千曲川の源、かすかに見えるのが川上の村落です。千曲川は朝日をうけて白く光りましたーー」 夫婦とあるは、私がその話の中に書こうとした人物だ。一時は私もこうした文体を好んで書い たものだ。 ももひぎわらじばき ほおかぶ つっそで 「筒袖の半天に、股引、草鞋穿で、頬冠りした農夫は、幾群か夫婦の側を通る。鍬を肩に掛けた こえおけ ひね かっ 男もあり、肥桶を担いで腰を捻「て行く男もあり、爺の煙草入を纓にぶらさげながら随いて行く せぎど 児もありました。気候、雑草、荒廃、瘠土などを相手に、秋の一日の烈しい労働が今は最早始ま チるのでした。 ケ既に働いている農夫もありました。黒々とした「ノッペイ」の畠の側を進んでまいりますと、 わぎめ あせみギく の一人の荒くれ男が汗雫に成って、傍目をふらずに畠を打っておりました。大きな鍬を打込んで、 においぶん かたまり 身を横にして仆れるばかりに土の塊を起す。気の遠くなるような黒土の臭気は紛として、鼻を衝 千くのでした : : : 板橋村を離れて、旅人の群にも逢いました。 高原の秋は今です。見渡せば木立もところどころ。枝という枝は南向に生延びて、冬季に吹く ゃなぎうずくま 風の勁さも思いやられる。白樺は多く落葉して高く空に突立ち、細葉の楊樹は踞るように低く隠 なび れている。秋の光を送る風が騒しく吹渡ると、草は黄な波を打って、動き靡いて、柏の葉もうら がえりました。 ここかしこに見える大石には秋の日があたって、寂しい思をさせるのでした。 - 」うばうな 「ありしおで」の葉を垂れ、弘法菜の花をもつのは爰です。 からだ おやじ
て来た。四面皆な雪の反射は殪んど堪えられなかった。私は眼を開いてハッキリ物を見ることも 出来なかった。まぶしいところは通り過して、私はほとほと痛いような日光の反射と熱とを感じ た。そこはだらだらと次第下りに谷の方へ落ちている地勢で、高低の差別なく田畠もしくは桑畠 に成っている。一段々々と刻んでは落ちている地層の側面は、焦茶色の枯草に掩われ、ところど あかぐろ ころ赤黝い土のあらわれた場所もある。その赤土の大波の上は枯々な桑畠で、ウネなりに白い雪 が積って、日光の輝きを受けていた。その大波を越えて、蓼科の山脈が望まれ、遙かに日本アル すさ チプスの遠い山々も見えた。その日は私は千曲川の凄まじい音を立てて流れるのをも聞いた。 ッ ケ こんな風にして、溶けたと思う雪が復た積り、顕れた道路の土は復た隠れ、十二月に入って曇 のった空が続いて、日の光も次第に遠く薄く射すように成れば、周囲は半ば凍りつめた世界であ かけひ まれ る。高い山々は雪嵐に包まれて、全体の姿を顕す日も稀だ。小諸の停車場に架けた筧からは水が あふ 千溢れて、それが太い氷の柱のように成る。小諸は降らない日でも、越後の方から上 0 て来る汽車 むこう の屋根の白いのを見ると、ア彼方は降ってるナと思うこともある。冬至近くに成れば、雲ともっ しようじよう かぬ水蒸気の群が細線の集合の如く寒い空に懸り、その蕭条とした趣は日没などに殊に私の心を くさぶき つらら 引く。その頃には、軒の氷柱も次第に長くなって、尺余に及ぶのもある。草葺の屋根を伝う濁っ た雫が凍るのだから、茶色の長い剣を見るようだ。積りに積る庭の雪は、やがて縁側より高い。 つぼみ しやくなぎ その間から顔を出す石南木なそを見ると、葉は寒そうにべたりと垂れ、強い蕾だけは大きく堅く くつつ 附着いている。冬籠りする土の中の虫同様に、寒気の強い晩なそは、私達の身体も縮こまって了 100 あたり おお はる
139 路傍の雑草 チ ゅぎかえり ケ学校の往還にーーーすべての物が白雪に掩われている中でーー日の映った石垣の間などに春待顔 ス ふゅごも のな雑草を見つけることは、私の楽みに成って来た。長い間の冬籠りだ。せめて路傍の草に親しむ。 くわばたけ 南向きもしくは西向の桑畠の間を通ると、あの葉の縁だけ紫色な「かなむぐら」がよく顔を出 曲 ぎつ 千している。「車花」ともいう。あの車の形した草が生えているような土手の雪間には、必と「青 ひな はこべ」も蔓いのたくっている。「青はこべ」は百姓が鶏の雛にくれるものだと学校の小使が一言 った。石垣の間には、スプウンの形した紫青色の葉を垂れた「鬼のはばき」や、平べったい肉厚 よもぎ な防寒服を着たような「きしゃ草」なぞもある。蓬の枯れたのや、その他種々な雑草の枯れ死ん だ中に、細く短い芝草が緑を保って、半ば黄に、半ば枯々としたのもある。私達が学校のあるあ たりから士族屋敷地へかけては水に乏しいので、到るところに細い流を導いてある。その水は学 校の門前をも流れている。そこへ行って見ると、青い芝草が残って、他の場所で見るよりは生々 その十二 おお へり あた
107 まぎわり 私に示した。薪割を見るような道具だ。一方に五六寸ほどの尖った鉄管が附けてある。その柄に とさっ は乾いた牛の血が附着していた。屠殺に用いるのだそうだ。肉屋の亭主は沈着いた調子で、以前 とき には太い釘の形状したのを用いたが、この管状の方が丈夫で、打撃に力が入ることなどを私に説 あか 明した。 おうし 南部産の黒い牡牛が、やがて中央の庭へ引出されることに成った。その鼻息も白く見えた。繋 そば はなづら いであった他の二頭はかに騒ぎ始めた。屠手の一人は赤い牝牛の傍〈寄り、鼻面を押えながら 「ドウ、ドウ」と言って制する。その側には雑種の牡牛が首を左右に振り、繋がれたまま柱を一 ほと のが ケ廻りして、しきりに逃れよう逃れようとしている。殆んど本能的に、最後の抵抗を試みんとする のがごとくに見えた。 死地に牽かれて行く牡牛はむしろ冷静で、目には紫色のうるみを帯びていた。皆な立って眺め あちこち 千ている中で獣医は彼方此方と牛の周囲を廻って歩きながら、皮をつまみ、咽喉を押え、角を叩き しつぼ などして、最後に尻尾を持上げて見た。 検査が済んだ。屠手は多勢寄って群って、声を励ましたり、叱ったりして、じッとそこに動か ない牛を無理やりに屠場の方へ引き入れた。屠場は板敷で、丁度浴場の広い流し場のように造ら れてある。牛の油断を見すまして、屠手の一人は細引を前後の脚の間に投げた。それをぐッと引 絞めると、牛は中心を保てない姿勢に成って、重い体驅を横倒しに板の間の上へ倒れた。その前 おおまさかり 額のあたりを目がけて、例の大鍼の鋭い尖った鉄管を骨も砕けよとばかりに打ち込むものがあっ くぎかたち こわ まわり たか からだ あし おちっ
じゅばん かっ 揚羽屋では豆腐を造るから、装に関わず働く内儀さんがよく荷を担いで、襦袢の袖で顔の汗 すぐ とお を拭き拭き町を売「て歩く。朝晩の空に徹る声を聞くと、アア豆腐屋の内儀さんだと直に分る。 おっか むすこ あぶらあげ 自分の家でもこの女から油揚たの雁もどきだのを買う。近頃は子息も大きく成「て、母親さんの 代りに荷を担いで来て、ハチハイでも奴でもトントンとやるように成った。 揚羽屋には、うどんもある。尤も乾うどんのうでたのだ。一体にこの辺では類を賞美する。 ばんさん 私はある農家で一週に一度ずつ上等の晩餐に麺類を用うるという家を知 0 ている。蕎麦はもとよ ちそう り名物だ。酒盛の後の蕎麦振舞と言えば本式の馳走に成 0 ている。それから、「お煮掛」と称え チ おおなべ て、手製のうどんに野菜を入れて煮たのも、常食に用いられる。揚羽屋〈寄 0 て、大鍋のかけて のある炉に腰掛けて、煙の目にしみるような盛んな焚火にあた 0 ていると、私はよく人々が土足 あたたかさ のままでそこに集りながら好物のうでだしうどんに温熱を取るのを見かける。「お豆腐のたきた 曲 おおどんぶり 千ては奈何でごわす」などと言「て、内儀さんが大丼に熱い豆腐の露を盛 0 て出す。亭主も手拭を ずもう 腰にプラサゲて出て来て、自分の子息が子供相撲に弓を取 0 た自慢話なそを始める。 そこは下層の労働者、馬方、近在の小百姓なそが、酒を温めて貰うところだ。こういう暗い屋 根の下も、煤けた壁も、汚れた人々の顔も、それほど私には苦に成らなく成「た。私は往来に繋 いである馬の鳴声なぞを聞きながら、そこで凍えた身体を温める。荒くれた人達の話や笑声に耳 を傾ける。次第に心易くな 0 てみれば、亭主が一ぜんめしの看板を張替えたからと言 0 て、それ を書くことなそまで頼まれたりする。 もっと がん やっこ
分る。 にわかに 汽笛が寂しく響いて聞えた。風は遽然私の身にしみて来た。 「待ちろ待ちろ」 かなた 母の声がする。男の子はその側で、姉らしい女と共に籾を打った。彼方の岡の道を帰る人も暗 く見えた。「おっかれでごわす」と挨拶そこそこに急いで通過ぎるものもあった。そのうちに、 ほの 三人の女の働くさまもよくは見えない位に成って、冠った手拭のみが仄かに白く残った。振り上 チぐる槌までも暗かった。 ッ ケ「藁をまつめろ」 の という声もその中で聞える。 曲 私がこの岡を離れようとした頃、三人の女はまだ残って働いていた。私が振返って彼等を見た 時は、暗い影の動くとしか見えなかった。全く暮れ果てた。 巡礼の歌 ちのみご おぶ かど 乳呑児を負った女の巡礼が私の家の門に立った。 はっふゅ 寒空には初冬らしい雲が望まれた。一目見たばかりで、皆な氷だということが思われる。氷線 せんたん の群合とも言いたい。白い、冷い、透明な尖端は針のようだ。この雲が出る頃に成ると、一日は
れば、「弱い奴」というものもある。蜂は真理を証するかのように、コップの中でグルグル廻っ て、身を悶えて、死んだ。 「最早マイりましたかネ」 と学士も笑った。 かいこえん その日は、校長はじめ、他の同僚も懐古園の方〈弓をひきに出掛けた。あの緑蔭には、同志の じかしろあと 者が集 0 て十五間ばかりの矢場を造てある。私も学士に誘われて、学校から直に城址の方〈行 チくことにした。 はじめて私が学士に逢った時は、唯こんな田舎〈来て隠れている年をと「た学者と思 0 ただけ ので、そう親しく成ろうとは思わなかった。私達はーー三人の同僚を除いては、皆な旅の鳥で、そ みなり の中でも学士は幾多の辛酸を嘗め尽して来たような人である。服装なぞに極く関わない、授業に ろく 千 熱心な人で、どうかすると白墨で汚れた古洋服を碌に払わずに着ているという風だから、最初の ねうちぎ うちは町の人からも疎んぜられた。服装と月給とで人間の価値を定めたがるのは、普通一般の人 の相場だ。しかし生徒の父兄達も、次第に学士の親切な、正直な、尊い性質を認めないわけに行 そと かなかった。これ程何もかも外部 ( 露出した人を、私もあまり見たことが無い。何時の間にか私 おさ なかよし はこの老学士と仲好に成って自分の身内からでも聞くように、その制えきれないような嘆息や、 内に憤る声までも聞くように成った。 たび そろ 私達は揃って出掛けた。学士の口からは、時々軽い仏蘭西語なそが流れて来る。それを聞く度 フランス
百姓は眺め眺め答えた。 東沢の山荘には商家の人達が集っていた。店の方には内儀さん達と、二三の小僧とを残して置 てんまちょう いて、皆なここへ遊びに来ているという。東京の下町に人となった君はーー日本橋伝馬町の針問 さるやちょう なっか 屋とか、浅草猿屋町の隠宅とかは、君にも私にも可懐しい名だーー恐らく私が今どういう人達と 一緒に成ったか、君の想像に上るであろうと思う。 山荘は二階建で、池を前にして、静かな沢の入口にあった。左に浅い谷を囲んだ松林の方は曇 まとり さんてん チって空もよく見えなかった。快晴の日は、富士の山巓も望まれるという。池のに咲乱れた花あ こうらいひぼ ケやめは楽しい感じを与えた。仕立屋は庭の高麗檜葉を指して見せて、特に東京から取寄せたもの のであると言ったが、あまり私の心を惹かなかった。 ちょうぼう いなかじま 私達は眺望のある二階の部屋へ案内された。田舎縞の手織物を着て紺の前垂を掛けた、髪も質 曲 千 素に短く刈ったのが、主人であった。この人は一切の主権を握る相続者ではないとのことであっ かたわら たが、しかし堅気な大店の主人らしく見えた。でつぶり肥った番頭も傍へ来た。池の鯉の塩焼 で、主人は私達に酒を勧めた。階下には五六人の小僧が居て、料理方もあれば、通いをするもの もあった。 ひややっこ 一寸したことにも、質素で厳格な大店の家風は表れていた。番頭は、私達の前にある冷豆腐の はながつお しようゆ 皿にのみ花鰹節が入って、主人と自分のにはそれが無いのを見て、「こりや醤油ばかしじゃいけね おかか え。オイ、鰹節をすこしかいて来ておくれ」 おおだな した
居牛の三 赤い牝牛に続いて、黒い雑種の牡も、ー 型の如くに瞬く間に倒された。広い屠場には三頭の牛の 体が横たわった。ふと板塀の外に豚の鳴き騒ぐ声が起った。庭へ出て見ると、白い、肥った、脚 子供ま の短い豚が死物狂いに成って、哀しく可笑しげな声を揚げながら、庭中逃げ廻っていた。 で集って来た。追うものもあれば、逃げるものもあった。肉屋の亭主が手早く細引を投げ掛ける チ ひぎず 外と、数人その上に馬乗りに乗って脚を締めた。豚はそのまま屠場へ引摺られて行った。 よ やかま の「牛は宜う御座んすが、豚は喧しく 0 て不可ません。危いことなそは有りませんが、騒ぐもんで すからーーー」 曲 千 こういう肉屋の亭主に随いて、復た私は屠場へ入って見た。豚は五人掛りで押えられながら も、鼻を動かしたり、哀しげに 0 て鳴いたりした。牛の場合とは違 0 て、大鍼などが用いられ るでも無かった。屠手はいきなり出刃を揮って生きている豚の咽喉を突いた。これに私はすくな めんくら からず面喰って、眺めていると豚は一層声を揚げて鳴いた。牛の冷静とは大違いだ。豚の咽喉か らは赤い血が流れて出た。その毛皮が白いだけ、余計に血の色が私の眼に映った。三人ばかりの たちま 屠手がその上に乗ってドシドシ踏み付けるかと見るうちに、忽ち豚の気息は絶えた。 かしらあちこち 年をとった屠手の頭は彼方此方と屠場の中を廻って指図しながら歩いていた。その手も、握っ 109 ふる またた
あたたか 気候は繰返す。温暖な平野の地方ではそれほど際立って感じないようなことを、ここでは切に 感ずる。寒い日があるかと思うと、また莫迦に暖い日がある。それから復た一層寒い日が来る。 しま こはるびより いくら山の上でも、一息に冬の底へ沈んでは了わない。秋から冬に成る頃の小春日和は、この地 ころくがっ 方での最も忘れ難い、最も心地の好い時の一つである。俗に「小六月」とはその楽しさを言い顕 チ ケした言葉だ。で、私はいくらかこの話を引戻して、もう一度十一月の上旬に立返って、そういう の日あたりの中で農夫等が野に出て働いている方へ君の想像を誘おう。 曲 おかべ 小春の岡辺 あたたか まぶ 風のすくない、雲の無い、温暖な日に屋外へ出て見ると、日光は眼眩しいほどギラギラ輝いて、 静かに眺めることも出来ない位だが、それで居ながら日蔭へ寄れば矢張寒いーー蔭は寒く、光は なっかしい この暖かさと寒さとの混じ合ったのが、楽しい小春日和だ。 たんぼ そういう日のある午後、私は小諸の町裏にある赤坂の田圃中へ出た。その辺は勾配のついた岡 つづきで、田と田の境は例の石垣に成っている。私は枯々とした草土手に身を持たせ掛けて、眺 こもろ そと ぎわだ