147 「ええ」 「・ほくは何も知らない」 = ラリイはつまらなそうにいった。「その点、何も知らないというとこ ろまでも行っていないな。しかし、きみの知っていることがうかがいたい」マクゴアンはびつく りした。「ぼくはきみにごまかしをいっちゃいないよ。だが何かきみは知っているに違いないし、 その知っていることを。ほくに話した方がいいのじゃないかと思う。・ほくは人一倍秘密の守れる人 間、というかそれが礼儀にかなった習俗ですからね。おわかりのとおりぼくは幸い正式なその筋 のものではない。必要以外のことは絶対に他へもらすようなことはしない」 マクゴアンは長いあごをいらいらした様子でなでていた。「何のことかきみのいってることは ・ほくにはわからないね。何かぼくが隠しているとでもいうのかね ? まったく : = ラリイは彼を静かに見守っていた。それから煙草を口へ戻すと何か考えこむふうで煙草を吸 った。「いやはや。どうやらわかってもらえないらしいな。マクゴアン君、いったい何を頭に持 ってるんだね : ・ いや、手に何を持ってるんだね ? 」 マクゴアンは大きなこぶしを開いてみせた。エラリイはその幅広い手のひらの上にちょうどカ 1 ト入れのような小さな革製の物があるのを見た。「これーとマクゴアンがいった 「何かのケ 1 スだね、革製か模造革か。不幸にしてぼくは線目玉の持ち合せがないんだ。こっ ちへ渡してください」 だがマクゴアンは手の上のケースから目も離さず、また手渡そうともせずにいった。「買った ばかりなんだ : : このケ 1 スの中のものをね。非常に高価なものだ。これはもちろん単なる偶然 とは思うんだが、どうもこれが何か面倒を起しそうな予感がして : : : 何か困ったことに引きこま れそうで : : : といってもぼくは露ほどもやましいことはない : エラリイはまばたきもせず男
プラウティ医師はひどいにおいのする黒い葉巻をくわえている歯の間から爆発するように言葉 を吐き出していた。「まあこれだけのことしかいえませんな、警視。このホテル付きの医者がい っていた以上のことは全然何もつけ加えることはないです」そこへエラリイが近づいてきて、検 死官補の肩越しこ 冫いった。「お父さん、すまんですが、この部屋ちょっと静かにしてもらえませ んか ? 」 老警視はエラリイをにらんで、「こんどは何を考えついたんだ ? 」と声を大きくすると、「お いみんな、ちょっと静かにしていてくれ ! 」 部屋が静かになった。 「みなさんーとエラリイが低い声でいった。「みなさんにちょっとおかしな質間をしたい。しか し答えはちゃんとしてほしい。テ 1 ・フルの上のあの果物鉢から何か取った人はおりませんか ? 」 みんなはぼかんとなっていた。誰も答えるものもなかった。警視が急ぎ足にテ 1 ブルのところ へ行ってオレンジの皮と乾いた種をにらみつけるように見下した。「誰もミカンを取った者なそ みんな強く首を横に振った。 イそれだけです」と = ラリイはつぶやくようこ 5 オレンジと推理 冫いった。父とプラウティ医師を身振りで近づけた。
な ? ・ ・ : まあかけたまえ」 「いったい何です ? 」エラリイがきいた。「急に何を思いついたんです ? 」 警視は巧みにそれを無視して机に向って腰をおろすと、何かくすくす笑って手をもみ合せなが ら、「トマス、切手商と宝石商の方の手がかりはどうなっとるんだ ? 」 「あんまりうまくないです」がらがら声で哀れっぽくいった。 「何もないのか、え ? 」 「においもありませんな。どこへ行っても被害者を知っとるやつはおらんのです。こいつはもう 全然確かです」 「おかしいな」とエラリイが額にしわをよせてつぶやいた。「どうも何かわからんところがあ る」 冫しナ「こいつはほやほやの手がか 「わかるわからんはどうでもいいよ」と警視は上きげんこ、つこ。 りなんだ。いいかトマス、ホテル捜査の最後報告はできとるのか ? 」 「できとるです。市中のどのホテルにも投宿の形跡なしです。確かです」 「ふうん。ではトマスよく聞いといてくれ。それから〒ラリイおまえも、わからんことにご多忙 かもしれんが聞いてくれ。まあ例の小男がニ = ーヨークの人間じゃないとする。われわれみんな そうと認めざるを得んだろう ? 」 「・ほくは火星かどっかから来たんだと思いますな」とヴェリー部長刑事が・ほそぼそいった。 「そうとは納得できないがねーとエラリイがゆっくりいった。「しかし、そんなところかもね」 「よろしい。あの男がニューヨークの住人でなかったとする : : : またわしらが総点検したように 彼が郊外から来たのでもないことがあらゆる兆候で指摘されている : : : とすると、状況はどうな
146 ちろんあの老人にはもうろくの兆ありだ。暴君だ。その上、公務上の捜査の必要性さえ理解でき ないんだから : : : 」 「いやいいんだよ」エラリイはト 1 ストをもぐもぐやりながらきげんよくいった。そして、あと は何もいわなくなって、話は来客に任せ放しで満足のようだった。 「ところで」とマクゴアンは急に首を横に振ると暖炉わきのひじかけいすに腰をおろした。「・ほ くが何で今朝ここへやって来たのかきみには不審だと思う」 〒ラリイはコ 1 ヒーのカップをあけて、「ぼくだってただの人間だ。きみの来訪があらかじめ わかってやしない」 マクゴアンはちょっと陰気に笑った。「もちろん、ぼくはぼく個人としてきみにおわびがいし たかったんだ。・ほくはもうカ 1 ク家の一員も同じだと思っているし : : : マーセラと・ほくはもう : : おいクイーン君、こっちを向きたまえよ エラリイはやれやれといすの背へ深々ともたれかかって、ナプキンで唇をふいた。マクゴアン に煙草をすすめたが、この大男はそれを断ったので、エラリイは自分で一本取った。「これでよ しと ! 」彼がいった。「これで人心地がついた : : : さてマクゴアン君 ? きみの方を向いたぜ」 二人はしばらく無表情で黙々とお互いの顔を見合せていた。やがてマクゴアンは胸の内ポケッ トをさぐり始めた。「どうもぼくはきみの気持を解しかねてるんだがね。きみはどうもみかけ以 上にいろいろなことを知ってるらしい感じだ : : : 」 「ぼくは一種の。 ( ッタみたいなもんでね」とエラリイがつぶやいた。「保護色なんたよ、実はぼ くの職業の目的上育成された態度たな、マクゴアン」と煙草を横目で見ながら、「どうやらきみ はあの殺人事件のことをいってるようですね ? 」
積みかさねてあった。エラリイはいすのところへぶらりと歩いて行くと、スカーフをつまみあげ ップコートのえり裏にも、もう た。スカ 1 フの中ほどの端に点々と血痕がついていた。また、ト 固まった小さな血痕があった。エラリイは眉根を寄せながら衣類をそこへおくと、小腰をかがめ て床の上を探し始めた。別に何もみつからなかった。いや : : : あった、血しぶきらしいものがじ ゅうたんの端から外れた堅木の床にあったー いすの近く : : : エラリイは部屋の向うへ急ぎ足に 行くと死者の上へかがみこんだ。死体のまわりはきれいだった。エラリイは立ち上ると後ろへ退 った。それを二人の男のさえない視線が追った。死者はドアを境にして置かれている二つの本棚 と本棚とのほ・ほ中間に、ドアの敷居と平行に横たわっていた。ドアの方に向っ . て立っているエラ リイの左手に当る本棚は、壁にびったりついていた元の位置から引かれて、その左端はドアのち ようつがいにくつついており、右端は部屋の中へとび出し、その動かされた本棚はドアに対して 鋭角をなしていた。死体はなかばそのかげに横たわっていた。ドアの右側の本棚はずっと右方へ と移動されていた。 「いったいこれをどう解釈するね、プラマー君」とエラリイが突然向き直ってきいた。別に皮肉 な調子ではなかった。 冫いった。「わたしだ 「ばかばかしくってお話になりませんや」とプラマ 1 探偵は吐き出すようこ って、クイ 1 ンさん、あなたのお父さんが分署の署長のころはおまわりをやってたんだが、こん なのは生れて初めてですよ。誰がやったことかしらねえが、こりや気違い病院行きもんですぜ」 「そうかな ? 」と〒ラリイは考えこむふうで、「ただ一つ異常な事実さえなければ、ぼくもきみ の意見に賛成させられるところだがね : : : それにこの紳士の角だ ? これも犯人の気まぐれのせ いときみは解釈するのかね ? 」
翌朝のこと、クイーン家の″万能給仕〃君ジーナがそのオリしフ色をしたきりりと若者らし い顔を寝室へ突っこんで、「おや = ラリイさん ! 」と大きな声でいった。「起きてたんですか、 ちっとも知らなかった ! 」 彼の驚きは今までの経験とその経験を今、目の前で打ち破られたことに原囚している。エラリ イ・クイ 1 ン氏は自分一人きりにならないと考えごとや研究ができないので、決して早起きとは 申されない人物で、事実、毎朝のようにエラリイがその長身を揃いのべッ トの二番目のに無心に 寝そべりかえっているものだから、警視はがまんしていた噴火口が爆発したみたいにお説教の雷 を落すのであった。ところが今朝は、髪は寝乱れたままながらけんちゅうのパジャマを着てちゃ んと起きていて、肉の薄い鼻柱には鼻眼鏡をのせ、まさに前代未聞の午前十時という時刻に何や ら分厚い本に読みふけっていたのである。 「おいジ = ーナ、へんなにやにや笑いするんじゃないよ」と , ラリイは本のペ 1 ジから目を離さ ず、何となくいった。「ひと朝ぐらい早く起きたっていいだろう ? 」 ジ = 1 ナは額にしわをよせて、「なに読んでるんですか ? 」 「中国の風習に関する誰かのすごくでかい本さ、野蛮人め。しかしあんまり役に立たなかった な」とわきへ本を放りだすと、あくびをして気持よさそうなため息をもらし、べッド へひっくり 9 誤刷の福州切手
133 「残念ですが」とエラリイは嘆くようにいった。「あなたは昨日以上に今日はたいへんばくがお きらいになられたようですね」 「利ロな女だな」と吐き出すようこ ~ いった声に二人ともばっとふり返った。そこには玄関ホール 1 ンがいた。そのうしろにはドナル 入口から二人を冷やかにじろじろ見ているフェリックス・ 、ド・カ 1 ク、力しー ドナルド・カ 1 クは服を着たままで寝たのかと思われるような姿だった。昨日のと同じくたび れたツィ 1 ドの服、それもひどくしわくちゃになっており、ネクタイはよじれているし、髪は乱 れて目の上にかぶさりそうだし、その目の縁は赤くなっているし、不精ひげも汚ならしかった。 1 ンのすらりとした姿には一分のすきもない感じだったが、その首のポーズにどこか不安定な ところがあった。 「やあ」と〒ラリイはステッキを取り上けると、「今帰るところだったんですよ」 「いつものきみのロぐせらしいね」とパ ーンは冷酷な徴笑を浮べ、とけのある目つきでエラリイ を見ていた。 いうのを控えてしま エラリイも何かいおうとしたが、ふとドナルド・カ 1 クの目を見入ると、 っこ 0 「おいフェリックス、きみは黙っていてくれ」とドナルドはしわがれ声でいって前へ出てきた。 「クイーン君、ここで会えてよかったよ。昨夜は父がとんでもない失礼をしてしまってほんとに 悪かったな、かんべんしてくれ」
登場人物 ヒュー・カーク・・ ドナルド・カーク・・・ マーセラ・カーク・・ グレン・マクゴアン・・ ジェイムズ・オズボーン・・ フェリックス・バーン・・ ショー・テンプル・ アイリン・リューズ・・ ミス・・ディ′ヾシー シェーン夫人・・ プラマー プラウティ・・ トマス・ヴェリー ジューナ・ 工ラリイ・クイーン・・ リチャード・クイーン・・ ・・ヒューの息子。出版社の経営者。 切手と宝石の収集家 ・ドナルドの妹 ・・マーセラの婚約者 ・ドナルドの助手 ・・ドナルドの共同経営者 ・・・作家 ・・・旅行家 ・・・看護婦 ・・・・執事兼従僕 ・・ホテルの事務員 ・・ホテルの支配人 ・・ホテル付きの探偵 ・・・検死官補 ・・・部長刑事 ・・クイーン家の召使い ・・・犯罪研究家 ・・・エラリイの父。警視
にされていた。 「はい。ォズボーンとシェ 1 ン夫人がほかの連中の出入りのことを話してくれたんです。それか らまたシェーン夫人は、オズボ 1 ンが、この小男がやって来た時からカ 1 ク氏とクイーンさんが ここへみえるまでの間、全然一度も事務室から出ていないというのを裏づけ証言しております。 「そう、そうーとエラリイがつぶやくようにいった。「犯人は廊下側のドアからこの控室へはい り、また出て行ったことは明確だ」その語調には何かもどかしそうな様子があった。「ところで ヴェリ 1 君、この男の身元はどうかね ? 何か手がかりがあるはずだが ? ぼくはこの男の着衣 にもまだ手を触れてないんだ」 「はあーとヴェリ 1 部長刑事は持ち前の噴火口みたいな太い声で、「それがまたクイーンさん、 この犯行のもうひとっへんてこなとこなんですよ」 「え ? 」といって丁ラリイは目を見張った。 「どういうことかね、トマス君 ? 「まったく身元不明です」 「なに ? 」 「男のポケットには何ひとつはいっておらんのです、クイーンさん。何かのかけらひとつないん ですからな。例の綿くずみたいなもの、よくボケットの中にたまるあれですな、あんなものがあ るくらいのもので。これは係の方で分析することになってますが、何も別に出てこんでしよう。 煙草の粉のこ・ほれもなしですから、煙草も吸わんのですな。まったく何もなしなんですよ」 どうも : : : 」 「強奪でもされたのかな」エラリイがつぶやいた。「おかしい ,
286 発するような驚きの声も聞き取っていた。部長刑事はどうやらあっけにとられているような気配 たった。やがてばたんとドアの音がしてエラリイが徴笑を浮べ、両手をもみ合せながら出てきた。 「ジュ 1 ナ , 呼ばれるまでもなくジ = 1 ナはまるで彼の軍馬みたいに息をはずませ、ばっと〒ラリイのわき へとんできていた。 「なんか、やるんでしょ ? 」 「大いにやるんだ、わがべ 1 カー街分隊長どの」と笑った顔の人形の方を考え深そうに見やりな がらいった。「今、きみを第一特別研究所助手に任命する。ぼくら二人きりなんだそ、のそき見、 とジ、 1 ナをきびしい目でにらんだ。「きみは一個のジプシ 1 紳 盗み聞きするものもない : 士として宣誓するんだそ。今夜・ほくらの間で行われることは、今後そしてまた永久に秘密である ことを血書をもって誓いますとな ? 心臓の上に十字を切り、喜んで死ぬることを誓う、と ? 」 ジューナはあわてて心臓の上で十字を切り、喜んで死にますと誓った。 「よし決定 ! ではまず初めに」とエラリイは親指をしゃぶっていたが、「あ、そうた ! 物置 部屋から小さなマットを出してきてくれ、ジ、 1 ナ」 「マットですね」とジーナは大きく目を見開いて、「はい、わかりました」ととびだして行っ たと思ったら、たちまちいいつけどおりのマットを持って戻ってきた。 「次に」とエラリイは部屋を横ぎりながら暖炉の上の壁を見上げ、「脚立を持ってきてくれ」 ジュ 1 ナが脚立を持ってきた。エラリイはそれへ上ると、まるで聖祭でも施行している高僧み たいな荘重さと威厳をもって、壁の支えにかけてあったほこりつぼい二本の長剣を取りはずした。 トのわきへ置くと、くすくす笑いながら手のほこりを払った。 それらを丸く巻いたマッ