「シスター、わたしは実験をしてみたいのですがね。ローズは事務的な口調で言った。「こうい う苦しい、あいまいな記憶を払いのけることができるかもしれません。もう一度、水晶をみつめ てほしいのです。いくつかの言葉を言いますから、ほかの言葉で答えてください。あなたが疲れ るまで、このやり方をつづけましよう、言葉のほうにでなく、水晶に精神を集中するのです」 水晶の包みをほどき、もう一度シスターの手に渡したとき、わたしは彼女がうやうやしい手つ きで水晶にさわるのに気づいた。黒いビロードの上に置かれた水晶は、ほっそりした彼女の両の てのひらの間にある。彼女の、すばらしく深い底知れないような目が、水晶を見つめた。短い沈 黙の後で、医師は「猟犬ーと言った。 間髪を容れず、シスターは答えた。「死ー わたしは実験の一部始終を語るつもりはない。医師は、重要でない無意味な言葉を、故意にた くさん持ち出した。ほかの言葉のほうは、五、六回くり返されたが、同じ答えが出たときもあれ ば、全然べつの答えが出たときもあった。 その夕方、崖の上の医師の家で、われわれは実験の結果を検討した。 彼は、咳ばらいをすると、ノートを引き寄せた。 「この結果は、まったくおもしろい きわめて好奇心をそそるものですよ。第六のしるしとい う言葉に対する答えとして、破壊、紫、猟大、権力、そのあとでまた破壊、最後に権力という言 325 死の猟大
ので届けてほしいと依頼した。その同じ日に、昼食のとき、チャールズの言った言葉が彼女をぎ よっとさせた。 「ところで、メアリ伯母さん , と彼は言った。「あの客用の予備の部屋にかけてある、おかしな やつは誰です ? 暖炉の上にかかってる絵のことですが。シルクハットをかぶって、頬ひげをは やした男の ? 」 ハーター夫人は、きびしい目で彼を見やった。 「若いころの。ハトリック伯父さんですよ」 「へえ、そうですか、メアリ伯母さん、本当にすみません。失礼なことを言うつもりじゃなかっ たんです」 ハーター夫人はいかめしくうなずいて、その謝罪を受け入れた。 チャールズは、ややあいまいに言葉をつづけた。 「ちょっとふしぎだな。なにしろ 彼は心を決めかねたように言葉を切った。ハーター夫人は鋭く言った。 「なんです ? 何を言いかけていたんです ? 「なんでもありません」チャールズはあわてて言った。「つまり、たあいもないことなんですよ」 当座、夫人はそれ以上ひとことも言わなかったが、その日、もっと後になって一一人だけのとき に、そのことをむし返した。 「話してもらいたいのよ、チャールズ。どうして伯父さんの絵のことを、わたしにきくような気 110
を業としていない。厳密に言えば、わたしは医者ではないーーー肉体の医者ではないのだ」 ジャックは鋭く相手を見た。 「精神のほうのですか ? 」 「そう、ある意味ではね。しかし、もっと正確に言えば、わたしは魂の医者と名づけている」 「へえ ! 「きみの口調には、あなどりが感じられるな。しかし肉体からは分離できて、独自に存在する活 力を言いあらわすにはなんらかの言葉を使わなければならんよ。そこでまあ、魂という言葉で妥 協するわけだが、これは教師たちが作りあげた宗教的用語というだけではないのだ。しかし、精 神とでも、あるいは潜在意識とでも、もしくは、もっときみの気に入るなら、どんな言葉で呼ん でもかまわない。たった今きみは、わたしの口調に腹をたてたがね、確かにきみのように常識の ある完全に正常な青年が、自分は発狂しかけているという幻覚に悩んでいる。これは、まったく 興味ある話だと実際に感じたのだよ」 「確かにぼくはどうかしてるんです。まったくばかげていますが 「こう言っては失礼かもしれんが、わたしは本気にしないねー 「ぼくは幻覚に悩んでるんです」 「タ食のあとでかね ? 」 「いいえ、朝にです」 「そんなはずはないが」消えていた。ハイプにまた火をつけながら医者が言った。 174
ように、わざと無関心な態度をよそおって言った。 母親は急いでこのヒントに応じた。 「さあ、坊や。あんたの新しいおうち、気に入った ? 」 「とっても」ジョフリーはロいつばいに、ケーキをほおばりながら答えた。「ぼん、ぼん、ぼん、 あきらかに心底から満足の意を表したこの最後の言葉をいうと、少年は、だまりこくって、せつ せと目の前からカステラを片づけるという作業に没頭した。 ロいつばいにほおばった最後のケーキを大急ぎでつめこんでしまうと、彼は一気にしゃべりだ した。 「ねえ、ママ、ここに屋根裏部屋があるって、ジェーンがそう言ったよ。すぐに行って探検しち ゃいけない ? 秘密のドアがあるかもしれないんだ。ジェーンはないっていうけど、ぼく、ある にちがいないと思うよ。それにどうせ。ハイプや水道管 ( そう言ったとき、少年の顔には、感きわ まった表情がひろがった ) があるにきまってるもん、それで遊べるよ。ねえ、見に行ってもいい でしよう、ポイイラーを ? 、ジョフはひどく夢中になって、この最後の言葉を長くひきのばした。 それを聞いて祖父は、幼い日のこの比類のない喜びの言葉が、彼の心にはただ、ちっとも熱くな いお湯と、おびただしい枚数の多額の鉛管工の勘定書しか、目の前に浮かび上がらせてくれなかプ ン ったことを思い合わせて恥ずかしい思いをした。 「あした、屋根裏を調べましようね」ランカスター夫人は言った。「積み木をもって来て、きれ いなおうちか機関車を組み立てたらどう ?
りまさ 0 ているにすぎないーーそう、エリザベス女王の時代 (ä) とくらべてね ! 」 「おやおや」キヤノン・パ ーフィットは、この猛襲にちょっととまどった。「そうですかね ? 」 おんらよう 「いいかね、それは恩寵のしるしなんです」キャンベル・クラーク博士は言葉をつづけた。「昔 われわれは人間を単純な動物と考えていた。肉体と精神ーーーそれも前者のほうに重点をおいた動 物としてね」 「肉体、精神、それに霊魂です」おだやかに牧師が訂正した。 「霊魂 ? 」博士は奇妙な微笑を浮かべた。「あなたがた僧職にあるかたは、正確にどんな意味で 霊魂という言葉をお使いになりますね ? どうも、いつも、その点がはっきりしない。昔から、 明確な定義をくだすことをこわがっていらっしやる キヤノンは一席ぶつ準備に咳ばらいをしたが、残念なことにその機会は与えられなかった。医 師は話しつづけた。 「霊魂という言葉ですら確かでしようかね ? ーーー 霊魂は複数形かもしれんじゃないか ? 」 「複数の霊魂だと ? 」冷やかすように冒をあげて、ジョージ・デュランド卿が質問した。 「そうさ」キャンプル・クラークは視線を移した。前にのり出して、軽く相手の胸をたたく。 男 「きみはそれほど確信があるかね ? 」彼は真顔でいった。「この建物の中には、ただ一人の住人 の しかいないーー・それで全部だと ? このあつらえむきの住まいは、家具つきの貸家で、七年、二四 第 十一年、四十一年、七十一年とか、要するに何年であろうと提供できるんだ。そして最後に借家 人は、荷物を運び出してしまうーー少しず ? ーーそして、すっかり引越してしまうーーー家はさび
「こんだくぼみ ) カその一方の端にある。 似ているが、大きな肘かけ椅子をおいた壁のアルコーブ ( 床の間ようにひ : アルコープにはずっしりした黒いビロードのカーテンがかかって仕切れるようになっている。工 リーズは部屋の仕度に忙しかった。彼女はアルコープの近くに、椅子を二つと小さな丸テープル をすえた。テープルの上にはタンバリンが一つ、角笛が一つ、紙と鉛筆が少々のっている。 「最後の会ですね、エリーズは、薄気味悪い満足の色を表わしてつぶやいた。「ああ、ムッシュ 、もうすんでしまっていたらよろしいのに」 鋭いベルの音が鳴りひびいた。 「あの女が来ましたよ、男まさりの女が、年老いた召使は言葉をつづけた。「なぜあの女は教会 へ行って亡くなった子供さんの魂にまともにお祈りをし、聖母さまにローソクの一本も捧げない のでしよう ? わたしたちにとって何が一番いいか、神様はちゃんとご存知じゃありませんか ? 」 「取次ぎに出なさい、エリーズ」ラウールはきつばりと言った。 エリーズは彼を一瞥したが、その言葉には従った。そしてまもなく訪問客を案内してもどって 来た。 「あなたのおいでを伝えてまいりますから、マダム」 ラウールは前に進み出て、マダム・エクスと握手した。シモーヌの言葉が、彼の記憶によみが降 後 える。 最 ″とても大きくて、黒ずくめで〃 彼女は実際、大女で、フランス式の重々しい黒の喪服が、彼女の場合には、大げさとさえ言え
「心配ごとと興奮はいけませんよ。それだけご注意くだされば結構です」メイネル医師は、医者 が好んでよそおう気楽そうな態度で言った。 こういった、気休めだけの無意味な言葉を聞かされると、えてして患者はそうなるものだが、 ハーター夫人も、安心するよりは、むしろいっそう不安になったらしい 「多少、心臓が弱っています」医師は流暢に言葉をつづけた。「でも、ご心配になることはあり ません。その点は保証できます , 「しかし」と彼はつけ加えた。「やはり昇降機をとりつけたほうがよろしいでしよう。いかがで ハーター夫人は困惑の態だった。 反対にメイネル医師は、いたって満足そうだった。彼が貧乏人たちより金持ちの患者を診るほオ うが気に入っている理由は、自分の活発な想像力を働かせて、処方箋を書くことができるからで ある。 「そう、昇降機ですよ」メイネル医師は、ほかにもっと威勢のいいものを考え出そうとしながら ラジオ
「この一両日、あなたはぼくを観察していましたね。なぜです ? 」 ラヴィントンは、ちょっと目をしばたたいた。 「それはいささか、やっかいな質問だね。誰だって、見ることは自由じゃないか」 「はぐらかさないでください。ぼくは真剣なんです。なぜですか ? おききするからには、きわ めて重大な理由があるんです , ラヴィントンは、まじめな顔つきになった。 「率直に言ってだ、わたしは何か激しい緊張に悩んでいる人間に特有の、あらゆる兆候をきみの 中に認めたんだ。それで、その緊張はどんなものだろうかと興味をそそられたのだよー 「それなら、かんたんにお話しできますージャックは苦々しげに言った。「ぼくは気が狂いかけ てるんですー 彼は芝居がかって言葉を切ったが、相手には予期したほどの関心も驚きも起こせなかったらし い。そこで、もう一度その言葉をくり返した。 「ぼくは気が狂いかけてるんですよ」 しんしん 「たいへん興味がある」ラヴィントンがつぶやいた。「まことに興味津々だな」 の ジャックは憤慨した。 「あなたにはそう見えるだけですむんでしようよ。医者ときたら、まったく冷淡そのものなんだい から」 「まあまあ、きみ、きみの話は支離滅裂だ。まず第一に、わたしは学位を持ってはいるが、医者
りてきて、反応をテストするため、ある日不意に、あのひとの前に持ち出しました」 「ほう、それでフ 「結果はすこぶる奇妙で、暗示的でしたよ、彼女は全身をこわばらせ、信じられないように水晶 をみつめているのです。それから、その前にひざまずくと、ひとこと、ふたことつぶやいて、気 を失ってしまった」 「どんな言葉だったのです ? 」 「ひどく奇妙な言葉でしたよ。″水晶 ! それでは信仰はまだ生きている ! 〃と言ったのです」 「驚くべきことだ ! 」 「暗示的でしよう ? まだ奇妙なことがつづくのです。失神から覚めたとき、彼女は何もかも忘 れていたのです。わたしは水晶を示して、それが何か知っているかとききました。占い師の使う 水晶玉だろうと思うという答えでしたよ。こういう物を、前に見たことがあるかとききますとね、 ありません、先生、と言うのですよ。しかし、わたしは彼女の目の中に、とまどいの色を見たの です。どうかしましたか、シスター ? とたずねると、彼女はこう答えたのです。″だってとて もふしぎなんですもの、わたしは前に水晶なぞ見たことはございません。それなのにーーー・よく知 っているような気がするのです、何かーー思い出せさえしたら : : ″しかし、思い出そうとする ことは、明らかに彼女にとって苦痛らしかったので、わたしはそれ以上考えることを禁じました。 それが二週間前のことです。わざと機会を待ったのですよ。あす、もう一歩つつこんだ実験をす るつもりです」 318
すーーああいったものに毒されていないのは。ゅうべのお茶のときでも、あの子は全然変わって いませんでしたものー 「それで、あなたは ? ーモーティマーがたずねた。 「わたしはこわかったのですーーとてもこわかった、子供みたいにー・ーーそのくせ、何を恐れてい るのかわからなかったのです。そして父は・ーー奇妙でした、奇妙としか言いようがありません。 父は奇跡のことを話し、それから、わたしは祈ったのですーー本当に奇跡を願いましたの。する と、あなたがドアをノックなさったのですわ」 彼女は急に言葉を切って、彼をみつめた。 「きっと、わたしのこと頭がおかしいとお思いでしようね」挑むような言い方だった。 「いや、反対に、あなたはしごく正常にみえますよ」モーティマーは言った。「健全な人間とい うものは、危険が近づいた場合、みな予感をおぼえるものなんですー 「あなたはおわかりになっていらっしやらない」マグダレンが言った。「わたしが心配していた のはーーーー自分のことではありません」 「では、誰のことを ? 」 しかし、またしてもマグダレンは、当惑したようすで頭をふった。「わかりません」 それから、言葉をつづけた。 「わたしは衝動にかられてを書きました。思いついたことがあったんですーーーまったくば かげたことですし、みんなはあなたに話すのを許してはくれなかったでしようーーー・つまり、家族 2 S 0 S