両親 - みる会図書館


検索対象: 北の海
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1. 北の海

「浮かない顔をしているじゃない、 「そんなことはありませんよー 「まあ、付合いなさい。卒業したんだから、先生のところに挨拶に来ても罰は当らんだろう。大 まけにまけて、及第点をやったんだから」 そんなことを言いながら、教師は街角の果物屋の中にはいって行った。洪作は店の前に立って いた。教師は新聞紙の包みを抱えて、店から出て来ると、 「君は牛肉が好きか、鶏肉が好きか」 海「両方とも好きですー 「両方とも好きでも、両方は買わんよ。牛肉でいいな」 の「はい 「少し廻り道をして貰おう、安い店がある」 洪作は教師と並んで歩いて行った。 「僕も幼い時親を亡くしたが、君もそのようだね」 教師は言った。 「僕は両親揃っています , すると、教師は不審そうな顔を向けて、 「そうかい ? そりや、失礼 ! 誰からか聞いたんだがねえ、君は孤児で、親戚に学費を出して 貰っているって」 それから、

2. 北の海

一員としての生活は浜松においての二年間だけで、あとは洪作の身辺には家庭の雰囲気というも のは全くなかった。 ままこ しかし、洪作は継子でもなければ、貰い子でもなかった。れつきとした父と母の子供であり、 しかも両親からは充分総領息子としての取り扱いをうけていたのである。ただこの一組の両親と 子供を第三者が冷静に観察していたら、あるいは他の家庭とのいくらかの違いは発見できたかも 知れない。 両親の方は自分たちから離れて勝手に生い育ち、いっか思春期の少年になってしまったわが子 海の取扱いに多少戸惑いを感ずるところがあったに違いないし、洪作の方も両親というものに対し むか て、どのような対い方をしていいか見当のつかぬところがあった。 の寺の娘の郁子から、 「両親や弟さん妹さんたちに会いたくないの ? あんた」 北と言われても、正直に答えると、 「会いたくない と言うほかはなかったのである。実際に父親に会いたいとも、母親に会いたいとも、弟や妹た ちに会いたいとも思わなかった。会えば会ったで、悪いことではないかも知れなかったが、特に つうよう 会わずにはいられないといった思いはなかった。会わなくても、 しつこうに痛痒は感じなかった。 むしろ、相なるべくは会わない方がよさそうであった。会えば、子として親に気を遣わなけれ ばならなかったし、親の言うことにも従わなければならなかった。そうしたことは面倒でもあり、 億劫でもあった。

3. 北の海

から、刺戟にもなりますよ」 蓮実は歩きながら一一一一口った。 「考えてみましよう」 洪作は言ってから、 「両親にも相談してみます」 「両親に相談するのはますいなあ。まずだめでしような。黙って来てしまわないと」 「本当のことは言いませんよ」 海「本当のことは言わなくても、まあ、とめられるでしような。それより、さきに金沢に来てしま って、その上で両親に手紙を書いたらどうです。そうすれば、とめようが、とめまいが、本人は のもうちゃんと金沢へ来てしまっているんですからねー そんなことを蓮実は言った。 「そうしろよ、お前」 横から遠山が口を出した。洪作は黙っていた。 「どうせ浪人しているんだ。どこに居ても同じことだろう。俺なら、そうするなー 遠山は他人のことだと思うのか、無責任な勧め方をした。 「もし行くようでしたら、八月までに決めます - 洪作は、台北の両親に相談し、その返事の来るまでの時間を、頭の中で計算していた。すると、 「来るなら早い方がいいですよ。七月の終りに京都で高専大会があります。その前の一カ月の練 習が凄いです。この大会前の猛練習をいっしょにやって、それからいっしょに京都へも行った方 112

4. 北の海

185 誰が寄り付きましょ , つに。 いたわしいことじゃ 祖母は言った。いかにもいたわしくて堪らぬといった顔をしている。心からそう思っているの である。 一度祖父も井戸端に顔を見せた。洪作が門ノ原に三泊して来たということを祖母から聞いたら 「墓場の掃除をしたと ? さすがは門ノ原の伯父さん、伯母さんだけのことはある。あの夫婦も、 人の顔さえ見れば愚痴ばかり言って困り者だが、墓場の掃除をさせたとは大出来だ。 それに 海・しても、お蔔 門ノ原に先に顔を見せたんか。ちょっと順序が逆じゃない、。 門ノ原はお前 の父親の出た家には違いないが、父親はこっちに聟に来た人間だ。こっちの家の人になっている。 の お前は郷里に帰ったら、まずこの家に来て、その上で暇があったら、 門ノ原の方に顔出しす ればいし 。まあ、そういった関係だし、それが順序というものだ。あの夫婦にも困り者だ。ばか 者 ! 最後の " ばか者。は、門ノ原の伯父、伯母に向けられたものか、洪作に向けられたものか、は つきりしないところがあるが、恐らく両方に対して言われたものなのであろう。 「おじいさん、こんど台北に行くことにした 洪作が言うと、 「台北にワ 祖父は急に真顔になっこ。 「台北に行くんだと ? 子供が両親のもとに行くのは一番自然なことだ。そう決心したとあれば、 むこ

5. 北の海

161 「威張るなよ。 「なるべく早く行く」 「行く日を決めておけよ。俺、ウーちゃんに返事しなければならぬ」 「そんなことを言っても、いまは決らんー 実際に台北行きが決定すると、郷里の伊豆の山村にも帰省しなければならなかった。二、三時 間で行けるところに、親戚はたくさんちらばっていたが、考えてみると、もう一年以上、どこに も顔を出していない。 母の実家もあれば、父の育った家もある。父方も母方も、両方とも、祖父 海母は健在である。伯父も伯母もたくさん居る。従兄弟となると、すぐには算えられぬはどの数で あまぎさんほくろく ある。とにかく伊豆半島の天城山の北麓の狩野川沿いに、十軒以上の親戚がばら撒かれているの のである。 いくらずばらを決め込んでも、台北へ行くとなると、挨拶だけはして来なければならぬと思う。 黙って台北へ行ってしまったら、さぞ憤ることであろう。親戚という親戚の家の人たちが、老い も若きも、男も女も、 いっせいに喚きたて、がなりたてることであろう。洪作はふとおかしくな 「何を笑ってるんだ。それにしても、不思議だな。みんながお前のことを心配している。蓮実な る人物だって、大天井だって、ウーちゃんだって心配している。俺まで心配し出したんだから 木部はそんなことを言って帰って行った。 それから一一、三日して、洪作は台北の両親に手紙を書いた。何回も書き直した。台北行きの決 しんせき かぞ

6. 北の海

宇田は言った。さっきは " ご両親。と言っていたカ、いっかひどく邪慳な言い方になっている。 っこうに君の方は返事を出さん。返事を出さんとい 「尤も、親も手紙だけは寄越すらしいが、い どうも、読まないんじゃあないか。 うが、返事を出す出さんより、問題はその以前にあるらしい これは僕が言っているんでなくて、君のお母さんからの手紙に、そう書いてあったんだ」 くさむら 訓戒が熱を帯びて来たためか、宇田はぶらぶら歩きを打ちきって、草叢の中に突っ立っている。 ふところ手をし、顔は富士山でも仰ぐように仰向けているが、富士山を眺めているわけでもない 、りし、 海「そのほかには、どんなことが書いてありましたー 洪作が訊くと、 私のことを心配して、両親に手 の「そういうきき方をするものではない。君はものを知らん。 紙を出して下さ「たんですか、それはまことに相すみません、まずそう礼を言い、礼を言った上 で、どんなことが書かれてあったかときくものだ。そうだろう。僕だって、酔狂や道楽で君の両 親に手紙を書いたんじゃない。誰も君のことを心配してやる者がいないので、見るに見かねて、 君の両親の注意を促す役を、自分で買って出たまでの話だ」 「すみませんー 「いっこうにすまなそうな顔はしていないじゃよい、 「いや、そんなことはありません」 「どうかね」 「いや、本当です。先生って案外僻みっぽいですね」 ひが じやけん

7. 北の海

「ほう、両親が居るんか。両親が台湾に居るんなら、そりや、台湾に行ってもふしぎはないが、 それにしても、えらい遠いところに両親が居るもんじゃな」 老人は言った。洪作は老人に話しかけられるのが厭だった。今は自分一人の思いの中にはいっ ていたかった。 「お前さん、学生さんか」 「そうです」 そう言って、洪作は席を立った。老人との会話を打ち切るためであった。 海 洪作が眼を覚ましたのは、汽車が琵琶湖湖畔を走っている時であった。夜はすっかり明けてい しばら のた。ひと晩中不自然な恰好で眠っていたので、体中がやたらに痛かった。殊に首は、暫く曲げら れぬほど痛かった。洗面所に行って、まっ黒になった手と顔を洗った。 洪作は寝不足のばんやりした頭で、ゆうべ沼津駅で別れた宇田夫妻や藤尾たちのことを思った。 れい子のことも思った。あれからそれほど長い時間が経っているわけではなかったが、それは遠 い過去の出来事であるような気がした。 殊にれい子のことは、すべてが夢の中の出来事であるような気がした。千本浜で手を握り合っ いっさいは夢の中のことで て歩いたことも、またれい子が沼津駅まで送りに来てくれたことも、 はなかったか。あんなことが、現実のこととして、自分を取り巻いて起る筈はないような気がす る。 洪作は、藤尾の母親が作ってくれた弁当を、これも藤尾からぶんどって来た鞄から取り出した。 653

8. 北の海

金沢の蓮実から手紙が来た。 受験勉強を金沢でするようにお勧めしたが、よく考えてみると、必ずしも最良の方法とは 言えないように思う。よはど意志が強固であればともかく、そうでないと、却って四高生ののん きな生活の影響を受けて、一緒になって遊び暮してしまう怖れがある。と言って、今まで通り沼 のぞ 津に居ることもお勧めしかねる。この間、ほんの僅か生活の一端を覗かせて貰ったに過ぎないが、 それから推して考えるに、今のような毎日を送っていたのでは、とうてい高校受験に合格すると は思えよ、。 台北にご両親が居るということであるから、やはり台北に行って、ご両親の許で勉 海強した方が、受験勉強を充実したものにできるように思う。切に台北行きをお勧めする次第であ る。 のそれからまた、次のようなことも書かれてあった。 台北行きはお勧めするが、台北へ行ったからといって、台北高校などを受験されては困る。 台北行きをお勧めするのは、四高にはいって貰いたいからである。私の方からも、ご両親にはよ てんとう く納得行くように手紙を差し上げるが、その点、本末顛倒することないように、意志強固である ことを望みたい。 蓮実の手紙は大体こうしたことでつきていたが、別に大天井なる人物からの手紙が同封されて あった。大天井というのは、何年も金沢で浪人生活をしている年齢とった受験生であった。初め、 大天井という名を眼にした時は、いかなる人物か判らなかったが、手紙を読んで行くうちに、蓮 実から聞いた豪傑であることが判った。 来るとろくなこ 相棒がひとりできたことを悦んでいる。だが、金沢へは来ない方がいい 157

9. 北の海

郁子は言ったことがある。この場合も台北の薊親への非難がこめられてあった。 「台北へ行ったって仕方がないじゃよ、 : 、 オし力しつまでも台北に居られるわけではなし。それより こっちに居る方かいし [ 「両親や、弟さん妺さんたちに会いたくないの ? あんた , 「会いたくない 「まあ、驚いた」 「だって、本当なんだ」 海洪作は別に両親に会いたいとは思わなかった。なるべくなら会わない方がいいという気持だっ た。小学校時代もそうだったし、中学生になってからもそうだった。 の洪作の父は陸軍の軍医だったので、長男の洪作が生れた北海道の旭川を皮切りに、あとは東京、 静岡、豊橋、浜松、それから現在の台北と任地を転々としていた。 洪作は五歳の時、両親のもとを離れて、郷里伊豆の祖母のもとに預けられた。丁度母は胎内に 洪作の妹を持っている時で、人手もなかったし、ごく一時的のつもりで洪作を祖母に託したので あったが、 それ以来何となくずるずると洪作は祖母のもとで生活するようになってしまった。祖 母も手ばなせなくなったであろうし、洪作もまた祖母から離れ難くなった。そんなわけで洪作は ひとり家族から離れて、小学校時代を伊豆で過した。小学校六年の時祖母が他界すると、洪作は 父の任地浜松に行って、中学を受験して落ち、高等科の一年間を家族と共に生活し、浜松の中学 ー ( しったが、父の台北赴任と共に、洪作はまた家族と別れて、郷里に近い沼津に移り、そこで 中学時代を送ることになったのであった。父は台北へ行っても、職業柄いっ転任するかも知れな

10. 北の海

579 「君は、生れつき、人の世話になるようなものを持っている。自分は心配せんで、自分の心配す る分を、人に受け持たせるところがある。 たいへん結構に生れついている」 「そうでしようか 「そうさ、そうだよ。宇田君などは、君にひっかかったばかりに、すっかり君の分の心配を引き 感謝せんと 受け、君の分ばかりでなく、君の両親の分まで引き受けてしまっている恰好だ。 いかん」 海「よく判っていますー 「最近は、宇田君は、君の両親と頻繁に、君のことで手紙のやりとりをしているらしい。金まで の宇田君のところに来ているそうじゃよいゝ 「そうですかー 洪作は驚いた。初耳だった。なるほど、そういうことになっているかも知れないと思った。 「ほんとに金も宇田先生のところに来ているんでしようかー 「知らんよ、わしは。ーー・宇田君はそう言っていた。沼津を引き揚げるにも、台北に行くにも金 が要るだろう。一体、その金はどうしようと思っていた ? 「いまに送って来るだろうと思っていました。もし来なかったら、借りるつもりでした」 「誰に」 「誰からでも借りられますよ 「ほら、そういうところが、君の少し常人と違ったところだ。立派にできている」