思う - みる会図書館


検索対象: おとうと
218件見つかりました。

1. おとうと

おとうと いろどり 祐はでな彩を重ねて、つくねてある。どこかから帰ってきたとみえる。げんはさりげなく偵察す る。いくどもこんな状態に逢っているから、さりげなくきき出すコツを知っているのだった。ぶ つつけに直接なききかたをすれば、母というひとはきまってぎくっと硬化した態度ではねかえす ひとなのた。たから直接でなく、脇からたずねて本筋へもって行かなくては駄目なのだ。 「お父さんはまだ書斎 ? 」 「そうのようね。」 「碧郎さんもまだ帰って来ないの ? 」 「お父さんと話してるんでしよ。」 これでは何もきき出せないと思ってたちかけると「げんちゃん、あたし少し気分がよくないの ふきげん よ、お夕飯のしたくあなた一人でして頂戴ーとうしろむきのまま云いつけられる。げんは不機嫌 だ。不安だからこそ、よけいな気をつかいつつものを云っている。泣いていたと察して気の毒に ーカま 思うからこそ、案じる気持でいるのだ。それを袴もとらないうちから、夕飯の仕度を命令される。 おお 冷淡さは覆えない。好意をはぐらかされて、げんはすぐ腹をたてる。母にこんな態度をとられる はず ことはしばしばなのだのに、それをうまく外すことには慣れなくて、いつも不器用に不快にされ てしまうのだ。そうすると、「どうせまた何か嫌なことがあったのだ。かあいそうに母さんも ! 」 たちま という同情は忽ち消えて「母さんて、なんてぎすぎすしているんだろ」と思ってしまう。 羽織と袴をぬいで、代りに前かけとたすきをかけて、しぶしぶげんはまた母の部屋へ行く。 「お献立なんでしよう ? 」 わき

2. おとうと

何を云っ た。鴇色の花。もう我慢ができなかった。廊下へ出た。ことははとおかせるつみ、 てるんだろう。そくそくするほどいやだった。 受付のところにいた。夢中で二階から降りて来て呼びと 「あの、どちらへかお出かけで ? 」 められたのだが、そこに白い人が二人立っていた。一人は今夜から碧郎専属になる派出看護婦だ っこ 0 「浦部さんです。一等看護婦です」と紹介され、も一人はここの婦長だなと推察された。それは いちはや 碧郎が担架のなかから逸早く目礼したそのひとだった。そして、それなりげんは、まだ続いてい AJ る「おかせるつみ」の合唱をあとに往来へ出、タクシーへ乗ってしまった。なんにも考えられず、 ッ 0 、 0 、 / カ歩いたり、碧郎の額に 太妓が鳴ったり、白さがひらっとしたり、しんとしたところへスリ、 と汗がほろっところび落ちたり、果物屋が見えたり、 げんは父親にぎよっと見られた。べたんとすわった。母親も出て来てすわった。わあっと泣い てしまった。 「どうしたんだ、え ? どうしたんだ。」 「碧郎さんの容態なの ? 」ひやりとして鎮静した、一気にげんは鎮まってしまった。父も母も・ : : ・碧郎を心配している ! そうだ、碧郎だけなのだ。両親は碧郎のことだけしか思っていない、 とわかった。うらめしかった。恥かしくもあった。消えいりたかった。帰ろうと思った、病院へ。 だから急いで云った。「碧郎さんはしばらく様子見てからでないとどっちと云えないそうです。 絶対安静です。おしもも御飯も臥たままということです。話もいけないそうです。いま注射で睡 とぎいろ

3. おとうと

はかまけ ない。調子をあわせなければ置いて行かれてしまう、袴を蹴って見え隠れするげんの足にならん てス。 ( ツツの靴が出たりひっこんだりする。えらい勢いで、えらい速さで二人は歩いた。 しばらく行ってげんはおもわす愉快になり、にやっとした。少しだけだがげんのほうが高いの 。こ。だから歩幅も心もちげんが広い。そのために彼は何歩目かに一歩小足を足して調節しなくて そろ はならない。めまぐるしく彼はびよこびよことやって足なみを揃える。若い大柄な女学生が悠々 と西洋人のように歩き、あまり若くない小柄な男がケーンを持てあましながらびよこびよこと足 なみを揃えていることは、げんにとって不愉快を愉央にし、こんこちの頸に自由を与え、かっ唇 と をにやりと緩めることであった。こんなの、なんでもないや ! と思う。 土手の半分以上を来たところに神社が二ッと、お寺さんが一ッと隣りあわせにかたまっている と処がある。云いかえればそれは、広くて静かな人影が少い場処がある、というわけにもなる。も う当然、様子がおかしいと察したからだろう、ス。 ( ツツはせかせかとして、話をしたいからその お 境内へ行って休もうと提案した。 こわがりん坊じゃない 人気がないということが、あぶないと思わせた。初夏の陽はまだ高い。 そ、と思った。それに、逃げる段になれば足はこっちのほうが速いことはわかっていたし、背も げんのほうが高いのだ。それはさっきから優越を感じさせてい、すっかりゆとりを持たせてい る。それでも一度は云う。「なんのお話しでしようか。」 「なんの話と云っても、歩いていては話せんですから、 「はあ、じゃあ伺いましよう。」とそこへとまった。往来である。人も車も牛も通る。河からも 10 ]

4. おとうと

「ひつばったんじゃないんでしょ ? 碧郎は姉を見た。げんはその眼を受けることを知っていた からたじろがない。 「ひつばらないさ。」小石を蹴飛ばし蹴飛ばし弟は行く。「あいつら嘘つばちばかり上手なんだ ぼくがあんまり悔やしかったから、はっきり云え、 よ。いつひつばったって云うんだー つばった ? って云ったら、ひつばられたような気がした、なんてごまかすんだ。でもそういう ことにされちゃったんだ。」 「ほんとはどうなの ? 」 と 「ほんとは、・ほくとも一人と駈けだして鉄棒のところへ行ったんだけど、行きついたとき・ほくの ほうが一ト足さきだった。だから飛びつこうとしてちょっと屈んたんだけど、そのときたしかに と背中どんと突かれたんだ。それで、ぶらさがっていたあいつに触ったことは触ったんだけど、足 なんかひつばりはしないよ。ほんとなんだよ。第一、あいつのこと別になんとも思ってやしなか お ったんだ。足ひつばるなんて下等だ。」 げんはそれを信じる。「で、どっちがどうなってころんだの。」 「・ほくが下になってやつが上からどさっと来たよ。だから変なんだ、腕が折れるなら・ほくのほう が折れるはずなんだがな、そうだろ、屈んで両手伸ばしてるところを上から重なられちゃ、どう してもぼくのほうがだめになるわけなんだが、・ほくなんともないんだ。」 「あんたが起きるとき、その子痛い痛いって云ったんじゃない ? 」 「だって・ほく、あいつおっぺして起きたってお・ほえないよ。どんと背なかを突かれて、ふわっと さわ

5. おとうと

「ああ、ここがげんさんの学校でしたか、偶然ですなあ、ここがそうでしたか。」 たちま けいべっ 友達は一ト眼でこのへんてこな服装の男を軽蔑し、またあっけにとられて見てい、忽ちうなず きあい、げんを残して早足に停留所へと離れて行った。 男はそれを眼で送りながら、「あっちへ行くとたしか三丁目でしたですな。こっちへ行くと市 ヶ谷、こっちは九段の見当ですか、げんさんいつもどっちへ行かれるですか。偶然お眼にかかっ たのですが、ちょうどいい折ですから、そのへんまで行くうち多少碧郎君のこと参考にきかして くれませんか。しかしですな、別に強いてとは云わんです。」 と げんはもう立てなおっていた。こんなのに負けるもんか、こんなスパッツ野郎がでかだなんて うと思うから、われながら切口上になった。 「どんなご質問でしよう。往来歩きながら私、お話したことございませんけど、もしなんでした と ら学校のなかの応接室つかわしてもらいましようか。学校では生徒へ用のあるかたは皆そこでお お 話することになっています。」 男は微笑しながら名刺入を出し、沢山の名刺をごたごたさせてゆっくりと一枚をぬきだし、き ざに人さし指と中指にはさんでさしだし、「清水緑郎です。なんとなく碧郎君と似たみたいな名 でふしぎなご縁だと思うのです。」 受取らないわけに行かず、男から名刺を渡されているところなど友達に見られたくはなし、ス パッツ野郎はげんよりよほど役者が上である。 「見られとるようですから、歩いたほうがよくないですか。年頃の娘さんの学校はうるさいです

6. おとうと

てよこすだろう、長引くとか何とか。」大がタ食を催促してげんのあとしりついてまわるが、人の 心を見抜く利ロな動物は頸を抱きよせられると、じっと素直にいつまでも抱かれていて哀しい 暮れきって母は労れた顔つきで、弟を連れて帰ってきた。いつもならもう仕事をきりあげて茶 の間へ来ている父なのに、今日は机の前から立たずに碧郎を待っていた。母はそのまま父のとこ ろへ行ったが、碧郎は促がされても父の前へ行くのを無言で拒んだ。「どうしたの ? 」ちょっと めがしらめじり 眼をあげて姉のほうを見、すうっと涙が眼頭と目尻へ盛りあがってこぼれた。「知らねえや。」瞬 間をおかず哀しさが姉へのりうつってきた。そうだろうと思ったのはあたっていた、とげんは判 断した。「でもね碧郎さん、お父さんはあんたのことを心配していたのよ。心配ないからお父さ んにあんたの云いぶんを話しなさいよ。考えて下さるわ。」「嘘だい。先生の前でさんざ母さんに と云われたそ、主人はこの子をかわいがりすぎてわがまま放題にしたので、今では手におえなくな しか って時々は困っています、なんて。きつく叱ってもらいます、なんて。父親も嘆いておりまし お た、なんて。 どっちがほんとなんだ , どうせ・ほく、僕 : : : 」と云うと、いきなり立って納 戸へ行き、納戸の壁へ蜘蛛のようにへばりついてしまった。 父親が報告を一ト通り聴いてから納戸へ行った。かなしいのを隠した口調で、「おい、出て来 いよ。お父さんと話さないか、おまえもくたびれただろ。こっちへ来て飯でもたべようじゃな、 か、姉さんが何かこしらえているよ。」げんは父を、 いいなあと思って胸がつまった。でも父は 泣いている碧郎をほうり出したなり、茶の間へ来てしまった。それ以上は優しくしないらしかっ だいどころ た。げんも台処から炊事から動いてはいけないというような、妙な意地を自分でこしらえて、耳

7. おとうと

どんで姉を試み、そして死んで行くのだろうか。そんなことは父にも云えないではないか。うど だいどころ んは台処で、台処はげんなのだ。ひつばたきたいのだ。どこを、だれを ? 碧郎はもう助からな いと、げんは思った。 「ああ、愛情が遅かった。姉なんてなんだ。役にや立たないんだ。」 うどんを境にして、碧郎はげんに対してはもうまるきり素直になった。そう素直になられてみ ると、いままで自分たち姉と弟の間はどんなにたくさん素直でないものがあったかがわかる。こ れまでは優しくしあうのはてれくさかった。あまり行届きすぎると弱点を見られたように腹を立 てた。それがいま碧郎はすらすらと、「そんなに優しくしてもらっちゃ済まないな」と云い、「姉 と さんありがと」と云い、「むかし、ほら、子供のとき姉さんこんなことしてくれたろ、あれ嬉し かったな」などと話した。げんは競争の思いである。碧郎の素直さ優しさにならんで走ろうとす と るのは骨が折れる。そして、自分一人でこのいい碧郎を見ていたんじゃいけない、父にも母に も、ーー・そう、母にもだ、見せなくてはいけないと考えた。そこがげんにとって重荷だった。母 お と碧郎とはむずかしいと思えた。 たまっき 碧郎は父親の好きなことを話題にした。釣だとか球突だとか。父親は碧郎の好きな映画のこと を話した。機嫌よくほとんど父親が一人でしゃべって彼を笑わせた。帰りに、「大層いいようた よ、つに、 : もっとよくしてやりたく思うんだが、なんでも好きなように な。ま、よけりやいし してやってくれ。心残りのないようにな、あれにとってもおれたちにとってもね」と云った。 母は案の定、ひどくぎごちなくはいって来た。碧郎もふっと固くなった。げんははらはらする、 「足が悪いのに、わざわざ大変だったね。ぼくずっと調子いいのに。」

8. おとうと

お あって、時々の張りあいはままあるのだそうだ。不良どもは通じあっているし、学校同士は弾き あっている。そして碧郎は深く考えて受験したわけではないけれど、そうしたまわりの状態が彼 のために好都合だったのであるらしい。父はその云うとおり、ほんとに裏からの運動などしてい ない。母は自分が面倒を見たキリスト教の学校から、詳しい相談もせす息子自身が勝手に出かけ て行って、仏教の学校に入学してしまったことでこだわっていた。 日がたつにつれて、碧郎は相変らすののんきを発揮しだしている。姉と弟は通学の土手を行く。 もう碧郎は決して弁当を持って行かない。。 ( ンを買うと云って、母からでなく父から直接に昼食 のための特別支出を貰っていた。弁当でなく毎日パン食をすることがなぜそんなに嬉しいのかわ からないけれど、彼はそれを誇りに思っているらしい。げんには一年まえの弟といまの弟とが、 大ぶ違ってしまっているのを感じている。パンを誇りにしているところなどは依然として子供だ けれど、大人っぽい目方が出てきたことは争われない。たった一年のあいだに相当いろんな目を 見てきたし、いまは転校生の度胸のようなものを身につけている。 弟が去年と変ってしまったことは、・ けんに時々割りきれない感傷を起させるのである。たとえ のぼり ばそのときはちょうど五月のお節句に近い頃だったので、土手下の家々にはいくつも幟が立って いた。幟は去年と同じような眺めである 9 いつも真鯉ばかり飾る家は今年も真鯉ばかりである。 ごしき うろこきんばく 五色の吹き流しに緋鯉を一つだけの家、矢車が歯っ欠けの家、鯉の鱗の金箔が剥げている家、み な毎年通りである。それが今年は去年とちがっている。つまらないただのお節句の景色でしかな くなっているのだ。弟が大人っぽくなったことは、姉に鯉幟を楽しく思わせない結果になってい ひごい なが

9. おとうと

く、「掻ッ払いをした弟を持って平気かい、ねえさん。ほんとに負け目感じてないかい ! 」 碧郎の云うことは勝手なところもあるけれど、いやに真剣であった。げんは弟に負けたと思っ た。「ごめんね、碧郎さん。」 こ聴いたのか云わない。「おれの知ってる人間をねえさんは 碧郎は見ていた人が誰なのか、誰冫 自分もみんな知ってると思ってるのか。ねえさんなんかの知らないおれの友達ってものもあるん こムち だ。」と云い、「そいつはね、あそこの小径を抜けるつもりで土手から下りて行ったら、偶然ねえ さんがへんなやっとならんでいるのを見たんだってさ。通り抜けられないから、ひっかえして袖 とがき 垣のところから見ていたんだそうだよ。そうしたらねえさんが逃げて、鵞鳥ががあがあやって来 うたんで、おかしくなっちゃったって云ってた」と笑ってごまかしていた。 と「それよりねえさんはどうするつもりだい。」 「どうするって何を ? 」 お 「のんきだな。これで終るはずないさ。今度また尾けられたらどうする気 ? 」 「まあ、まだ絡まれるって云うの ? 」 「絡まれるとおもうな。向うから云えば折角しかけたつりばりだもの、これきり終りってことは ないや。」 。、ツツはしつこかった。碧郎に云わせると、そのしつこさはげんに惚れて その通りだった。ス′ いるゆえのしつこさではなくて、儲けようとするものが有利な条件を見すててはおけないしつこ さなのだという。「まちがってもねえさん、惚れられたなんてことないんたよ。」と云うが、そう

10. おとうと

からな。応接室もいいけど、かえってげんさんが困ることになると思うです。いずれ署のもんだ と身分を云うことになるですからな。」 先へ立って歩いて行く。 こうじまち 糀町から隅田川を越してうちの近くまで送られてきた。碧郎のことなど特別な質問は何もなく て、父が何時に起きるかの、母がご信仰の集りに出かけるかのと、つまらないことをぼつんぼっ たたす んと訊くだけで、電車に乗っても隣に腰かけられてしまうし、歩けば並ばれてしまうし、佇めば 寄添われてしまうし、ことに土手へかかってからは散歩みたようなゆっくりした歩きかたへおっ と きあいさせられた。何のためにこんな思いをさせられるのか。一人の男の子がいけないことをす げんはすっかりくたびれさせられ ると、なんにもしない者までなぜこういう目にあうのか、 とて、神経だけでぶつぶつ不平を云っていた。 それだのにうちへ帰りついて一ト休みすると、このことは両親に話すまいとする気になってい お た。なぜという理由はない。もし云うなら、父母と密着していない状態からだと云える。弟の場 すきま 合を見ていただけなのだが、弟と父母との間にある隙間が、一ト度なんらかのことが起きたとき、 事毎に味気ない傷めあいになっているのはいやというほど承知させられているのだ。自分だって 果して父母との間に明らかな隙間をもっているのはわかっている。何を話したとてだめそうなの だ。それがいやなことならいやなことほど黙っているほうがよさそうなのだ。いやの程度の大き いほど、自分と父母との距離は決定的になりそうなのだ。 うかっ パッツは碧郎について来たものだとばかり思い込んでいたら、意外にそ げんは迂濶だった。ス ごと