病人 - みる会図書館


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1. おとうと

おとうと て行った蒲団はどこかで荷を解かれ、もうそこへ敷かれている。一方では手押車の上で、碧郎の 著換えが寝たままにさっと行われた。そしてものものしい手舁きで、掬われるようにべッドに移 こかいまき されると、待っていた小掻巻がふわりとかけられた。手練のわざであった。人に信頼を持たせる えり 技術だった。碧郎はにこにこしていたが、水色のタオル寝巻を著せられた襟もとはきっちりと合 わさりすぎて、それが病人々々して見えた。 手押車がすっと帰って行き、あたりがたちまちかたづくと、白い人たちもすっと退いて行った が、ひきかえのようにまた白い人たちがそろそろとはいって来た。院長先生の診察だと云う。碧 郎は図太く臥たままで起きようともせず、枕の上から、「お願いしますーと云った。べッドのく るりを白くとりまかれて、げんは弟のからだを見てやることもできず、うしろのほうに控えさせ られた。ほとんど無言の診察だった。 先生は肉厚の頬に刻みをつけて徴笑し、「ここが悪いのね、なにか感じある ? 」と女つぼく親 しげに云った。 「はははは、先生わりあいに正直なんだな。」 びつくりしたような一瞬のあと、白い人たちはくすくす笑った。院長は、「わりあいか ! わ りあいだけでも正直だと信用してもらえばありがたい。 よろしくお願いしますよ」と、人々をひ きしたがえて出て行った。若い先生が注射を一筒して行った。 なついん 看護婦がげんに、「入院の書類に書人れをしてください」と呼びに来た。書類の捺印も必要で はあったのだが、おもな用事は院長の話だった。そうした些細なことにも病人の気もちを刺戟し

2. おとうと

意しておいた返辞をしながらもいやな気もちだった。 しようなん 湘南の松にかこまれた丘にここの分院があった。まずそこにしばらくいて、年の明けるまえに こうず 国府津へ移った。これは病人によく馴れている寡婦の家で、病院の紹介であり、病院と連絡のあ るひとだった。さらにそこから沼津へ移った。国府津の女主人からの紹介である。そこに翌年の 六月も半ばまでいた。もちろん病院からその土地の医師へ連絡してもらって、つねに診察を受け んいふ / 、 て指示に従うのであって、すべてを任されているげんは、万一の再発にも恢復の促進にも備え て、あぶなげのない転地生活をさせていると信じていた。彼はだんだんと、でもほんとに少しず か と つ病人臭から脱けて行くようだった。それといっしょに土地を更えるごとに、病院にいて死にた こうふん くないと昻奮して涙をこ・ほし、生きたいためにいやな処置にも素直に我慢したときのことを忘れ とて行った。健康とわがままとは手を結んでいた。都合のいいときだけ病気を利用し、病気をかさ に被る。げんにはげんで、看病の恩を忘れたかと云いたいものが出てきた。看病に飽きてきたの お もうこんなによく だ。食事などあまり気をつかうのがいやになって、ばかばかしいと思う。 なっているのに。 それにもう一ツ、げんのほうにくさくさする原因があった。縁談である。碧郎の看病をするこ とにきめたとき、いや碧郎が発病したとき、縁のことはすでにあきらめてしまうべき心ぐみを持 たされていた。直りにくい病気、伝染する病気、筋をひく病気として疎まれる立場に立ったこと を覚悟させられていた。よほどのことでなくては一家に結核患者を出していては、無病息災な男 と結婚はまず望み薄と見なければならなかった。それを父もげんも承知で、あえて碧郎の病床に

3. おとうと

したごけちやかっしよく げんはそっとして同情する。舌は舌苔で茶褐色になって、何とかいう鳥の舌のようだった。不馴 れな病院生活の肉体的な疲れと、朝から晩までの神経の緊張で、げんはすさんでいた。弟は、お 。いっそ肺病になったほうがましだと思 れのほうから捨てらあ肺病なんか、と云ったが、げんま、 うことがあるようになった。きようだいは違ったかたちで、しかもよく似ているところがあった。 院長はとてもげんに気をつかってくれた。常用の栄養剤をこしらえてくれ、しよっちゅう睡眠 はとれているか、気を換えに散歩へ行けと注意する。手の消毒などきびしく云う。げんは薬液で 荒れた油気のない手をさし出して、「もっと洗いますか」と云った。 「先生はいつも白いもの見なれていらっしやるけど、白って色は病人や家族には、どんな感情を 起させるか御存じですか。無情にひとしい色です」とか、「先生は病人をよくしようと診察をな さるのだけれど、御廻診と聞くと病人がびくりと緊張するのをどうお考えです。私はあわれでた まりません」とか突っかかるげんを、先生はおもしろがった。父親より少し若く、父親より温か みが多く、おおぜいの病人の父親代理というふうがあった。それになじんで、げんはわがままを あいたい 通した。マスクもつけず看護婦もつけずそのかわり病人と相対するときは、すわる位置を先生の 云うとおりの指定にしたがった。汗のためにこしらえ直す蒲団も、減菌室へ入れてからでなくて は決して手を触れなかった。どんなに弟の熱があがっても、顔色に出さないようにつとめた。自 分の心の平安が病人にも平安なのだと信じられるようにもなった。 絶対安静の、しかも処置のたくさんある病人というものは、専門の看護婦と付添の姉と二人が かりでもなおしきれないほど用事があったが、看護の要領がのみこめてくると、げんはもと以上 お

4. おとうと

思いうかべて、彼はやっとべッドにたえているらしいのだ。それはげんをはっとさせる。なぜな へきえき らげんは炎暑から赤を感じるより、白を感じて辟易していたからである。病院の建物の白さが、 ぎらついて堪らなかった。廊下の白さも、天井の白さも、人々の看護衣の白さも、みなげんをく らくらとくらませ、どこもかしこも白く立ち塞がれていて、こちらはもうすくむより他に手はな いような気がするのだった。姉は白におびえを感じて暑さをつらがり、弟は赤い連想で横わって いるのである。白を想うのと赤を想うのと、どっちが哀れだろう。かわいそうに、碧郎は何もか ものうしろに、肺臓と血との影を見ていた。 と その午後、病院の廊下には、ずっと一本、目には見えなくてもちゃんと承知できる緊張が流れ こと ていた。その緊張は手術室と七号室との通路に殊に濃かった。七号室付の看護婦はおこったよう とな素振りで、白衣の糊をごわごわと音さして、あちこちしていたし、人々はそれを遠くから無言 で横目の隅に入れていた。廊下じゅうが、患者を運搬する手押車のゴム輪の低い音へききみみた お てて知っていた。だからどの室の病人も、やはりそれを知ってしまっていた。結核性の腎臓摘出 手術だった。ジンテキ、ジンテキ、と風が吹いて通った。碧郎は目をきらりとさせて久しぶりで 看護婦に喰ってかかった。 「いいじゃよ、 オしか、訊いたって ! おれがおれの病気を訊くのと同じことじゃないか。なんた 訊いちゃいけないっていうんなら、はじめから君こそ慎んだらどうだい ? 顔に重態重態 って書いておいて、訊くななんて、えらそうなこと云いやがって、なんだい ! 」 そしてげんに向いて云った。 すみ のり ふさ じんそう

5. おとうと

お 153 という調子で、電車といっしょに揺れて立っている。電車を降り家へ帰り、自分の机によりかか って一人になったとき、彼には失望感だけしか残るまい、とげんは思う。どうしてやったらいい 、カ げんだって失望にぐんと重くのしかかられているのだった。 電車を降りたところに写真館があった。古くからある写真屋さんで、お金持なのか家の構えは りつばだった。碧郎は、「記念に撮っておこう」と云う。そんな考えはいじらしかった。死をそ んなにはっきり考えているのだかどうだかはわからないけれど、「病み窶れてからじゃいやだよ。 病みほうけた十九歳の若さ、なんていうのじやたまらないからね。いずれ臥たきりにされちまえ ば、病人づらになっちまうにきまってる。こうして立って歩いているうちがいいよ。今ならまだ 二本の足で歩いてらあーというのが彼の主張なのだ。 「なにもそんな、もう立って歩けないようなこと云わなくてもいいじゃないの。治療すれば済む ことなのに、いやに気が弱くなったものね。」 彼は穏かに、姉をあわれむ眼つきで見た。「ねえさん案外頭にぶいね。気が弱いどころか、い ししカねえさん、おやじのことだって考えなけりや。 まおれ、気が強いてつべんなんだよ。、、、 写真の一枚くらいあったほうがよかろ ? おなし病人でもきようは立っている病人だし、あすは 死んだほうがましだ 臥かされてる病人だもの、そのあとは何年かかって直るって云うんだい ? あ。俺のほうでさきへ捨てらあ、肺病なんか。ーー気は強いんだよ。」 むかむかっとどなりたくなったのを我慢して、そのかわりげんもぐいっと首を掉りたてた気も ちだった。「そんなに云うならいいわよ、写したいだけ写しておけばいいんだわ。要するにわが

6. おとうと

おとうと 為 「七号室ってのはこの廊下のどんづまりの部屋だろ。おれ、まえから知っていた。この部屋だっ て一号だから、なんだかおめでたいみたいな気がして縁起がいいなんてかつぐけど、一も七もあ るもんか、どこもみんなどんづまりだあ、結核患者は ! 」 彼も興奮していた。 一ト晩じゅう、その部屋はうなっていた。苦しさ痛さのあまりうめくのか、うつつのうちに声 を出しているのか、聞く耳には刺すようなうめきであった。手術がうまくなかったことは、もう 病院中に知れ渡っていた。当直の医局員はその病人にでなく、近所となりの病室付の看護婦に引 っ張り出された。どこの病人も気がたって発熱したり、眠れなかったりしていた。碧郎はげんが 眠り薬をもらおうというのをかたくなに拒んだ。それどころではない。「姉さん、行ってあの病 室の様子みてきてくれないか。おれは耐えてみせるからな、姉さん。おれ、死にたくないんだ ! 」 そして彼はぼろぼろと涙をこ・ほした。美しく赤く上気した頬に 腎臓摘出手術をした患者は、二日だけ保って天へ旅立ってしまった。あっけないような感じを うめ のこして、。ほっつと行ってしまった。呻きと呻きとの間隔が遠くなり、その呻きかたもわれから 呻くのでなく、ひとごとに呻いているような声になってきたと思うと、もうそれでふっと終って しまった。 その人が亡くなると、同時にそれがつうと病院じゅうに知れ、誰もが溜めていた息を吐いた。 その人一人が亡くなって、あとがみな生きかえったのだというふうに、げんには思われた。病人

7. おとうと

「碧郎さんがもし好きな人いるんなら、あたし連れて来ようか。」 な姉だとがっかりする。 「そんなの、いないんだ。いるような気もするけど、や 0 ばりいないんだなあ。よくわかんない げんは紺絣の匂いとリポンの色とを想いうかべたが、手がかりない。もちろん父親は知るまい し、 だが、彼の友人にならあるいはと思い、それとなく一存で古い幼友達〈病状の電話をか けておいた。けれども結果は、何人に訊いても知らないと答えた。 病人の気もちは平穏が続いていたが、病状は最後〈来ていた。半徹夜が続いてげんも看護婦さ と んも、し 0 かりしているつもりがぼけはじめた。も一人頼もうということにな 0 たとき、他の看 ま新しい人を一 護婦たちが云うことをきかなか 0 た。病人があんなには 0 きりしているのに、い と人入れれば予告するも同じであまりに心ない、自分たちが手都合をして助け通すから、「御最期 までこのままの気の合 0 た同士で、気もちよくおみとりしましよう」と、がんばる。 お 「そう云 0 ちゃなんですが、おしまいまです 0 きりした看病というのは少いんですよ。この患者 さんのようなの、私たちとても気もちがいいんです。】 ' だからほんとにお手伝いしたいんです。」 そういうものかと思う。またここに後手があった。 父も母もこのころは始終、間を見ては来ていて、父は病人に気づかれないように、明き病室に 泊 0 て行 0 たりした。夜の急変を案じるからだ 0 た。碧郎の容態はど 0 ち道徐々に押しつめられ てきてはいたけれど、きようあすにというのでもなく、割合に平らかだ 0 た。たべるものも減 0 、よ、し、すでにそれとなく親類うちの数人は最後の見舞を済ませていた ているし、ロ数も利カオし

8. おとうと

おとうと ためいき とができないいらだたしさに、ついほっと溜息が出、その溜息がみんなに聞えてしまうような、 しょ・ほしょぼしたお茶なのだった。そうなると、たった今まで寝台車の来るのをびくびくしてい たのが、反対にいっそさっさと来てしまえばいいのにという気もちもする。 あいさっ さすがに弟はうなだれて、父へまともな挨拶をした。父は目顔でげんに、おまえから早く起て と合図をし、自分も起ちあがってしまった。「まあ、なんだな。休養なんだから、臥ていてでき る楽しいことを、片つばしからやってみるんだな。なあにそう長いことじゃないよ。」父親はこ とに何気なさそうに取りつくろっていた。 碧郎も何気ない様子にもてなしていた。けれども寝台車から白い上っ張りを著た男が二人降り かんしやくごえ て来て、担架を持ちだしかけると、碧郎はいきなり癇癪声をだした。「なんだかいやだな。仏さ ま扱いか 2 「病院というものは病人に対していやに丁寧にするものなんだよ」と、父は崩れない姿でとりつ くろい続け、げんは感心してなるほどと思った。 碧郎は飼大の頭をさわってから車のなかへ横になった。近処の人が物見高くあちこちから顔を 寄せていた。げんは大急ぎで碧郎の足もとの小椅子に腰かけ、車は狭い路地をたくみに躱して、 すぐ角を曲った。 運転は慎重をきわめてのろく走っていた。おそらく電話で病状のおおかたが報告されている結 果だと思われた。こんなふうに扱われてみると、にわかに弟は病人々々して映る。泣いていはし ないかと案じられたが、碧郎はあちら向きにまっ白なシーツと枕に頭を休めている。げんは昏れ くず かわ

9. おとうと

おとうと に変化が現われてきそうである。腸が侵されてくると栄養摂取の率が落ちて衰弱がひどくなり、 喉が蝕之れれば病人は苦しい思いをしなくてはならない。しかもこの病気は重態にな 0 ても意識 がは 0 きりしているから、本人も看護の家族もつらさは格別と覚悟の要がある、という話だ 0 た。 与えられる事実だけを、一しよう懸命に感情から放して訊こうとした。「先生の御覧になると ころでは、どのくらいの日時が碧郎に許されているんでしようか。」 まのところまだまだ体力にストックはあるし、気も落ちてはいないし、心臓も 「わからない。い しつかりしているから。」 ねん 「じゃあ、何年という年で考えていいんですか。」 「 : ・ : ・まあ、秋をすぎて冬も無事に越したら、ぐっと様子は違うでしようから。」 「先生、はっきり御遠慮なくおっしやってください。じゃあ何カ月ですか、何十日ですか、それ とも何日のことっていうんでしようか。私も父もそうならそうと、つききり付添ってやらなくち : おとうさんにもお気の毒で。しかしこれは決定の話をし 「そう、そのことを思うんでねえ、 ているんじゃないんですよ。しばしばそういう経路を辿るというだけのことで、みんな同しでは ないんです。ところでもう一度あなたに云いますが、若い女のかたにこの看病は無理なんですが 「でききらないというわけですか。それともだんだんむずかしくなってくると、病人よりも私の 期ほうが取乱して邪魔になったりするという意味でしようか。」

10. おとうと

かんしやく 8 にいてはいけないと云われても、どうしようもないのである。癇癪と泣きたさが沸々とたぎつ こ 0 もう一度くりかえして云えばいいんだ、とやっと我慢する。「私よりほか人がいないん です。家族が少いうちなので、 院長は納得したかわり、医者らしいことを云った。常不断も病人のそばにいるときは薬液で手 の消毒をすること、白い石護用上衣を著ること、マスクはかならずかけること、月経時は病人か 「入院中に付添が感染したなんてことは、こちらとしても困り ら離れて帰宅休養すること。 ます。患者が二人に殖えたなどというのは、病院として名誉じゃありません。」 と そういう危険を予想されている自分は迷惑がられているな、と思う。伝染率は相当高いなと思 う。恐ろしさがあった。起ってドアのところまで行き、そこでやりきれなくなった。 、と「先生 ! 」ーー医者と看護婦とがこちらを見た。 「先生、私、これだけじゃなにかはっきりしなくて、父にも報告ができません。これだけのこと お なら、御近処の先生にも杏雲堂でも、そうおっしやられたんですから。御遠慮なら、私たち親子 大丈夫なんです。覚悟しておりますから。当人はとにかくとして、父が気の毒です。だめならだ めで、やりようもあると思います。私を付添につけて寄こすにしても、伝染のことは父だってよ ほど思いきっているのだと思います。それほど碧郎に尽してやりたいんです。こちらは患者が二 人に殖えて御迷惑おかけするかもしれませんが、父は弟と私と、ーーー弟と私と二人ともーー」舌 がまるまってことばが詰った。 やじろ・ヘえ ・ : 弥次郎兵衛のおも 医者は起ちあがっていたのを腰かけた。「じゃあまあ申しあけますが、