と田 5 った。しかし、自分でも最近の父との口論における数々のとりわけ乱暴な一「ロ動に対して、内 心ひそかに自分を責めていたので、この申し出を受け人れたのだった。ついでに指摘しておくが、 彼はイワンのように父の家に暮しているのではなく、町の反対側のはずれに一人だけ別に暮して いた。ところがここに、ちょうど当時この町で暮していたミウーソフが、フヨードルのこの田 5 い つきに大はりきりでとびつくという事態が生じた。四十年代から五十年代にかけてのリべラリス トであり、自由思想家であり、無神論者だった彼は、たぶん退屈しのぎか、でなければ軽薄な気 晴らしのためにだろうが、この問題に度はずれの関心を示した。だしぬけに修道院や〈聖者》を 歴見たくなったのである。修道院との昔からの争いはいまだにつづいていたし、双方の領地の境界 族線とか、森林の伐採権とか、河の漁業権とかをめぐる訴訟も相変らず長引いていたので、彼は、 をなんとかこの争いを円満に打ち切れぬものかどうか、自分も修道院長とじっくり話し合ってみた あ いというロ実のもとに、急いでこの機会を利用したのだった。こんな立派な意図をもっ訪問者な 一ら、修道院でももちろん、ふりのやかし客より、ずっと注意深く懇切に迎えてくれるにちがい なかった。こうしたすべての思惑から言っても、修道院では、最近ほとんどまるきり僧庵から出 たことがなく、病気を理由に普通の訪問客さえ断わっている病身の長老に対して、ある程度まで 内部工作をしてくれるかもしれない。とどのつまり、長老が同意を与え、日取りが決められた。 「あの人たちの間で八つ裂きにするように、わたしを放りこんだのは、いったいだれだろうね ? 」 長老は徴笑をうかべて、こうアリヨーシャに言っただけだった。 会合のことをきき知ると、アリヨーシャはひどく困惑した。争い合い、訴え合っているこの 人々の中で、この会合をまじめに検討することのできる人間がいるとしたら、疑いもなく長兄ド
は多くの修道院で最初のうち、長老制度がほとんど迫害に近い迎えられ方をしたのである。にも かかわらず、長老は民衆の間ですぐに深い尊敬を受けるようになった。たとえば、この町の修道 院の長老のところへは、庶民も、さらにはきわめて高貴な人たちも、長老の前にひれ伏して自分 の迷いや罪業や悩みを告白し、忠告と訓戒とを仰ごうと、ひきもきらずに押しかけてくるのだっ た。これを見て、長老制度の反対者たちは、見習い僧や俗世の人々によってたえず長老に行われ る魂の懺悔告白が決して聖秘社としてなされているわけではないのに、他のさまざまな非難とこ もごもに、ここでは懺悔告白の聖秘社が専横的に軽々しく卑しめられている、と叫びたてた。だ 歴が、結局、長老制度は維持され、ロシアの修道院に徐々に確立されていった。もっとも、人間を 鏃奴隷状態から自由へ、道徳的完成へと精神的に生れ変らせるための、すでに千年の歴史をもっ試 る練ずみのこの武器は、たしかに両刃の剣にもなりうるので、なかには温容と最終的な自制の代り ごうまん に、あべこべに、きわめて悪魔的な傲慢さへ、つまり、自由へではなく束縛へと導かれる者も、 一おそらく、出てくるにちがいない。 ゾシマ長老は六十五、六で、地主の出であり、ごく若いころに軍籍に身をおき、尉官としてコ ーカサスに勤務したこともあった。疑いもなく彼は、何か一種特別な心の特質でアリヨーシャを おどろかせたのだった。アリヨーシャは、長老に非常に目をかけられ、そばに近づけられて、長 老の僧庵で暮していた。ここで指摘しておかねばならないが、アリヨーシャはこの当時、修道院 で生活してはいたものの、まだ何の束縛もなく、まる何日でも好きなところへ出かけることがで きたし、僧服をまとっていたとしても、それは修道院でほかの人たちと異なった格好をしたくな いため、自発的に着ているにすぎなかった。しかし、もちろん当人もそれが気に人ってはいた。 もろは
ここのおかげで、わたしは苦 「この修道院がわたしの人生で大きな意味をもっちまったんだー てんきようや い涙をさんざ流したものなんだ ! 癲狂病みの女一房をわたしに楯つかせたのは、あんた方じゃな ふいちょう のろ いか。七つの教会会議でわたしを呪って、近在一円に吹聴してまわったのも、あんたらだ ! うたくさんでさ、神父さん、今は自由主義の時代ですぜ、汽船と鉄道の時代なんだ。千ループル だって、百ループルだって、いやさ百カペイカだって、わたしからは取れやしませんからね ! 」 ここでまた注釈が要る。この修道院はいまだかって彼の人生で何一つそんな特別な意味をもっ たことはなかったし、修道院のおかげで彼が苦い涙を流したこともまったくなかった。だが、彼 合はみずから作りだした涙にすっかり夢中になり、一瞬われとわが話を信じそうになった。感動の な あまり泣きだしそうにさえなった。が、その瞬間、そろそろ退却すべき潮時だと感じた。修道院 い 長は悪意にみちたこの嘘に対して頭をさげ、ふたたびおごそかに言った。 はずか 編「また、こうも言われております。『汝の身にふりかかる不本意な辱しめを、喜びもて堪えしの び、心乱すことなく、汝を辱しむる者を決して憎むなかれ』わたしどもも、そのように振舞いま 第 しよう」 「これだ、これだからな、偽善そのものだ ! わけのわからないごたくを並べやがって ! せい ぜい偽善者ぶるんですな、神父さん、わたしは帰りますよ。忰のアリヨーシャは、父親の権利で 今日限り永久に引きとりますからね。さ、イワン、尊敬すべき息子さん、わしにつづけと命令さ 今すぐ町の俺の家 フォン・ゾーン、どうしてこんなところに残るんだいー・ せてもらおうか ! へこいよ。うちは楽しいぜ。せいぜい一キロかそこらだ。こんな植物油の代りに、子豚に粥を添 えてご馳走してやらあな。いっしょに食事をしようじゃないか。コニャックをやって、そのあと 169 なんじ
僧がラキーチンの頼みを、アリョ ーシャより先に。ハイーシイ神父に取り次いだため、自席に戻っ たアリヨーシャには、ただ手紙に目を通して、すぐにその内容を単なる参考資料という形で。ハイ しゅんげん ーシイ神父に伝えるくらいしか、やることは残っていなかった。だが、この峻厳な、容易に人を 信じない神父でさえ、眉根をよせて〈奇蹟〉の知らせを読み終えると、ある種の内心の感慨を抑 えることができなかった。目がきらりと光り、ロもとがふいに重々しい、感に堪えぬような徴笑 にほころびた。 「同じことが、また見られるのではあるまいか ? 」ふと口をすべらしたかのように、神父は言っ 兄 の「同じことがまた見られるぞ、同じことがまた見られるぞ ! 」周囲の修道僧たちがくりかえした。 ゾしかし、。ハイーシイ神父はまた眉をひそめ、せめてしばらくの間なりとこのことはだれにも他言 マせぬよう、みなに頼んだうえ、「もっと裏付けができるまで、言わずにいてほしい。なにせ世間 力には軽薄なことが多いし、それに今度のことはひとりでにそうなったのかもしれないからの」と、 げんち 言質をとられぬためのように用心深く付け加えたが、そんな言いわけを自分でもほとんど信じて いないことくらい、きいている人たちにも実に明白に見てとれた。もちろん、この《奇蹟〉はた ちまち修道院じゅうはもとより、修道院の社拝式に来た大勢の信者たちにまで、知れ渡った。実 現したこの奇蹟に、だれよりもショックを受けたのは、どうやら、昨日遠い北国にあるオブドー ルスクの《聖シルヴェステル》という小さな修道院からはるばるやってきた修道僧らしかった。 これは昨日、ホフラコワ夫人のわきに立って、長老に一社し、〈病気を直してもらった〉夫人の 娘を指さしながら、「よくこんなことがなされるもんですね ? 」と、思い人れたつぶりに詰間し
じようぜっ いにおそろしく饒舌になり、熱しこんで、笑い上戸になり、時には何がおかしいのかわからない のに笑いくずれることもあった。しかし、こんな生気も、その生じ方がだしぬけで急激なのと同 あか じように、すぐにふっと消えてしまうのだった。彼はいつも立派な、垢ぬけたとさえ言える服装 をしていた。すでにある程度の独立した資産を持っており、さらにずっと多くのものが人ること になっていた。アリヨーシャとは友達だった。 ミウーソフの幌馬車からずっと遅れて、二頭の年とった月毛にひかせた、ひどく古びてがたび し音はするが、収容力だけは大きい辻馬車で、フヨードルと息子のイワンが乗りつけてきた。ド ミートリイにはすでに前の晩に時間を連絡しておいたのに、遅刻していた。訪間者たちは修道院 そとぺい な の外塀のわきにある宿坊で馬車を乗りすて、歩いて修道院の門をくぐった。フヨードルを除いて、 い あとの三人はどうやらいまだかってどこの修道院も見たことがないらしかったし、ミウーソフに 場 いはずだった。彼はいくぶん 編いたっては、おそらくこの三十年ばかり、教会にも行ったこと ~ 無遠慮をよそおった感じのしないでもない、好奇の目であたりを S めまわしていた。だが、観察 力の鋭い彼の知性には、教会や住居の、それもごくありきたりの建物のほか、修道院の内部には 何一つ見いだせなかった。教会から最後の会衆が、帽子をとって十字を切りながら、出てくると ころだった。民衆の間に、遠くから来たもっと上流社会の、二、三人の貴婦人や、一人の非常に 高齢な将軍の姿も見受けられた。この人たちはみな、宿坊に泊っているのだった。乞食たちがと たんにわが訪問者を取りまいたが、だれ一人として何も恵んでやらなかった。ただカルガーノフ だけは、財市から十カペイカ銀貨を一枚つまみだし、なぜかわからぬが妙にそわそわと照れて、 一人の女にそそくさと握らせると、「平等に分けるんだぞ」と早口につぶやいた。連れのだれ一 こしき
それが見えて、わしはふるえおののくのだ。恐ろしい、実に恐ろしいことだ ! 」 「キリストさまであれば、べつに恐ろしいこともござりますまいに ? 」 「ひっとらえて、連れて行こうとなさるのでな」 「生きながら、でございますか ? 」 「聖霊とイリヤの栄光とに包まれての。きいたことがないのか ? 抱きかかえて、連れて行こう とするのだ : : : 」 この会話のあと、オブドールスクの修道僧は指定された修道僧の一人の僧庵へ、かなり強い懐 弟疑に包まれながら戻ったが、彼の心はやはり疑いもなく、ゾシマ長老よりもフェラボント神父の のほうに傾いていた。オブドールスクの修道僧は何よりもまず斎戒の支持者だったし、フェラボン ゾト神父ほどの偉大な斎戒行者ならば〈奇蹟を見る〉こともふしぎではなかった。神父の言葉はも マちろんとっぴのようであったが、あの言葉の内にどんなことが含まれているかわからないし、神 力がかり行者というのはみな、あれ以上の言動をしばしば示すのである。尻尾をはさまれた悪魔の ひゅ 話なぞ、比喩としてだけではなく、そのままの意味でさえ、心から喜んで信じたい気持だった。 そればかりではなく、彼はこの修道院にくる以前からすでに、それまで話でしか知らなかった長 老制度に対してひどく偏見をいだき、他の多くの人にならって有害な新制度と頭から決めてかか っていたのである。すでに修道院で一夜を送り、長老制度に反対する一部の軽薄な修道僧たちの ひそかな不平をも、彼はいち早く見ぬいていた。おまけに彼は生来、何事に対しても好奇心が旺 盛で、どこにでも首をつつこむ、すばしこい男だった。だからこそ、ゾシマ長老によって実現さ れた新しい《奇蹟〉というたいへんなニュースが、彼を極度の懐疑におとしいれたのである。ア せい おう
修道院にも定着したのか、わたしには確言できないが、すでに長老の継承も三代を数え、ゾシマ 長老がその最後にあたるのだが、その彼ももはや老衰と病気とで明日をも知れぬ身であるのに、 後任にだれを選ぶべきか、それさえまだわからぬ有様だった。この問題はわが修道院にとっては、 重大なものであった。なぜなら、ここの修道院はこれまで何一つとりたてて有名なものがなかっ たからだ。つまり、ここには聖者の遺体もなければ、奇蹟によってあらわれた霊験あらたかな聖 像もなく、歴史に関連のある名誉な伝説さえなかったし、祖国に対する歴史的な偉業や勲功もべ つになかった。その修道院が栄え、ロシア全土に有名になったのは、まさに長老のおかげであり、 歴長老に会い、長老の話をきくために、信者たちがロシア全土から、何千キロの道もいとわず、群 族れつどってこの町にやってくるのだった。それなら、長老とはいったい何者なのか ? 長老とは、 るすなわち、あなた方の魂と意志を、自分の魂と意志の内に引き受けてくれる人にほかならない。 いったん長老を選んだならば、あなた方は自己の意志を放棄し、完全な自己放棄とともに、自分 一の意志を長老の完全な服従下にさしだすのである。自己にこの運命を課した人間は、永い試練の あとで己れに打ち克ち、自己を制して、ついには一生の服従を通じて完全な自由、つまり自分自 身からの自由を獲得し、一生かかっても自己の内に真の自分を見いだせなかった人々の運命をま ぬがれることができるまでにいたるのだという希望をい、だきながら、この試練を、この恐ろしい 人生の学校を、すすんで受けるのである。この発案、すなわち長老制度は、理論的なものではな く、今ではすでに千年におよぶ実際の経験から設けられたものだ。長老に対する義務は、わがロ シアの修道院にも常に存在していた、ごく普通の〈服従》とはわけが違う。ここで認められるの ざんげ は、長老に従う者すべての永遠の懺悔であり、結ぶ者と結ばれる者との間の断ちがたい絆である。 おの きすな
したつづみ 舞いのあとで、まだ食事をよばれたり、修道院のソースに舌鼓を打ったりできますかいな ? 恥 ずかしくて、とてもいけませんや、失礼しますよ ! 」 『いまいましい野郎だ、が、まさか欺しやせんだろう ! 』遠ざかってゆく道化者を腑におちぬ眼 差しで見送りながら、ミウーソフは考えこんで立ちどまった。相手はふりかえり、ミウーソフが 見守っているのに気づくと、片手で投げキスを送ってよこした。 とうとっ 「あなたは院長さんのところへ行くでしよう ? 」ミウーソフが唐突にイワンにたずねた。 「きまってるじゃありませんか ? おまけに僕はすでに昨日から院長さんに招かれているんです 弟しね」 の「残念なことに、わたしもたしかに、このいまいましい食事に出なけりゃなるまいと感じてるん ゾですよ」修道僧がきいていることにさえ注意も払わず、ミウーソフが相変らず苦々しげな苛立ち マをこめて話をつづけた。「せめて、われわれがここでしでかしたことを詫びて、あれがわれわれ 力の仕業じゃないことを説明くらいしておかないとね : : : 」 「そう、あれが僕らの仕業じゃないってことは、説明しとく必要がありますね。おまけに父もこ ないし」イワンが言った。 「このうえあんたの親父さんといっしょだったらね ! まったくいまいましい昼食だ ! 」 それでも、みんなで向った。修道僧は黙ってきいていた。林をぬけてゆく途中、たった一度、 修道院長がもうだいぶ前からお待ちかねで、三十分以上も遅れてしまったことを注意しただけだ った。だれも返事をしなかった。ミウーソフは憎しみをこめてイワンを眺めやった。 『まるで何事もなかったような顔で、食事に行くんだからな ! 』彼は思った。『よほど鈍いし、 142
こうした神妙な気持は、修道院長の食堂 ( 人るに及んで、いっそう堅いものになった。もっと も修道院長の住居は、実際のところたった二部屋だったから、食堂なぞなかったのだが、長老の ところにくらべると部屋はずっと広く、便利にできていた。しかし、部屋の飾りつけはやはり特 に立派というわけでもなく、応接セットにしても皮張りのマホガニー材で、二十年代の古めかし い型だった。床さえ白木のままだった。その代り、何もかもが清潔さにかがやき、窓には高価な ぜいたく 花がたくさん飾ってあった。だが、この瞬間における最大の贅沢は、当然のことながら、豪華に 用意された食卓だった。もっとも、それとて相対的に言えばの話だったが、テープルクロースは 合 清潔そのものだったし、食器はびかびか光り、焼き具合のみごとな。 ( ンが三種類、ぶどう酒が二 会 びん はちみつしゅ な 本、修道院でとれた上等の蜂蜜酒が二壜、それに近在でも評判の高い修道院製のクワスを人れた い 違 ガラスの水差しが置かれていた。ウォトカは全然なかった。ラキーチンがあとで話してくれたと 場 ちょうざめ ころでは、この日は五皿の料理が用意されていたという。鱒魚のスープに、魚をつめたピロシキ、 編 そのあと何か一種特別なすぐれた調理法による蒸し魚。さらに鱒魚の捏ね揚げ、アイスクリーム、 果物の砂糖煮、そして最後がミルク・ゼリーのようなプリンという献立である。これはみな、一フ キーチンがこらえきれずに、かねてから顔のきく修道院長の調理場をわざわざのぞいて、嗅ぎだ してきたのだった。彼はどこでも顔がきき、どこに行っても情報源をつかんでくるのだった。い たって落ちつきのない、嫉妬深い心の持主なのだ。すぐれた才能を十分自覚してはいるのだが、 持ち前のうぬぼれから神経質なほどそれを誇張してみせるのである。やがて自分が何らかの面で 活躍することを、当人はたしかに承知していたのだろうが、彼と非常に親しくしているアリヨー シャを悩ませたのは、この親友ラキーチンが不正直なくせに自分ではまるきりそれを意識してお しっとぶか
ラキーチンは意味もなく叫んだわけではなかった。事実、かってきいたこともないような、思 いもかけぬ恥さらしな騒ぎが起ったのである。すべては《インスピレーションの産物〉であった。 八恥さらしな騒ぎ ミウーソフとイワンがもう修道院長のところに人ってゆくころには、根は上品でデリケートな 人間であるミウーソフの心中に、ある種のデリケートな変化が急速に生じ、腹を立てているのが 弟恥ずかしくなってきた。実際のところあんなやくざなフヨードルなぞ、尊敬しないのが当然なの のだから、先ほどの成行きのように、長老の庵室で冷静を失って自分までわれを忘れたりすべきで ゾはなかったと、ひそかに感じたのである。『少なくとも修道僧たちには、この場合なんの罪もな マいんだ』院長の住居の表階段で、ふいに彼は結論を下した。『ここにだってまともな人たちがい カるとしたら ( 修道院長のニコライ神父も、確か、貴族の出だったな ) 、その人たちにやさしく、 あいづち 愛想よく、いんぎんに接していけない理由はあるまい ? 議論はよそう。いっそ相槌ばかり打っ じじい て、愛想のよさでひきつけておいて、それから : : : そう : : : 最後には、俺があんなイソップ爺の、 あんな道化の、あんなピエロの仲間じゃなく、みんなとまったく同じように不愉快な思いをさせ られたんだってことを証明してやろう : : : 』 係争中の林の伐採権や漁業権は ( そんなものがどこにあるのか、彼は自分でも知らなかった ) 、 今日にもきつばりと永久に譲ってしまおう、ましてそんなものは取るに足らぬほどの値打ちしか ないのだし、修道院相手の訴訟も全部打ち切ろう、と彼は決心した。