す終戦直後、二人が一緒になった時はいい人だと思ったが、世の中が次第に正常に戻るにつれて、 あその熊さんのいいところが、だんだん嫌になって行く。そういう内儀さんの気持も言われてみれ ばなるほど判らぬこともなかった。熊さんの持っているよさには、確かにそんなところがあった。 その晩銀河の店で、熊さんと内儀さんと鮎太の三人は、言葉少く酒を飲んだ。熊さんは、髯面 の中で、眼をぎらぎらさせて、 「半年間清浄でした」 ごうぜん そんなことを倣然と鮎太に訴えた。 「まだ半年にならへんが」 」 0

10. あすなろ物語

183 の硬派の不良少女だった。気性は鉄火だったが、眼を細めて笑うと、色の黒い顔がひどく優しく なり、むつつりと黙っている時の横顔は、鮎太が何かの写真で見た外国の宮廷の皇女に似ていた。 ひげづらー さんの家を覗いた。髯面の熊さんの大きな それから鮎太は毎日のように、新聞社の帰りに、 躰の向うで、内儀さんの小さな躰が、こまめに立ち働いていた。 一見すると、似合の夫婦であっ た。しかし二人がそれぞれ子供を連れていることに、何か二人の間をしつくりさせないものがあ るようであった。内儀さんの連子は八つの男の子だった。 地「どうも、俺の娘よりも、自分の子供の方にいいものを食わせていると思うんです。それでなく 民て、ああ、まるまると肥るものではない」 植内儀さんがいない時、熊さんは鮎太にそんなことを言った。しかし、これは内儀さんの方も同 のじだった。 星「どうです。どこから仕入れたのか、おっさんと来たら、娘にあんな純綿のシャツを着せてやっ て。幾ら働いても、せいがないことですわ」 そんな愚痴をこばしたしかし、子供の事以外では、二人は仲睦じいようで、お互いにおっさ ん、おばさんと呼び合って、朝から晩まで汗を出して立ち働いてい はたけ 熊さんの店は終戦後一カ月の間に二回変った。最初の土蔵が二人の手で整理され、小さい畠が 耕された頃、持主がやって来て立ちのきを要求したからである。熊さんは仕方ないので、近くの 他の土蔵に変り、そこで店を開いた。二軒目の土蔵の時から、店には毎日のように客が立て込ん からだ おれ むつま