アンドレイ・フィリッポヴィッチ - みる会図書館


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1. 二重人格

229 ったく関係のない、色とりどりの人がたくさん居合わせたが、われらの主人公はそんなことに は一顧の注意も払おうともしなかった。いきなり、決然として、大胆に、われながら自分の勇 気に驚き、かっ内心どんなもんたいと感心しながら、彼は一刻の猶予もなく、アレドレイ・フ ィリッポヴィッチに正面からぶつかって行った。相手はこの思いも設けぬ攻撃にひどく面食ら 「あっー どうしたんだ : : なんの用だね ? 」とゴリャートキン氏がどもりながらなに か言うのを聞こうともしないで、課長は尋ねた。 「アンドレイ・フィリッポヴィッチ、私は : : しかかでしようね、アンドレイ・フィリッポ ヴィッチ、いま、 いますぐ、差向いで、閣下とお話しさせていただけるでしようか ? 」と、ア ンドレイ・フィリッポヴィッチに決然たる視線を注ぎながら、われらの主人公はよどみなく、 はっきりしたことばでこう一「ロいきっこ。 「なんだって ? ・もちろん、ために決まってるじゃないか」アンドレイ・フィリッポヴィ チは、ゴリャートキン氏を頭のてつべんから足の爪先までじろじろと見まわした。 「私が、アンドレイ・フィリッポヴィッチ、こんなことを申しあけるのは、ここには一人も かたり 卑劣な僣称者を摘発する者がいないのに驚いたからです」 「なんですって ? 「卑劣な僣称者をです、アンドレイ・フィリッポヴィッチ」

2. 二重人格

230 「そりやいったい誰のことを言ってるんたね ? 」 「ある人物のことですよ、アンドレイ・フィリッポヴィッチ。私は、アンドレイ・フィリッ ポヴィッチ、暗にある人物のことをさして言っているんです。私には当然その権利があるんで す : : : 。私は、アンドレイ・フィリッポヴィッチ、そういう行為は当局によって奨励さるべき ものだと考えます」と、明らかに前後を忘れているらしく、ゴリャートキン氏はつけ加えた。 「アンドレイ・フィリッポヴィッチ : : : しかし、たぶんあなたにはもうおわかりのことと思い ますが、アンドレイ・フィリッポヴィッチ、これは立派な行為で、一から十までの善意を証明 するものです。 つまりその、上官を自分の父親のように思っているということでして、ア ンドレイ・フィリッポヴィッチ、つまり私は徳の高い上官を自分の父親とも思い、自分の運命 を無条件でお任せしているものです。これこれしかじかと事の由来を中しあげて : : : 実はその : 」と言ったかと思うと、ゴリャートキン氏の声は震え出し、顔にはさっと紅がさし、左右 の睫毛に二つの涙の露が宿ったのであった。 アンドレイ・フィリッポヴィッチは、ゴリャートキン氏のことばを聞いているうちにすっか り度胆を抜かれ、思わず二足ほどあとずさりをした。それから不安そうにあたりをきよろきょ : 。はたしてどういう ろ見まわした : 幕切れになるか、それを予測することは困難だった : ところが突然閣下の部屋のドアが開かれ、幾人かの役人を従えて閣下自身がお出ましになった。 部屋に居合わせたものが、みんなそのあとにつづいた。閣下はアンドレイ・フィリッポヴィ

3. 二重人格

「いったいどうしたんだね、ヤーコフ・ペ いったいこれはどういうわけ なんだね ? : : : 」 「なんでもないんですよ、アンドレイ・フィリッポヴィッチ。私は勝手にここでこうしてい るんです。これは私の私生活ですからね、アンドレイ・フィリッポヴィッチ」 「なんですって ? 」 「私は、アンドレイ・フィリ、 ソボヴィッチ、これは私の私生活たって申しあげているんです よ。それに私の考えるかぎりでは、ここには私の公けの関係でとやかく咎められることはなに 一つないと思いますが」 「ユなにー 公けの関係で : 君はどうかしたんじゃないのかね ? 」 「どうもしませんよ、アンドレイ・フィリ、 ソボヴィッチ、まったくどうもしちゃいませんと すうす ) も。図々しい娘っ子だ、それつきりのことですよ : : : 」 「なに ? : : なんたって ? 」アンドレイ・フィリ、 ソボヴィッチは驚愕のあまり茫然としてし まった。それまで階段の下からアンドレイ・フィリッポヴィッチを相手にことばのやり取りを していたゴリャートキン氏は、 いまにも目の中に飛び込んで行きそうな勢いで相手の顔を見つ めていたがーーー課の上役がいささかどぎまぎしたのを見てとると、ほとんど自分でも無意識に、 さっと一歩前に足を踏み出した。アンドレイ・フィリッポヴィッチはうしろへ少し身を引い た。ゴリャートキン氏は一段さらに一段と歩を進めた。アンドレイ・フィリッポヴィッチは不 あま トローヴィッチ ? ・ とカ

4. 二重人格

「まあ、まあ、そうおっしやらずに ! 」とゲラーシムイッチは答えて、片手で思いきり無遠 慮にゴリャートキン氏を押しのけながら、ちょうどその瞬間玄関のホールに入って来た二人の 紳士に広く通り道を開けてやった。入って来た紳士は、アンドレイ・フィリッポヴィッチと、 ーノヴィッチであった。二人ともいぶかしそうにゴリャートキ その甥のウラジ ン氏の顔を見やった。アンドレイ・フィリッポヴィッチはなにか話しかけようとしたが、ゴリ ャートキン氏はもう覚悟を決めていた。彼は目を伏せて顔を赤らめ、にやにや笑いながら、す つかり途方にくれたような顔つきでオルスーフイイ・イワーノヴィッチの家の玄関からもう出 て行こうとしていたのである。 「またあとで来るからね、ゲラーシムイッチ、僕がよく話をしてみるよ。こんなことは話せ ばすぐにわかることだと思うからね」と彼はしきいぎわでつぶやいたが、あとのほうのことば は階段の上から聞こえて来た : 「ヤーコフ・ベトローヴィッチ、ヤーコフ・ベトローヴィッチ : : : 」という、アンドレイ・ フィリッポヴィッチの声がゴリャートキン氏を追いかけて聞こえて来た。 ゴリャートキン氏はそのときはもう最初の踊り場まで降りて来ていた。彼は急いでアンドレ イ・フィリッポヴィッチのほうを振り返った。 「なにか御用ですか、アンドレイ・フィリッポヴィッチ ? 」と彼はかなりきつばりとした調 子で言った。

5. 二重人格

310 コリャートキ するばかりだ』とわれらの主人公は考えた。突然、異常なざわめきが起こって、。 ン氏の瞑想は破れた。なにか長いこと待たれていたことが起こったのである。「来ましたよ、 という声が人々の間に伝わった。『誰がいったい来たんだろう ? 』という考え 来ましたよー がちらりとゴリャートキン氏の頭にひらめいた。そしてなにか奇怪な予感に彼はぎくりと身を ッポヴィッチの顔を見て顧問官 震わせた。「もうよかろう ! 」と、じっとアンドレイ・フィリ は一 = ロった。アンドレイ・フィリッポヴィッチはアンドレイ・フィリッポヴィッチで、ちらりと ォルスーフイイ・イワーノヴィッチの顔を見た。まじめくさった顔でしかつめらしくオルスー フイイ・イワーノヴィッチはうなずいた。「さあ立ち上がって」とゴリャートキン氏を助け起 こしながら顧問官は言った。一同も立ち上がった。そして顧問官は旧ゴリャートキン氏の手を 取り、アンドレイ・フィリッポヴィッチは新ゴリャートキン氏の手を取って、二人はまじめく さった様子でなにからなにまでそっくり同じな二人の人間を案内して、そのまわりを取り囲み 期待に燃える視線を注いでいる人垣の中を進んで行った。われらの主人公はいぶかしそうにあ たりを見まわしたが、すぐに押しとどめられて、彼のほうに手を差しのべている新ゴリヤ 1 ト キン氏のほうを指さされた。『二人を仲直りさせるつもりなんだな』とわれらの主人公は考え て、感激の念をいだきながら手を新ゴリャートキン氏のほうへ差しのべた。それから、それか 。そのと らそっと首を差しのべた。もう一人のゴリャートキン氏もそれと同じことをした : き旧ゴリャートキン氏には、その裏切り者の友人がにやりと笑い、二人を取り巻いている人々

6. 二重人格

113 「そういうことでしたら私は、アントン・アントーノヴィッチ : : : 」 「いや、これで失敬させてくれたまえ。これはとんだつまらないおしゃべりをしてしまった もんだ。このとおり大切な、急ぎの用事があるというのに。 こいつを処理しなけりやいけない んでね」 「アントン・アントーノヴィッチ ! 」というアンドレイ・フィリッポヴィッチの慇懃に呼び かける声が聞こえた。 「閣下が呼んでおられましたよ」 「ただいま、ただいま、アンドレイ・フィリッポヴィッチ、ただいまそちらへ」と言うとア ントン・アントーノヴィッチは、山のような書類を両手にかかえて、まずはじめにアンドレイ・ フィリ、 ソボヴィッチのところへ、それから閣下の部屋へと飛んで行った。 『さてこれはどうしたことだ ? 』と肚の中でゴリャートキン氏は考えた。『これでやっとか らくりがわかったそ ! これで風の吹きまわしの見当がついたというものさ : こいつは悪 くないそ。してみると、万事この上なしにうまい具合に変わって来たというもんだ』とわれら の主人公は揉み手をしながら、喜びにわれを忘れて口走った。『まったくおれたちの仕事とき たら変わりばえのしない代物さ。なんでもかんでもくだらない結末になって、なに一つ解決さ れやしないんだ。まったくのところ、どいつもこいつも石地蔵で、うんともすんとも言いやし ない、強盗め、すまして坐り込んで、仕事をしていやがる。いやおめでたいことだよ ! おれ は善人を愛する、これまでも愛してきたし、いつだって尊敬するにやぶさかではない :

7. 二重人格

ばったりと鉢合せしてしまった。二人はもう帰って来るところであった。ゴリャートキン氏は ポヴィッチはにこにこ笑いながら愉快そうに ちょっと脇へ道をよけた。アンドレイ・フィリッ 話していた。旧ゴリャートキン氏の同姓同名者もやはり微笑を浮かべ、敬意を表してアンドレ イ・フィリッポヴィッチから少し距離をおいて、せかせかと小刻みに歩いていた。そしてうつ とりとしたような顔つぎでなにか彼の耳もとにささやくと、アンドレイ・フィリッポヴィッチ はそれに対してこの上なく好意にみちた態度でうなずいて見せるのだった。われらの主人公は たちまち事態の全貌を見抜いてしまった。ほかでもない、彼の仕事は ( これはあとで知ったこ とであるが ) 閣下の期待をはるかに越えたと言ってもよいほどの出来栄えで、しかもみごとに 期限までに、きちんと間に合ったのである。閣下はこの上なく御満足であった。それどころか 噂によると、閣下は新ゴリャートキン氏に対してありがとう、深く感謝すると言い、折を見て 。もちろ なんとかするがとにかく君のことは決して忘れないと、おっしやったそうである : ん、ゴリャートキン氏にとって真先にしなければならないことは抗議することであった、全力 を尽くしてぎりぎりいつばい抗議することであった。ほとんどわれを忘れて死人のように蒼ざ ッポヴィッチのところへ飛んで行った。ところがアンドレ めながら、彼はアンドレイ・フィリ イ・フィリ ッヴィッチはそれを聞くと、ゴリャートキン氏の話は個人的な問題であると言っ て聞くことを拒み、自分には一分の暇もないし自分自身の用事にさえ手がまわらないくらいだ 川ときつばりと一言い *J っこ。

8. 二重人格

いた。一方当のアンドレイ・フィリッポヴィッチもこの感激すべき瞬間には、六等文官である 官庁の課長とはどうしても見えなかったーーー事実、まったくなにか別のもののように見えたの である : : : ただそれでははたして何者のように見えたかと言われると筆者にもはっきりわから ないが、六等文官ではなかったことだけは確実である。はるかに上のものに見えたのだ ! さ て最後に : : : ああ ! なにゆえに筆者には、善行が時として悪心や、自由思想や、悪徳や羨望 に対して凱歌をあげることがあるということを証明するために、ことさらにしつらえたように 思われる、こうした人生における美しくも教訓的な瞬間を残りなく描破するに足る、高雅な、 力強い筆力、荘重な筆力の奥秘が授けられていないのだろうか ! 筆者はもうなにも言うまい いまや二十六歳 ただ黙ってーーーそしてそれこそいかなる雄弁にもまさるものなのであるが の春を迎えんとしている一人の幸福な青年の姿を、諸君に示すにとどめておこう。それはアン ーノヴィッチである。彼は順番がま ドレイ・フィリッポヴィッチの甥、ウラジー わって来るとやおら席を立ち、同様乾杯の辞を述べた。するとこの祝宴の女王の両親の涙にう ソボヴィッチの誇りにみちた目も、当の祝宴の女王の羞じら るんた目も、アンドレイ・フィリ、 いを含んだ目も、賓客たちの歓喜にあふれた目も、さらにこの輝かしい青年の数人の若い同僚 うらや いっせいに彼の上に注がれたのであった。 し力いかにも ~ 茨ましそうな目さえも、 たちのつつまし、 筆者はこれ以上なにも言わないことにするが、しかしこれだけのことはどうしても一言っけ加 この青年ーーよい意味において青年というよりもむしろ老人と言っ えないわけにはいくまい

9. 二重人格

147 アントン・アントーノヴィッチは甯を立って、閣下に報告するための二、三の書類を手もとに 集めながら言った。「ところで君の件は、すぐにすっかり明らかになることと私は思うんだが ね。だから誰を非難し、誰を責めたらいいかは、御自分でおわかりになるだろうよ。そこで謹 しんで君にお願いしたいのだが、これ以上個人的な公務の妨げになるような御意見やお話など は御免こうむらせていただきたいね : : : 」 え、ちがいますよ、アントン・アントーノヴィッチ」とゴリャートキン氏はいささか 蒼くなって、遠のいて行くアントン・アントーノヴィッチのうしろ姿に呼びかけた。「私は、 アントン・アントーノヴィッチ、そんな、そんなことは考えてもみませんでした」『これはい ったいどういうことたろう ? 』あとに一人取り残されたわれらの主人公は、今度は肚の中でそ の先をつづけた。『これはいったいどういう風の吹きまわしたろう、それにこの新しいトリッ クははたしてなにを意味するのたろう ? 』途方にくれて半ば打ちのめされたようなわれらの主 人公が、この新しい疑問を解きにかかろうとしたちょうどそのとぎ、隣の部屋にざわめきが起 こり、なにか忙しげな動きが伝わったかと思うと、ドアがさっと開いた。そしてついいましが たなにかの用事で閣下の部屋に行ったばかりのアンドレイ・フィリッポヴィッチが、息を切ら しながら戸口に姿を現わすと、ゴリャートキン氏を呼んだ。なんの用事であるかはわかってい たし、それにアンドレイ・フィリッポヴィッチを待たせたくもなかったので、ゴリャートキン 氏はあわてて、席を立ち上がると、必要な書類を取り揃え最後の仕上げをするために、すぐさ

10. 二重人格

200 第十章 一般的に言って前日の出来事はゴリャートキン氏を根底から震憾させたと言うことができょ われらの主人公はよく眠れなかった、つまり五分間とはぐっすり眠ることができなかった トの中にまいておいた のである。まるでどこかのいたずら坊主が細かく切った豚の剛毛をベッ てんてんはんそく ような具合だった。一晩しゅう彼はなにか半睡半覚の状態で過ごした。輾転反側してやたらに うな 寝返りを打ち、溜め息をついたりったり、ちょっとまどろんだかと思うとすぐにまた目をさ ますというありさまだったが、しかも、それにはなにか不思議な遣る瀬なさと、漠然とした追 憶、醜悪な幻影 一口に言えば、この世にありとあらゆる不愉快きわまるものが伴うのであ ふとなにか奇妙な、謎めいた薄明りのなかにアンドレイ・フィリッポヴィッチの 姿がー、ー無愛想な姿が味もそっけもないこわばった目つきをして、妙に丁寧な意地の悪い小言 ところがゴリャートキン氏が を言い出しそうな、怒りつぼい姿が彼の目の前に現われる : やっとアンドレイ・フィリッポヴィッチのそばに近寄って、実はこれこれしかじかとどうにか こうにか弁解をはじめ、自分は決して敵どもの言い立てているような男ではなく、これこれか ような男で、しかも持って生まれた人並の性質のほかに、実はこれこれの美点にも恵まれてい る、と身の証しを立てようとするが早いかーーーそこへひょっくり不作法な傾向をもって知られ あか