地主 - みる会図書館


検索対象: 千曲川のスケッチ
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1. 千曲川のスケッチ

「そうです、俵にもありやすが、それは知れたもんです」 「おらがとこは十八貫あれば可いだ」 ( 五 0 ) 「なにしろ坊主九分混りという籾ですからなア」 とりかわ 人々の間にこんな話が交換された。水車小屋の亭主は地主に向って、米価のことを話し合っ て、やがて下駄穿のまま籾の上を越して別れて行った。 「どうだいお前の体格じや二俵位は大丈夫担げる」 と地主に言われて辰さんの弟は一俵ずつ両手に抱え、顔を真紅にして持ち上げてみたりなぞし チ て戯れた。 、の「まあ、お茶一つお上り」 と辰さんは地主に言って、私にもそれを勧めた。真綿帽子を脱いで屋の内に入る地主の後に随 曲 ( 五こ 千いて、私も凍えた身体を暖めに行った。「六俵の二斗五升取りですか」 ぎぎとが こう辰さんが言ったのを隠居は炬燵にあたりながら聞咎めた。地主の前に酒徳利の包を解きな がら、 「二斗五升ってことが有るもんか。四斗五升よ」 くち・こも 「四斗 : : : 」と地主はロ籠る。 「四斗五升じゃないや。四斗七升サ。そうだーー・・・」と復た隠居が言った。 「四斗七升 ? 」と地主は隠居の顔を見た。 136

2. 千曲川のスケッチ

135 いけわえ 「貴様入れろ、声掛けなくちゃ御年貢のようで無くて不可」と辰さんは弟に言った。「さあ、ど っしり入れろ」 「一わたりよ、二わたりよ」と弟の呼ぶ声が起った。 さんだわら 六つばかりの俵がそこに並んだ。一俵に六斗三升の籾が量り入れられた。辰さんは桟俵を取っ よりかか ふた て蓋をしたが、やがて俵の上に倚凭って地主と押問答を始めた。地主は辰さんの言うことを聞い て、目を細め、無言で考えていた。気の利いた弟は橋の向うへ走って行ったかと思ううちに、酒 徳利を風呂敷包にして、頬を紅くし、すこし微笑みながら戻って来た。 おめでと ッ 「御年貢ですか。御目出度う」と言って入って来たのは水車小屋の亭主だ。 ケ ス 私は、藁仕事なぞの仕掛けてある物置小屋の方に邪魔にならないように居て、桟俵なぞを尻に の わらなわ 敷きながら、この光景を眺めた。辰さんは俵に足を掛けて藁繩で三ところばかり縛っていた。弟 曲 千も来てそれを手伝うと、乾いた繩は時々切れた。「俵を締るに繩が切れるようじゃ、まだ免状は おぼっか 覚東ないなア」と水車小屋の亭主も笑って見ていた。 「一俵掛けて見やしよう」 でほうでえ 「いくらありやす。出放題あるわ。十八貫八百ーーー」 「これは魂消た」 「十八貫八百あれば、まあ好い籾です」 ひょう 「俵にもある」 たまげ ( 四九 ) はほえ

3. 千曲川のスケッチ

い位だった。 「今に母さんが来るから泣くなよ」 「手が冷たい : : : 」 「ナニ、手が冷たい ? そんなら早く行ってお炬燵へあたれ」 凍った娘の手を握りながら、辰さんは家の内へ連れて行った。 わらがこ といしずく 谷に面した狭い庭には枯々な柿の樹もあった。向うの水車も藁囲いされる頃で、樋の雫は氷の チ柱に成り、細谷川の水も白く凍 0 て見える。黄ばんだ寒い日光は柿の枯枝を通して籾を積み上げ しらがあたま うち ケた庭の内を照らして見せた。年老いた地主は白髪頭を真綿帽子で包みながら、屋の内から出て来 よりかか そでぐちかぎあわ のた。南窓の外にある横木に倚凭って、寒そうに袖口を掻合せ、我と我身を抱き温めるようにし て、辰さん兄弟の用意するのを待った。 曲 こしら 千「どうで御座んすなア、籾の造え具合は」 すく と辰さんに言われて、地主は白い柔かい手で籾を掬って見て一粒ロの中へ入れた。 「空穂が有るねえ」と地主が言った。 「雀に食われやして、空穂でも無いでやす。一俵造えて掛けて見やしよう」 てのひら 地主は掌中の籾をあけて、復た袖口を掻き合せた。 辰さんは弟に命じて籾を箕に入れさせ、弟はそれを円い一斗桝に入れた。地主は腰を曲めなが ら、トボというものでその桝の上を丁寧に撫で量った。 な こた かが

4. 千曲川のスケッチ

131 小諸新町の坂を下りると、浅い谷がある。細い流を隔てて水車小屋と対したのが、辰さんの家 むしろ もみ だ。庭には蓆を敷きつめ、を山のように積んで、辰さん兄弟がしきりと働いていた。 あんか わら かねて懇意な隠居に伴われて私は暗い小作人の家へ入った。猫の入物とかで、藁で造った行火 のようなものが置いてある。私には珍らしかった。しるしばかりに持って行った手土産を隠居は 床の間の神棚の前に供え、鈴を振り鳴らし、それから炬燵にあたりながら種々な話を始めた。極 く無愛相な無ロな五十ばかりの瘠せた女も黙って炬燵にあたっていた。その側には辰さんの小娘 かまど うずくま しめ チも余念なく遊んでいた。この無ロな女と、竈の前に蹲踞っている細帯〆た娘とは隠居の家に同居 ッ ケする人らしかった。で、私はこれらの人に関わず隠居の話に耳を傾けた。 ス の話好きな面白い隠居は上州と信州の農夫の比較なそから、種々な農具のことや地主と小作人の ひこう 蝌関係なぞを私に語り聞かせた。この隠居の話で、私は新町辺の小作人の間に小さな同盟罷工とも 千 いうべきが時々持ち上ることを知った。隠居に言わせると、何故小作人が地主に対して不服があ まきとな るかというに、一体にこの辺では百坪を一升蒔と称え、一ッカを三百坪に算し、一升の籾は二百 い、三百坪なくて取立てるのはその 八十目に量って取立てる、一ッカと言っても実際三百坪は無 割で取る、地主と半々に分けるところは異数な位だ。そこで小作人の苦情が起る。無智な小作人 たとえ ふくしゅう がまた地主に対する態度は、種々なところで人の知らない復讐をする。仮令ば俵の中へ石を入れ て目方を重くし、俵へ霧を吹いて目をつけ、又は稲の穂を顧みないで藁を大事にし、その他種々 いたずら な悪戯をして地主を苦める。こんなことをしたところで、結局「三月四月は食いじまい」だ。尤 こたっ いれもの

5. 千曲川のスケッチ

こす ものなら皆な食われて了う : : : そこは私もなかなか狡いや。だけれども世間の人はそう言わな つら い。そこがねえ辛いと言うもんです」 かぎくど - 」うもり けじゅす 古い洋傘の毛繻子の今は炬燵掛と化けたのを叩いて、隠居は掻口説いた。この人の老後の楽み まじない ( 四七 ) うらな さんぜそう ( 四六 ) は、三世相に基づいて、隣近所の農夫等が吉凶をトうことであ 0 た。六三の呪禁と言 0 て、身体 ものしり なおきとう の蒲みを癒す祈疇なぞもする。近所での物識と言われている老農夫である。私はこの人から「言 ( 四八 ) 海」のことを聞かれて一寸驚かされた。 かせ 「昔の恥を御話し申すんじゃないが、私も若い時には車夫をしてねえ、日に八両ずつなんて稼い ケだことが有りましたよ。八両サ。それがねえ、もうば 0 ばと湯水のように無くな 0 て了う。どう のして若い時の勢ですもの。私はこれで、どんなことでも人のすることは大概してみましたが、博 ち ええこればかしは知らない」 奕と牢屋の味ばかしは知らない 曲 かっこう 千こう隠居が笑っているところ〈、黄な真綿帽子を冠った五十恰好の男が地味な羽織を着て入っ て来た。 「定屋さんですよ」と辰さんが呼んだ。 そと うちなか 地主は屋の内に入って炬燵に身を温めながら待っていた。私が屋外の庭の方〈出ようとする ます もみ と、丁度水車小屋の方から娘が橋を渡て来て、そこに積み重ねた籾の上〈桝を投げて行 0 た。 そでとりすが 辰さんは年貢の仕度を始めた。五歳ばかりの小娘が来て、辰さんの袖に取縋 0 た。辰さんが父親 らしい情の籠った口調で慰めると、娘は頭から肩まで顫わせて、泣く度に言うこともよく解らな 133 こも ふる ばく

6. 千曲川のスケッチ

160 千曲・川のスケッチ しげる ( 一 ) 吉村さんーー樹さん吉村忠道 ( 1841 ー 1902 ) の長男。忠道は青年時代の藤村に学資を援助 たなべ した実業家で、小説『春』に田辺の叔父さんとして描かれている。 かおる そのとっ ( 二 ) 木曽の姉の家木曽福島の高瀬薫の家。藤村の長姉園の嫁ぎ先で、明治三十一年の夏に、藤 村は吉村樹をともなってこの地を訪れ、第三詩集『夏草』所収の詩編を書いた。 ( 三 ) 小諸義塾木村熊二 ( 1845 ー 1927 ) が明治二十六年に小諸町に創立した私塾。熊二は京都の 生れ、明治一一年に渡米し十四年間苦学して帰朝後、キリスト教の伝道にしたがった。藤村は 明治学院在学中に、この人の手で受洗した。三十二年四月、熊二の招きによって小諸義塾に 赴任、三十八年四月まで英語と国語の教師をつとめた。 ( 四 ) 神津猛信州志賀村の大地主。藤村は小諸義塾の教え子を通じて知りあい、『破戒』の出版 にさいしてその費用や生活費の援助を受けた。 ( 五 ) 地久節皇后の誕生を祝う祝日。当時は五月二十八日だった。 ( 六 ) 鉄砲虫カミキリムシの幼虫。樹木を食って穴をあけるので、この名がある。 ばんか みやけかつみ ( 七 ) 君丸山晩霞 ( 1867 ー 1942 ) 水彩画家。三宅克巳の後任として、小諸義塾で図画を教えた。 藤村の短編『水彩画家』の主人公に擬され、モデル問題をおこしたこともある。 ( 八 ) 君三宅克巳 ( 1874 ー 1954 ) 洋画家。エール大学付属美術学校を卒業後、英・仏に留学し 。帰朝後、明治三十二年七月から三十三年十一月まで、小諸義塾で図画を教えた。 ( 九 ) のつべい土壤の種類をいう地方語で、火山灰土の一種。地味が痩せて、作物や草木が育ち

7. 千曲川のスケッチ

137 「ああ四斗七升か」と云い捨てて、辰さんは庭の方へ出て行った。 まわり おおどんぶりこん ふとん 私達は炬燵の周囲に集った。隠居は古い炬燵板を取出して、それを蒲団の上に載せ、大丼に菎 さかずぎふ にやく とうがらし 蒻と油揚の煮付を盛って出した。小皿には唐辛の袋をも添えて出した。古い布で盃を拭いて、酒・ は湯沸に入れて勧めてくれた。 かん 「冷ですよ。燗ではありませんよーー定屋様はこの方で被入っしやるから」 ぎせる ひやざけな こう隠居も気軽な調子で言った。地主は煙管を炬燵板の間に差込み、冷酒を舐め舐め隠居の顔 を眺めて、 チ ケ「こういう時には婆さんが居ると、都合が好いなア」 かす えみ もてなしがお ス の 地主の顔には始めて微かな笑が上った。隠居は款待顔に、 「婆さんに別れてからねえ、今年で二十五年に成りますよ」 曲 千「もう好加減に家へ入れるが可いや」 もら 「まあ聞いて下さい。婆さんには子供が七人も有りましたが、皆な死んで了った : : : 今の辰は貰 い子でサ : : : どうでしよう、婆さんが私の留守に、家の物を皆な運んで了う。そりや男と女の間 ですから、大抵のことは納まりますサ : : : 納まりますが : : : 盗みばかりは駄目です。今ここで婆 た さんを入れる、あの隠居も神信心だなんて言いながら、婆さんの溜めたのを欲しいからと人が言 すぐ う。それが厭でサ。婆さんが来ても、直に盗みの話に成ると納まらないや。モメて仕様が無い。 おそろ ホラ、あの話ねえ 段々トってみると、盗人が出て来ましたぜ。可恐しいもんだねえ」 れい

8. 千曲川のスケッチ

138 、、ト乍人中司の物識と立てられるだけのことがあった。地主 隠居の話し振には実に気の面白 > / イイド と隠居の間には、台所の方に居る同居人母子のことに就いてこんな話も出た。 「へえ、あれが娘ですか」 かわい 「子も有るんでさあね。可哀そうだから置いて遣ろうと言うんですよ。妙に世間では取る : : : 私 だって今年六十七です : : : この年になって、あんな女を入れたなんて言われちゃ、つまらないー ーそこが口惜しいサ」 「歳に成 0 たって気は同じよ」 チ ケ御蔭で私もめ 0 たに来たことのない屋根の下で、百姓らしい話を聞きながら、時を送 0 た。 ちそう ス 蒻と油揚の馳走に成 0 て、間もなく私はこの隠居の家を辞した。 の 曲 千 一 ~ わ、く

9. 千曲川のスケッチ

山荘 チ 浅間の方から落ちて来る細流は竹藪のところで二つに別れて、一つは水車小屋のある窪い浅い の谷の方へ私の家の裏を横ぎり、一つは馬場裏の町について流れている。その流に添う家々は私の 家の組合だ。私は馬場裏へ移ると直ぐその組合に入れられた。一体、この小諸の町には、平地と 曲 千 いうものが無い。すこし雨でも降ると、細い川まで砂を押流すくらいの地勢だ。私は本町〈買物 こうばい に出るにも組合の家の横手からすこし勾配のある道を上らねばならぬ。 くみあいがしら あきないひま 組合頭は勤勉な仕立屋の亭主だ。この人が日頃出入する本町のある商家から、商売も閑な頃で ーオ > 力、とある日番 . 店の人達は東沢の別荘へ休みに行っている、私を誘って仕立屋にも遊びこ来よ、 頭が誘いに来たとのことであった。 私は君に古城の附近をすこし紹介した。町家の方の話はまだ為なかった。仕立屋に誘われて商 家の山荘を見に行った時のことを話そう。 その三 たけやぶ し

10. 千曲川のスケッチ

肥も、そのうちには麦も取れる。 じようや きっ 「しかし私の時には定屋様 ( 地主 ) がおなさると、必と一升買 0 て、何がなくとも香の物で一 せがれ あいっ 杯上げるという風でした。今年は忰に任しときましたから、彼奴はまたどんな風にするか : の時には昔からそうでした」 こう隠居は私に話して笑った。 そのうちに家の外では「定屋さんになア、来て御くんなんしよって、早く行って来てくれや」 あかりまど チという辰さんの声がする。日の光は急に戸口より射し入り、暗い南の明窓も明るくなった。「あ さっき あんばい ケあ、日が射して来た、先刻までは雪模様でしたが、こりや好い塩梅だ」と復た辰さんが言ってい ス 細帯締た娘は茶を入れて私達の方へ持って来てくれた。炬燵にあたっていた無ロな女は、ぶい 曲 千と台所の方へ行った。 隠居は小声に成って、 たった ふだん 「私も唯一人ですし、平常は誰も訪ねて来るものが無いんです。年寄ですからねえ : : : ですから 置いてくれというので、ああいうものを引受けて同居さしたところが忰が不服で黙ってあんなも のを入れたって言いますのさ」 「飯なぞは炊いてくれるんですか」と私が聞いた。 「それですよ、世間の人はそう思う。ところが私は炊いて貰わない。どうしてそんな事をしよう