病気の被収容者の移送団には、ひとりの若い仲間がいた。仲間は、兄弟をもといた収容所に置 ( ていかねばならなかった。リストに入っていなかったからだ。仲間は収容所の上官にくどく どと嘆願し、上官もついに折れて、土壇場でリストからひとりを外し、代わりにこの仲間の兄 ( カオしオカたやすいことだ。仲 弟を入れた。しかし、リストは首尾一貫していなけれまよらよ、。ご。ゝ 間の兄弟が、身代わりに収容所に残ることになった仲間と、被収容者番号も氏名も取り替えれ ばすむ。なぜなら、すでに述べたように、収容所のわたしたちは全員、身元を証明するものを とっくに失っており、とにかく息をしている有機体のほかには、これが自分だと言えるものは なにひとつないこの状况を、だれもがありがたいと思っていたからだ。 っちけ 土気色の皮膚をした骸骨同然の人間の身にそなわっているものと言えば、垂れ下がるボロの たぐいでしかなかったが、それすらが収容所に残る者たちの関心の的だった。靴が、あるいは コートが自分のよりまだましかどうか、移送を待つ「ムスリム」たちは、ぎらぎらとしたまな ざしの吟味にさらされた。「ムスリム」たちの連命は定まったのだ。けれども、収容所に残る、 まだなんとか労働に耐える者たちにとっては、生き延びるチャンスをすこしでも増やすのに役 立つものはなんでも歓迎なのだ。感傷的になっている場合ではなかった : 主体性をもった人間であるという感覚の喪失は、強制収容所の人間は徹頭徹尾、監視兵の気
四日後に夜間シフトの労働中隊に配属されることになったとき、わたしの死はもう決まった ようなものだった。ところが、医長がふらりと静養棟にやってきて、発疹チフス患者が集まっ ている収容所に医師として勤務することを志願しないか、と言ったのだ。友人たちが懸命にと めるのを聞かず、またほかの怠惰な同業者の打算的なふるまいを尻目に、わたしはその場で志 願した。労働中隊に入ればまもなく死ぬことは目に見えていた。どうせ死ぬなら、意味のある 死に方をしたい。 どう考えても、医師としてすこしでも病気の仲間の力になれることは、腕の 悪い土木作業員としてかろうじて生き、あげくくたばるよりも意味がある。これは単純な比較 の問題であって、英雄的な犠牲的行為ではなかった。 その軍医は、発疹チフス患者がいる収容所に勤務することを志願したわたしたちふたりの医 活 師に、移動するまで静養棟にいられるよう、ひそかに手を回してくれた。たしかに、わたした 生 しようすい 容ちはあまりに憔卒していたので、そうでもしなければ医師一一名が使い物にならなくなり、収容 階所に死体が二体増えただけだっただろう。 几又 一一強制収容所の写真を見せられたとき、記億はこうしたすべてのことを、まるで魔法のように、 わたしの心の目にありありと描いて見せた。わたしがすべてを語ると、相手は、わたしがその 写真をちっともひどいとは思わないことや、そこに写っている人びとがこれつばっちも不幸だ
ろう。このことは度外視するわけにはいかない。そこで、いわゆるプライヴェートなことには できるだけふれないことが、しかし他方、必要な場合には個人的な経験を記述する勇気をふる いおこすことが重要になってくる。なぜなら、このような心理学的探求のほんとうの危険は、 それが個人的な調子をおびることではなく、かたよった色合いをおびることにあるからだ。そ こで、わたしがここに書いたことを今一度、こんどは没個人的なものにまで蒸留し、ここにわ やす たしが差し出す経験の主観的な抄録を客観的な理論へと結晶させることは、安んじてほかの人 びとの手にゆだねようと思う。 る ここで展開する心理学的論考は、すでに数十年前から知られている拘禁にかんする心理学や す 体精神病理学に寄与するものである。周知のように、そうした研究はすでに第一次世界大戦のこ を 所ろから成果をあげてきた。まず発見されたのは、捕虜収容所で観察された病的心理反応、「鉄 収 条網病」という病像だ。第二次世界大戦時には、 ( ル・ボンの著作のタイトルとして有名にな 強 った言葉を応用すれば ) 「群集精神病理学」がさらに充実した。第二次世界大戦が「神経戦」 者 学 理の様相を呈し、また強制収容所経験の記録が知られるようになったからだ。 ここでわたしは、はじめこの本を実名ではなく、被収容者番号で公表するつもりだったこと に留意をうながしておきたい。経験者たちの露出趣味に抵抗感を覚えたからだ。しかし、匿名
著者略歴 (Viktor EmiI Frankl, 1905 ー 1997 ) 1905 年 , ウィーンに生まれる . ウィーン大学卒業 . 在学中 フロイトに師事し , 精神医学を学ぶ . 第二次 よりアドラー 世界大戦中 , ナチスにより強制収容所に送られた体験を , 戦 後まもなく『夜と霧』に記す . 1955 年からウィーン大学教 授 . 人間が存在することの意味への意志を重視し , 心理療法 に活かすという , 実存分析やロゴテラヒ。ーと称される独自の 理論を展開する . 1997 年 9 月歿 . 著書『夜と霧』「死と愛』 『時代精神の病理学』『精神医学的人間像』『識られざる神』 『神経症』 ( 以上 , 邦訳 , みすず書房 ) 『それでも人生にイエ スと言う』『宿命を超えて , 自己を超えて』『フランクル回想 録』『く生きる意味〉を求めて』『制約されざる人間』『意味へ の意志 J ( 以上 , 邦訳 , 春秋社 ). 訳者略歴 池田香代子くいけだ・かよこ〉 1948 年東京生まれ . ドイ ッ文学翻訳家 . 主な著書に「哲学のしずく』 ( 河出書房新 社 , 1996 ) 『魔女が語るグリム童話』 ( 正は宝島社 , 1999 , 続は洋泉社 , 1998 ) 『世界かもし 100 人の村だったら』 ( マ ガジンハウス , 200D 「花ものがたり」 ( 毎日新聞社 , 2002 ) など . 主な翻訳にゴルデル『ソフィーの世界」 (NHK 出 版 , 1996 ) , 「完訳クラシックグリム童話』 ( 全 5 巻 , 講 談社 , 2000 ) などがある . 『猫たちの森』 ( 早川書房 , 1996 ) で第 1 回日独翻訳賞受賞い 998 ).