「そんなに長いこと住んでたのか。だったらもうさんざん見たろう」 政治と宗教 収容所暮らしが長い被収容者のこうした非清さは、いかに生きのびるかというぎりぎり最低 限の関、い事に役立たないことはいっさいどうでもいい、 という感情のあらわれだ。被収容者は、 生きしのぐこと以外をとてつもない贅沢とするしかなかった。あらゆる精神的な問題は影をひ 広場や家並みが見えても、まるで自分がすでに死んでいて、死者としてあの世から、この幽霊 じみた町を幽霊になって見下ろしているような気がした。これはなまなましい感覚だった。 数時間停車して、今、列車は駅を出る。あの通りに、わが家のある通りにさしかかる ! わ たしは頼みはじめた。のぞき窓の眺めに見入っていたのは、収容所暮らしが長く、このような 旅がことのほか物珍しい若者たちだった。わたしは頼んだ。ほんのすこしのあいだ、前に一カ せてくれないか、と。そして、わたしにとって外をひと目見るとはどういうことか、わかって もらおうとした。懇願はしかし、半ば邪険に、半ば嘲笑ぎみに却下され、こんな言葉で片づけ られた。 せいたく
しなかったからだ。だが、それでも効かないこともしゆっちゅうだった。するとわたしは、手 を上げないよう、全身の力をふりしぼるのだった。なぜなら、わたしのいらだちは、ほかの者 の感情の消滅にぶつかり、またそれにより今にも回ってくる点検の際にひきおこされる危険が 目の前にちらついて、際限なく高まっていたからだ。 精神の自由 長らく収容所に入れられている人間の典型的な特徴を心理学の観点から記述し、精神病理学 の立場で解明しようとするこの試みは、人間の魂は結局、環境によっていやおうなく規定され 活 生る、たとえば強制収容所の心理学なら、収容所生活が特異な社会環境として人間の行動を強制 収的な型にはめる、との印象をあたえるかもしれない。 階しかし、これには異議がありうる。反問もありうる。では、人間の自由はどこにあるのだ、 第あたえられた環境条件にたいしてどうふるまうかという、精神の自由はないのか、と。人間は、 生物学的、心理学的、社会学的と、なんであれさまざまな制約や条件の産物でしかないという のはほんとうか、すなわち、人間は体質や性質や社会的状況がおりなす偶然の産物以外のなに
いきたい」衝動に駆られるのだが、わたしも何度となくそんな経験を余儀なくされた。一時期、 わたしたち医師は徹夜をした。発疹チフス病棟にあてられたむき出しの土の床の棟では、暖を とるために火を焚くことができたのだが、おかげで夜中にストー。フの火が消えないよう、だれ かが見張らなければならなかったのだ。そこで、まだ少しでも体力のある者には、ストープ番 という夜勤が回ってきた。真夜中、ほかの者たちは眠っているか、熱に浮かされているかする なかで、病棟の小さなストープのそばの地べたに寝転がり、自分の「勤務」時間のあいだ、 を見守っている。そして、どこかからくすねてきた煉炭の熱で、やはりくすねてきたじゃがい もをあぶる : : : それは、実際はどれほど悲惨だろうと、収容所で経験したもっとものんびりし たうるわしいひとときだった。 活 生ところが、徹夜し、疲労がたまると、つぎの日は感情の消滅といらいらがいっそうつのるの だ。解放間近のころ、わたしは発疹チフス病棟に医師として配属されていたわけだが、そのほ 階 かにも、病棟の班長の役もこなさなければならなかった。それで、あんな状況では清潔もなに 段 第もあったものではなかったのだが、収容所当局にたいして、病棟を清潔に保つ責任を負ってい 病棟に目配りを怠らないためと称してしよっちゅう点検するのは、衛生のためというより たんなるいやがらせでしかなかった。もっと食料をあたえるか、あるいはもう少し医薬品があ
ぶん、わたしがびりびりしていたのだろう ) 。力ない声でたずねた。 わたしは打ち消した。だが、相手のまなざしから目を逸らすのは容易ではなかった。回診が 終わると、わたしはもう一度、この仲間のところへ行った。するとまたしても、絶望しきった まなざしがわたしに向けられた。なぜか非難されているような気がした。仲間と脱走すること に同意し、みずから運命の主役を演じないというそれまでの原則を破って以来抱えこんだやま しさという感情がふくらんだ。 わたしは突然、病棟を飛び出し、担当病棟にいた仲間のもとに急いだ。そして、わたしは行 , カオし と告げた。くどくどと説明するまでもなく、仲間はわたしの同行をあきらめるしかな いと察した。今まで通り患者のもとに残ると决心したとたん、やましさは嘘のように消えた。 これから数日のあいだに事態はどう転ぶのか、一切は不明だった。それでも、心はかってな いほど安らかだった。 一歩一歩踏みしめるように発疹チフス病棟にもどり、あの同郷人が横た わる板敷きの足一兀に腰をおろしてなだめ、ほかの高熱を発している患者たちにも、せめてもの 気休めの一 = ロ葉をかけた。 そして、わたしたちの収容所の最後の日がやってきた。前線が迫り、ほとんどすべての被収 「やつばり逃げるのか」
108 ったほうが、どれほどかましだったのに、中央通路に藁が一本も落ちていないことや、患者の ぼろぼろで汚れきった、シラミだらけの毛布が、その足もとできれいに一直線になっているこ とばかりが問題視された。点検が告げられると、わたしは、収容所長や上官が身をかがめてわ いちへつ たしたちの病棟の入り口から内部を一瞥したとき、藁一本落ちていないように、あるいはスト ー、フの前に灰がほんのひとつまみも落ちていないように、といったことに心をすり減らさなけ ればならなかった。 しかし、点検する者にとってこの穴蔵にいる人間の連命は、わたしが被収容者の制帽を坊主 頭からむしり取り、かかとを音立てて合わせ、直立不動できびきびと、「六の九号病棟、発疹 チフス患者五十一一名、看護人一一名、医師一名」と「報告する」だけで充分だった。点検にやっ てきた連中は風のように去った。 だが、来るまでは長かった。点検が告げられてから数時間後のこともざらだった ( あるいは、 まるで来ないこともあった ) 。その間わたしは絶え間なく毛布を直したり、寝床から落ちた藁 を拾ったりしなければならなかった。さらには、見せかけにすぎない秩序や清潔を、土壇場に なって「台無しにする」おそれのある患者たちを、どなって回らなければならなかった。なぜ どんま なら、感情の消滅や鈍麻は高熱を発している者ほどはなはだしく、大声でどならなければ反応 わら
余禄はまだあった。作業現場で昼食のスープが配られるとき、カボーはわたしの番になると、 レードルをいくらか深く突っこんで、樽の底のほうから豆を数粒すくいあげてくれた。 このカボーはかっては将校だったが、こんなときにも人間としての勇気を失ってはいよかっ こ。わたしに腹を立てた現場監督をわきへ呼んで、わたしのことを、いつもは「優秀な労働 者」なのだと耳打ちしてくれたのだ。それはなんの甲斐もなく、わたしは打ちすえられた。そ れでも、わたしの延命にまたひとつ、好都合なことが起こった。盟日、カボーはわたしをさり げなくほかの労働部隊に押しこんでくれたのだ。 この、はたから見ればどうということもないエピソードが示すのは、かなり感情が鈍磨した ふんぬ 者でもときには憤怒の発作に見舞われる、それも、暴力やその肉体的苦痛ではなく、それにと もなう愚弄が引き金になる、ということだ。現場監督がなにも知らないくせにわたしの人生を 決めつけるのをただ聞いているしかなかったとき、わたしはかっと頭に血がのぼった。「こん な男、下劣で粗暴で、うちの診療所の看護婦だったら、待合室から追い出しただろう」 ( と考 えて、まわりの仲間の手前、子供っぽくわれとわが身をなぐさめたことを白状しなければなら わたしたちに同清し、わたしたちの境遇をせめて作業現場にいるあいだだけでもましなもの み、ろ・つ どんま
がふりそそいでいるあいだに、程度の差こそあれ冗談を、とにかく自分では冗談のつもりのこ やっき とを言いあい、まずは自分自身を、ひいてはおたがいを笑い飛ばそうと躍起になった。なぜな ら、もう一度一 = ロうが、シャワーノズルからはほんとうに水が出たのだ : やけくそのユーモアのほかにもうひとつ、わたしたちの心を占めた感情があった。好奇心だ。 わたし自身は、生命がただならぬ状態に置かれたときの反応としてのこの心的態度を、別の場 面で経験したことがあった。それまでにも生命の危険に晒されると、たとえば山で岩場をよじ 登っていてずるっと足を滑らせたときなど、その数秒間 ( あるいはたぶん何分の一秒間か ) 、 ある心的態度でこの突発的なできごとに対処していたのだが、それが、自分は命拾いするだろ ) 、ほかの骨だろうか、といった好奇心だ うか、しないだろうか、骨折するなら頭蓋骨だろうカ っ一」 0 容 アウシュヴィッツでもこれと同じような、世界をしらっと外からながめ、人びとから距離を 収 階おく、冷淡と言ってもいい好奇心が支配的だった。さまざまな場面で、魂をひっこめ、なんと かたまり 段 か無事やりすごそうとする傍観と受身の気分が支配していたのだ。わたしたちは好奇心の塊だ 第 った。この先いったいどうなるのだろう、どんな結末が待っているのだろう。たとえば、丸裸 で、シャワーを浴びたためにまだずぶ濡れで、晩秋の寒さのなか、戸外に立たされることの結 さら
みじ 目前にある惨めな死に最後の抵抗をこころみるうち、あなたは、いちめん灰色の世界を魂が 突き破るのを感じる。最後の抵抗のうちに、魂がこの惨めで無意味な世界のすべてを超え、究 極の意味を問うあなたの究極の問いかけにたいし、ついにいずこからか、勝ち誇った「しか り ! 」の歓喜の声が近づいてくる。 その瞬間、明けゆくバイエルン地方の朝の陰惨たる灰色一色のただなかに、地平線上にあた かきわ かも舞台の書割りのように浮きあがる、遠い農家の窓に明かりがともる。 〈 et lux in tenebris lucet 〉 くらき 光は暗黒に照る : 、こ。ほら、またしても監視兵 さて、あなたはまたしても何時間も凍てついた大地を掘ってしオ さげす がそばを通り過ぎ、ひと言ふた一一 = 〕、あなたを蔑むようなことを言「た。あなたはまたしても、 所 容愛する妻と語らいはじめる。妻はここにいる、という感覚はいよいよ強まり、あなたは妻をす 階ぐそばに感じる。手を伸ばせば手を握れるような気すらする。感情の大津波があなたを襲う。 二事は、ここに、いるー そのとき、なんだ ? 音もなく一羽の鳥が飛んできて、あなたのすぐ目の前の、あなたが壕 から掘り出した土の山に降りる。島は身動きもせず、あなたに冷ややかな目をこらす。
と同じように、ばろの「おしきせを着」せられた。案山子のほうがよっぱどましだった。収容 所の棟と棟のあいだは一面のぬかるみだ。泥をどかしたり、あるいは「地ならし」をするたび に、わたしたちは泥まみれになった。新入りは、往々にして便所掃除や糞尿の汲み取りを受け 持っ作業グループに配属された。糞尿は、でこぼこの地面を連んでいくとき、しよっちゅう顔 にはね返るが、ぎよっとしたり拭おうとしたりすれば、かならずカボーの一撃が飛んできた。 労働者が「上品ぶる」のが気にさわったのだ。 こうして、正常な感情の動きはどんどん息の根を止められていった。被収容者は点呼整列さ せられ、ほかのグループの懲罰訓練を見せられると、はじめのうちは目を逸らした。サディス ティックに痛めつけられる人間が、棍棒で殴られながら決められた歩調を強いられて何時間も 糞尿のなかを行ったり来たりする仲間が、まだ見るに耐えないのだ。 数日あるいは数週間もたっと、被収容者はもう変わっていた。朝、まだ暗いうちに、作業グ ループとともにゲートの前で行列の出発を待っているとき、彼は叫び声を耳にする。そちらを 見ると、仲間が何度も地べたに殴り倒されていた。立ちあがってはまた殴り倒される。なぜだ。 その男が熱を出したからだ。それがゆうべのことだったので、期限内に ( 診療所で ) 熱を処置 してもらうことも、病気を報告することもできなかったからだ。そして朝になって、所外労働 こんばう
このようにして生じた感清の消滅といらだちに、さらなる要因が加わった。すなわち、ふた んは感情の消滅といらだちを和らげてくれた市民的な麻薬、つまりニコチンとカフェインが皆 無だったのだ。そうなると、感清の消滅にもいらだちにもますます拍車がかカた そしてさらにこうした肉体的な要因からは、被収容者独特の心理状態、ある種の「コンプレ ックス」が生じた。大多数の被収容者は、言うまでもなく、劣等感にさいなまれていた。それ ぞれが、かっては「なにほどかの者」だったし、すくなくともそう信じていた。ところが今こ こでは、文字通りまるで番号でしかないかのように扱われる ( より本質的な領域つまり精神性 に根ざす自意識は、収容所の状況などにはびくともしなかったのは事実だが、どれだけ多くの 人びとが、どれだけ多くの被収容者が、そうした確乎とした自意識をそなえていただろうか ) 。 活 生ごく平均的な被収容者は、そうしたことをさして深く考えることも、それほど意識することも 収なく、なりゆきにまかせてとことん堕落していった。 階堕落は、収容所生活ならではの社会構造から生じる比較によって、まぎれもない現実となる。 ちゅうばう 第わたしの念頭にあるのは、あの少数派の被収容者、カボーや厨房係や倉庫管理人や「収容所警 官」といった特権者たちだ。彼らはみな、幼稚な劣等感を埋めあわせていた。この人びとは、 「大多数の」平の被収容者のようには自分が貶められているとは、けっして受けとめていなか おとし