393 「結構ですな、伺いましよう」 「では」 老人は出て行った。 「やあ、すまん、すまん 大天井は二人のところへやって来ると、 「さっき聞き棄てならんことを言ってたな。肉だとか、何だとか」 と一一 = ロった。 海「鳶が肉を買って来ます」 「そうか、それはいい。俺はいつばい飲むが、君たちにも暑気払いに少しだけ飲ませてやろう」 の大天井は言った。 「どう、稽古は ? 大天井は杉戸に言って、 「もう二、三日したら、俺も道場へ出して貰おうと思っている。 「参考書はあげたんですか」 杉戸が訊くと、 「あげた」 「何の参考書ですか」 「詳しく訊くな」 大天井は笑いながら言った。そして、 しいだろう、もうそろそろ」
「いま、台湾に発つ日を決めなさい。もう別に沼津には用事はないだろう」 宇田が言った。 「ありません . 「いつでも発てるね」 「はあ。もう郷里の伊豆へも行かなくていいと思いますー オしカ今頃、おじいさんのところへでも顔を出してみなさい。怒鳴りつけられる 「当り前じゃよ、、。 海すると、傍から夫人が、 「おじいさんは憤っていましたよ。見せて上げたいくらい の「ここにも伺ったんですか。驚いたな。藤尾のところにも行っている。仕様がないな、年寄とい うものは」 洪作が言うと、夫人は、 「そんなことを言ってはいけません。罰があたりますよ。心配すればこそ、 と一一一一口った。 「心配しているかどうかは疑問です。ただ台北の家から監督役を仰せつかっているので、僕を台 北にやってしまうまでは責任を感じているんです。早く厄介払いをしたいと思っていると思うん ですー くらおじいさんだって心配せんだろう。そ 「そりや、そうだよ。別に君みたいな者のことは、い 僕だって、そうだよ。何も君のことなど心 りや、君の言う通り責任だけだよ。責任だけさ。 ぞ」
115 「だめでしようね。とても、そんな余裕はありませんよ。 その替り、九月からは勉強して下 さい。勉強しないと言っても、僕たちがさせますよ。勉強しているかどうか、みんなで交替であ なたの下宿を見廻ります。時にはさし入れもしますー 「九月からは勉強専門ですか [ 「昼、一時間ぐらいは道場へ来た方かいいでしよう。勉強にさし障りにならない程度に、軽くど たんばたんやって、あとは勉強ばかり」 「理想的じゃよい、 海遠山が洪作にけしかけるように言うと、 「さっき話した大天井さんなどは、柔道はいくらとめてもやるし、勉強の方はやらんです。いっ の見廻りに行っても寝ている。忠告すると反対に憤られるんです。世が世なら、俺はお前たちの先 輩だ ! 」 蓮実は言った。駅へ着くと、 「ホームに出る必要ありませんよ。入場券がもったいない。じゃ、待ってますよ。 いずれ手 紙で連絡します」 蓮実は改札口を入って行った。ひどく颯爽としたものが、ふいに居なくなってしまった感じだ こうふん 洪作は寺の自分の部屋へ戻ったが、何となく昻奮していて、遅くまで眠りにはいって行けなか った。蓮実という自分より一つ年下の青年が、今までに会った同年配のいかなる若者とも異った、 さっそう ちが
大天井は言って、 「まだたくさん金が残っている」 すると、杉戸が、 「もう、そろそろ返してくれよー と一一一口った。 「そりや、返すさ。お前らの金だから返してやるが、あすまだもう一日ある。あすの夕方まで預 かっておこう。早く返すと、お前らはろくでもなく使ってしまう。今日は俺が預かってやったお 海蔭で、親にも土産ができたし、下宿にも土産ができた。郷里に帰るのにきれいなシャツも着て帰 れる。金というものはこういう使い方をするものだ」 の大天井は言って、 「あすはどうする」 「淇作に兼六公園を見せてやる」 ~ 嶌が一一一ワっと、 「そうか。じゃ、俺が案内の労をとってやる。そして、夜、またスキ焼を食うか」 「うーむ 鳶が唸った。 「俺はほかのものかいし 杉戸は言った。 それから、四人の仲間は少しずつ淋しくなって行った。さきに鳶が姿を消し、次に大天井が姿 518
「そうでしよう」 「たとえ、そうだとしても、それがどうしたというの 「もう、何年もカステラなんか食べたことないな」 「何を言ってるんです」 「ぼんとです。でも、 いです。 . 寝ちゃおう」 「寝たかったら、さ「さとお寝なさいよ」 じやけん おばさんは邪慳に言「て階下、降りて行「た。洪作は一刻も早く寝床にはいりたか「た。洪作 海が寝床を敷こうとすると、 「ちょ「と待「ていましよう。き「とカステラにありつけますよ」 0 杉戸は留めた。暫くすると、杉戸の予想した通りおばさんの声が階段の下から聞えて来た。 「お茶をあがるなら、どうぞ」 「ほうら、ね。じゃ、折角だから、御馳走になりましようよ」 杉戸が部屋を出たので、淇作もついて行「た。階下の茶の間でカステラの御馳走にな「た。そ の間、おばさんは二人に自分の若い頃の話をしてくれた。そういう話をしていると上機嫌だ「た。 階下で三十分ほどの時間を過してから、一一人は部屋に帰り、並べて敷いた寝床にはい「た。 「いいおばさんじゃないですか」 淇作が言うと、 「あそこまで馴らすまでこご、、、 ー / しふ苦労しましたよ。もうひと息です。性格はとてもいいんですが、 目下、必死にな「て抵抗を試みている時期です。だから、やたらにうるさい。でも、今にまとも 343
って、痛いと言うわね。本当に痛いんだろうから」 おばさんは言った。 清水接骨院への曲り角で、巡査が近寄って来て、 「どうしたんだね」 と、遠山の顔を覗き込んだ。 「骨を五、六枚折ったんで、そこの骨つぎのところへかつぎこむところです」 藤尾が言った。 海「どうして折った ? 」 「柱にぶつかったー の「柱に ? とんきようなことだね」 巡査は言って、 「清水さんのところは起きているかな」 そう言ってから、藤尾の顔に眼を当て、 「あんた藤尾の息子だね、 「そう」 「あんたの友達か」 「そう」 「そんなら、あまり信用せんとこう。大方、酒でもくらって、みぞにはまったんだろう」 巡査は言うと、ひどくゆっくりした足どりで向うに去って行った。
「いま試験だよ。柔道どころじゃないよ。青息吐息だ」 遠山は深刻な顔をして言った。 「二度目だかららくだろう」 「らくなもんか。去年の方がまだましだった。しかし、及第点はくれると思うんだ、一一度目だか らな。まさか二回も落第させんと思うんだ」 「わかるもんか . じやけん 「邪慳なことを言うなよ。 まあ、 しいや、できてもできなくても、一学期の試験だ。たいし 海たことはないや 「俺と連絡するって、何の用事だったんだ。英語でも教えて貰おうと思ったのかー の洪作が言うと、 「まだお前にきくほど落ちぶれないよ。英語の方は俺の方ができると思うんだ」 そう一一一一口ってから、 「実は重大な用件があるんだ。驚くなよ、れい子がお前に会わせてくれと言うんだ。どうしても 会いたいと言うんだし 遠山はにやにやしながら一新った。 「嘘を言え」 洪作は一一 = ロった。 「嘘だと思うだろう。俺も初め信じられなかったんだ。てつきり人違いだと思ったんだが、どう もそうでないらしいんだ。いろいろ聞いてみたが、どうもお前らしい ーーー驚いたよ、俺。座敷
155 「だめですよ、だめ、だめ ! 」 夫人が宇田の体を押した。すると、宇田は仕方なさそうに歩き出したが、 「自分がせつかく行きたいと思う方に歩き出したのに、途中でそれをひとの意志で、捩じ曲げら れてしまうということは、あまり気持のいいことじゃないね と言った。夫人は取り合わないで黙っていた 「もう引き返しかけたから、このままおとなしく家に戻るが、本当は引き返すべきではなかった と思うね。あのまま行っていたら、今頃は火事場の近くに行っている。ついでに浜も散歩でき 海た」 「勝手なことおっしやってるわ。そんなに行きたかったら、行ってらしたらいいでしよう」 の「今になって、何を言うか」 「まだ遅くはありませんわよ。 ほうら、また鳴り出した ! 」 夫人はそんなことを言った。どこかに夫をからかっているところがあった。 家に帰り着いた時は、もう半鐘の音はやんでいた。一時何となくざわめいた戸外も、すっかり もとの静けさを取り戻していた。 「さ、これから洪作さんの送別会よ」 夫人は言った。洪作は夫人の言葉で、またあまり面白くない台北行きのことを思い出した。 「そうだったな。洪作君の送別会か。よし、大いに飲もう、やけくそだ , その″やけくそ″というのは、火事見物ができなかったことを言っているらしかった。 「何をぶつぶつ言ってらっしやるの。男らしくもない」
それから、 「私のことを、ご両親からお報せしてあったと思うんですが」 と言って、名刺をさし出した。台北市で病院を持っている医師であった。佐藤医師が言うくら オしカそれを読ん いであるから、母からの手紙にこの医師のことが書かれてあったかも知れよ、。。、、 だ記憶はなかった。まだ開封してない手紙が二、三本あるから、その中にはいっているのであろ 「乗船は三時ですから、それまでまだ大分時間があります。どうしますかー 海佐藤医師は言った。 「ちょっと廻りたいところがありますのでー の洪作は言った。それまで自由になっていたかった。 「では、三時に船でお会いしましよう。私も、それまでに知人の宅でも訪ねてくることにしま そう言って、肥満した人物は出て行った。洪作は、さて、どうしようかと思った。洪作はまた 鞄を持って、大阪商船の事務所を出た。強い陽射しが舗装道路に降っている。またアイスクリー ムを頬張りたくなった。 洪作は鞄を持って町を歩いた。やたらに喉が乾いたが、そう度々アイスクリームのご厄介にな るわけには行かなかった。 ハスの停留所で、そこに居た内儀さん風の女の人に六甲山の中腹まで登ってみたいが、バスが あるだろうかと訊いてみた。女の人は訝かしく思ったのか、 656
「どうした」 「このまま、暫くこうしています」 「立てないのか」 「立てます」 「それなら、立ちなさい」 「はあー 淇作は地面に両手をついて体を浮かそうとしたが、すぐまたやめて、 海「もう暫くこうしています」 と一一 = ロった。 の 宇田は地面に坐っている洪作を、上から覗き込むようにして、 「立てないんだなー 「立てます」 「だって、立てないじゃないカ 。ばかな奴だ。腰の骨でも折っているのだろう。呆れた奴だ」 それから、 「当分、そこに坐っていなさい。立てないと一言うのなら、坐っている以外仕方あるまい。二、 日坐っていたら、また立てるようになるだろう。僕はもう君たちみたいな愚か者と付合っている のはごめんだ。、帰る。あとは遠山に何とでもしてもらうがいい」 宇田は言った。すると、 「だらしない奴だな。立てよ」 239