ラスキン - みる会図書館


検索対象: 千曲川のスケッチ
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1. 千曲川のスケッチ

167 説 解 ちくま 『千曲川のスケッチ』九の「雪国のクリスマス」の項に、「例の測候所の技手の家を訪ねると、 主人はまだ若い人で、炬燵にあたりながらの気象学の話や、文学上の精しい引証談なぞが、私の 心を楽ませた。ラスキンが『近代画家』の中にある雲の研究の話なども出た。ラスキンが雲を三 層に分けた頃から思うと、九層の分類にまで及んだ近時の雲形の研究は進んだものだ。こう主人 が話しているところへ、ある婦人の客も訪ねて来た」という一節がある。この測候所の技手は長 野に住む人で、島崎藤村はクリスマスの夜はじめてそこを訪れたのである。初対面ながら、技手 解がラスキンの『近代画家』の話などもちだしたところをみると、藤村の愛読者だったろうその人 は『落梅集』のなかの『雲』なども商売がら熟読したことがあったにちがいない。 しなのおもむ 「こその四月都を辞して信濃に赴く時、わが行李のうちには近世画家論五巻をも納めたり」とい う冒頭を持っ『雲』は、「されどその観察は丹青のことにたづさはらぬものとい〈ども拠りて教訓 かか を聞くのたよりと為すべきもの多し。かれは空際に懸る雲の位置をもて、先づその性質の依りて おほよそ さんがい 成れる要点なることを量り、大凡かの空を三界に分ちて」というラスキンの訓えを導きの糸とし たんねん ながら、夏から秋、秋から冬、冬から春へと移りかわる山国の雲の形態と彩色の変化を丹念に写 説 こたっ ま よ よ

2. 千曲川のスケッチ

みやけかつみ しとったものである。そして、藤村はその最後を「水彩画家三宅克巳氏はわれと前後して小諸に ぎた あひあはれ 来り住みぬ。客心相憐ぶのあまり互に訪れて芸術の上など語るを日頃のなぐさめとなせり。氏は かって西欧に遊び、名ある画堂をへめぐりて、親しくミレエ、コロオなどの作につき丹青のあと を尋ねたる人なり。この稿を草するにあたりて、氏が物語に得ることすくなからず。ここに併せ あぎら 記すは負ふところを明かにせむとてなり」と結んだのである。 これをみれば、藤村は明治三十二年四月に木村熊二の主宰する小諸義塾の教師として赴任する チとき、用意周到にもラスキンの著書五巻をたずさえてゆき、同僚に水彩画家三宅克巳をむかえた ケことなどにも刺激されて、ラスキンの雲の研究に導かれながら、明治三十三年ころから画家の写 ス スタディ の生・スケッチとおなじような「研究」を、文章・散文において試みていたことが判明するのであ る。 曲 千 感想集『新片町より』 ( 明治四十一一年九月刊 ) のなかの「写生」の項目には、つぎのような言葉が 読まれる。 「写生の方法が次第に進んで来れば、無駄骨折をすることが少くなる。写生が自分を益したこと み は、第一に能く物を観ることで、第二に能く物を記憶することだ。私が信州に居る頃は、よく雲 の日記なそをつけて居たが、こうして写生を勉めたお蔭で、多少『自然』という大きなものに近 づくことが出来るようになったかと思う」 「穩古としての写生は研究だ。研究はもとより大切だ。しかし研究ということを忘れた時でなけ 168 よ かげ ′」もろ

3. 千曲川のスケッチ

こういう寒さと、凍った空気とを衝いて、私は未知の人々に逢う楽みを想像しながら、クリス マスのあるという日の暮方に長野〈入 0 た。例の測候所の技手の家を訪ねると、主人はまだ若い くわ 人で、炬燵にあたりながらの気象学の話や、文学上の精しい引証談なぞが、私の心を楽ませた。 ラスキンが「近代画家」の中にある雲の研究の話なども出た。ラスキンが雲を三層に分けた頃か ら思うと、九層の分類にまで及んだ近時の雲形の研究は進んだものだ。こう主人が話していると チころへ、ある婦人の客も訪ねて来た。 私が主人から紹介されたその若い婦人は、牧師の夫人で、主人が親しい友達であるという。快 の活な声で笑う人だった。その晩歌うクリスマスの唱歌で、その夫人の手に成ったものも有るとの グリスマス ルことだった。やがて降誕祭を祝う時刻も近づいたので、私達は連立って技手の家を出た。 千私が案内されて行 0 た会堂風の建物は、丁度坂に成 0 た町の中途にあ 0 た。そ一ニ行くまでに うしろ 私は雪の残った暗い町々を通った。時々私は技手と一緒に、凍った往来に足を留めて、後部の方 おんなれん に起る女連の笑声を聞くこともあった。その高い楽しい笑声が、寒い冬の空気に響いた時は、一 ころ 層雪国の祭の夜らしい思をさせた。後に成って私は、若い牧師夫人が二度ほど滑って転んだこと を知った。 いなか 赤々とした燈火は会堂の窓を泄れていた。そこに集っていた多勢の子供と共に、私は田舎らし 川いクリスマスの晩を送った。 ( 三六 ) こたっ

4. 千曲川のスケッチ

171 歳月の経過のうちに、千曲川流域の自然と人生が写生されているのである。こういう形式上の整 合はおそらく原『千曲川のスケッチ』にはなかったもので、明治四十四年にリライトしたとき、 藤村自身が新しくエ夫したものだろう。したがって、文章のスタイルなども明治四十四年現在の ぎつくっ ものであって、原『千曲川のスケッチ』はおなじロ語文といっても、もっと佶屈なところがあっ たのじゃないか、と想像される。すくなくとも『緑葉集』の文章のスタイルと原『千曲川のスケ ッチ』のそれとは同質のものだったにちがいない。しかし、ラスキンの『近代画家』の方法にま 説なび、画家がスケッチするのとおなじ態度で、山国の自然と人生にたちむかった藤村の観察の結 果が、後年の藤村の含みおおい、それだけに多義的な文章のスタイルとは遠く隔っていただろう ことは、リライトされた『千曲川のスケッチ』からもこれをうかがうことができる。かって伊藤 あいさっ 整は藤村の文章を日本人情緒の思い入れたつぶりな挨拶のスタイルになぞらえたことがあった あいまい が、そういう曖昧な挨拶のスタイルと『千曲川のスケッチ』のそれとは、やはり質的に異なって いる。これは意外に論理的であり、合理的であることによって、全体としてリアリスティックな むさしの 文体を形成しているのである。国木田独歩の『武蔵野』や徳富蘆花の『自然と人生』にくらべて ゆえん も、『千曲川のスケッチ』がはるかに近代的たる所以だろう。もしかしたら、藤村は当時愛読し ていたらしいツルゲーネフの『猟人日記』のことなどを頭において、リライトしたかもしれな この『千曲川のスケッチ』や「千曲河畔の物語」と名づけた短編集『緑葉集』などの集大成と

5. 千曲川のスケッチ

163 注 解 よう ~ う ンナ・カレーニナ』の登場人物。〈体格のがっしりした、美しく引きしまった容貎〉の車人で、 ヒロインのアンナと不倫の恋をする。 ( 二八 ) 中牛馬江戸時代の後期に、甲信地方から北関東にかけて発達した牛馬連送組合の通称。 信地方では牛を使って荷物の連送にあたった。 わら ( 二九 ) 桟俵さんだらはっちともいう。米俵に使う丸い藁のふた。 しこう ( 三〇 ) 女穂女穂は稲穂の基部で、第一枝梗が二本斌をなして出ている穂。ふつうは一本だけ出て もみ いて、これを男穂という。女穂は生育条件のよい時にできる豊産種で、その籾はタネとして 珍重される。 もみ ( 三一 ) 粃実の入っていない籾。 ( 三一 D ハチハイ豆腐の切りかた。たてよこに細かく切ること。 えびす ( 三 lll) 夷講旧暦十月二十日に、商家で恵比須を祭り、商売の繁盛を祈願するお祝い。 ぎれつ ( 三四 ) ッタすさ ( 寸莎 ) の記り。本来は壁土にまじえて亀裂をふせぐっなぎとするもの。転じて、 ぎざ 刻んだ藁などを指していう。 ( 三五 ) Picturesque 〔英〕絵のような美しさ。 ( 三六 ) ラスキン〔 John Ruskin ( 一 8 一 9 ー一 900 ) 〕イギリスの美術・社会評論家。『近代画家論』 五巻がある。 ( 三七 ) 太物綿織物・麻織物の総称。 ( 三八 ) ナゴ長野地方の方言で、樹氷のこと。霧が樹木の枝に凍りついて白く輝き、花のように見 えるもの。 ( 三九 ) Unseen Whiteness 〔英〕目に見えない白さ。

6. 千曲川のスケッチ

びん ガラスくだ ろうそく 上には、大理石の屑、塩酸の壜、コップ、玻璃管などが置いてあ 0 た。蝋燭の火も燃えていた。 学士は、手にしたコップをすこし傾げて見せた。炭素はその玻璃板の蓋の間から流れた。蝋燭の 火は水を注ぎかけられたように消えた。 まわり まる 無邪気な学生等は学士の机の周囲に集って、ロを開いたり、眼を円くしたりして眺めていた。 ほほえ ほお・つえ 微笑むもの、腕組するもの、頬杖突くもの、種々雑多の様子をしていた。そのコップの中へ鳥か ねずみ すぐ 鼠を入れると直に死ぬと聞いて、生徒の一人がすっくと立上った。 チ「先生、虫じゃいけませんか」 「ええ、虫は鳥などのように酸素を欲しがりませんからナ」 の 問をかけた生徒は、つと教室を離れたかと思うと、やがて彼の姿が窓の外の桃の樹の側にあら われた。 曲 千「アア、虫を取りに行 0 た」 と窓の方を見る生徒もある。庭に出た青年は茂った桜の枝の蔭を尋ね廻っていたが、間もなく つかま 何か捕えて戻って来た。それを学士にすすめた。 「蜂ですか」と学士は気味悪そうに言った。 「ア、怒ってるー・・ー螫すぞ螫すそ」 口々に言い騒いでいる生徒の前で、学士は身を反らして、螫されまいとする様子をした。その 蜂をコップの中へ入れた時は、生徒等は意味もなく笑 0 た。「死んだ、死んだ」と言うものもあ はち ふた

7. 千曲川のスケッチ

堂の役に立てられる。小諸でも町費の大部分を傾けて、他の町に劣らない程の大校舎を建築し ガラスまど た。その高い玻璃窓は町の額のところに光って見える。 さまざま こういう土地だから、良い教育家に成ろうと思う青年の多いのも不思議は無い。種々な家の事 情からして遠く行かれないような学問好きな青年は、多く国に居て身を立てることを考える。毎 年長野の師範学校で募集する生徒の数に比べて、それに応じようとする青年の数は可なり多い。 私達の学校にも、その準備の為に一二年在学する生徒がよくある。 一体にこの山国では学者を尊重する気風がある。小学校の教師でも、他の地方に比べると、比 チ 較的好い報酬を受けている。又、社会上の位置から言 0 ても割合に尊敬を払われている。その点 のは都会の教育家などの比でない。新聞記者までも「先生」として立てられる。長野あたりから新 ) 聞記者を豚して講演を聞くなぞはここらでは珍しくない。何か一芸に長じたものと見れば、そう 曲 千 いう人から新智識を吸集しようとする。小諸辺のことで言ってみても、名士先生を歓迎する会は 実に多い。あだかも昔の御関所のように、そういう人達の素通りを許さないという形だ。 いろいろ 御蔭で私もここへ来てから種々な先生方の話を拝聴することが出来た。故福沢諭吉氏も一度こ こを通られて、何か土産話を置いて行かれたとか。その事は私は後で学校の校長から聞いた。朝 鮮亡命の客でよく足を留めた人もある。旅の書家なそが困って来れば、相応に旅費を持たせて立 たせるという風だ。概して、軍人も、新聞記者も、教育家も、美術家も、皆な同じように迎えら るる傾きがある。 126

8. 千曲川のスケッチ

104 とぎゅう 屠牛の一 上田の町はずれに屠牛場のあることは聞いていたがそれを見る機会もなしに過ぎた。丁度上田 から牛肉を売りに来る男があって、その男が案内しようと言 0 てくれた。 正月の元日だ。新年早々屠牛を見に行くとは、随分物数寄な話だとは思 0 たが、しかし私の遊 すまい おさ ぼつぼっ 意は勃々として制え難いものがあ 0 た。朝早く私は上田をさして小諸の住居を出た。 チ かるた 小諸停車場には汽車を待っ客も少い。駅夫等は集 0 て歌留多の遊びなぞしていた。田中まで行 ケ しか いつも ス くと、いくらか客を加えたが、その田舎らしい小さな駅は平素より更に閑静で、停車場の内で女 の 子供の羽子をつくさまも、汽車の窓から見えた。 曲 千初春とは言いながら、寒い黄ばんだ朝日が車窓の硝子に射し入 0 た。窓の外は、枯々な木立も くわばたけ さびしく、野にある人の影もなく、ひ 0 そりとして雪の白く残「た谷々、石垣の間の桑畠、茶色 すみ くぬぎ な櫟の枯葉なぞが、私の眼に映「た。車中にも数えるほどしか乗客がない。隅のところには古い がい A ) ′ 帽子を冠り、古い外套を身に纏い赤い毛布を敷いて、まだ十二月らしい顔付しながら、さびしそ うに居眠りする鉄道員もあ 0 た。こうした汽車の中で日を送 0 ている入達のことも思いやられ た。 ( この山の上の単調な鉄道生活に堪え得るものは、実際は越後人ばかりであるとか ) びんしよう 上田町に着いた。上田は小諸の堅実にひきかえ、敏捷を以て聞えた土地だ。この一般の気風と まと ケット ガラス ものずぎ

9. 千曲川のスケッチ

フムそうか、君はよくこんなものが読めなくて鉄道が勤まるネ、そんな話でその場は分れて了い けんせぎ ました。技手はもし譴責でもされたら酒にかこつける下心で、すこし紅い顔をして駅長さんの前 はばか に出ました。先刻は大きに失礼致しました、憚りながらこんなものは英語のイロハだ、皆さんも 聞いて下さい。この貼紙にはこう云ことが書いてあると言うて、。ヘロペロと読んで聞かせまし た。ウンそうかい、そういうことが書いてあるのかい、成程君はエライものだ、そういう学力が あろうとは今まで思わなかった : : : 」 こんな口論の末から駅長と技手とはすべて反対に出るように成った。間もなくその駅長は面白 チ 外くなくて、小諸を去ったとか。 ( 四五 ) の線路の側に立っているポイント・メンこそはこの山の上で寂しい生活を送る移住者の姿であろ う。勤めの時間は二昼夜にわたって、それで一日の休みにありつくという。労働の長いのに苦む 曲 いぎかえり 千 とか。私は学校の往還に、懐古園の踏切を通るが、あの見張番所のところには、ポイント・メン が独りでポツンと立っているのをよく見かける。 もじゅうろう 柳田茂十郎 先代柳田茂十郎さんと言えば、佐久地方の商人として、いつでも引合に出される。茂十郎さん かたぎ の如きは極端に佐久気質を発揮した人の一人だ。 129

10. 千曲川のスケッチ

115 巨大な氷柱の群立するさまを想像してみたまえ。それから寒帯の地方と気候を同じくすると ( 三八 ) からまつばやし いう軽井沢附近の落葉松林に俗に「ナゴ」と称えるものが氷の花のように附着するさまを想像し てみたまえ。 ガラス・こし 汽車が小諸を離れる時、プラットフォムの上に立っ駅夫等の呼吸も白く見えた。窓の硝子越に あいいろ おお 眺めると田、野菜畠、桑畠、皆な雪に掩われて、谷の下の方を暗い藍色な千曲川の水が流れて行 こやしおけ った。村落のあるところには人家の屋根も白く、土壁は暗く、肥桶をかついで麦畠の方〈通う農 くろふえばし チ夫等も寒そうであった。田中の駅を通り過ぎる頃、浅間、黒斑、烏帽子等の一帯の山脈の方を望む ( 三九 ) もうろう ケと空は一面に灰色で、連続した山々に接した部分だけ朦朧と白く見えた。 Unseen Whiteness ス の そんな言葉より外にあの深い空を形容してみようが無かった。窓側に遠く近く見渡される表 くぼ 畠のサクの窪みへは雪が積って、それがウネウネと並行した白い線を描いた中に、枯々な雑木な 曲 千そがポツンポツンと立つのも見えた。 うっとう さいかわ 雪国の鬱陶しさよ。汽車は犀川を渡った。あの水を合せてから、千曲川は一層大河の趣を加え がけ ゃなぎ るが、その日は犀川附近の広い稲田も、岸にある低い楊も、白い土質の崖も、柿の樹の多い村落 ただ も、すべて雪に掩われて見えた。その沈んだ眺望は唯の白さでなくて、紫がかった灰色を帯びた ものだった。遠い山々は重く暗い空に隠れて、かすかに姿をあらわして見せた。この一面の雪景 もり からす わず 色の中で、僅かに単調を破るものは、ところどころに見える暗い杜と、低く舞う餓えた烏の群と のみだ。行手には灰色な雪雲も垂下って来た。次第に私は薄暗い雪国の底の方へ入って行く気が なが