町 - みる会図書館


検索対象: 千曲川のスケッチ
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1. 千曲川のスケッチ

て貰わなければ、それから後に来る祗園祭の楽しさを君に伝えることが出来ない。 やど 秤を腰に差して麻袋を負 0 たような人達は、諏訪、松本あたりからこの町〈入込んで来る。旅 舎は一時繭買の群で満たされる。そういう手合が、思い思いの旅舎を指して繭の収穫を運んで行 く光景も、何となく町々に活気を添えるのである。 ようや 一一十日ばかりもジメジメと降り続いた天気が、七月の十二日に成 0 て漸く晴れた。霖雨の後の 日光は殊にきらめいた。長いこと煙霧に隠れて見えなか「た遠い山々まで、桔梗色に顕われた。 チこの日は町の大人から子供まで互に新しい晴衣を用意して待 0 ていた日だ。 ケ 私は町の団体の暗闘に就いて多少聞いたこともあるが、そんなことをここで君に話そうとは思 のわない。ただ、祭以前に紛擾を重ねたと言うだけにして置こう。一時は祭をさせるとか、させな しめかざ いとかの騒ぎが伝えられて、毎年月の始めにアーチ風に作られる〆飾りが漸く七日目に町々の空 千〈掛 0 た。その余波として、御輿を担ぎ込まれるが煩さに移転したと言われる家すらあ 0 た。そ ういう騒ぎの持上るというだけでも、いかにこの祭の町の人から待受けられているかが分る。多 くの商人は殊に祭の賑いを期待する。養蚕から得た報酬がすくなくもこの時には費されるのであ るから。 ちょうちん やしろ 夜に入 0 て、「湯立」という儀式があ「た。この晩は主な町の人々が提灯つけて社の方〈集る。 あめがし それを見ようとして、私も家を出た。空には星も輝いた。社頭で飴菓子を売「ている人に逢 0 た。謡曲で一家を成した人物だとのことだが、最早長いことこの田舎に隠れている。 みこしかっ ながあめ

2. 千曲川のスケッチ

麦畠 わぎ チ青い野面には蒸すような光が満ちている。彼方此方の畠側にある樹木も活々とした新葉を着け ひばりすずめ ケている。雲雀、雀の鳴声に混って、鋭いヨシキリの声も聞える。 たはた ふもと の火山の麓にある大傾斜を耕して作ったこの辺の田畠はすべて石垣によって支えられる。その石 垣は今は雑草の葉で飾られる時である。石垣と共に多いのは、柿の樹だ。黄勝な、透明な、柿の 千若葉のかげを通るのも心地が好い。 ほんまちあらまち ほっこく ( 一 0 ) 小諸はこの傾斜に添うて、北国街道の両側に細長く発達した町だ。本町、荒町は光岳寺を境に いちまちよらまち おも して左右に曲折した、主なる商家のあるところだが、その両端に市町、与良町が続いている。私 ふくろまち あいおいちょう は本町の裏手から停車場と共に開けた相生町の道路を横ぎり、古い士族屋敷の残った袋町を通り たんぼわぎ ぬけて、田圃側の細道へ出た。そこまで行くと、荒町、与良町と続いた家々の屋根が町の全景の 一部を望むように見られる。白壁、土壁は青葉に埋れていた。 田圃側の草の上には、土だらけの足を投出して、あおのけさまに寝ている働き労れたらしい男 ありさま 東京の下町の空気の中に成長した君なぞに、この光景を見せたら、何と言うだろう。野蛮に相 しげき 違ない。しかし、君、その野蛮は、疲れた旅人の官能に活気と刺戟とを与えるような性質のもの あちこち ぎがち いきいき

3. 千曲川のスケッチ

雪の海 一晩に四尺も降り積るというのが、これから越後〈かけての雪の量だ。飯山〈来て見ると、全 く雪に埋もれた町だ。あるいは雪の中から掘出された町と言 0 た方が適当かも知れぬ。 この掘出されたという感じを強く与えるものは、町の往来に高く築き上げてある雪の山だ。屋 チ根から下す多量な雪を、人々が集 0 て積み上げ積み上げするうちに、やがて人家の軒よりも高く ( 四こ 成る。それが往来の真中に白壁の如く続いている。家々の軒先には「ガンギ」というものを渡し おおよそ て、その下を用事ありげな人達が往来している。屋内の暗さも大凡想像されよう。それに高い葭 簾で家をかこうということが、一層屋内を暗くする。私は娘達を残して置いて、独りで町〈出て 曲 あかりつ 千みた。チラチラ雪の中で燈火の点く頃だ 0 た。私は天の一方に、薄暗い灰色な空が紅色を帯びる のを望んだ。丁度遠いところの火事が曇 0 た空に映ずるように。それが落日の反射だ 0 た。 ひぎかぶ いんうつ 雪煙もこの辺でなければ見られないものだ。実に陰鬱な、頭の上から何か引冠せられているよ うな気のするところだ。土地の人が信心深いというのも、偶然では無いと思う。この町だけに二 十何カ処の寺院がある。同じ信州の中でも、ここは一寸上方〈でも行 0 たような気が起る。言葉 遣いからして高原の地方とは違う。 そり 暗くなるまで私は雪の町を見て廻 0 た。荷車の代りに橇が用いられ、雪の上を馬が挽いて通る 119 かみがた ひと ひ

4. 千曲川のスケッチ

はとや ゆきぎ 本町の通には紅白の提灯が往来の人の顔に映 0 た。その影で、私は鳩屋の—、紙店のなその 手を引き合「て来るのに逢 0 た。いすれも近所の快活な娘達だ。 ぎおん 十三日の祇園 十三日には学校でも授業を休んだ。この授業を止む休まないでは毎時論があ「て、校長は大抵 の場合には休む方針を執り、幹事先生は成るべく休まない方を主張した。が、祗園の休業は毎年 チ ッ の例であった。 ケ ケット たる ス 近在の娘達は早くから来て町々の角に群が 0 た。戸板や樽を持出し、毛布をひろげ、その上に の こあぎんど のみくい 飲食する物を売り、にわかごしらえの腰掛は張板で間に合わせるような、土地の小商人はそこに 曲 やおや 千も、ここにもあった。日頃顔を見知った八百屋夫婦も、本町から市町の方へ曲ろうとする角のあ のりまぎ いなりずしつ かみさん たりに陣取って青い顔の亭主と肥った内儀とが互に片肌抜で、稲荷鮨を漬けたり、海苔巻を作っ ひとえ たりした。貧しい家の児が新調の単衣を着て何か物を配り顔に町を歩いているのも祭の日らし せいしようなごん もと 午後に、家のものは姉妹の許〈招かれて御輿の通るのを見に行った。は清少納言の「枕の 草紙」などを読みに来る人で、子供もよくその家〈遊びに行く。 光岳寺の境内にある鐘楼からは、絶えず鐘の音が町々の空へ響いて来た。この日は、誰でも鐘 かたはだぬぎ いつでも かみみせ

5. 千曲川のスケッチ

畔な牧師 かえりみち 朝顔の花を好んで毎年培養する理学士が、ある日学校の帰途に、新しい弟子の話を私にして聞 かせた。 弟子と言っても朝顔を培養する方の弟子だ。その人は町に住む牧師で、一部の子供から「日曜 学校の叔父さん」と懐かしがられている。 ッ ケ この叔父さんの説教最中にタ立が来た。まだ朝顔の弟子入をしたばかりの時だ。彼の心は毎日 ばち かいわれば の楽しんでいる畑の方へ行った。大事な貝割葉の方へ行った。雨に打たれる朝顔鉢の方へ行った。 説教そこそこにして、彼はタ立の中を朝顔棚の方〈駈出した。 「いかにも田舎の牧師さんらしいじや有りませんか」と理学士はこの新しい弟子の話をして、笑 った。その先生はまた、火事見舞に来て、朝顔の話をして行くほど、自分でも好きな人だ。 たんぼみち 九月の田圃道 傾斜に添うて赤坂 ( 小諸町の一部 ) の家つづきの見えるところへ出た。 さんろく ねむり 浅間の山麓にあるこの町々は眠から覚めた時だ。朝餐の煙は何となく湿った空気の中に登りつ なっ あさげ

6. 千曲川のスケッチ

山荘 チ 浅間の方から落ちて来る細流は竹藪のところで二つに別れて、一つは水車小屋のある窪い浅い の谷の方へ私の家の裏を横ぎり、一つは馬場裏の町について流れている。その流に添う家々は私の 家の組合だ。私は馬場裏へ移ると直ぐその組合に入れられた。一体、この小諸の町には、平地と 曲 千 いうものが無い。すこし雨でも降ると、細い川まで砂を押流すくらいの地勢だ。私は本町〈買物 こうばい に出るにも組合の家の横手からすこし勾配のある道を上らねばならぬ。 くみあいがしら あきないひま 組合頭は勤勉な仕立屋の亭主だ。この人が日頃出入する本町のある商家から、商売も閑な頃で ーオ > 力、とある日番 . 店の人達は東沢の別荘へ休みに行っている、私を誘って仕立屋にも遊びこ来よ、 頭が誘いに来たとのことであった。 私は君に古城の附近をすこし紹介した。町家の方の話はまだ為なかった。仕立屋に誘われて商 家の山荘を見に行った時のことを話そう。 その三 たけやぶ し

7. 千曲川のスケッチ

甲州街道 月諸から岩村田町へ出ると、あれから南に続く甲州街道は割合に平坦な、広々とした谷を貫い めのまえひら ている。黄ばんだ、秋らしい南佐久の領分が私達の眼前に展けて来る。千曲川はこの田畠の多い たにあい 谷間を流れている。 チ 一体、犀川に合するまでの千曲川は、殪んど船の影を見ない。唯、流れるままに任せてある。 ケこの一事だけで、君はあの川の性質と光景とを想像することが出来よう。 ス ちいさがた みおろ の 私は、佐久、小県の高い傾斜から主に谷底の方に下瞰した千曲川をのみ君に語っていた。今、 うすだ 酊私達が歩いて行く地勢は、それと趣を異にした河域だ。臼田、野沢の町々を通 0 て、私達は直ぐ 千河の流に近いところ〈出た。 まながし さかのば 馬流というところまで岸に添うて溯ると河の勢も確かに一変して見える。その辺には、川上か むし ら押流されて来た恐しく大きな石が埋まっている。その間を流れる千曲川は大河というよりも寧 けいりゅう ろ大きな谿流に近い。この谿流に面した休茶屋には甲州屋としたところもあって、そこまで行く あぎんど と何となく甲州に近づいた気がする。山を越して入込んで来るという甲州商人の往来するのも見 られる。 ぐうじ ゅう 馬流の近くで、学生のが私達の一行に加わった。の家は宮司で、街道からすこし離れた幽 さいかわ ただ

8. 千曲川のスケッチ

聞える。人々は酒気を帯て、今御輿が町の上の方へ担がれて行ったかと思うと急に復た下って来 かけあし る。五六十人の弥次馬は狂するごとく叫び廻る。多勢の巡査や祭事掛は駈足で一緒に附いて歩い かえ あちこち た。丁度夕飯時で、見物は彼方是方〈散じたが、御輿の勢は反 0 て烈しく成 0 た。それが大きな 商家の前などを担がれて通る時は、見る人の手に汗を握らせた。 さぎばう 急に御輿は一種の運動と化した。ある家の前で、衝突の先棒を振るものがある、両手を揚げて 制するものがある、多数の勢に駆られて見る間に御輿は傾いて行った。その時、家の方から飛ん で出て、御輿に飛付き押し廻そうとするものもあった。騒ぎに踏み敷かれて、あるものの顔から チ ケ血が流れた。「御輿を下せ御輿を下せ」と巡査が駒せ集って、烈しい論判の末、到頭興丁の外は まわり の許さないということに成 0 た。御輿の周囲は白帽白服の人で護られて、「さあ、よし、持ち上げ ろ」などという声と共に、急に復た仲町の方角を指して担がれて行った。見物の中には突き飛ば 曲 千されて、あおのけさまに倒れた大の男もあった。 「それ早く逃げろ、子供々々」 皆な口々に罵った。 「巡査も随分御苦労なことですな」 「ほんとに好い迷惑サ」 見物は言い合っていた。 暮れてから町々の提灯は美しく点 0 た。簾を捲上げ、店先に毛氈なぞを敷き、屏颶を立て廻し ののし よてい はか

9. 千曲川のスケッチ

堂の役に立てられる。小諸でも町費の大部分を傾けて、他の町に劣らない程の大校舎を建築し ガラスまど た。その高い玻璃窓は町の額のところに光って見える。 さまざま こういう土地だから、良い教育家に成ろうと思う青年の多いのも不思議は無い。種々な家の事 情からして遠く行かれないような学問好きな青年は、多く国に居て身を立てることを考える。毎 年長野の師範学校で募集する生徒の数に比べて、それに応じようとする青年の数は可なり多い。 私達の学校にも、その準備の為に一二年在学する生徒がよくある。 一体にこの山国では学者を尊重する気風がある。小学校の教師でも、他の地方に比べると、比 チ 較的好い報酬を受けている。又、社会上の位置から言 0 ても割合に尊敬を払われている。その点 のは都会の教育家などの比でない。新聞記者までも「先生」として立てられる。長野あたりから新 ) 聞記者を豚して講演を聞くなぞはここらでは珍しくない。何か一芸に長じたものと見れば、そう 曲 千 いう人から新智識を吸集しようとする。小諸辺のことで言ってみても、名士先生を歓迎する会は 実に多い。あだかも昔の御関所のように、そういう人達の素通りを許さないという形だ。 いろいろ 御蔭で私もここへ来てから種々な先生方の話を拝聴することが出来た。故福沢諭吉氏も一度こ こを通られて、何か土産話を置いて行かれたとか。その事は私は後で学校の校長から聞いた。朝 鮮亡命の客でよく足を留めた人もある。旅の書家なそが困って来れば、相応に旅費を持たせて立 たせるという風だ。概して、軍人も、新聞記者も、教育家も、美術家も、皆な同じように迎えら るる傾きがある。 126

10. 千曲川のスケッチ

こういう寒さと、凍った空気とを衝いて、私は未知の人々に逢う楽みを想像しながら、クリス マスのあるという日の暮方に長野〈入 0 た。例の測候所の技手の家を訪ねると、主人はまだ若い くわ 人で、炬燵にあたりながらの気象学の話や、文学上の精しい引証談なぞが、私の心を楽ませた。 ラスキンが「近代画家」の中にある雲の研究の話なども出た。ラスキンが雲を三層に分けた頃か ら思うと、九層の分類にまで及んだ近時の雲形の研究は進んだものだ。こう主人が話していると チころへ、ある婦人の客も訪ねて来た。 私が主人から紹介されたその若い婦人は、牧師の夫人で、主人が親しい友達であるという。快 の活な声で笑う人だった。その晩歌うクリスマスの唱歌で、その夫人の手に成ったものも有るとの グリスマス ルことだった。やがて降誕祭を祝う時刻も近づいたので、私達は連立って技手の家を出た。 千私が案内されて行 0 た会堂風の建物は、丁度坂に成 0 た町の中途にあ 0 た。そ一ニ行くまでに うしろ 私は雪の残った暗い町々を通った。時々私は技手と一緒に、凍った往来に足を留めて、後部の方 おんなれん に起る女連の笑声を聞くこともあった。その高い楽しい笑声が、寒い冬の空気に響いた時は、一 ころ 層雪国の祭の夜らしい思をさせた。後に成って私は、若い牧師夫人が二度ほど滑って転んだこと を知った。 いなか 赤々とした燈火は会堂の窓を泄れていた。そこに集っていた多勢の子供と共に、私は田舎らし 川いクリスマスの晩を送った。 ( 三六 ) こたっ