こす ものなら皆な食われて了う : : : そこは私もなかなか狡いや。だけれども世間の人はそう言わな つら い。そこがねえ辛いと言うもんです」 かぎくど - 」うもり けじゅす 古い洋傘の毛繻子の今は炬燵掛と化けたのを叩いて、隠居は掻口説いた。この人の老後の楽み まじない ( 四七 ) うらな さんぜそう ( 四六 ) は、三世相に基づいて、隣近所の農夫等が吉凶をトうことであ 0 た。六三の呪禁と言 0 て、身体 ものしり なおきとう の蒲みを癒す祈疇なぞもする。近所での物識と言われている老農夫である。私はこの人から「言 ( 四八 ) 海」のことを聞かれて一寸驚かされた。 かせ 「昔の恥を御話し申すんじゃないが、私も若い時には車夫をしてねえ、日に八両ずつなんて稼い ケだことが有りましたよ。八両サ。それがねえ、もうば 0 ばと湯水のように無くな 0 て了う。どう のして若い時の勢ですもの。私はこれで、どんなことでも人のすることは大概してみましたが、博 ち ええこればかしは知らない」 奕と牢屋の味ばかしは知らない 曲 かっこう 千こう隠居が笑っているところ〈、黄な真綿帽子を冠った五十恰好の男が地味な羽織を着て入っ て来た。 「定屋さんですよ」と辰さんが呼んだ。 そと うちなか 地主は屋の内に入って炬燵に身を温めながら待っていた。私が屋外の庭の方〈出ようとする ます もみ と、丁度水車小屋の方から娘が橋を渡て来て、そこに積み重ねた籾の上〈桝を投げて行 0 た。 そでとりすが 辰さんは年貢の仕度を始めた。五歳ばかりの小娘が来て、辰さんの袖に取縋 0 た。辰さんが父親 らしい情の籠った口調で慰めると、娘は頭から肩まで顫わせて、泣く度に言うこともよく解らな 133 こも ふる ばく
ャプった。 食後に、私達は主人に案内されて、黒い土の色の畠の方まで見て廻った。主人の話によると、 おおよそ 松林の向うには三千坪ほどの桑畠もあり、畠はその三倍もあって大凡一万坪の広い地面だけある すくな が、自分の代となってからは家族も少し、手も届きかねて、荒れたままに成っているところも有 る、とのことだ。 私達が訪ねて来たことは、余程主人の心を悦ばせたらしい。主人はむッつりとした鬚のある顔 に似合わず種々な話をした。蕎麦は十俵の収穫があるとか、試植した銀杏、杉、竹などは大半枯 チ ケれ消えたとか、栗も十三俵ほど播いてみたが、十四度も山火事に逢ううちに残ったのは既に五六 ス 間の高さに成ってよく実りはするけれども、樹の数は焼けて少いとか話した。 からまっ まわ 落葉松の畠も見えた。その苗は草のように嫩かで、日をうけて美しくかがやいていた。畠の周 曲 千囲には地梨も多い。黄に熟したやつは草の中に隠れていても、直ぐと私達の眼についた。尤も、 あの実は私達にはめずらしくも無かったが。 主人は又、山火事の恐しいことや、火に追われて死んだ人のことを話した。これから一里ばか くぬぎ り上ったところに、炭焼小屋があって、今は椚の木炭を焼いているという話もした。 ひしの この山番のある尾の石は、高峰と称える場所の一部とか。尾の石から菱野の湯までは十町ばか りで、毎日入湯に通うことも出来るという。菱野と聞いて、私は以前家へ子守に来ていた娘のこ いなかむすめ とを思出した。あの田舎娘の村は菱野だから。 ま やわら いちょう もっと
肥も、そのうちには麦も取れる。 じようや きっ 「しかし私の時には定屋様 ( 地主 ) がおなさると、必と一升買 0 て、何がなくとも香の物で一 せがれ あいっ 杯上げるという風でした。今年は忰に任しときましたから、彼奴はまたどんな風にするか : の時には昔からそうでした」 こう隠居は私に話して笑った。 そのうちに家の外では「定屋さんになア、来て御くんなんしよって、早く行って来てくれや」 あかりまど チという辰さんの声がする。日の光は急に戸口より射し入り、暗い南の明窓も明るくなった。「あ さっき あんばい ケあ、日が射して来た、先刻までは雪模様でしたが、こりや好い塩梅だ」と復た辰さんが言ってい ス 細帯締た娘は茶を入れて私達の方へ持って来てくれた。炬燵にあたっていた無ロな女は、ぶい 曲 千と台所の方へ行った。 隠居は小声に成って、 たった ふだん 「私も唯一人ですし、平常は誰も訪ねて来るものが無いんです。年寄ですからねえ : : : ですから 置いてくれというので、ああいうものを引受けて同居さしたところが忰が不服で黙ってあんなも のを入れたって言いますのさ」 「飯なぞは炊いてくれるんですか」と私が聞いた。 「それですよ、世間の人はそう思う。ところが私は炊いて貰わない。どうしてそんな事をしよう
うれい をうけるから、南北に向って「ウネ」を造ると、日あたりも好し、又風の為に穂の擦れ落ちる憂 が無い、自分等は絶えずそんなことを工夫しているとも話した。 たまげ 「しかし、上州の人に見せたものなら、こんなことでよく麦が取れるツて、消魂られます」 こう言って、隠居は笑った。 「この阿爺さんも、ちったア御百姓の御話が出来ますから、御二人で御話しなすって下さい」 ももひぎひざ むぎわら と辰さんは言い置いて、麦藁帽の古いのを冠りながら復た畠へ出た。辰さんの弟も股引を膝ま チでまくし上げ、素足を顕して、兄と一緒に土を起し始めた。二人は腰に差した鎌を取出して、時 かぎと ッ せっせ ケ時鍬に附着する土を掻取って、それから復た腰を曲めて錯々とやった。 ス の「浅間が焼けますナ」 と皆な言い合った。 曲 千 私は掘起される土の香を嗅ぎ、弱った虫の声を聞きながら、隠居から身上話を聞かされた。こ ぎゅううらない の人は六十三歳に成って、まだ耕作を休まずにいるという。十四の時から灸、占の道楽を覚え、 くるま 三十時代には十年も人力車を引いて、自分が小諸の車夫の初だということ、それから同居する夫 うわさ 婦の噂なそもして、鉄道に親を引っぷされてからその男も次第に、零落したことを話した。 す 「お百姓なそは、能の無いものの為るこんです : : : 」 あざけ と隠居は自ら嘲るように言った。 かっこう その時、髪の白い、背の高い、勇健な体格を具えた老農夫が、同じ年恰好な仲間と並んで、い おとっ す
ズボンをゆるめるやらした。 おっしゃ 「さア、おかえなすって -—ー山へ来て御飯がまずいなんて仰る方はありませんよ」 と細君が言ううち、つと君の前にあった茶碗を引きたくった。君はあわてて、奪い返そう とするように手を延ばしたが、間に合わなかった。細君はまた一ばい飯を盛って勧めた。 君は笑いながら頭を抱えた。「ひどいひどいーーーひどくやられた」 「えツ、やられた ? 」と亭主も笑った。 「その位はいけやしよう」 チ ためいきっ ケ「どうして、もう沢山頂いて、実際入りません」と君は溜息吐いた後で、「チ、それじゃ、や のるか。ど一フも一ばい食っこ オーーええ、香の物でやれ」 楽しい笑声の中に、私は夕飯を済ました。「お前も御馳走に成れ」という亭主の蔭で、細君も飯 曲 千を始めた。戸棚の中に入れられた小猫は、物欲しそうに鳴いた。山の中のことで、亭主は牛肉を 包んだ新聞紙をもめずらしそうに展げて、読んだ。君はあまり詰込み過ぎたかして、毛布を冠 しばらく ったまま暫時あおのけに倒れていた。 うさぎ 炭焼、兎狩の話なそが夫婦の口からかわるがわる話された。やがて細君も膳を片付け、馬の飲 料にとフスマを入れた大鍋を炉に掛けながら、ある夜この山の中で夫の留守に風が吹いて新築の あちら 家の倒れたこと、もしこの小屋の方へ倒れて来たらその時は馬を引出そうと用意したに、彼方に おそろ 倒れて、可恐しい思をしたことを話した。めったに外へ泊ったことの無い夫がその晩に限って本 ひろ おまんま
山番 くろふやま 番小屋の立 0 ている処は尾の石と言 0 て、黒斑山の直ぐ裾にあたる。 おもや まぎ はりつ とうなんよけ 三峯神社とした盗賊除の御札を貼付けた馬小屋や、費なそを刈 0 て乾してある母屋の前に立 0 あた て、日の映 0 た土壁の色なぞを見た時は、私は余程人里から離れた気がした。 あやし 鋭い眼付の赤大が飛んで来た。しきりと私達を怪むように大えた。この大は番人に飼われて、 チ ケ種々な役に立っと見えた。 の番小屋の主人が出て来て私達を迎えてくれた頃は、赤大も頭を撫でさせるほどに成 0 た。主人 たすぎがけ はも剃らずに林の監督をや 0 ているような人であ 0 た。細君は襷掛で、この山の中に出来た南 ちゃ 千 瓜なそを切りながら働いていた。 しめわらぞうり 四人の子供も庭〈出て来た。一番年長のは最十四五になる。狭い帯を〆て藁草履なそをい としした た、しかし髪の毛の黒い娘だ。年少の子供は私達の方を見て、何となくキマリの悪そうな羞を帯 おんどり めんどり びた顔付をしていた。その側には、トサカの美しい、白い雄鶏が一羽と、灰色な雌鶏が三羽ばか しま りあそんでいたが、やがてこれも裏の林の中〈隠れて了った。 ふだん 小屋は二つに分れて、一方の畳を敷いたところは座敷ではあるが、実際平素は寝室と言った方 うすべり ろばた が当っているだろう。家族が食事したり、茶を飲んだり、客を迎えたりする炉辺の板敷には薄縁 いろいろ うえ
学窓の一 ま 夏休みも終って、復た私は理学士や君や、それから植物の教師などと学校でよく顔を合せる ト ( 一つ。に・成っ」。 秋の授業を始める日に、まだ桜の葉の深く重なり合ったのが見える教室の窓の側で、私は上級 しやか チの生徒に釈迦の話をした。 しやかふ ( ニニ ) うっしだ ケ 私は『釈迦譜』を選んだ。あの本の中には、王子の一生が一篇の戯曲を読むように写出してあ のる。あの中から私は釈迦の父王の話、王子の若い友達の話なそを借りて来て話した。青年の王子 が憂愁に沈みながら、東西南北の四つの城門から樹園の方 ( 出て見るという一節は、私の生徒の 千心をも引いたらしい。一つの門を出たら、病人に逢 0 た。人は病まなければ成らないかと王子は 深思した。他の二つの門を出ると、老人に逢い、死者に逢った。人は老いなければ成らないか、 ほうちゃく 人は死ななければ成らないか。この王子の逢着する人生の疑問がいかにも簡素に表してある。最 後に出た門の外で道者に逢った。そこで王子は心を決して、この Life を解かんが為に、あらゆ るものを破り捨てて行った。 戯曲的ではないか。少年の頭脳にも面白いように出来ているではないか。私はこんな話を生徒 にした後で、多勢居る諸君の中には実業に志すものもあろうし、軍人に成ろうというものもあろ ドラマ
楼に上 0 て自由に撞くことを許してあ 0 た。三時頃から、私も例の組合の家について夏の日のあ あおすだれ たった道を上った。そこを上りきったところまで行くと軒毎に青簾を掛けた本町の角〈出る。こ ふさ の簾は七月の祭に殊に適わしい。 祭を見に来た人達はびた絵巻物を繰展げる様に私の前を通 0 た。近在の男女は風俗もまちま とうちりめん ちで、紫色の唐縮緬の帯を幅広にぐるぐると巻付けた男、大きな髓にさした髪の飾りも重そうに しりはし まえだれ こうもりがさ 見える女の連れ、男の洋傘をさした娘もあれば、綿フランネルの前垂をして尻端を折 0 た児もあ すそ しろたび チる。黒い、太い足に白足袋をて、裾の短い着物を着た小娘もある。一里や二里の道は何とも思 わずにや 0 て来る人達だ。その中を、軽井沢辺りの客と見えて、珍らしそうに眺めて行く西洋の の婦人もあった。町の子供はいすれも嬉しそうに群集の間を飛んで歩いた。 うすころ やがて町の下の方から木の臼を転がして来た。見物はいずれも両側の軒下なそへ逃げ込んだ。 曲 千「ヨイヨ、ヨイヨ」 と掛声して、重い御輿が担がれて来た。狭い往来の真中で、時々御輿は日の上に置かれる。血 さか まわり 気な連中はその周囲に取付いて、ぐるぐる廻したり、手を揚げて叫んだりする。壮んな歓呼の中 からだ に、復た御輿は担がれて行 0 た。一種の調律は見物の身に流れ伝わ 0 た。私は戻りがけに子供ま で同じ足拍子で歩いているのを見た。 ごたごた この日は、町に紛擾のあった後で、何となく人の心が穏かでなかった。六時頃に復た本町の角 〈出て見た。「ヨイヨョイヨ」という掛声までシャガレて「ギョイギョ、ギョイギョ、と物凄く かっ くりひろ あた ものすご
長野測候所 翌朝、私は親切な技手に伴われて、長野測候所のある岡の上に登った。 まるな 途次技手は私を顧みて、ある小説の中に、榛名の朝の飛雲の赤色なるを記したところが有 0 た と記憶するが、飛雲は低い処を行くのだから、赤くなるということは奈何などと話した。さすが 専門家だけあって話すことがすべて精しかった。 チ ちょうぼう ッ ケ 測候所は建物としては小さいが、眺望の好い位置にある。そこは東京の気象台〈宛てて日毎の の報告を造る場所に過ぎないと言うけれども、万般の設備は始めての私にはめずらしく思われた。 雲形や気温の表を製作しつつ日を送る人々の生活なぞも、私の心を引いた。 はしごだん 千やがて私は技手の後に随いて、狭い楼階を昇り、観測台の上〈出た。朝の長野の町の一部がそ もや こから見渡される。向うに連なる山の裾には、冬らしい靄が立ち罩めて、その間の空虚なところ だけ後景が明かに透けて見えた。 こうかっ 風力を計る器械の側で、技手は私に、暴風雨の前の雲ーー例えば広濶な海岸の地方で望まれる しなの ようなは、その全形をこの信濃の地方で望み難いことを話してくれた。その理由としては、山が 高くて、気圧の衝突から雲はちぎれちぎれに成るという説明をも加えてくれた。 「雲の多いのは冬ですが、しかし単調ですね。変化の多いと言 0 たら、矢張夏でしよう。夏は 102 みちみち
め入った。 手廻しの好い農夫は既に収穫を終った頃だ。近いところの田には、高い土手のように稲を積み まるまげ 重ね、穂をこき落した藁はその辺に置き並べてあった。二人の丸髷に結った女が一人の農夫を相 ふうてい つつつぼ 手にして立ち働いていた。男は雇われたものと見え、鳥打帽に青い筒袖という小作人らしい風体 も ぎげん で、女の機嫌を取り取り籾の俵を造っていた。そのあたりの田の面には、この一家族の外に、野 に出て働いているものも見えなかった。 かまがたぼう チ古い釜形帽を冠って、黄菊一株提げた男が、その田圃道を通りかかった。 「まあ、一服お吸い」 ス の と呼び留められて、釜形帽と鳥打帽と一緒に、石垣に倚りながら煙草を燻し始めた。女二人は 話し舌し働いた。 曲二一口一三ロ 千「金さん、お目はどうですーー・・それは結構ーーーああ、ああ、そうともーー・」などと女の語る声が 聞えた。私は屋外に日を送ることの多い人達の生活を思「て、聞くともなしに耳を傾けた。振返 すげがさ あぜ って見ると、一方の畦の上には菅笠、下駄、弁当の包らしい物なそが置いてあって、そこで男の 燻す煙草の煙が日の光に青く見えた。 「さいなら、それじゃお静かに」 と一方の釜形帽はやがて別れて行った。 せっせもみふる 鳥打帽は鍬を執 0 て田の土をすこしナラし始めた。女二人が錯々と籾を振ったり、稲こきした くわ わら もみ よ ふか