銀馬鹿 「何処の土地にも馬鹿の一人や二人は必ずある」とある人が言った。 ひげ あめや とうじんぶえ ( 一六 ) 貧しい町を通って、黒い鬚の生えた飴屋に逢った。飴屋は高い石垣の下で唐人笛を吹いてい ゅぎかえり くわばたけ た。その辺は停車場に近い裏町だ。私が学校の往還によく通るところだ。岩石の多い桑畠の間へ ほふ 出ると、坂道の上の方から荷車を曳いて押流されるように降りて来た人があった。荷車には屠っ た豚の股が載せてあった。後で、私はあの人が銀馬鹿だと聞いた。銀馬鹿は黙ってよく働く方の の馬鹿だという。この人は又、自分の家屋敷を他に占領されてそれを知らずに働いているともい 曲 千 祭の前夜 まるこ ぎおんまつり 春蚕が済む頃は、やがて土地では、祗園祭の季節を迎える。この町で養蚕をしない家は、指折 おてらぼうさん るほどしか無い。寺院の僧侶すらそれを一年の主なる収入に数える。私の家では一度も飼ったこ かいこだな とが無いが、それが不思議に聞える位だ。こういう土地だから、暗い蚕棚と、襲うような臭気 ねむり と、蚕の睡眠と、桑の出来不出来と、ある時は殆んど徹夜で働いている男や女のことを想ってみ ひと
が、手拭を冠った母の身を延べっ縮めっするさまも、子息のシャッ一枚に成って後ろ向に働いて いるさまも、よく見えた。 子供にあんなことを言われると、私も咽喉が乾いて来た。 家へ帰って濃い熱い茶に有付きたいと思いながら、元来た道を引返そうとした。斜めに射して おちこちながめ 来た日光は黄を帯びて、何となく遠近の眺望が改まった。岡の向うの方には数十羽の雀が飛び集 ったかと思うと、やがてまたパッと散り隠れた。 チ ケ 農夫の生活 ス の 君はどれ程私が農夫の生活に興味を持つかということに気付いたであろう。私の話の中には、 曲 千幾度か農家を訪ねたり、農夫に話し掛けたり、彼等の働く光景を眺めたりして、多くの時を送っ たことが出て来る。それほど私は飽きない心地で居る。そして、もっともっと彼等をよく知りた いと思っている。見たところ、 Open で、質素で、簡単で、半ば野外にさらけ出されたようなの が、彼等の生活だ。しかし彼等に近づけば近づくほど、隠れた、複雑な生活を営んでいることを 思う。同じような服装を着け、同じような農具を携え、同じような耕作に従っている農夫等。譬 えば、彼等の生活は極く地味な灰色だ。その灰色に幾通りあるか知れない。私は学校の暇々に、 行自分でも鍬を執って、すこしばかりの野菜を作ってみているが、どうしても未だ彼等の心には入 いくたび からだ たと
作の余暇に、毎週根津村から小諸まで通って来る。 土曜日に、私はこの画家を訪ねるつもりで、小諸から田中まで汽車に乗って、それから一里ば ちいさがた かり小県の傾斜を上った。 根津村には私達の学校を卒業した 0 という青年が居る。 0 は兵学校の試験を受けたいと言って いるが、最早一人前の農夫として恥しからぬ位だ。私はその家へも寄って、の母や姉に逢っ そぼく つやつや た。 0 の母は肥満した、大きな体格の婦人で、赤い艶々としたの色なそが素樸な快感を与える。 一体千曲川の沿岸では女がよく働く、随って気象も強い。恐らく、これは都会の婦人ばかり見慣 ケれた君なその想像もっかないことだろう。私は又、この土地で、野蛮な感じのする女に遭遇うこ のともある。 0 の母にはそんな荒々しさが無い。何しろこの婦人は驚くべき強健な体格だ。 0 の姉 も も労働に慣れた女らしい手を有っていた。 曲 となり 千私は君や、君の隣家の主人に誘われて、根津村を見て廻った。隣家の主人は君が小学校 ハノラマのような風光は、この大傾斜から擅に望むことが出来 時代からの友達であるという。 た。遠く谷底の方に、千曲川の流れて行くのも見えた。 おにぜり 私達は村はずれの田圃道を通って、ドロ柳の若葉のかげへ出た。谷川には鬼芹などの毒草が茂 っていた。小山の裾を選んで、三人とも草の上に足を投出した。そこで君の友達は提げて来た つれ しようちゅう 焼酎を取出した。この草の上の酒盛の前を、時々若い女の連が通った。草刈に行く人達た。 君の友達は思出したように、 すそ たんぼみち したが
すれも土の喰い入った大きな手に鍬を携えながら、私達の側を挨拶して通った。肥し桶を肩に掛 わかもの けて、威勢よく向うの畠道を急ぐ壮年も有った。 ある日、復た私は光岳寺の横手を通り抜けて、小諸の東側にあたる岡の上に行って見た。 ちょうばう なみ 午後の四時頃だった。私が出た岡の上は可成眺望の好いところで、大きな波濤のような傾斜の チ 外下の方に小諸町の一部が瞰下される位置にある。私の周囲には、既に刈乾した田だの未だ刈取ら とりいれ のない田だのが連なり続いて、その中である二家族のみが残 0 て収穫を急いでいた。 めのまえ 雪の来ない中に早くと、耕作に従事する人達の何かにつけて心忙しさが思われる。私の眼前に 曲 ・こましお もみ 千は胡麻塩頭の父と十四五ばかりに成る子とが互に長い槌を振上げて籾を打った。その音がトント っちほこり てつこう ンと地に響いて、白い土埃が立ち上った。母は手拭を冠り、手甲を着けて、稲の穂をこいては前 かたわら み おやこ ふるい にある箕の中へ落していた。その傍には、父子の叩いた籾を篩にすくい入れて、腰を曲めながら たすぎがけ 働いている、黒い日に焼けた顔付の女もあった。それから赤い襷掛に紺足袋穿という風俗で、籾 しいな ( 三こほこり の入った箕を頭の上に載せ、風に向ってすこしずつ振い落すと、その度に粃と塵埃との混り合っ た黄な煙を送る女もあった。 日が短いから、皆な話もしないで、塵埃だらけに成って働いた。岡の向うには、稲田や桑畠を みおろ こやおけ
祐りしているに引替え、この雇われた男の方ははかばかしく仕事もしないという風で、すこし働い すぐ たかと思うと、直に鍬を杖にして、是方を眺めてはポンヤリと立っていた。 岡辺は光の海であった。黒ずんだ土、不規則な石垣、枯々な桑の枝、畦の草、田の面に乾した新 こずえ みあふ しい藁、それから遠くの方に見える森の梢まで、小春の光の充ち溢れていないところは無かった。 私の眼界にはよく働く男が二人までも入って来た。一人は近くにある田の中で、大きな鍬にカ を入れて、土を起し始めた。今一人はいかにも背の高い、痩せた、年若な農夫だ。高い石垣の上 あらわ の方で、枯草の茶色に見えるところに半身を顕して、モミを打ち始めた。遠くて、その男の姿が チ ぎぬた ケ隠れる時でも、上ったり下ったりする槌だけは見えた。そして、その槌の音が遠い砧の音のよう ス に聞えた。 の 午後の三時過まで、その日私は赤坂裏の田圃道を歩き廻った。 曲 はたけわぎ 千そのうちに、畠側の柿や雑木に雀の群のかしましいほど鳴き騒いでいるところへ出た。刈取ら れた田の面には、最早青い麦の芽が二寸ほども延びていた。 うしろ 急に私の背後から下駄の音がして来たかと思うと、ばったり立止って、向うの石垣の上の方に とりいれ 向いて呼び掛ける子供の声がした。見ると、茶色に成った桑畠を隔てて、親子二人が収穫を急い でいた。子供はお茶の入ったことを知らせに来たのだ。信州人ほど茶好な人達も少なかろうと思 うが、その子供が復た馳出して行った後でも、親子は時を惜むという風で、母の方は稲穂をこき たた むすこ 落すに余念なく、子息はその籾を叩く方に廻ってすこしも手を休めなかった。遠く離れてはいた かけだ こっち や
隔てて、夫婦して笠を冠って働いているのがある。殊にその女房が箕を高く差揚げ風に立ててい めのまえ ひやひや るのが見える。風は身に染みて、冷々として来た。私の眼前に働いていた男の子は稲村に預けて うわっぱりまこり 置いた袖なし半天を着た。母も上着の埃を払って着た。何となく私も身体がゾクゾクして来た しりはしより から、尻端折を下して、着物の上から自分の膝を摩擦しながら、皆なの為ることを見ていた。 ちょう 鍬を肩に掛けて、岡づたいに家の方へ帰って行く頬冠りの男もあった。鎌を二挺持ち、乳呑児 を背中に乗せて、「おっかれ」と言いつつ通過ぎる女もあった。 めのまえおやこ チ 眼前の父子が打っ槌の音はトントンと忙しく成った。 ッ かす ケ「フン」、「ヨウ」の掛声も幽かに泄れて来た。そのうちに、父はヘなへなした俵を取出した。腰 のを延ばして塵埃の中を眺める女もあった。田の中には黄な扨の山を成した。 その時は最早暮色が薄く迫った。小諸の町つづきと、かなたの山々の間にある谷には、白いタ 曲 千 靄が立ち籠めた。向うの岡の道を帰って行く農夫も見えた。 私はもうすこし辛抱して、と思って見ていると、父の農夫が籾をつめた俵に繩を掛けて、それ を負いながら家を指して運んで行く様子だ。今は三人の女が主に成って働いた。岡辺も暮れかか のら って来て、野面に居て働くものも無くなる。向うの田の中に居る夫婦者の姿もよく見えない程に ゅうばえ 光岳寺の暮鐘が響き渡った。浅間も次第に暮れ、紫色にタ映した山々は何時しか暗い鉛色と成 訂って、唯白い煙のみが暗紫色の空に望まれた。急に野面がパッと明るく成ったかと思うと、復た もや ただ ゅう
め入った。 手廻しの好い農夫は既に収穫を終った頃だ。近いところの田には、高い土手のように稲を積み まるまげ 重ね、穂をこき落した藁はその辺に置き並べてあった。二人の丸髷に結った女が一人の農夫を相 ふうてい つつつぼ 手にして立ち働いていた。男は雇われたものと見え、鳥打帽に青い筒袖という小作人らしい風体 も ぎげん で、女の機嫌を取り取り籾の俵を造っていた。そのあたりの田の面には、この一家族の外に、野 に出て働いているものも見えなかった。 かまがたぼう チ古い釜形帽を冠って、黄菊一株提げた男が、その田圃道を通りかかった。 「まあ、一服お吸い」 ス の と呼び留められて、釜形帽と鳥打帽と一緒に、石垣に倚りながら煙草を燻し始めた。女二人は 話し舌し働いた。 曲二一口一三ロ 千「金さん、お目はどうですーー・・それは結構ーーーああ、ああ、そうともーー・」などと女の語る声が 聞えた。私は屋外に日を送ることの多い人達の生活を思「て、聞くともなしに耳を傾けた。振返 すげがさ あぜ って見ると、一方の畦の上には菅笠、下駄、弁当の包らしい物なそが置いてあって、そこで男の 燻す煙草の煙が日の光に青く見えた。 「さいなら、それじゃお静かに」 と一方の釜形帽はやがて別れて行った。 せっせもみふる 鳥打帽は鍬を執 0 て田の土をすこしナラし始めた。女二人が錯々と籾を振ったり、稲こきした くわ わら もみ よ ふか
じゅばん かっ 揚羽屋では豆腐を造るから、装に関わず働く内儀さんがよく荷を担いで、襦袢の袖で顔の汗 すぐ とお を拭き拭き町を売「て歩く。朝晩の空に徹る声を聞くと、アア豆腐屋の内儀さんだと直に分る。 おっか むすこ あぶらあげ 自分の家でもこの女から油揚たの雁もどきだのを買う。近頃は子息も大きく成「て、母親さんの 代りに荷を担いで来て、ハチハイでも奴でもトントンとやるように成った。 揚羽屋には、うどんもある。尤も乾うどんのうでたのだ。一体にこの辺では類を賞美する。 ばんさん 私はある農家で一週に一度ずつ上等の晩餐に麺類を用うるという家を知 0 ている。蕎麦はもとよ ちそう り名物だ。酒盛の後の蕎麦振舞と言えば本式の馳走に成 0 ている。それから、「お煮掛」と称え チ おおなべ て、手製のうどんに野菜を入れて煮たのも、常食に用いられる。揚羽屋〈寄 0 て、大鍋のかけて のある炉に腰掛けて、煙の目にしみるような盛んな焚火にあた 0 ていると、私はよく人々が土足 あたたかさ のままでそこに集りながら好物のうでだしうどんに温熱を取るのを見かける。「お豆腐のたきた 曲 おおどんぶり 千ては奈何でごわす」などと言「て、内儀さんが大丼に熱い豆腐の露を盛 0 て出す。亭主も手拭を ずもう 腰にプラサゲて出て来て、自分の子息が子供相撲に弓を取 0 た自慢話なそを始める。 そこは下層の労働者、馬方、近在の小百姓なそが、酒を温めて貰うところだ。こういう暗い屋 根の下も、煤けた壁も、汚れた人々の顔も、それほど私には苦に成らなく成「た。私は往来に繋 いである馬の鳴声なぞを聞きながら、そこで凍えた身体を温める。荒くれた人達の話や笑声に耳 を傾ける。次第に心易くな 0 てみれば、亭主が一ぜんめしの看板を張替えたからと言 0 て、それ を書くことなそまで頼まれたりする。 もっと がん やっこ
153 とくばく スの追求にも、あるいはもっと深く行き得たであろう。平田禿木君も言うように、上田敏君は 「文学界」が生んだ唯一の学者である。その上田君の学者的態度を嬲てしてもこの国独自な希 研究を残されるところまで行かなかったのは惜しい。西欧ルネッサンスに行く道は、希臘に通ず る道であるから、当然上田君のような学者にはその準備もあったろう。しかし同君はそちらの方 ほんやく に深入りしないで、近代象徴詩の紹介や飜訳に歩みを転ぜられたように思われる。 書 ( 五七 ) このスケッチをつくっていた、わたしは東京の岡野知十君から俳諧雑誌「半面」の寄贈を受 りレ・、よノ けたことがあ 0 た。その新刊の号に斎藤緑雨君の寄せた文章が出ている。緑雨君の筆はわたしの ケ ことにも言い及んである。 ス いそうろうやまざる の 「彼も今では北佐久郡の居候、山猿にしてはちと色が白過ぎるまで」 しんらっ 千緑雨君はこういう調子の人であった。うまいとも、辛辣とも言ってみようのない、こんな言い 廻しにかけて当時同君の右に出るものはなかった。しかし、東京の知人等からも離れて来ている わたしに取 0 ては、おそらくそれが最後に聴きつけた緑雨君の声であったように思う。わたしは 文学の上のことで直接に同君から学んだものとても碍んどないのであるが、しかし世間智に富ん おうが、しけん ( 五八 ) だ同君からいろいろ啓発されたことは少くなか 0 た。ル、思軒、露伴、紅葉、その他諸家の消 こちょう ぼつご 息なぞをよくわたしに語って聞かせたのも同君であった。同君歿後に、馬場孤蝶君は交遊の日の ことを追想して、こんなに亡くなった後にな 0 てよく思い出すところを見ると、やはりあの男に
しりましより わらぞうり じゅばんよだぬ ぬぐいかぶ 拭を冠り、襦袢腮抜ぎ尻折という風で、前垂を下げて、藁草履をいていた。赤い荒くれた髪、 ( ニ五 ) 組野な日に焼けた顔は、男とも女ともっかないような感じがした。どう見ても、ミレエの百姓画 の中に出て来そうな人物だ。 その弟らしいのが三四人、どれもこれも黒い垢のついた顔をして、髪はまるで蓬のように見え た。でも、健かな、無心な声で、子供らしい唄を歌った。 母らしい人も林の奥から歩いて来た。一同仕事を休めて、私達の方をめすらしそうに眺めてい ケ メ草を負った この人達の働くあたりから岡つづきに上って行くとこう平坦な松林の中へ出た。リ あた の男が林の間の細道を帰って行った。日は泄れて、湿った草の上に映っていた。深い林の中の空気 は、水中を行く魚かなんぞのようにその草刈男を見せた。 がらがらと音をさせて、柴を積んだ車も通った。その音は寂しい林の中に響き渡った。 かまかき くまざさ ぎのこ 熊笹、柴などを分けて、私達は蕈を探し歩いたが、その日は獲物は少なかった。枯葉を鎌で掻 2 」っだ、ノ たま 除けて見ると稀にあるのは紅蕈という食われないのか、腐敗した初蕈位のものだった。終には探 こし・こ かぼちゃ し疲れて、そうそうは腰も言うことを聞かなく成った。軽い腰籠を提げたまま南瓜の花の咲いた 畠のあるところへ出て行った。山番の小屋が見えた。 すこや べにたけ も や たいら よもぎ