113 ーカしし 。それから京都から帰ると、夏期練習が始まります。七月末から八月中頃までですが、こ れだけはぜひやらないと」 「大会が終ってからも練習があるんですか」 洪作が訊くと、 「そうです。大会に優勝したら、優勝したで、夏の練習は充実したものにします。もし優勝でき なかったら、その時は来年に備えて、相当な練習になります。寮の階段は立っては上れないでし 海「じゃ、どうして上る」 の「這って上る」 「そしてその練習が終ったら、僕は能登の中学にコーチに行きます。あなたも一緒に行くと面白 いですよ。能登はいいところですし、魚もうまい。昼は柔道をやって、夕飯にはうまい魚をたら ふく食って、あとは眠りたいだけ眠るー 蓮実は言った。蓮実の話を聞いていると、どうも浪人生活とは無縁である。勉強の時間はあり そ , つもよ、。 「あなたは、夏休みには家に帰らんですかー 遠山が訊いた。 「帰りますよー 蓮実は答えた。
金沢の蓮実から手紙が来た。 受験勉強を金沢でするようにお勧めしたが、よく考えてみると、必ずしも最良の方法とは 言えないように思う。よはど意志が強固であればともかく、そうでないと、却って四高生ののん きな生活の影響を受けて、一緒になって遊び暮してしまう怖れがある。と言って、今まで通り沼 のぞ 津に居ることもお勧めしかねる。この間、ほんの僅か生活の一端を覗かせて貰ったに過ぎないが、 それから推して考えるに、今のような毎日を送っていたのでは、とうてい高校受験に合格すると は思えよ、。 台北にご両親が居るということであるから、やはり台北に行って、ご両親の許で勉 海強した方が、受験勉強を充実したものにできるように思う。切に台北行きをお勧めする次第であ る。 のそれからまた、次のようなことも書かれてあった。 台北行きはお勧めするが、台北へ行ったからといって、台北高校などを受験されては困る。 台北行きをお勧めするのは、四高にはいって貰いたいからである。私の方からも、ご両親にはよ てんとう く納得行くように手紙を差し上げるが、その点、本末顛倒することないように、意志強固である ことを望みたい。 蓮実の手紙は大体こうしたことでつきていたが、別に大天井なる人物からの手紙が同封されて あった。大天井というのは、何年も金沢で浪人生活をしている年齢とった受験生であった。初め、 大天井という名を眼にした時は、いかなる人物か判らなかったが、手紙を読んで行くうちに、蓮 実から聞いた豪傑であることが判った。 来るとろくなこ 相棒がひとりできたことを悦んでいる。だが、金沢へは来ない方がいい 157
た。瞬間、遠山は大外刈の技をかけようとしたが、蓮実はいきなり畳の上に這いつくばってしま 遠山は蓮実を吊り上げるようにして、また技をかけようとしたが、蓮実はまた同じように這い つくばり、いきなり遠山の脚にしがみついた。 あとは何が起ったか見当がっかなかった。遠山の体がひっくり返され、それと一緒に蓮実は上 になり、遠山の脚をよけて、遠山の体の横に廻ったかと思うと、二つの体は一つになって、くる くると畳の上を廻った。そして二つの体の動きがとまった時、遠山は俯せになっており、蓮実は 海遠山の上体に被さるようにしがみついていた。 やがて、蓮実は身を起し、遠山の体から離れた。遠山は動かなかった。蓮実は遠山の体を抱き の起すと、背中を二つ三つ叩いた。その時気付いたことであるが、遠山はおちて、気を失っていた のである。 遠山はすぐ息をふき返したが、瞬間自分にいかなることが起ったか判らないらしく、呆然とし ていた。稽古はそれで打ち切られた。 「稽古の時おちると癖になりますよ。なるべくおちない方がいいー 蓮実は自分で遠山をおとしておいて、そんなことを言った。 この蓮実の出現は中学の柔道部員には驚異だった。あんな貧弱な体を持っている高校生がどう してあんなに強いか判らなかった。立技では、遠山や洪作の方が強いことは明らかだったが、そ しょ れでいて、あっという間に二人とも敗けてしまっている。しかも完敗である。遠山はすっかり悄 気ていた。大勢見ている前で醜態をさらしてしまったので、見るも気の毒なくらい悄気てしまっ うつぶ
岫「この世に女があると思ったら、こんな頭で町は歩けませんよ」 蓮実は言った。 「なるほど、変な頭ねえ。怪我しないために、そんなのばし方をするのねー 内儀さんはしげしげと、蓮実の頭髪に見人っていたが 「なんにしても、たいへんね。でも、そんな頭をしていても、好きになる女はあると思うね。そ んなに見限ったものでもない と一一一口った。 海「いや、鼻もつぶれるし、耳もつぶれますよ。鼻の方は少ないが、耳の方は例外なくつぶれます。 柔道部員は一人残らず耳をつぶしています。ほら、僕だってー の蓮実はちょっと顔を横向けにして、ばさばさの頭髪の間からのぞいている耳を、一同に披露し た。みんなの視線が蓮実の耳に集まった。 「ね、きくらげみたいでしよう」 蓮実は言った。 「ほんとに、ねえ」 内儀さんが感深げに言った。トンカツを連んで来たれい子も、皿をテープルの上に置いて、蓮 実の耳をのぞいた。耳は本来の形を失っている。得体の知れぬ肉のかたまりで、蓮実が言ったよ うに、さし当って形容するとなると、きくらげとでも一言うほかはない。 「ね、ほら、こっちの耳も 蓮実はこんどは反対側の耳を見せた。同じようにきくらげになっている。
323 「まあ、一週間だけでも、四高の柔道部生活がどんなものか判るでしよう。僕はあすから能登の 中学のコーチに行くんで、折角来て貰ったか、お世話はできない。。、、 カまあ、ゆっくりして行っ て下さい と一三ロった。 「蓮実さんはあすから居ないんですね 洪作は念を押した。ふいに不安な思いに駆られた。蓮実一人を頼りに出て来たのであるが、そ の蓮実が居なくなるということになると、今夜の宿所から問題になってくる。 海「僕の泊るところはあるでしようか」 洪作が訊くと、 の「どこでもありますよ。これだけ居るんだから」 蓮実は一三ロった。 「俺のところでもいい」 ~ が一「ロ , っと、 「だめ、だめ、お前のところは」 「いや、大丈夫だ、俺のところで。ーー俺の家は宿屋が商売なんで、客扱いには慣れているし 「嘘を言え、お前のところは医者じゃないか。だめだよ、お前のところにだけは預けられん」 それから、 「あとで適当なところを選んでおきますし 蓮実は言った。その時気付いたのだが、蓮実の右の耳は大きくはれ上って、 。蔔こ召津で変
「僕、蓮実と言います」 出迎えた洪作と遠山の方に頭を下げ、 「練習していいですか。この二、三日柔道着を着ていないので、気持が悪いんです」 と言った。遠山は蓮実のために柔道着を調達してやり、四年の沼本に、 「お前、行けよー と言った。遠山は自分がまっさきに相手になるのも大人げないとでも思ったらしかった。 沼本は、道場の片隅に坐っている蓮実のところへ出て行った。二人はすぐ立ち上ると、らんど 海りを始めた。沼本が技をかけると、それに逆らわず、蓮実はその度に投げられている。沼本は余 り相手が投げられてばかりいるので、自分の方も投げられねば悪いとでも思ったのか、蓮実が技 のをかけると、沼本も転がってやっている。 そんな練習を十分ほどやってから、沼本は戻って来ると、 「立技は全然できないんだよ。俺、初めはわざと投げられていると思っていたんだが、どうもそ うじゃよい。ほんとに飛ぶんだよ」 そんなことを言った。 「そうか。変なのが飛び込んで来たもんだな」 遠山は感心したように言った。すると、 「お願いします」 と、蓮実が洪作の前に来て、頭を下げた。 「卒業した方なんですってね。お手やわらかに願います、
洪作はさらに練習を続け、何とかして一本とらなければ引込みがっかなかったが、 「お前、ロから血が出ているぞー と、遠山に言われた。口に手をやってみると、なるほど血が出ている。唇でも咬んだのであろ 「うがいして来た方がいいですよ」 蓮実が言ったので、残念ながら、洪作はそれで稽古を打切らねばならなかった。 淇作に替って、遠山が蓮実の相手になった。 海洪作が道場の横手の水道でうがいして帰ると、道場には異変が起きていた。柔道部員は全部稽 古をやめて、道場の隅に坐っており、広い道場のまん中では、蓮実と遠山が、まるで決闘でもす のるように、睨み合っている。 三年生の柔道部員が、 「遠山さんはもう一一本とられました。いきなり締められて一本、次は押え込まれて一本ー と言った。洪作がやられたように、遠山もやられたのである。まだ五分とは経っていない。 負けん気の遠山は、顔をまっかにして、相手に襲いかかるすきを覘っている。肩が大きく揺れ ているところを見ると、息切れがしているのであろう。 蓮実の方は静かである。遠山と並べてみると、まるで体格が違っている。大きい遠山が近寄っ て行くと、小さい蓮実はそれだけうしろにさがって行く。猫が鼠を捕えようとしているように見 えるが、どうも鼠の方が強そうである。 遠山は鼠を追い廻す猫のように、蓮実を追い廻していたが、やがて蓮実の柔道着の襟をとらえ
「必要なものはのけろ。洪作にも汽車賃と弁当代をやれ」 大天井は命じた。鳶と杉戸は、それぞれ同額の金を出して、卓の上に置いた。 「これ、お前の分だ」 鳶は洪作に言った。 「すまないですね」 あきら 「すまんことはよい。、 しつか巻き上げた分だ。多分これより多かったと思うが、それは諦めろ。 お前も飲んだり食ったりしたんだからな」 海確かにその通りだった。淇作としては損しているか、得しているか判らなかった。大体とんと んといったところだろうと思われた。 の「下宿代は要らん。蓮実が払ってくれてあるー 杉戸は言った。 「あれ、杉戸さんが払ったんじゃないですかー 「俺は払わんよ。それほど親切じゃない。そもそも蓮実が声をかけて、君が来るようになったん だから、蓮実が払って当然なんだ」 そう言われればそうに違いなかったが、洪作はさっき蓮実に下宿代のことを言われたばかりの 時だったので、ふしぎな気持がした。そのことを洪作がみなに話すと、 「あいつはそういう奴だ。自分が払ったのなら、自分が払ったと言えばいいのに、そうは言わん。 そこが、蓮実の気障なところだ」 鳶は言ったが、洪作はそうは思わなかった。あの時、蓮実は自分が代って払っておいたとは言 507
「じゃ、僕は失礼する。夜行で帰るんだったね」 「はあ」 「じゃ、気をつけて」 「失礼します」 蓮実は頭を下げて、篠崎を浴室の出口まで送って行ったが、すぐ戻って来ると、 「いい先生じゃないですか、あのひと」 と一一一一口った。 海「前から知ってるんでしよう ? 」 洪作が訊くと、 の「いいや、初めて。 のはいいものですよー 蓮実はそんなことを言った。 「すしを食べろと言って金を渡されてあります」 遠山が言うと、 「悪いな」 蓮実は言ったが、すぐ 「じゃ、行きましようや、腹がへった ! 」 と言った。三人は肩を並べて校門を出た。蓮実は小倉の洋服に、下駄履き、白線帽をズボンの ポケットに捩じ込んでいる。 今日初めて会ったんですよ。昼飯を御馳走になっちゃった。先輩という
て、控え部屋で柔道着を脱ぎながら、 「俺たち、寝技を知らんからなー そんなことを言った。すると、 「そう、あなたがたが寝技を知らないから、僕の方が勝つんですよ。寝技を覚えられたら、僕な どすぐやられちゃう」 蓮実は言った。洪作は蓮実を誘って寄宿舎の浴場へ行った。洪作は、これまでこれほど魅力あ る若者に会ったことはないと思った。貧相な体をしているくせにやけに強いし、それでいて、少 海しも強そうには見えない。 言葉づかいも丁寧だし、威張ったところもない。 「幾つですか - の風呂につかりながら、遠山が訊くと、 「十八です」 蓮実は答えた。洪作や遠山より一つ若い。これでもまた二人はうんざりした。 三人が風呂から上ると、代数の教師の篠崎がやって来て、 「僕は用事があって付合えぬが、一緒にすしでも食べたらどうか」 と言って、遠山に紙幣を渡した。 「いいですか、すし屋にはいって 遠山が言うと、 「卒業生も居るし、高校生も居るんだから、一緒に行くんなら構わんだろう」 篠崎は言った。それから蓮実の方に、