ユダヤ人 - みる会図書館


検索対象: 夜と霧
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1. 夜と霧

ない。旧版には、「ユダヤ」という一一一一口葉が一度も使われていないのだ。「ユダヤ人」も「ユダヤ教」 も、ただの一度も出てこない。かって何度か読んだときには、このような重大なことにまったく気 づかなかった。 まずなにより、フランクルはこの記録に普遍性を持たせたかったから、そうしたのだろう。一民 族の悲劇ではなく、人類そのものの悲劇として、自己の体験を提示したかったのだろう。さらにフ ランクルは、ナチの強制収容所にはユダヤ人だけでなく、ジプシー ( ロマ ) 、同性愛者、社会主義 者といったさまざまな人びとが入れられていた、ということを踏まえていたのではないだろうか。 このことに気づいたときは、思わず姿勢を正したくなるような厳粛な衝撃を受けた。 ところが新版では、新たに付け加えられたエピソードのひとつに、「ユダヤ人」という表現が二 度出てくる ( 一四三ページ ) 。ついにアメリカ軍と赤十字がやってきて収容所を管理下においたとき、 ユダヤ人グループが収容所長の処遇をめぐってアメリカ軍司令官と交渉した、という逸話である。 彼らユダヤ人は、この温清的な所長をかばったのだ。 と あ ここに敢えて「ユダヤ人被収容者たち」と名指ししたのはなぜか。それまでの書き方を踏襲する 者 訳なら、ただの「被収容者たち」になったはずだ。ここからは、改訂版を出すことにした著者の動機 に直結する事情が伺えるのではないだろうか。つまり、改訂版が出た一九七七年は、イスラエルが 諸外国からのユダヤ人移住をこれまでに増して奨励しはじめた年だ。それは、一九七三年十月の第

2. 夜と霧

夜 と 霧新版 V . E . フランクル 池田香代子訳 語り伝えよ、子どもたちに ホロコーストを知る 生きつづける ホロコーストの記憶を問う ャン・コット私の物語 プルッフフェルド / レヴィーン / 中村綾乃 R . クリューガー 鈴木 関口 仁子訳 正訳 時 ルナ ピサのユダヤ人虐殺 ス S . アリエティ 森泉弘次訳 カツエネルソン 飛鳥井・細見訳 滅ばされたユダヤの民の歌 ヒトラーとスターリン上 死の抱擁の瞬間 ヒトラーとスターリン下 死の抱擁の瞬間 リード / フィ 根岸 リード / フィ 根岸 ッシャー 隆夫訳 ッシャー 隆夫訳 00 2700 3500 円 00 2600 3800 3800 ( 消費税別 ) みすず書房

3. 夜と霧

四番めに挙げられるのは、収容所の監視者のなかにも役割から逸脱する者はいた、というこ とだ。ここでは、わたしが最後に送られ、そこから解放された収容所の所長のことにだけふれ ておこう。彼は親衛隊員だった。当時は収容所の医師 ( やはり被収容者だった ) しか知らず、 解放後に明らかになったことだが、この所長はこっそりポケットマネーからかなりの額を出し て、被収容者のために近くの町の薬局から薬品を買って来させていた。 たん これには後日譚がある。解放後、ユダヤ人被収容者たちはこの親衛隊員をアメリカ軍からか ばい、その指揮官に、この男の髪の毛一本たりともふれないという条件のもとでしか引き渡さ 、と申し入れたのだ。アメリカ軍指揮官は公式に宣誓し、ユダヤ人被収容者は元収容所長 を引き渡した。指揮官はこの親衛隊員をあらためて収容所長に任命し、親衛隊員はわたしたち 活 の食糧を調達し、近在の村の人びとから衣類を集めてくれた。 いつばう、この同じ収容所の被収容者の班長は、収容所の親衛隊員からなる監視者のだれよ 収 階りもきびしかった。この班長は、時と所を問わず、また手段も選ばずに、手当たり次第に被収 第容者を殴った。他方、たとえば先の所長は、わたしの知るかぎりではただの一度も「彼の」被 収容者に手を上げたことはなかった。 このことから見て取れるのは、収容所監視者だということ、あるいは逆に被収容者だという

4. 夜と霧

169 訳者あとがき ちろんだが、それがユダヤ人の集団的行為だった、と強調したかったのではないか。 受難の民は度を越して攻撃的になることがあるという。それを地でいくのが、一一十一世紀初頭の イスラエルであるような気がしてならない。 フランクルの世代が断ち切ろうとして果たせなかった 悪の連鎖に終わりをもたらす叡知が、今、私たちに求められている。そこに、この地球の生命の存 続は懸かっている。 このたびも、日本語タイトルは先行訳に敬意を表して『夜と霧』を踏襲した。これは、夜陰に乗 じ、霧にまぎれて人びとがいずこともなく連れ去られ、消え去った歴史的事実を表現する言い回し 相変わらず だ。しかし、フランクルの思いとはうらはらに、夜と霧はいまだ過去のものではない。 情報操作という「アメリカの夜」 ( 人工的な夜を指す映画用語 ) が私たちの目をくらませようとしてい る今、私たちは目覚めていた ( 夜と霧が私たちの身辺にたちこめることは拒否できるのだという ことを、忘れないでいたい。その一助となることを心から願い、先人への尊敬をこめて、本書を世 に送る。 一一〇〇一一年九月三十日 池田香代子

5. 夜と霧

ー 68 四次中東戦争でアラブ側がはじめて勝利したことを受けて、国力増強のためにとられた政策だった。 そう、一九四八年の「イスラエル建国」と同時に勃発した第一次中東戦争から三十年足らずの間 この地は四度も戦火に見舞われたのだ。戦争とカウントされなくても、流血の応酬はひきもき らず、難民はおびただしく流出しつづけた。パレスティナは、世界でもっとも人間の血を吸いこん 」 , 工地になっこ。 かた そのような同時代史がフランクルの目にどのように映ったかは、この本の読者なら想像に難くな さらにあいにくなことに、十七カ国語に訳された『夜と霧』は、アンネ・フランクの『日記』 とならんで、作者たちの思いとは別にひとり歩きし、世界の人びとにたいしてイスラエル建国神話 をイデオロギーないし心清の面から支えていた、という事清を、フランクルは複雑な思いで見てい たのではないだろうか。 だからこの時期、『夜と霧』の作者は、立場を異にする他者同士が許しあい、尊厳を認めあうこ との重要性を訴えるために、この逸話を新たに挿入し、憎悪や復讐に走らず、他者を公正にもてな した「ユダヤ人被収容者たち」を登場させたかったのだ、と私は見る。ちなみに、この逸話が語っ ている収容所には、解放時わずかな被収容者しか残っておらず、フランクルは医師として、対立が ますます深刻化しようとしていた彼らを束ねる立場にあった。したがって、所長擁護はフランクル 自身が主導したと見て間違いない。その主体を「たち」と複数で語っているのは、作者の謙譲はも

6. 夜と霧

明るくわたしを照らした。 そのとき、ある思いがわたしを貫いた。何人もの思想家がその生涯の果てにたどり着いた真 実、何人もの詩人がうたいあげた真実が、生まれてはじめて骨身にしみたのだ。愛は人が人と して到達できる究極にして最高のものだ、という真実。今わたしは、人間が詩や思想や信仰を えとく つうじて表明すべきこととしてきた、究極にして最高のことの意味を会得した。愛により、愛 のなかへと救われること ! 人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛 する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わ たしは理解したのだ。 収容所に入れられ、なにかをして自己実現する道を断たれるという、思いつくかぎりでもっ とも悲参な状况、できるのはただこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、 所 容人は内に秘めた愛する人のまなざしゃ愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たさ 階れることができるのだ。わたしは生まれてはじめて、たちどころに理解した。天使は永久の栄 段 二光をかぎりない愛のまなざしにとらえているがゆえに至福である、という一一一一〕葉の意味を : 目の前の仲間が倒れ、あとに続く者たちもつられて転んだ。監視兵がさっそくとんできて殴 りかかった。数秒間、わたしの想像の生活は中断された。だが、魂は瞬時に立ち直り、ふたた とわ

7. 夜と霧

か。見ていると、仲間がひとりまたひとりと、まだあたたかい死体にわらわらと近づいた。ひ とりは、昼食の残りの泥だらけのじゃがいもをせしめた。もうひとりは、死体の木靴が自分の よりましなことをたしかめて、交換した。三人めは、同じように死者と上着を取り替えた。四 人めは、 ( 本物の ! ) 紐を手に入れて喜んだ。 わたしはなにもせずにただ見ていた。そしてやっとのことで起きあがり、「看護人」に死体 を、文字どおりの掘っ立て小屋から出してくれるよう、頼んだ。看護人はしばらくしてようや くやる気を起こすと、死体の足をつかみ、右にも左にも五十人の高熱を発している人びとが横 たわっている板敷きのあいだの狭い通路に転げ落とし、でこぼこの土の床を棟の入り口まで引 きずっていった。外に出るには階段を一一段、上がるのだが、これがわたしたち漫性的飢餓状態 にあり衰弱しきっている者にとっては大問題だった。何カ月も収容所で過ごした今、わたした ちはみな、両手で柱にすがって体を引きあげないと、足の力だけでは自分の体重を二十センチ だけ二回持ちあげることなど、とっくにできなくなっていた。 看護人が死体を引きずってやってきた。まずは自分がやっとの思いで段を登り、それから死 者を外へと引きずりあげた。足のほうから、ついで胴体、最後にごんごんと不気味な音をたて て頭部が、一一段の階段を越えていった。 ひも

8. 夜と霧

: 1 0 ものでもないのか、と。そしてとりわけ、人間の精神が収容所という特異な社会環境に反応す るとき、ほんとうにこの強いられたあり方の影響をまぬがれることはできないのか、このよう な影響には屈するしかないのか、収容所を支配していた生存「状況では、ほかにどうしようも なかったのか」と。 こうした疑問にたいしては、経験をふまえ、また理論にてらして答える用意がある。経験か らすると、収容所生活そのものが、人間には「ほかのありようがあった」ことを示している。 その例ならいくらでもある。感情の消滅を克服し、あるいは感情の暴走を抑えていた人や、最 後に残された精神の自由、つまり周囲はどうあれ「わたし」を見失わなかった英雄的な人の例 はばつばっと見受けられた。一見どうにもならない極限状態でも、やはりそういったことはあ ったのだ。 強制収容所にいたことのある者なら、点呼場や居住棟のあいだで、通りすがりに思いやりの いくらでも語れるのではない ある一一一一口葉をかけ、よけなしの。ハンを譲っていた人びとについて、 だろうか。そんな人は、たとえほんのひと握りだったにせよ、人は強制収容所に人間をぶちこ んですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかとい う、人間としての最後の自由だけは奪えない、実際にそのような例はあったということを証明

9. 夜と霧

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10. 夜と霧

体力が低下していたのだ。そしてふたたび、い「ときひとりになれるあの場所にもどり、下水 溝の木蓋に腰をおろすのだった。 ちなみに、この下水溝は三人の仲間の命を救ったことがある。解放の直前、 ( たぶんダッ ウへの ) 大規模な移送団が編成されたのだが、そこから三人の仲間か脱走する計画をたてた。 三人はこの下水溝にもぐりこみ、収容所じゅうをくまなく捜しまわる監視兵から身を隠した。 その大騒ぎのあいだ、わたしは竪穴の蓋にことのほか平静をよそおって腰かけ、鵜の目鷹の目 で捜しまわる監視兵のことは、つとめて無視を決めこんだ。 はじめ監視兵たちは、ここがあやしいとにらみ、蓋をあげてみようと思ったらしいが、思い 直して通りすぎてい「た。わたしが、嘘などっいていません、と言いたげなまなざしをして、 他意のないしぐさでそこにおさまり、ごく自然に小石を鉄条網に投げるという、一世一代の演 技をやってみせたからだ。 ひとりの監視兵は、一瞬立ち止まったものの、すぐに疑いを晴らして、警戒を解いた視線を わたしから逸らし、先を急いだ。わたしはただちに穴の中の三人に、最大の危機は去ったと教 えてやることができた。