輛たいと思うものの一つだ。 第一の花 ためいぎ 「熱い寒いも彼岸まで」とは土地の人のよく言うことだが、彼岸という声を聞くと、ホッと溜息 が出る。五カ月の余に渡る長い長い冬を漸く通り越したという気がする。その頃まで枯葉の落ち しやくなぎ ずにいる槲、堅い大きな蕾を持 0 て雪の中で辛抱し通したような石楠木、一つとして過ぎ行く季 ケ節の記念でないものは無い。 ス 私達が学校の教室の窓から見える桜の樹は、幹にも枝にも紅い艶を持 0 て来た。家〈帰 0 て庭 の を眺めると、土塀に映る林檎や柿の樹影は何時まで見ていても飽きないほど面白味がある。暖く 曲 のぎば 千な 0 た気候のために化生した羽虫が早や軒端に群を成す。私は君に雑草のことを話したが、三月 よもぎへび あずき 、いたち草、小豆草、蓬、蛇ぐさ、人参草、嫁菜、大なずな、小なずな、その他 の石垣の間には 数え切れないほどの草の種類が頭を持ち上げているのを見る。私は又三月の二十六日に石垣の上 にある土の中に白い小さな「なずな」の花と、紫の斑のある名も知らない草の小さな花とを見つ けた。それがこの山の上で見つけた第一の花だ。 りん・こ こかげ にんじん つや
達の学校の校長は弔いの言葉を述べた・人誰か死なからん、この兄弟のごとく惜まれむことを願 え、という意味の話なぞがあった時は、年老いた 0 の母親は聖書を手にして泣いた。 士族地の墓地まで、私は生徒達と一緒に見送りに行った。松の多い静な小山の上に 0 の遺骸が 埋められた。墓地でも讃美歌が歌われた。そこの石塔の側、ここの松の下には、 o と同級の生徒 たたず ありさま が腰掛けたり佇立んだりして、この光景を眺めていた。 暖い雨 二月に入って暖い雨が来た。 いぎかえ あたたか 灰色の雲も低く、空は曇 0 た日、午後から雨とな 0 て、遽かに復活るような温暖さを感じた。 たと ぎかっ こういう雨が何度も何度も来た後でなければ、私達は譬えようの無い烈しい春の饑渇を癒すこと が出来ない。 空は煙か雨かと思うほどで、傘さして通る人や、濡れて行く馬などの姿が眼につく。単調な軒 の玉水の音も楽しい。 堅く縮こまっていた私の身体もいくらか延び延びとして来た。私は言い難き快感を覚えた。庭 に行って見ると、汚れた雪の上に降りそそぐ音がする。屋外へ出て見ると、残った雪が雨のため ようや に溶けて、暗い色の土があらわれている。田畠も漸く冬の眠から覚めかけたように、砂まじりの 千曲川のスケッチ にわ いや
はくぜんおきな 隠れて、花を植えて楽んだり鉱泉に老を養ったりするような、白髯の翁だ。どうかすると先生の じようだん 口から先生自身がリップ・ヴァン・ウインクルであるかのような戯談を聞くこともある。でも先 しようま 生の雄心は年と共に銷磨し尽すようなものでもない。客が訪ねて行くと、談論風発する。 たび 水明楼へ来る度に、私は先生の好く整理した書斎を見るのを楽みにする。そればかりではな てすり い、千曲川の眺望はその楼上の欄に倚りながら恣に賞することが出来る。対岸に煙の見えるの つりばし は大久保村だ。その下に見える釣橋が戻り橋だ。日 , 向から聞える朝々の鶏の鳴声、毎晩農村に点 あかり いろいろ チく灯の色、種々思いやられる。 ケ ス の 楢の樹蔭 曲 楢の樹蔭。 そこは鹿島神社の境内だ。学校が休みに成ってからも、私はよくその樹蔭を通る。 こみち ある日、鉄道の踏切を越えて、また緑草の間の小径へ出た。楢の古木には、角の短い、目の愛ら しい小牛が繋いであった。しばらく私が立って眺めていると、小牛は繋がれたままでぐるぐると しま あっちこっち 廻るうちに、地を引くほどの長い綱を彼方此方の楢の幹へすっかり巻き付けて終った。そして、 身動きすることも出来ないように成った。 向の草の中には、赤い馬と白い馬とが繋いであった。 つな なら はししまま っ
番頭は鼻の先へ握り拳を重ねて、大天狗をして見せた。そして、高い、快活な声で笑った。 一」ういう人達と一緒に、どちらかと言えば陰気な山の中で私は時を送った。ポッポッ雨の落ち あいあいがさ て来た頃、私達はこの山荘を出た。番頭は半ば酔った調子で、「お二人で一本だ、相合傘という やつはナカナカ意気なものですから」 と番傘を出して貸してくれた。私は仕立屋と一緒にその相合傘で帰りかけた。 「もう一本お持ちなさい」と言って、復た小僧が追いかけて来た。 ッ ケ 毒消売の女 ス の よ 「毒消は宜う御座んすかねえ」 かど えちごなまり 千家々の門に立 0 て、鋭い越後訛で呼ぶ女の声を聞くように成 0 た。 ふろしき つばめ 黒い旅人らしい姿、背中にある大きな風呂敷、日をうけて光る笠、あだかも燕が同じような勢 ぞろ 揃いで、互に群を成して時季を違えず遠いところからやって来るように、彼等もはるばるこの山 かなたこなた の上まで旅して来る。そして鳥の群が彼方、此方の軒に別れて飛ぶように彼等もまた二人か三人 ずつに成って思い思いの門を訪れる。この節私は学校へ行く途中で、毎日のようにその毒消売の 群に逢う。彼等は血気壮んなところまで互によく似ている。 さか こぶし だいてんぐ ま
ある朝、私は深い霧の中を学校の方へ出掛けたことが有った。五六町先は見えないほどの道を 歩いて行くと、これから野面 ( 働きに行こうとする農夫、番小屋の側にションポリ立 0 ている線 ちゅうぎゅうば ( ニ八 ) 私自身それを 路番人、霧に湿りながら貨物の車を押す中牛馬の男なそに逢った。そして私は まっか 感ずるように この人達の手なぞが真紅にれるほどの寒い朝でも、皆な見かけほど気候に臆 してはいないということを知った。 「どうです、一枚着ようじや有りませんかーー」 あたたかさ チ こんなことを言って、皆な歩き廻る。それでも温熱が取れるという風だ。 外それから私は学校の連中と一緒に成ったが、朝霧は次第に晴れて行った。そこいらは明るく成 すそ あらわ のって来た。浅間の山の裾もすこし顕れて来た。早く行く雲なそが眼に入る。ところどころに濃い あた 青空が見えて来る。そのうちに西の方は晴れて、ポッと日が映って来る。浅間が全く見えるよう 曲 いただき 千に成ると、でも冬らしく成 0 たという気がする。最早あの山の巓には白髪のような雪が望まれ る。 こんな風にして、冬が来る。激しい気候を相手に働くものに取って、一年中の楽しい休息の時 こたっ つけものばち が来る。信州名物の炬燵の上には、茶盆だの、漬物鉢だの、煙草盆だの、どうかすると酒の道具 まわり まで置かれて、その周囲で炬燵話というやつが始まる。
あがりおり うことも出来る。この土足で昇降の出来るように作られた建物を見ると、山深いところにある温 かざわ 泉宿の気がする。鹿沢温泉 ( 山の湯 ) と来たら、それこそ野趣に富んでいるという話だ。 半ば緑葉に包まれ、半ば赤い崖に成った山脈に添うて、千曲川の激流を左に望みながら、私は 汽車で上田まで乗った。上田橋ーー赤く塗った鉄橋 , ーーあれを渡る時は、大河らしい千曲川の水 めのしたなが を眼下に眺めて行った。私は上田附近の平地にある幾多の村落の間を歩いて通った。あの辺はい いなかみち かにも田舎道らしい気のするところだ。途中に樹蔭もある。腰掛けて休む粗末な茶屋もある。 チ青木村というところで、いかに農夫等が労苦するかを見た。彼等の背中に木の葉を挿して、そ - 」うもり ひょけ ケれを僅かの日除としながら、田の草を取って働いていた。私なそは洋傘でもなければ歩かれない 程の熱い日ざかりに。この農村を通り抜けると、すこし白く濁った川に随いて、谷深く坂道を上 曲るように成る。川の色を見ただけでも、湯場に近づいたことを知る。そのうちに、こんな看板の 掛けてあるところへ出た。 みやばら ますや 升屋というは眺望の好い温泉宿だ。湯川の流れる音が聞える楼上で、私達の学校の校長の細君 が十四五人ばかりの女生徒を連れて来ているのに逢「た。この娘達も私が余暇に教えに行く方の 生徒だ。 わず
雑草を刈取ってそれを背負って行く老婆もあった。 与良町の裏手で、私は畠に出て働いている君に逢った。君は背の低い、快活な調子の人 わかもの 行く行くは新時代の小諸を形造る壮年の一人として、 で、若い細君を迎えたばかりであったが、 , 土地のものに望を嘱されている。こういう人が、畠を耕しているということも面白く思う。 たか ごましおあたま 胡麻塩頭で、目が眦んで、鼻の隆い、節々のあらわれたような大きな手を持った隠居が、私達 あいさっ の前を挨拶して通った。腰には角の根っけの付いた、大きな煙草入をぶらさげていた。君はそ ー ( 「カ思 > 付いたよ チの隠居を指して、この辺で第一の老農であると私に言って聞かせた。隠ま、可ゝ、、 ケうに、私達の方を振返って、白い短い髯を見せた。 ス こやしおけかっ の 肥桶を担いだ男も畠の向を通った。君はその男の方をも私に指して見せて、あの桶の底には あかしらが きつわぎ 必と葱などの盗んだのが入っている、と笑いながら言った。それから、私は髪の赤白髪な、眼の 色も灰色を帯びた、酒好らしい赤ら顔の農夫にも逢った。 古城の初夏 私の同僚に理学士が居る。物理、化学なぞを受持っている。 学校の日課が終った頃、私はこの年老いた学士の教室の側を通った。戸口に立って眺めると、 学士も授業を済ましたところであったが、まだ机の前に立って何か生徒等に説明していた。机の つの
と、いつの間にかわたしの書架も面目を改め、近代の詩書がそこに並んでいるばかりでなく、英 訳で読める欧洲大陸の小説や戯曲の類が一冊ずつ順にふえた。トルストイの「コサックス」や 「アンナ・カレニナ」、ドストイエフスキイの「罪と罰」に「シベリアの記」、フロオペルの「ポヴ アリィ夫人」、それにイプセンの「ジョン・ガプリエル・ポルクマン」はわたしの愛読書になっ た。一体、わたしが初めてトルストイの著作に接したのは、その小説ではなく、明治学院の旧い いわもと 学窓を出た翌年かに巌本善治氏夫妻の蔵書の中に見つけた英訳の「労働」と題する一小冊子であ 書 奥ったが、そんな記憶があるだけでも旧知にめぐりあう思いをした上に、その正しい描写には心を チ ひかれ、千曲川の川上にあたる高原地の方へ出掛けた折なぞ、トルストイ作中の人物をいろいろ コーカサス スに想像したり、見ぬ高加索の地方〈まで思いを駟せたりしたものであ 0 た。当時わたしは横浜の の ケリイという店からおもに洋書を求めていたが、その店から送り届けてくれたバルザックの小説 阡で、英訳の「土」も長くわたしの心に残った。不思議にもそれらの近代文学に親しんでみること はつらっ が反って古くから自分等の国にあるものの読み直しをわたしに教えた。あの溌刺として人に迫る ような「枕の草紙」に多くの学ぶべきもののあるのを発見したのも、その時であった。 今から明治二十年代を振り返ってみることは、私に取って自分等の青年時代を振り返ってみる ことであるが、あの鵰外漁史なそが「舞姫」の作によって文学の舞台に登場せられたのは二十年 代も早い頃のことであり、「新著百種」に「文づかい」が出たのも二十四年の頃であったと思う。 155
居牛の三 赤い牝牛に続いて、黒い雑種の牡も、ー 型の如くに瞬く間に倒された。広い屠場には三頭の牛の 体が横たわった。ふと板塀の外に豚の鳴き騒ぐ声が起った。庭へ出て見ると、白い、肥った、脚 子供ま の短い豚が死物狂いに成って、哀しく可笑しげな声を揚げながら、庭中逃げ廻っていた。 で集って来た。追うものもあれば、逃げるものもあった。肉屋の亭主が手早く細引を投げ掛ける チ ひぎず 外と、数人その上に馬乗りに乗って脚を締めた。豚はそのまま屠場へ引摺られて行った。 よ やかま の「牛は宜う御座んすが、豚は喧しく 0 て不可ません。危いことなそは有りませんが、騒ぐもんで すからーーー」 曲 千 こういう肉屋の亭主に随いて、復た私は屠場へ入って見た。豚は五人掛りで押えられながら も、鼻を動かしたり、哀しげに 0 て鳴いたりした。牛の場合とは違 0 て、大鍼などが用いられ るでも無かった。屠手はいきなり出刃を揮って生きている豚の咽喉を突いた。これに私はすくな めんくら からず面喰って、眺めていると豚は一層声を揚げて鳴いた。牛の冷静とは大違いだ。豚の咽喉か らは赤い血が流れて出た。その毛皮が白いだけ、余計に血の色が私の眼に映った。三人ばかりの たちま 屠手がその上に乗ってドシドシ踏み付けるかと見るうちに、忽ち豚の気息は絶えた。 かしらあちこち 年をとった屠手の頭は彼方此方と屠場の中を廻って指図しながら歩いていた。その手も、握っ 109 ふる またた
のことだから毛も長く延び、背は高く、目は優しく、肥大な骨格の馬だ。亭主は例のフスマに芋、 かぎ や ( 三四 ) 葱のうでたのを混ぜ、ツタを加えて掻廻し、それを大桶に入れて、馬小屋の鍵に掛けて遣った。 馬はあまえて、朝飯欲しそうな顔付をした。 「廻って来い」 と亭主が言うと、馬は主人の言葉を聞分けて、ぐるりと一度小屋の内を廻った。 「もう一度ーーー」 かれん ま まならら チ と復た亭主が馬の第面を押しやった。それからこの可憐な動物は桶の中へ首を差込むことを許 ケされた。馬がゴトゴトさせて食う傍で、亭主は一斗五升の白水が一吸に尽されることを話して、 ス の私達を驚かした。 ようや 山上の雲は漸く白く成って行った。谷底も明けて行った。光の触れるところは灰色に望まれ 曲 細君が膳の仕度の出来たことを知らせに来た。めずらしいところで、私達は朝の食事をした。 しるわん はこぜん ふぎん おわ 亭主は食べ了った茶碗に湯を注ぎ、それを汁椀にあけて飲み尽し、やがて箱膳の中から布巾を取 出して、茶碗もも自分で拭いて納めた。 もう一度、私達は亭主と一緒に小屋を出て、朝日に光る山々を見上げ、見下した。亭主は望遠 鏡まで取出して来て、あそこに見えるのが渋の沢、その手前の窪みが霊泉寺の沢、と一々指して たでしな みまぎ 見せた。八つが岳、蓼科の裾、御牧が原、すべて一望の中にあった。 ふ そば おおおけ