g エラリイは、「ちょっと失礼」とつぶやくと急いでドアの所へ行った。みんなは三人が何か心 配と諒解の表情をむき出しにして話し合っているのを見守っていた。部長刑事は何か不吉そうな ことを低声で・ほそぼそいっており、警視は誇らしげにしていて、エラリイは一言聞くごとに強く うなずいていた。やがてヴェ 丿 1 の大きな手から何かがエラリイの手に渡され、エラリイはこち らへ背を向けてそれを調べていたが、また向き直るとその持っているものをにこりと笑ってポケ ットに納めた。部長刑事はドアに背をもたせかけて、クイーン警視のわきでのっそり突っ立って 「中座してどうも失礼」とエラリイがおだやかにいった。「ヴェリー部長刑事が実に画期的な発 見をしたものですからね。どこまで話をしておりましたつけ ? あ、そうだ。そこでわたしには ドナルド・カ 1 クを訪ねてきた人が何者であったか、だいたいの見当がっきました。それで少し 考えてみて、殺害者を犯行に導いた、いわばカ 1 スス・べ ) ともいうべき直接動機を知 る鍵の発見にも確信を持ちました。この牧師は生きた一個の人間としてはこの部屋にいる誰とも 未知の人だったことは明らかです。なのに牧師はドナルド・カ 1 クを名指しで面会を求めてきて いるのです。カーク氏の事務所へよく訪ねて来る人たちは三種類の人々に限られていました 切手収集関係の人、宝石関係の人、それに出版関係の主に作家といった人たちです。だがこの牧 師は、カークの信頼厚い助手のオズボーン君にさえ自分の用件や名前さえもいうのをこばんでい る。これはどうも出版交渉のようには思えないし、もっとも考えられる点はカークの二つの道楽、 宝石か切手関係でこの牧師はカークと交渉を持とうとしたのではなかろうか、わたしはそう考え ました。 さてもしこれが本当だとすれば、この宣教師は切手か宝石を売るため、もしくは買うため :
% りだしてつづけた。「あらゆるものをあべこべにすることによって、事件に関係ある誰かについ てのあべこべな事柄を隠そうとしたことです ! エラリイは新しい煙草に火をつけるために話を切った。マッチを両手で囲いながら彼はみんな の顔を横目でじっと見ていた。だが、どれも当惑そうな顔ばかりだった。 「これは論理の展開が必要だと思いますーとゆっくりいって煙草の煙を吐きだした。「第一の可 能性は犯行から遠のけることであり、第二の可能性は犯行へと導くことです。第一の可能性は秘 密を暴露することであり、第二のは隠すことなのです。ここでみなさんに質間をしてみればもっ とはっきりしてきますーー死体や犯行現場のあらゆるものをあべこべにしておくことによって、 いったい誰のことを隠そうと企図しているのでしよう ? 事件関係のいったい誰の何を隠し、カ ムフラ 1 ジュし、変容しようとしているのでしよう ? 」 「死体のものをすべてあべこべにしてあったとしますと」とミス・テン。フルが低い声でおずおず いった。「それは被害者についての何かが隠されていると考えてよいのじゃないでしようか」 「すてきですよ、テンプルさん。まさに図星です。この事件関係の人間で、物をあべこべにして その何かを隠すことの効果があるのはただ一人だけです。そしてそれは被害者自身です。言いか えれば、殺人犯人またはその共犯者、または犯行目撃者に関するあべこべの特徴を探す代りに、 被害者に関するあべこべの特徴を探すことが必要だということです」 「きみがはっきりそういうと話は合うようなんだが、どうもぼくにはわからんことが : : : 」と ン、力し / 「ホ 1 マ 1 の言葉にもありますね」とエラリイがつぶやくようこ 冫いった。「″われに理解せしめ ーンさん : よ、さればアジャクスも問うことをやめん〃とね。古典学者には古典をですかね、
「あらほんと」ミス・テ 。イシ 1 はあきれ顔になって、「ジョージ王が切手収集家なんですか 「そうなんです。いろんな偉い人たちが収集家なんですよ。ルーズベルトさん、アガ・カ 1 ン : 「まあ驚いた ! 」 「カ 1 クさんも同じなんですよ、ドナルド・カ 1 クさんの方ですがね。カ 1 クさんの中国切手収 集は世界でも最高の一つになっておりますからね。これにはいろいろ専門がありましてね。マク ゴアンさんは地方切手を集めておられるんです。この地方切手というのは、全国的な郵便制度が できる前に、 州とか公共団体などから発行された切手のことなんです」 スディバシ 1 はため息をついて、「ほんと、とてもおもしろいんですね。でもカークさん はまだほかにも集めてらっしやるものがおありなんでしよう ? 」 「ああ、そうなんですよ。宝石類をですね。・ほくはその方面にはあまり関係してませんが、その 収集品は銀行の金庫室に保管されております。ぼくの主な仕事は収集された切手類をきちんと整 理しておくことと〈マンダリン書房〉関係の機密の仕事をカークさんに代ってやっておることで 「おもしろそうですわね ! 」 「そりやもう」 「ほんとおもしろいですね」とミス・ディバシ 1 がもう一度いった。なんでまたこんな話なんか 二人でしなくてはならないのか、といまいましい思いだった。「あたし、マンダリン書房から出 た本を読んだことありますわ」
した。わたしの経験によりますと、犯罪者というものは、無意識の行動は別として、目的のない ことを積極的にするということはまれなのです。この裏返し仕事は意識的であり、積極的です。 これは骨の折れる仕事で、成には貴重な時間の消耗を要します。ですからわたしはこの仕事の 裏には理由があるはずだと直言しても差支えないと思いました いかにも目的なしの気違いざ たのようにみえるが、少なくともこれは正気の仕事だと思ったのですー 一同はじっと謹聴して 2 た。 エラリイがつづける。「正直いって実はわたしにも昨日までその目的が何なのかわからなかっ た。わたしは死にもの狂いのねばりで懸命に考えつづけたが、なぜあらゆるものをあべこべにし たものか、どうしてもわからなかった。もちろん犯行のあべこべ性がこの事件関係の誰かについ てのあべこべなことを指摘していることはわたしにもわかった。これがあり得る唯一の手がかり でした。それでもなお言語学や切手収集学やまた専門術語学といったものの迷路へ落ちこんでし まって、わたしは一再ならずこの事件の謎そのものを放棄してしまおうと考えたくらいでした。 解答を要するありとあらゆる疑問だらけなのです。誰かのあべこべの特徴を指摘するために、あ らゆるものをあべこべにしておいたとすると、その誰かもまた犯罪に関係してることになる。で も、そのあべこべの特徴というのは事実何だろう ? 誰を犯罪にまきこもうと意図したものなの か ? そしてさらに重要なことはいったいそもそも誰があらゆるものをあべこべにしておいたの か ? 誰が誰を指しているのか ? 」 エラリイはくすくす笑った。「ここに混乱があり、みなさんが混乱しているのも無理ありませ ん。わたしは多くの手がかりを発見しました。それらの手がかりはそれそれりつばに手がかりと しての機能を持っていながら、不幸にして混迷へ導く手がかりとなるばかりで問題解明の手がか
180 捜査科学上のもっとも的確な進歩といえば、おそらく、いわゆる身元不明の人物なるものを、 その足取りをたどって身元をつきとめる現代探偵の超人的な技倆であろう。探偵が絶対誤りをし ないとは限らないのだから探偵の勝ち目は不充分である。しかし絶対ぬけ出せない迷路を考慮に 入れれば探偵の成功率はきわめて高い。複雑な警察制度の全機構はよく油の行き渡った軸受けを 中心にうなり声をたてて動いているのである。 にもかかわらず、チャンセラ 1 ・ホテルで殺されたあの妙な小男に関しては、警察側は何の成 功にも遭遇していなかった。たとえ普通の失敗例の場合でも何か発見されているものである 手がかり、足取り、ちょっとした縁故関係、偶然の人の心に残された最後の行動の印象とか。だ がここには何もない、あるのは空間の暗やみだけ。まるであの小男はどこか別の遊星から地球へ 降りてきたもののようで、凍りつくような真空の秘密を伴っているのだ。 殺人捜査の責任者であるクイーン警視はヒルのような粘り強さで自分の仕事を固守しているの だが、身元捜査の糸はその手中へたぐりよせられるのを拒否していた。警視は尋常な水路の水が 出つくしてしまってもなお、失敗を認めることを拒否していたーー死者の写真の公表、人相書や 依頼書を他の市警察当局へも送付した。身元調査局の記録は根気よく点検した。私服警官による 死者の最後の足取りも絶え間なく捜査した。被害者が犯罪社会関係の者かもしれないという仮説 未知数
屋中に指紋検出薬をふりまいて歩いていたし、写真係は死体や家具類ドアなどの撮影をしていた し、検死官補のプラウティは死体のわきにしやがみこみ、ヴェリー部長刑事指揮下の殺人課の刑 事たちは人の名前や証言などを収集して歩いていたが、このショッキングなわけのわからない殺 人事件の現象を単なるおまわりの手でわけをわからせようとするのはとても期待できまい、と老 警視は気にし始めていた。種々の手がかりになるべき性質のものがすべてあべこべにされている ということ、これは狂人の気まぐれで何の目的もないことだとして深く考えもせずに捨て去るほ ど警視は軽率でない。だがいったいそれでは他にどんな考えようがあろうか ? 「どう思うかね、おまえは ? 」と警視は息子のエラリイにかみつくようにきいた。部下はその間 もがたがた部屋中をやっていた。 「まだ何とも考えがっかないんですがね」とエラリイはもどかしそうこ 冫いった。開け放たれた窓 ぶちに寄りかかって、渋い顔でじっと煙草を見つめていた。「いや正直にいいますとね、いろい ろ考えは雲のように出てきますが、どれもこじつけぎみでびったりこないんで、これ以上考える のがいやになってるところです」 「こんな状況ではね、こじつけになるのも無理ないねーと警視もうなるようこ 冫いった。「わしは もうこの気違いじみたあべこべ仕事の方はみんな忘れるとする。わしの単純な頭では手におえん。 いつもの手でいくことにする : : : 身元、人間関係、動機、アリ。ハイ、利害関係、証人の有無など 「うまくいきますように」とエラリイはつぶやくようこ 冫いった。「その方が賢明でしよう。です が、このとんでもない仕事をやらかしたやつを今すぐお父さんが捕まえたとしても、 ぜこんなつまらんあべこべ遊びをやったか、そのわけをぼくは知りたいですよー
奥からかすれ出るような声だった。「もとはといえば・ほくのせいなんだから、苦い薬はぼくが飲 まねばなりますまい。ぼくはうそをついていた」エラリイは背の高い女の目に安堵の色が浮んで、 それがたちまちまぶたでさえぎられたのを見てとった。「この手紙はぼくが書き、そして宝石は ほくがこのミス ・リュ 1 ズに、といいますか彼女の本名がミス・シウエルならそのミス・シウェ ルに与えました。彼女の過去などぼくは何も知りませんでした。そんなことは気にもとめていな かったんです。これはしかしまったくの私事であって、どうしてこの殺人事件捜査と関係がある のか理解できないですね : : : ぼく個人の私事とこの事件はまったく関係ありませんよ」 「ドナルド」とし・ほり出すような声でジョーがいった。「あなた : : : あなたはこの女の人に結婚 してくださいといったんでしよう ? 」 ス・リュ 1 ズはかすかに勝ち誇ったようなほほえみを浮べていた。「おばかさんね、あなた。 彼がそんなことをいったって、何なのよ ? あたしそんな世にもおそろしいような女じゃないわ。 ちょっとの・ほせ上って書いたんでしよう。きっとそうだとあたし思ってるわ、ねえドナルド、そ うでしよう ? とにかくこれでもう万事おしまい、ドナルドはあなたのものよ。あなただっても うへんにやぼはおっしやらないわね ? 」 「たいへんな義侠心だな」エラリイがつぶやいた。 「ねえドナルド ! あなた : : : あなた今の話ほんとだと認める ? 「うんーと彼は同ししやがれたような声でいった。「認める。ああ、これでこの長い苦しみから 解放されることができた」彼は中国から来た小柄な女の方は見なかった。「何もかもこれでご破 算だ、といっても公表は困ることだが。もうこれで終り : : : おしまい。もう・ほくを一人にしてく れてもいいでしよう ? 」
祐ごく内々の件などで多くの人たちの訪間を受けてるんです。この男が名指しでぼくを訪ねてきた というのも今いったロの一つに過ぎないと説明できます」 「すると、この男は宝石または切手の商人か代理人だろうと思われるわけですか ? 」 カークは広い肩をすぼめてみせ、「充分可能性がありますね。出版関係の方よりもずっとその 方の関係と思われます。出版事業の訪問客は一般に作家とかその代理人とかいった人たちです。 ぼくのみたところ、この男はそのどちらでもありませんからね」 「切手に宝石か」と警視はロひげの先をかみながら、「うん、まあとにかくそれだけでも意義あ りだ : : : おいトマス ! 」部長刑事がどかどかとまえへ出てきた。「この筋を洗ってみてくれ。写 真係にいって早いとここの男の顔写真を焼きつけてもらって、切手商と宝石商を残らず当ってみ リーはとかとカ てくれ。どうもしかしこの男の身元を洗い出すのは容易じゃない気がする」ヴェ と出て行った。「ところでカ 1 クさんーと警視は背の高い青年を横目で見ながら話をつづけた。 「この男のポケットは空にされとるし、着衣のマ 1 クやラベル類といった身元のわかりそうなも のはすべてはぎ取られるか持ち去られとるんです」 カ 1 クは当惑顔だった。「なぜまたそんな : : : 」 「被害者がどんな人物か知られたくない人間がおるわけですな。こいつは殺人事件におけるわし にとっての新しい勉強になりますよ。普通、犯人は自分の身元を隠すためにはあらゆる努力をす るもんですがね。こんどの犯人はちょいと一段利ロなやつらしいです : : : さてと、おいみんな、 どうやらもうここには用がなくなったようだ。ではカ 1 クさん、あなたの私室の方へ行って、あ なたのご家族とちょっとおしゃべりをさせていただきましよう」 「何でもどうそ」カ 1 クの口調は気がぬけたようなふうだった。「とはいっても警視、この事件
れにはそっくり同意はできない あべこべの犯罪を解決するには非凡の才能が必要で、わたし はそれこそ地獄の火が凍ることがあってもそしてまた友を失うことがあっても : : : 実際に失う 可能性大 : : : この考えを固執する。 また一方わたしはこの事件に関係しなかったことをひそかに喜んでもいる。エラリイはあらゆ る点で推理機械のような男だから、疑わしいという推理が出たら友情など一向に尊重しやしない。 そしてまたもしわたしが何らかのことで、たとえばドナルド・カークの弁護士として事件との関 係があったとしたら、エラリイは忠実なる部長刑事ヴェリーにわたしの貧相な手首に手錠をかけ させていたかもしれないのである。というのは、これははっきりわかっていることだがわたしは 大学時代に二つの競技部門で虚名をうたわれたもので、その一つはクラスの背泳選手だったし、 もう一つはポートの整調をこいでいたからである。 これらの取るに足りないことどもがこの殺人事件でわたしをもっともらしい、というよりはた いへん容疑濃厚な人物にしたかもしれないのであるが、以下のページで述べられている殺人事件 を読者のみなさん自身で解明に当られるならばこの上ない喜びである。 ニューヨークにて
129 らちらりと見て、それから目を伏せて自分の手を見ていた。 「そうですか ? ーとエラリイがおだやかにいった。「今のは特におもしろいですよ、ミス・テン プル。よく思いだしてくれましたね。ところでお尋ねしたいのは、その小さな儀式の背後にある すばらしい考え方はどういうんでしよう ? 」 彼女はつぶやぐようにいった。「それは世間に向って、敵の人間が不都合な責めらるべき人物 であることを暴露し、そしてまた永遠に世間的な恥をさらさせるしるしをつけたことになるので 「でも : : : その : : : 自分は死んじまってるわけでしよう ? 」 「そうなんです、自分は死んでしまってるんです」 「おもしろい哲学ですねーとエラリイはじっと天井を向いて考えこんでいた。「いや実におもし ろいですね。いわば日本のハラキリの変形みたいなもんですね」 「でもクイ 1 ンさん、今の話は、この : : : この殺人事件とは何の関係もないと思うんですけど」 彼女は息もっかずにいった。 「え ? あ、もちろんないでしよう。いや全然ありませんねーとエラリイは鼻眼鏡をはずして、 ハンカチでびかびかのレンズをふき始めた。「それから、チャイナ・オレンジはどうでしようか、 テン。フルさん ? 」 「何とおっしゃいましたかしら ? 」 こそんじでしよう。何かそれについて、あ 「チャイナ・オレンジですよ。タンジ 1 ルみかんは、・ べこべのことはありませんか ? 」 : でも、チャイナ・オレンジはほんとはタンジ 1 ルみかんとはちが 「あべこべのことですか ?