海 621 洪作は言った。が、いざ歌うとなると、自信がなかった。 うおっ , 洪作は怒鳴った。自分でも鳶ほど迫力のないのが判った うおっー 洪作は、暗い海に向って叫んだ。これなら何度でも平気だった。 うおっー 洪作が何回も叫んで、ひと息入れた時、 うわっ , と、少し離れたところで、れい子が細い声で叫んでいるのが聞えた。れい子の声はよく通った。 の暗い潮の上を、どこまでも伝わって行くように思われた。れい子が叫んだので、洪作もまた叫ん ・だ。すると、また、れい子が叫んだ。 洪作は、れい子が狂ったのではないかと思った。洪作が叫ぶのをやめてからも、れい子は何回 でも続けて叫んでいた。 洪作は、不気味な気持がして、れい子に近寄って行った。洪作はふいにれい子の手の中に自分 の手が収められたのを知った。 洪作は事態が容易ならぬものになったのを感じた。若い異性と話をしたこともろくにないのに、 今や自分の手はれい子の手の中にあった。二度目であった。迷惑千万なことでもあり、ふしぎな 陶酔でもあった。なんとやわらかい始末の悪いものが、自分の肉体の一部に付着してしまったこ とであるか。
淇作は一一 = ロった。 「なにを ! 」 遠山の脚が頭に来た。痛いと思った瞬間、洪作は遠山の脚にしがみついた。そうだ、いまは喧 嘩の最中だと思った。 遠山に頭を蹴られたお蔭で、洪作はぼんやりしている状態から、われに立ち返ったのである。 遠山の脚を抱えたまま、洪作は半身を起した。遠山が上から殴りかかって来た。洪作はもう相 手の脚を離さなかった。洪作は相手の脚の一本にしがみついたまま、中腰になると、いつどうし 海たのか判らないが、背負にはいっていた。遠山の体が洪作の背に沿って一回転した。 淇作は倒れた遠山を引きずり上げるようにした。遠山が起き上って来たところを、足払いをか のけ、相手がをついたところを、上から一一つ三つ殴りつけた。 淇作は相手の体から絶対に手を離さなかった。相手はまた起き上って来た。また何か知らぬが 技をかけた。二人いっしょになって、地面につぶれた。 二つの体は地面を転がった。動きがとまった時、二つの体は同時に立ち上った。洪作は相手の 体から手を離していた。いきなり、洪作は相手の拳の強襲を受けた。やたらにふらふらして、そ れからまた地面に坐った。 その洪作の眼に、松の木の幹に背でもたれかかった遠山の姿が見えた。口を少しあけ、息をはず ませ、暫く闘争は休憩であるといった恰好であった。上着の片方の袖がちぎれてなくなっている。 洪作は松の木にもたれている遠山の姿をぼんやりと眺めていた。今の今まで全力をつくして闘 知「ていた相手であ「たが、ふしぎに仇敵がそこに居るという感じはなか「た。敵意を感じないわ きゅうてき
かったので、子供の洪作がそれと共に中学を転々とすることのないようにという考えから出た措 置であった。 沼津中学に転じたのは二年の初めであった。こういうわけで、洪作は小学校から中学へかけて、 ふんいき その大部分を家庭の雰囲気というものは知らないで過していた。小学校時代は祖母の許で過して そう いたが、この祖母は医者をやっていた曾祖父の囲い者だった女性で、曾祖父が亡くなってから洪 作の家の籍にはいっていた。そうした関係で戸籍の上では洪作の祖母ということになっていたが、 血は通っていず、言ってみれば他人であった。しかし、洪作はこの他人である祖母に愛され、洪 海作の方もまたこの他人である祖母を慕った。 この洪作と祖母との共同生活は、どこかに多少取引きの匂いがあった。祖母は洪作を自分の手 の許で育てることにおいて、 いくらか不安定な自分の地位を固めるといったところがあり、洪作は この祖母に忠誠をつくすことに依って、その愛を際限なく引き出すといったところがあった。 北ともかく、洪作は幼少時代をこの祖母と共に郷里の家の土蔵の中で送ったのであった。別に不 自由はなかった。村の人や親戚の人たちから、時に、 あんたは可哀そうに、あの気の強いおばあさんの人質になってしまって。 そんなことを言われたが、洪作には気が強いとも意地悪だとも思われなかった。充分優しい愛 情深い祖母だったのである。人質になっていたのかも知れないが、充分結構な人質だったのであ る。 そして中学時代は下宿で、この方は全くの監督者なしに、至極のんびりと過した。 洪作の幼年期から少年期へかけての過し方は、他の少年に較べると多少特異であった。家族の
16 ? あとずさ そんなことを言いながら、小柄な女が出て来た。瞬間、洪作は店から外に後退りした。伯母に 違いなかったからである。 伯母は店から出て来ると、洪作の方に視線を投げたが、そのままそこに立ち停っていた。洪作 も伯母の方へ顔を向けたまま突っ立っていた。ずいぶん長い時間が経ったような気がする。伯母 は近寄って来て、ひどくひんやりとした低い声で、 「あんた、洪作じゃよい ) 、 と一一一一口った。 海「伯母さんー 仕方ないので、洪作は名乗りをあげる替りに、相手に声をかけた。すると、伯母は少しも動じ のない で、前と同じような低い声で、 「あんたが洪作なもんかね。たぶらかそうと言っても、その手にはのりませんよ。洪作が門ノ原 の伯父さんの家をす通りして行くようなことがありましようか」 最後ににやっと笑った。おはぐろの黒さが、伯母を鬼の面にしている。伯母はさっさと歩き出 した。作はそのあとについて行くほかはなかった。 うちまた 洪作は小さい伯母の体をうしろから眺めながら歩いて行った。内股にちょこちょこ歩いて行く が、一歩一歩の歩幅が狭いので、あまり早くは進まない。洪作は時々立ち停っては、伯母との距 離を調整しなければならよい。 それにしても、みごとな黙殺ぶりだと、洪作は思った。駄菓子屋の前からだらだら坂を上り、 街道に出、何軒かの農家の前を過ぎるまで、一度も振り返らない。 自分のうしろを洪作がついて
宇田夫人が言った。みんな汽車と一緒にホームを歩き出した。藤尾は手を上げ、木部は笑顔を 見せ、遠山は大きな口をあけて、舌を出した。 洪作はれい子の方に最後の視線を投げようとしたが、れい子の姿は見えなかった。見送りの一 団は汽車と一緒にホームを歩いていたが、れい子だけはその中に居なかった。洪作は窓から顔を 出した。 「危いよー 宇田は言った。その声を最後に、洪作は一同の姿がホームの一カ所に置き去りにされるのを見 洪作は窓を閉めると、座席に置いてあった鞄を網棚にのせ、それから窓際に腰を降ろした。四 の人掛けの席には誰も居なかった。 ま、ぶた 洪作は眼をつむった。いまホームの上に置き去りにして来た宇田や藤尾たちの姿が、瞼の上に 」残っていた。 とうとう別れてしまった、と洪作は思った。宇田とも、藤尾とも、遠山とも、れい子とも別れ た。淇作の手にはまだれい子の手の冷たい感触が残っていた。 洪作は恋愛感情というものは知らなかったが、それに近いものを持ったとすれば、この時であ った。れい子を恋しいとも、慕わしいとも思ったことはなかったが、いまは愛する者と別れたあ との悲しみが洪作の心を濡らしていた。 かれん ああ、とうとう別れてしまった。可憐な美しい者と別れてしまった。洪作は同じ思いに、、 しつよう までも心を冷たく濡らしていた。感傷が執拗に洪作を捉えていた。
洪作は畳の上に横になっていた。洪作の方は精神を統一したわけではなかったが、何となく眠 くなった。開けはなしている窓からはいる風が何とも一言えず快かった。そのうちに洪作もまた眠 っ」 0 一一時間はど眠って、淇作は眼覚めた。杉戸はと見ると、蒲団の上にきちんと坐って、腕を組ん でいた。 「いっ起きたんですかー 「いや、いまだ」 海「僕も眠ってしまった。本当に眠れるものですね。ーー不思議だな 洪作も起き上って、大きな欠伸をすると、あとは杉戸と同じように腕を組んだ。眠り過ぎたの のか体かいやにだるい 「いささか頭がばんやりしている」 杉戸が言った。 「眠り過ぎたんですよ。僕も頭がはっきりしない」 洪作が言うと、 「さて、どうする ? 」 杉戸は洪作の方へ顔を向けた。 「どうするって ? 」 洪作が聞き返すと、 「こうしていても仕方がない。やつばり道場へ出るか、 408 あくび
郁子は言ったことがある。この場合も台北の薊親への非難がこめられてあった。 「台北へ行ったって仕方がないじゃよ、 : 、 オし力しつまでも台北に居られるわけではなし。それより こっちに居る方かいし [ 「両親や、弟さん妺さんたちに会いたくないの ? あんた , 「会いたくない 「まあ、驚いた」 「だって、本当なんだ」 海洪作は別に両親に会いたいとは思わなかった。なるべくなら会わない方がいいという気持だっ た。小学校時代もそうだったし、中学生になってからもそうだった。 の洪作の父は陸軍の軍医だったので、長男の洪作が生れた北海道の旭川を皮切りに、あとは東京、 静岡、豊橋、浜松、それから現在の台北と任地を転々としていた。 洪作は五歳の時、両親のもとを離れて、郷里伊豆の祖母のもとに預けられた。丁度母は胎内に 洪作の妹を持っている時で、人手もなかったし、ごく一時的のつもりで洪作を祖母に託したので あったが、 それ以来何となくずるずると洪作は祖母のもとで生活するようになってしまった。祖 母も手ばなせなくなったであろうし、洪作もまた祖母から離れ難くなった。そんなわけで洪作は ひとり家族から離れて、小学校時代を伊豆で過した。小学校六年の時祖母が他界すると、洪作は 父の任地浜松に行って、中学を受験して落ち、高等科の一年間を家族と共に生活し、浜松の中学 ー ( しったが、父の台北赴任と共に、洪作はまた家族と別れて、郷里に近い沼津に移り、そこで 中学時代を送ることになったのであった。父は台北へ行っても、職業柄いっ転任するかも知れな
洪作はおぬい婆さんに話しかけることはやめて、窓際に坐っていた。 ぬい婆さんの声は聞えて来なかった。 翌日、洪作は墓地のある熊ノ山に登った。部落の中ほどにある生薬屋の横手に登り口があり、 そこから石の露出しているでこばこ道が山の背に向って走っている。洪作は手ぶらだった。祖母 が水と線香を持って行くように言ったが、多少面倒臭かったので手ぶらで来てしまった。 洪作がその墓地への道を三分の一ほど登りかけた時、十人ほどの子供たちが追って来た。小学 海校一年ぐらいの小さいのから、五、六年ぐらいのがき大将まで居る。子供たちは洪作が熊ノ山に 登ることを知って、自分たちも一緒に登ろうと思ってついて来たのに違いなかった。それが証拠 のには、子供たちは洪作のあとになったり、さきになったりするが、決して洪作から遠くに離れる せみ ことはなかった。子供たちの何人かは蠅とりの竹の棒を持っている。竹の先端にはもちがついて いて、それで木にとまっている蠅を捉えるのであるが、かなり慎重さと敏捷さを必要とする作業 である。しかし、子供たちはそれを器用にやってのける筈であった。 「おい、お前たち、どこまで行くんだ」 洪作が声をかけると、二、三人が近寄って来て、一人が答えた。 「洪ちゃのとこのお墓に行くんだ」 洪作は自分が洪ちゃと呼ばれたことに面くらった。 途中で子供たちは二匹蠅をとった。洪作も子供の竹の棒を借りて、何回か蠅をねらったが、い つも失敗した。子供たちの方がうまかった。 きぐすりや 洪作が話しかけぬ限りお びんしよう
葉 五月にはいると、洪作の生活も、それなりの落着を持った。沼津の町は、曾てそうであったよ うに、また洪作のものになった。以前は藤尾、木部、金枝といった連中とわがもの顔にのし歩い た町であったが、いまはそうした仲間が居ないので、洪作はひとりのことが多かった。ひとりで 海はあったが、自分の領地を歩く領主のように、沼津という町に対して、何の遠慮も気兼もなくな っていた の町では中学生にぶつかったが、みな敬礼してくれた。毎日道場へ顔を出しているので、生徒た ちは特別に洪作に対して敬意を払ってくれている恰好だった。 一年坊主や二年坊主の中には、洪 作を本当に落第上級生と思い込んでいる者もあるらしく、そうした連中は敬礼の仕方で判った。 手の上げ下しが、恐ろしく緊張していた。 遊び仲間にも、、洪作がその気になれば、少しも不足はしなかった。い くらでも五年生を自分の 取巻にすることができた。しかし、さすがに洪作も、これだけは警戒した。本能的に警戒しなけ ればならぬものを感じた。遠山とだけは付合ったが、あとの連中はなるべく寄せ付けないように した。自分の生活をかき乱される怖れもあったし、 いくらのんきにしていても、卒業生としての 多少の体面もあった。 沼津の町が洪作のものになったよ - 一に、中学校もまた、洪作のものになった。校庭も、校舎も、 青
「どういう気持だ」 「胃から胸にかけて、妙にきやきやしているー そこにれい子が姿を見せた。 「早く、トンカツを食わしてくれ」 洪作は荒っぽく言って、半身を起した。その洪作の眼に、きちんと坐って顔を俯けているれい 子の姿がはいって来た。 「トンカッ二枚食わしてくれ」 海洪作は言った。言ってから、すぐ後悔した。こういうことは言うべきではないと思った。 「ああ [ の洪作はまたうしろにひっくり返った。そして、 「遠山の奴、もう一回、ぶんなぐってやるか」 北こんども、言うと、すぐ洪作は後悔した。 城下町 洪作は早朝の米原駅に降り立った。ここで北陸線に乗り替えるわけであるが、それまでに三十 分ほどの時間があった。 夏の朝であったが、早朝の空気は冷え冷えとして、寝不足の頭に快かった。洪作はホームで、 309