石守 - みる会図書館


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1. しろばんば

しろばんば 428 のことを〃みなさん〃と言ったので、生徒たちはすっかり戸惑い、そのことが無性におかしく感 じられて来て笑い声を口から出した。石守校長はいかなる時でも、 " お前ら〃と呼んだので、生徒 たちはそれに慣れていた。 その日、全校生徒が整列している前を石守校長は校庭を横切って学校から出て行った。長身痩 の石守森之進はいつもと少しも変らぬ、少し前のめりの独特の歩ぎ方で、自分がいま生徒たち から見送られていることなどいささかも意に介していないといった面持で、前だけを見て歩いて 行った。女生徒たちの間から低い泣き声が起った。泣き声は何カ所からも起った。 洪作は学校から出て行く伯父の姿をある感動を以て見守っていた。学校にいる間は、厳格一方 かぞ の、温かさなどは微塵も感じられぬ校長であり、五年間にほんの算える程しか自分に声をかけて くれたことのない伯父であったが、その伯父がいま学校を退いて行くとなると、何か貴重な大切 なものが、自分の近くから一つなくなって行く思いであった。 石守校長は校門から往米へ出ると、すぐ学校の隣りにある村役場の建物の中へはいって行った。 その日昼休みの時間に、四年生の一人が、 「校長先生がいま役場から出て家へ帰って行くぞ」 と、自分たちの仲間のところに注進に来たのを聞いた。その時洪作は四年生の仲間から少し離 れたところに居たが、ふいに石守校長に何か挨拶をしなければいけないのではないかという気持 に襲われた。自分は他の生徒とは違うのである。石守校長は自分にとっては伯父なのである。そ の伯父が学校を去って行くのである。

2. しろばんば

427 五月の中頃、突然校長の石守森之進が停年で退職するという嚀が村に拡った。そんな噂を耳に してから間もなく、そのことは事実となって現れた。 朝礼の時、石守校長は、自分が近く教職を退き、あとに静岡県で一番評判のいい名校長がやっ て来るというようなことを全校生徒に発表した。平生と少しも変らす、苦虫をつぶしたような表 情で、生徒全体を睨みつけるようにして言った。校長がやめるということは、生徒たらには考え なんびと られぬことであった。校長というものは石守校長でなければならず、それ以外の何人であっても ならなかった。だから、石守校長が自分の退職を言い渡した時、整列していた生徒たちの間から 五は、低いどよめきのようなものが起った。世の中で一番怖しい人物が、この学校から居なくなっ 編てしまうというが、そんなことがあっていいだろうかという驚きのどよめきであった。 洪作は他の生徒たちとは多少違った感慨をもって、伯父の校長の話を聞いた。洪作には伯父が 後 憤っているように見えた。何か不当な弾圧でも受けて、伯父はむりやりに教職を去らされて行く のではないか。 石守校長の後任である稲原という新しい校長がやって来て渓合の旅館に泊ったということが、 生徒たちの間でささやかれてから二三日して、新しい校長は実際に学校へ姿を現した。朝礼の時、 石守校長は自分の後任の校長を生徒たちに紹介し、今日から新しい校長のもとで勉強するように と言った。 にこにこしながら優しい言葉で話した。生徒たち 稲原校長は肥った背の低い人物であったが、

3. しろばんば

しろばんば もっと、もっと、勉強せい」 繝三つも嘘字を書くようでは、とても中学へははいれん。 石守校長は言った。そして、 「お前は、どうも、一年、二年の時の方ができたようだ。上級になるにつれて、できなくなっ。 こんな調子では先が思いやられる。 もっともっと勉強せい」 上級になるにつれてできなくなったという石守校長の叱責は、洪作には納得が行かなかった。 学校の成績は少しも落ちていなかった。どういうわけで、このようなことを言われるのか、わけ が判らなかった。 「沼津へでも行って参考書を買って来なさい。教科書だけやっているようでは、とてもはいれ ん ! 兎に角、もっともっと勉強せい」 石守校長は言った。勉強せい の一点張りであった。これはあとで洪作が知ったことである が、この学校からのただ一人の今年の受験生であったあき子が、沼津の女学校を受験して、僅か の落第生の中にはいってしまったことが、この日判明したのであった。それで石守校長はすっか り不機嫌になり、来年の受験生である洪作にまで、当り散らしたのであった。あき子が落第した ことは、それから二三日してから村へひろまった。村人の間では、バスが村に来た時以来の事件 であった。 「あんた、聞いたか ? 大きい声では言われんが、御料局のあき子さんが、落第したそうだ」 と・カ 「落第したら、もう嫁っこにも行かれんべえ」

4. しろばんば

洪作は湯ヶ島へ戻ると、下田の宿の少年に手紙を書いた。豊橋の両親には毎月のように、おぬ い婆さんの代筆をして手紙を出していたが、両親以外の者に手紙を出すのは初めてであった。 宿の少年からは折り返して返事が来た。下田の港の絵を書いて、その余白にきちんとした字で、 したた いっか湯ヶ島へ訪ねて行くかも知れぬ、その時はよろしくといったことが認められてあった。洪 作がその葉書をおぬい婆さんに見せると、 「洪ちゃの方が、すっと字はうまい。くらべものにならんがな」 そうおぬい婆さんは言った。併し、洪作は下田で一度感したように、 少年には何をやっても及ばないだろうと思った。 編十一月の初めの日曜日の朝に、門ノ原の石守家の次男の唐平が土蔵へやって来た。洪作は自分 とは従兄弟同士であるこの少年にもう二年ほど顔を合せていなかった。僅か一里そこそこしか離 れていないところに住んでいながら、殆ど顔を合せる機会を持たなかった。小学校が違うという ことが一番大きい原因であったが、それにしても親戚の間柄であるので、もっと往来していい筈 であった。併し、洪作は石守家が伯父の家というより、気難しい校長の家といった感じの方が強 く、向うから呼び出しがかからない限り、こちらから父の実家へ出掛けて行くことはなかった。 洪作がそのように石守家を敬遠しているところへ、石守家の方は石守家の方で、その全員が交 際嫌いで知られていた。伯父の校長も用事のない口は一切きかないことで有名であったし、おは ぐろで歯を黒く染めている伯母も、決して悪い人ではなかったが、世間嫌いな我が儘者で通って この場合も、自分はこの

5. しろばんば

しろばんば だから洪作は父方の親戚も沢山近くに持っていたが、どういうものか父方の親戚とは余り往き 来していなかった。校長の石守森之進はいつも細面の顔にきびしいものを漂わせている五十年配 の人物で、用事がある以外はめったに喋りもしなければ笑いもしなかった。生徒たちからも村人 からも気難しい人物として知られていた。だから伯父ではあったが、洪作はめったに伯父の石守 森之進とはロをきくことはなかった。それどころか、大体洪作はこの人物に伯父といった特殊な 気持を懐いたことはなく、やはり一人の怖い校長先生でしかなかった。従って、この場合は、相 手が伯父ではあったが、贔負といったような見方が二人の間に成立するすきはなかった。生徒た ちはみんな怖い校長が洪作の伯父であることなど考えたこともなかった。 併し、怖い校長ではあったが、時々正面から頻を合せると、石守森之進はロ髭の生えているロ 許を少し尖らせるようにして、 「洪作、勉強しとるか」 と、睨みつけるようにして言った。 「しています」 洪作は蛇に睨まれた蛙のように小さくなって答えた。すると、 「いっか一度遊びに来なさい」 伯父はいつも命令するように言った。併し、洪作は一里程離れた部落の父の実家へは一度しか 行ったことはなかった。父の父、つまり祖父にあたる林太郎が病気の時、本家の祖母に連れられ て、その見舞に行ったことがあるだけである。

6. しろばんば

母さんから紙に包んだ小遣を貰い、すぐ駅前の広場に集 0 ている学校の仲間のところへ戻って行 ったものであった。 こんどの三回目の沼津行きの目的は、受験の参考書を買うことであった。洪作もいよいよ六年 生になるので、中学の受験が一年先に迫って来て、もう今までのようにうかうかしてはいられな かった。おぬい婆さんも、中学へ進むのには入学試験というものがあり、田舎の小学校からでは よほど勉強しない限り、それに合格することは難しいということを知 0 ていた。それで、洪作に 参考書が要るなら、沼津へ行ってそれを買って来るように勧めたのであった。 「洪ちゃ、参考書だけは、何としても買って来んとな」 五おぬい婆さんも受験の参考書の必要なことを、誰からか吹き込まれていたらしかった。 編参考書を買いに行くことについては、洪作は伯父の石守校長からも半ば命令的に勧められてい た。洪作は春休みになってから、石守森之進に招ばれて、学校へ出掛けて行き、校長室へはいっ 後 て行 0 た。すると、石守森之進は例によ 0 て、苦虫を咬みつぶしたような顔をして、洪作を睨む ように見据え、いきなり、 「洪作、勉強しておるか」 と言った。 「勉強しています」 洪作が答えると、 「も 0 と勉強せんと駄目だ。この間、お前の綴方を見たら、嘘字が三つあった。短い文章の中に、

7. しろばんば

と言った。洪作はその幸夫の言葉でぎよっとした。なるほど向うから急ぎ足でやって来る人物 は、伯父の石守校長に似ていた。体を前屈みにして歩くその歩き方はそっくりだった。その人物 の小さい姿がひと廻り大きくなるまで、洪作と幸夫は何となくそこに立ち竦んでいた。 「校長先生だ。どうする ? 」 幸夫は洪作の方へ顔を向けた。。 とうすると言われても、洪作もどうすることもできなかった。 全くどうしていいのか判断がっかなかった。道は崖と山とに挾まれた一本道であるし、どこへも 匿れ場はなかった。このまま歩いて行ったら、石守校長とぶつかる以外仕方がなかった。 「洪ちゃ、どうする ? 」 五幸夫は半ばべそをかきながら、真剣な表情で言った。洪作はもと来た道を引き返すこと以外に、 いまの自分たちにできることはないと思った。洪作はいきなり廻れ右をすると、 「駈けろ」 前 と、幸夫に命ずるように言った。 「よし」 そう答えるともう幸夫は駈け出していた。洪作も駈けた。洪作はすぐ息が苦しくなり、横腹が 痛くなったが、それでも我慢して駈けた。い くら苦しくても、この場合だけは停ってはならぬと 自分に言いきかせた。併し、二三丁駈けると、幸夫は駈けるのをやめて、大きな息使いをしなが ら道端にしやがみ込んでしまった。洪作も幸夫に倣って同じようにした。二人は暫く休んでから 一緒に立ち上った。石守校長との距離が縮まったので、否応なく立ち上らなければならなかっ 203

8. しろばんば

しろばんば 336 いた。そうした伯父伯母の間にできた子供たちも、洪作には何となく親しみにくいものを持って いるように思われていた。次男の唐平は洪作とは同年であり、そんなことから絶えず洪作は唐平 という少年の存在は意識していたが、併し、好感は持っていなかった。 と言うのは、三年ほど前、洪作は伯父に連れられて一晩泊りの予定で石守家へ行き、間もなく 逃げ帰って来たことがあったが、その折石守家で見た唐平の印象は決していいのではなかっ くさ た。伯母が洪ちゃと遊んでやんなさいと言うと、唐平ははっきりとそれを拒否し、うさん臭そう に洪作の方をねめつけたが、その時の唐平の顔を洪作はいまも忘れてはいなかった。唐平はその 時伯母の命令でどこからか西瓜を抱えて来ていたが、自分の顔ほどある大きな西瓜を両手で抱き しめ、 しいものを持っているだろう、だが、これはお前にはやらないそ、というように、洪作の 顔と、自分の腕の中の西瓜とを見較べていた、そんなところは小憎らしかった。 それ以後、洪作は一度も石守家を訪ねていなかった。伯父伯母の方も、また逃げ帰りでもされ たら面倒臭いと思ったのか、洪作は再び泊りがけで遊びに来るようにという言葉を校長の口から 聞くことはなかった。 そういう状態であったところへ、突然唐平はひとりで土蔵へ洪作を訪ねて来たのであった。お ぬい婆さんが、 「洪ちゃ、門ノ原の唐ちゃが見えたぞ」 そう階下から呼んだ時、洪作は不思議なものが舞い込んで来たといった気持だった。あの意地 の悪い少年がどういう風の吹き廻しで自分を訪ねて来たのだろう。そんな興味もあって、洪作は

9. しろばんば

伯父はいつもの気難しい顔のままでいきなりそれだけ言った。顔は洪作の父に似ていたが、父 よりもっと不機嫌で、ロ髭を生やしているせいかいつも憤っているように見えた。 洪作は身を固くして答えた。 「婆さんは ? 」 その言葉で、洪作は解放されたように直ぐ伯父のところから離れ、おぬい婆さんに伝えるため に土蔵の中へ駈け込んで行った。そして階下から、 「ばあちゃ、ばあちゃ」 と叫んた。おぬい婆さんはすぐ出て来ると、少し表情を固くして石守森之進と土蔵の前で立ち 話していた。喋るのはおぬい婆さんの方で、無ロな石守森之進の方は気難しい顔をして黙って立 っていた。 やがて洪作はおぬい婆さんに連れられて土蔵の二階に行き、そこでよそ行きの着物に着替えさ せられた。 「一晩たけじゃ、辛抱おし」 おぬい婆さんは言った。 「坊は男だ。辛抱でけんことはあるまい。何も鬼の居るところへ行くんじゃなし、取っても喰わ んだろ」 「坊はいやだ」

10. しろばんば

洪作は校門を出て役場の方へ走 0 た。どこにも伯父の姿はなか 0 た。洪作は更に駐車場のとこ ろまで走った。すのこ橋を渡ろうとしている伯父の姿が見えた。 洪作は伯父のあとを追 0 て走 0 た。市山部落の入口で、洪作は伯父に追い着いた。何と声をか けるべきか戸惑っていると、石守森之進はふいにうしろを向き、そこに洪作が立っていることに 驚いた風で、 「どうした ? 」 と言った。洪作が黙っていると、 「豊橋から何か言伝てがあったのか」 五 と訊いた。 編「そうです」 洪作はそう言う以外仕方がなかった。 後一 「なんじゃ」 早く言いなさいというように、伯父は洪作の頻を見守った。 「お母さんたち、こんど湯ヶ島へ来ます」 「うむ、知っとる」 石守校長は言って、なんだ、そんなことかと言うような顔をして、 勉強せい。勉強しとらんだろう」 「お前も浜松の中学を受けることになるたろう。 「しています」 429