幻 2 たが、今ひとつ重要なファクターは、絵画的性格ということである。この絵画的性格は『北国』 の中の詩にもはっきり認めることができる。それらの詩はほとんどが、中心に静かな絵画的風景 を抱いている。しかもこの絵画的イメージは常に輪郭鮮やかで、澄明である。たとえば、『比良 おお のシャクナゲ』の中心には、比良山の斜面を蔽う白いシャクナゲの群落というイメージが据えら うず たたず れている。『記憶』には、どこかの駅の柵のそばの暗がりに佇む父母の姿がある。『渦』には、熊 のなだ 野灘の鬼ケ城の岩礁の間の渦が明確なイメージを結んでいる。重要なことは、それらの明確なイ 語メージが、単なる絵画的イメージではなく、作者のポエジーを籠めた心象風景となっているとい 物うことである。それらの心象風景に一貫して流れているものは孤独の影である。 ろ 井上は詩集『北国』の「あとがき」で、「私はこんど改めてノートを読み返してみて、自分の す作品が詩というより、詩を逃げないように閉じ込めてある小さい箱のような気がした」と言って あいる。もちろんこれは、自作に対する極めて謙虚な注釈であるが、このなにげない言葉が、井上 の詩から小説への筋道の秘密を説き明かしてくれるように思う。井上靖の詩は小説のパン種だと いうことがよく言われる。事実井上の小説には、『猟銃』『比良のシャクナゲ』『渦』など、詩と 同じ題名を持ったものが多い。言ってみれば井上は、文学のエッセンスとしての詩をまず散文詩 という形で捉え、閉じこめ、やがてそれを小説という形で肉付けしたということができる。『北 国』の詩が井上靖の文学の基礎となったと言ったのはそういう意味である。 従って井上の小説、特に短編には、詩と同じように絵画的イメージを抱いたものが多い。『グ
214 三十年の余生を送った父隼雄など、井上家の家系を辿るとこうした人物が多い。井上靖の中を流 れる『姨捨』の血がいかに濃いかが、窺えるであろう。 井上は『私の自己形成史』の中で、新聞記者時代を回顧して、こんな風に言っている。 マージャン 「新聞社という職場は競争心を持った人たちと、全く競争心を放棄し、麻雀で言えばおりてい る人たちの二つの型が雑居しているところである。私は新聞社に人社した第一日から、好むと好 かかわ まざるに拘らず、おりざるを得なかったのである」 五ロ 「おりる」という言葉は、「遁世の志」の井上的表現であろう。『ある偽作家の生涯』や『澄賢房 物覚書』の主人公たちも、『敦煌』の趙行徳も、いわば人生をおりた人たちである。ところが他 ろ 方で井上は、「私は父と母の退嬰的な生き方を敵として、すっとそれと闘って来た筈であっ すた」 (? 私の自己形成史』 ) とも言っている。そういう激しさは『闘牛』『黒い蝶』『射程』などの作 あ品に表われているが、それもただ行動的というのではなく、それぞれに深い虚無の翳を背負って いる。これらの人物の行動性が無償の情熱という形を取るのもそのためである。井上の作品はよ く、二つの処女作に従って、『猟銃』系統と『闘牛』系統の二つに分類して論じられることが多 いが、それもつまりは一枚の盾の裏表のようなものであって、『猟銃』の孤独な世界と『闘牛』 の行動的な世界は、遁世の血とそれに反抗する行動の激しさという、井上靖内部の緊張対立を極 めて暗示的に示している。 人生を水の涸れた一本の川筋と見る考え方は、やがて発展深化して、『天平の甍』をはじめと たいえいてき たど
217 頼』などの時代小説も、すべてこの時期に発表されたものである。井上の恋愛小説が多くの人に 迎えられた原因は、井上の描く恋愛が常に、功利とか金銭とか名誉心などの世俗的要素を除外し た場所で、純粋に恋愛感情そのものとして取扱われているからである。従ってその恋愛は必然的 に、男女が互しー 、こ愛を確認し合った時に終るという形を取る。これを私は「恋愛純粋培養」と呼 そうりよう んだことがあるが、これが読む者に一種の清潔さと爽涼の気を感じさせるのであろう。そういう 視点を取らせるものは、もちろん井上の詩人の眼である。いすれにせよ井上は、『あした来る人』 『氷壁』によって第一線作家の地位を揺がぬものとした。 作 現代のように巨大化したジャーナリズム機構の中では、小説家は納得の行く作品を細々と書い 人て次第に忘れられて行くか、多作に自滅するか、いずれかの道を取りがちである。その中で考え 靖られる唯一の可能性は、時代のジャーナリズムの要請に応えながら、同時に作家的にも脱皮成長 井して行く道である。これは言うに易く、行うに難い道であるが、井上靖はこれを実行した最初の 作家と言ってよかろう。新聞小説によって自らの地歩を揺るがぬものとした井上は、徐々に歴史 小説への脱皮をはかり、見事にこれを実現した。井上が象徴的な意味で現代の作家だというのは、 そういう意味である。 とうりき 現在の井上靖は、短編集『月の光』『桃李記』に見られるように、小説とも随筆ともっかぬ形 で身辺や肉親知友を描きながら、そこに個性を越えた人間の原存在を見ようとしている。物の表 面の奥にあるものを見ようとするのは、もちろん、長い間物の形とイメージを見つめ続けてきた
する一連の歴史小説の中で生き続けて行く。井上靖の歴史小説の底を流れている思想は、悠久な ほんろう 時の流れの中で翻弄される人間の頼りなさ、はかなさの中に人間の運命相を見るという考え方で ぎようが ぎよくわんき ある。これら歴史小説の先駆をなす作品としては、『異域の人』『僧行賀の涙』『玉碗記』などの 短編があるが、「白い河床」から歴史的運命観への飛躍にとって過渡的な意味を持つのが、『澄賢 房覚書』「ある偽作家の生涯』の二作品である。人生を水の涸れた川筋と見るという意味では、 この二作品はまさに「自い河床」をそのまま具現していると言っていいであろう。 がんじん 『天平の甍』は、日本に戒律をもたらすために、唐の高僧鑒真を招こうと、遣唐船で唐に渡った 品 作 四人の留学僧の物語である。それは個人の意志や情熱を越えて、自然及び時間と戦う人間の運命 と 人的な姿である。ここに脈打っているものは、歴史そのものの鼓動であり、運命の鼓動である。こ そんたく 靖こでも絵画的手法は生かされ、登場人物の心事の忖度は厳しく排除され、明確な形象だけが積み 井上げられて行く。するとその背後に、どうしようもない運命の姿が浮び上がってくる。それは 「白い河床」の発展深化した叙事詩の世界である。 ろうらん 『楼蘭』になると、この手法はさらに徹底して行われる。千五百年の周期で沙漠のなかを移動す る湖。丁度その移動に当って、水の引いて行く口プ湖のほとりで砂に埋もれて行く一小国。この イメージ自体が既に歴史と自然の持っ壮大なポエジーである。ここでは登場人物は遙かな遠景の 中の点と化し、歴史そのもの、運命そのものの顔が大写しにされる。 これ以後、敦煌千仏洞成立の由来を作家的空想で埋めた『敦煌』、ジンギス汗を描いた『蒼き 幻 5
と、鮎太が言うと、金子は、 「淋しい ? 人間というものはもともと淋しいものなんだ」 ろれつ と呂律の回らぬ舌で言った。それを聞き咎めた大沢は、 「女々しいことを言うな、淋しいのは人間ではなくて、日本の国だ」 と言った。その時に限らす、今度鮎太が会ってからの大沢の言辞は、見違えるように左翼的に なっていた。 語四人の中で真先きに有名になったのは大沢であった。 物 いつ大陸の方で戦争が勃発するか判らず、毎日の新聞の論調も国家主義一色に統一きれている ろ 時代であった。ある朝鮎太は第何次かの左翼結社の検挙が大きく各紙の一面を埋めているのを見 すた。その中に大沢正秋の写真と名前が出ていた。鮎太が九州で迎えた二度目の春のことである。 あ文字通り鮎太は胸を衝かれた。新聞には何十行かの大沢に対する説明が載っていた。それに依 ると、彼はいっからそうなっていたか知らぬが、全国の大学に於ける左翼分子の指導的役割をつ とめていたということであった。 大学の前の舗道で彼は検挙されたが、その際逮捕に向かった私服警官を二人も路上に投げ飛ば していた。どちらかと言えば、繊弱な彼の躰に、そのような戦闘的な力が匿されていようとは、 ちょっと考えられぬことだった。 鮎太はそうした大沢と、英子への贈り物のしゃれたライターを佐分利家の応接室の机の上に置 102 ばつばっ とが
ケロイド瘢痕を隠し、妻の愛を取り戻すため 安部公房著也人の顔に他人の顔をプラスチックの仮面に仕立てた 男。ーー人間存在の不安を追究した異色長編。 突然、自分の名前を紛失した男。以来彼は他 人との接触に支障を来し、人形やラクダに奇 安部公房著壁 戦後文学賞・芥川賞受賞妙な友情を抱く。独特の寓意にみちた野心作。 砂穴の底に埋もれていく一軒屋に故なく閉じ 安部公房著砂の , 女込められ、あらゆる方法で脱出を試みる男を 読売文学賞受賞描き、世界数カ国語に翻訳紹介された名作。 ナチ拷問に焦点をあて、存在の根源に神を求 遠藤周作著白い人・黄色い人める意志の必然性を探る「白い人」、神をも たない日本人の精神的悲惨を追う「黄色い人」。 芥川賞受賞 何が彼らを一、のような残虐行為に駆りたてた 遠藤周作著」海と主毋薬のか ? 終戦時の大学病院の生体解剖事件を 毎日出版文化賞・新潮社文学賞受賞 小説化し、日本人の罪悪感を追求した問題作。 時代を異にして留学した三人の学生が、ヨー ロッパ文明の壁に挑みながらも精神的風土の 遠藤周作著田 学 絶対的相違によって挫折してゆく姿を描く。
「頭はいい人ですが、研究が趣味的というか、どうも横道に人りましてね。あのままでは、学位 を取るというわけにも行かないし、惜しい人ですが、ちょっと困り者ではないんですかな」 と言った。大学関係でも、犬塚山次は変人と目されているようであった。 しかし、その時、鮎太は、その教授が「もう研究どころではありませんよ」と言うのを聞きな たいしは がら、犬塚山次の風貌を対蹠的に清潔に眼に浮かべたものであった。彼こそ、戦争末期に於て、 鮎太が発見したただ一人の翌檜であった。 地終戦の詔勅が放送された日、鮎太は終戦の日の町の表情を記事にした。社会面の大半はそれで 民埋められた。町の表情と言っても、市街の大部分は焼野原と化していたので、そこらをうろつい 植ている人々の虚脱した姿や、会話を、そのまま記事にしたわけであった。 の記事の取り扱いは全く鮎太にも判らなかった。明日の日本というものが判らない以上、どのよ 星うな事をどのように書いていいものか見当はつかなかった。鮎太はただ客観的にそれを何十行か の文章に綴った。 しかし、これは鮎太が何年か振りで書いた何の作為も主張も持たない記事らしい記事であった。 みたて 何の飾りの前書きも要らなければ、必勝の信念という言葉も、国の御盾という言葉も要らなかっ た。あるいは鮎太が新聞記者になってから書いた初めての、当然そうあるべき本来の新聞記事と いうものであったかも知れなかった。 鮎太は夕方新聞社の建物を出た。夏の陽はやっと落ちたばかりで、一望の廃墟には、白っほい 177 はいきょ
沼津中学時代のことを描いたのが『夏草冬濤』である。『夏草冬濤』では、性のめざめと文学 の芽生えと並んで、モチーフのひとっとなっているのが劣等感情である。作品の至るところに、 田舎育ちの少年の都会風に対する劣等感について触れられている。特に親類の「かみき」の美し い姉妹に対して示す、少年の異性への興味と田舎者の気後れの混り合った感情は印象的である。 劣等感情は、母性思慕と並んで、井上靖の文学を支える重要なファクターのひとっとなってい る。この劣等感は田舎者の気後れに発したものかもしれないが、それに更に拍車をかけたと思わ 品れるのが、相次ぐ受験の失敗であろう。普通に入学したのは小学校だけで、あとは中学、高等学 校、大学いずれも忠実に廻り道をして、大学を卒業した時には、二十八歳の妻帯の身であった。 人これが少年の鋭い感受性に及ばした影響は計り知れないものがあろう。井上自身『私の自己形成 靖史』の中で劣等感に触れ、「そしてこの劣等感は、いろいろな形を変えてかなり後年まで私とい 井う人間を支配した」と言っている。 自伝的小説『あすなろ物語』は、明日は檜になろうと思いつつ永遠に檜にはなれないという悲 しい説話を背負った木に託して、自分自身の半生を、劣等感というひとつのモチーフで貫いて小 ちょうけんばう がん 説的に構成したものである。その他、高野山の破戒僧を描いた『澄賢房覚書』や、日本画の贋 ぎさくか 作を描く画家の足跡を拾った『ある偽作家の生涯』も劣等感を軸としており、また、うたた寝を とん・」う ちょうぎようとく して進士の試験の機会を逃す『敦煌』の趙行徳の姿にはい作者自身の姿をも重ね合わすことが できょ , つ。 209 ひのき
げん・」う 狼』、元寇を朝鮮側から描いた『風濤』、大黒屋光太夫の漂流と流浪の生涯を辿った『おろしや国 すいむたん 酔夢譚』と、歴史小説の大作が相ついで発表される。『天平の甍』から『おろしや国酔夢譚』に 至る歴史小説の展開において、ひとっ指摘しうることは、『敦煌』や『蒼き狼』で多少の偏向と 振幅を示しながらも、井上が次第に年代記的、記録的手法を固めて行っていることである。これ には『蒼き狼』をめぐる大岡昇平との論争も影響を与えているかもしれない。 特に『風濤』と 『おろしや国酔夢譚』では、さながら煉瓦をひとつひとっ積み上げて外壁を築き上げるように、 五ロ 正確な史実と明確なイメージが丹念に積み上げられ、その背後に言わず語らすの間に運命の姿を 物浮び上がらせている。それは「白い河床」の極まった姿と言っていいであろう。 ごしらかわいん ぬかたのおおきみ ろ 井上はまた、『額田女王』や『後白河院』などの歴史小説で、日本の古い時代にも照明を当て じゅじゅっ すている。『額田女王』は、巫女であり、同時に歌人でもあった額田女王を描いて、呪術と芸術が あ分ち難く結びついていた時代にさかのばり、芸術の本然の姿と、古代人の心を探っている。 今ひとっ指摘しておかねばならないことは、井上靖が象徴的な意味で現代の作家だということ である。井上が芥川賞を得て文壇に登場した昭和二十五年は、中間小説と新聞小説の勃興期に当 る。幸か不幸か井上はそういう時期に文壇に出たのである。中間小説と新聞小説は昭和三十年頃 に最盛期を迎えるが、井上もまた昭和三十年を中心とするほば十年間に、これが一人の人間に書 き得るかと思われるほど多くの作品を発表している。 『あした来る人』『氷壁』『満ちて来る潮』『憂愁平野』などの恋愛小説も、『風林火山』『戦国無 216 ふうとう ばっ - ) うき
を忘れなかった。 しかし、鮎太は六歳の時からこのおりよう婆さんに引き取られていたので、すっかりこの戸籍 - 上の祖母になついていたし、祖母もまた、鮎太に親身の愛情を感じていた。誰に判らなくても鮎 太にはそれが判っていた。 毎月、都会の両親から、二人の生活費が送り届けられた。おりよう婆さんはその生活費を切り 詰めて、自分の酒代と、それから自分にとっては唯一の血縁者である、半島の突端の港町で飲食 ねんしゆっ 語店を開いている妹のもとに送る幾らかの金を捻出していた。その金は妹の一人娘である冴子をそ 物の町の女学校に通わせる学費であった。おりよう婆さんは、その姪の学費を、毎月郵便局から六 ろ 里隔たった港町へ送金していたので、この事は村では誰一人知らないものはなく、これが村に於 すけるおりよう婆さんの悪評をより決定的なものにしていた。 あそうしたおりよう婆さんに関する風評は、何となく、子供の鮎太の耳にも入っていたが、どう して村人が祖母のことを悪く言うのか、その理由はよくは納得行かなかった。 「すっかり坊は人質に取られて、喰い物にされとる ! 」 鮎太の身に集る村人の眼は、彼が両親から離れているという事も手伝って、常に同情的であっ 」 0 「自分が酒喰らうくらいなら、大切な坊にうまいものを喰わせればいいのに ! 」 そんな声も耳にはいった。