的な勝利をかちえたか、ということに。 教育者スピノザ したがって、収容所生活が被収容者にもたらす精神病理学的症状に心理療法や精神衛生の立 場から対処するには、強制収容所にいる人間に、そこが強制収容所であってもなお、なんとか 未来に、未来の目的にふたたび目を向けさせることに意を用い、精神的に励ますことが有力な 手立てとなる。被収容者の中には、本能的にそうした者たちもいた。その人たちは、おおむね よりどころとなるものをもっていた。そこにはたいてい、未来のなにがしかかかかわっていた 活 スプ・スペシェ・アエテルニタティス 生人は未来を見すえてはじめて、いうなれば永遠の相のもとにのみ存在しうる。これは人間な らではのことだ。したがって、存在が困難を極める現在にあって、人は何度となく未来を見す 階えることに逃げこんだ。これが トリックというかたちをとることも多かった。 第わが身にてらせば、こんなことがあった。ぼろ靴につつこんだ傷だらけの足の痛みに泣かん ばかりになりながら、わたしは極寒のなか、氷のような向かい風をついて、長い行列を作って 収容所から作業現場までの数キロの道のりをよろめき歩いていた。わたしの心はこの惨めな収
苦渋に満ちた現在について語ったが、それだけでなく、過去についても語った。過去の喜びと、 わたしたちの暗い日々を今なお照らしてくれる過去からの光について語った。わたしは詩人の 言葉を引用した。 「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」 わたしたちが過去の充実した生活のなか、豊かな経験のなかで実現し、心の宝物としている ことは、なにもだれも奪えないのだ。そして、わたしたちが経験したことだけでなく、わたし たちがなしたことも、わたしたちが苦しんだことも、すべてはいつでも現実のなかへと救いあ げられている。それらもいっかは過去のものになるのだが、まさに過去のなかで、永遠に保存 されるのだ。なぜなら、過去であることも、一種のあることであり、おそらくはもっとも確実 なあることなのだ。 そしてわたしは最後に、生きることを意味で満たすさまざまな可能性について語った。わた しは仲間たちに語った。横たわる仲間たちはひっそりと静まり返り、ほとんどびくりとも動か よかった。せいぜい、時折かすかにそれとわかるため息が聞こえるだけだった。人間が生きる ことには、つねに、どんな状況でも、意味がある、この存在することの無限の意味は苦しむこ とと死ぬことを、苦と死をもふくむのだ、とわたしは語った。そしてこの真っ暗な居住棟でわ
せ、現在のありようの悲惨な「どのように」に、つまり収容所生活のおぞましさに精神的に耐 え、抵抗できるようにしてやらねばならない。 ひるがえって、生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていてもなにもならないと 考え、自分が存在することの意味をなくすとともに、がんばり抜く意味も見失った人は痛まし いかぎりだった。そのような人びとはよりどころを一切失って、あっというまに崩れていった。 あらゆる励ましを拒み、慰めを拒絶するとき、彼らがロにするのはきまってこんな一一 = ロ葉だ。 「生きていることにもうなんにも期待がもてない」 こんな一一一一口葉にたいして、、つこ、。 しオしとう応えたらいいのだろう。 活 生 生きる意味を問う 所 収 階 ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたち 第が生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちから なにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならな 哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もう、 ( いかげん、生きること
と感じていないとわたしにはよくわかるということを、理解してくれた。 すでに述べたように、価値はがらがらと音をたてて崩れた。つまり、わずかな例外を除いて、 自分自身や気持ちの上でつながっている者が生きしのぐために直接関係のないことは、すべて 犠牲に供されたのだ。この没価値化は、人間そのものも、また自分の人格も容赦しなかった。 人格までもが、すべての価値を漢疑の奈落にたたきこむ精神の大渦巻きに引きずりこまれるの 。人間の命や人格の尊厳などどこ吹く風という周囲の雰囲気、人間を意志などもたない、絶 滅政策のたんなる対象と見なし、この最終目的に先立って肉体的労働力をとことん利用しつく す搾取政策を適用してくる周囲の雰囲気、こうした雰囲気のなかでは、ついにはみずからの自 我までが無価値なものに思えてくるのだ。 強制収容所の人間は、みずから抵抗して自尊心をふるいたたせないかぎり、自分はまだ主体 性をもった存在なのだということを忘れてしまう。内面の自由と独自の価値をそなえた精神的 な存在であるという自覚などは論外だ。人は自分を群集のごく一部としか受けとめず、「わた し」という存在は群れの存在のレベルにまで落ちこむ。きちんと考えることも、なにかを欲す ることもなく、人びとはまるで羊の群れのようにあっちへやられ、こっちへやられ、集められ たり散らされたりするのだ。右にも左にも、前にも後ろにも、なりは小さいが武装した、交猾
ふたつの種族しかいない、まともな人間とまともではない人間と、ということを。このふたっ の「種族」はどこにでもいる。どんな集団にも入りこみ、紛れこんでいる。まともな人間だけ 。したがって、どんな集団も「純血」ではな の集団も、まともではない人間だけの集団もない い。監視者のなかにも、まともな人間はいたのだから。 こ 強制収容所の生活が人間の心の奥深いところにばっかりと深淵を開いたことは疑いな、 の深みにも人間らしさを見ることができたのは、驚くべきことだろうか。この人間らしさとは、 あるがままの、善と悪の合金とも言うべきそれだ。あらゆる人間には、善と悪をわかっ亀裂が 走っており、それはこの心の奥底にまでたっし、強制収容所があばいたこの深淵の底にもたっ していることが、はっきりと見て取れるのだ。 生わたしたちは、おそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、 この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに决定する存在だ。人間とは、ガ きせん 階ス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする 第存在でもあるのだ。
1 3 4 「生きていることにもうなんにも期待がもてない」と、前に挙げた典型的ないい方をし たのだ。しかしこのふたりには、生きることは彼らからなにかを期待している、生きていれば、 未来に彼らを待っているなにかがある、ということを伝えることに成功した。事実ひとりには、 外国で父親の帰りを待つ、目に入れても痛くないほど愛している子供がいた。もうひとりを待 っていたのは、人ではなく仕事だった。彼は研究者で、あるテーマの本を数巻上梓していたが まだ完結していなかった。この仕事が彼を待ちわびていたのだ。彼はこの仕事にとって余人に 代えがたい存在だった。先のひとりが子供の愛にとってかけがえがないのと同じように、彼も またかけがえがなかった。ひとりひとりの人間を特徴づけ、ひとつひとつの存在に意味をあた える一回性と唯一性は、仕事や創造だけでなく、他の人やその愛にも一言えるのだ。 このひとりひとりの人間にそなわっているかけがえのなさは、意識されたとたん、人間が生 きるということ、生きつづけるということにたいして担っている責任の重さを、そっくりと、 まざまざと気づかせる。自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、 生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとん どあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。
時機にかなった言葉 収容所で集団を対象に精神的ケアをほどこす可能性はきわめて限られていた。これには一 = ロ葉 よりも効果のあるものがあった。模範だ。たとえば居住棟の班長の中に公正な人物がいたか きせん その毅然とした、見ているだけでも勇気づけられる存在は、ことあるごとに彼の統率下の被収 容者に深く広く影響をおよぼしていた。存在、それも模範的存在の直接の影響は、言葉よりも 大きいものだ。だが、なんらかの外的根拠を挙げて内的な共感をよびさますときには、言葉も 有効だった。わたしは集団に話をし、外的状况を伝えて一居住棟のすべての被収容者に心の準 活 生備をさせ、精神的なケアに役立てたことがある。 収あれは最悪の日だった。今しがたの点呼で、古い毛布を帯状に切り取ることも ( 即席にゲー 階トルを作るのによく使った手口だ ) 、ほんのささいな「窃盗」も、今後すべてサポタージュと 第見なし、即刻、絞首刑をもって罰せられる、という布告がなされた。さて数日前、飢えかけた 被収容者がじゃがいも倉庫に忍びこみ、数キロのじゃがいもを盗むという事件が起こった。侵 入は露見し、被収容者たちは、「侵入者」がだれか、知っていた。収容所当局は、このことを
( した。凍てついた地面につるはしの ほどなく、わたしたちは壕の中にいた。きのうもそここ、 先から火花が散った。頭はまだぼうっとしており、仲間は押し黙ったままだ。わたしの魂はま おもかげ だ愛する妻の面影にすがっていた。まだ妻との語らいを続けていた。まだ妻はわたしと語らい つづけて、 ( た。そのとき、あることに思い至った。妻がまだ生きているかどうか、まったくわ か「りないではないカ 愛する妻 そしてわたしは知り、学んだのだ。愛は生身の人間の存在とはほとんど関係なく、 の精神的な存在、つまり ( 哲学者のいう ) 「本質」に深くかかわっている、ということを。愛 び被収容者であるここからあらぬかたへと逃れて、また愛する妻との会話を再開した。わたし か問いかけると、妻は答えた。妻が問えば、わたしが答えた。 「止まれ ! 」 工事現場に着いオ 「全員、道具を持て ! つるはしとシャベルだ みんなは、使いやすいシャベルやしつかりしたつるはしを手に入れようと、まっ暗な小屋に 殺到した。 「早くしろ、この豚犬野郎 ! 」 なまみ ゾーザイン
わたしたちは整列した。もう、だれがだれだかわからない。だが人びとは、歓喜ととほうもな い幸運を噛みしめ、たしかめた。シャワーノズルからはほんとうに水がふりそそいだのだ : 人に残されたものーー裸の存在 シャワーを待っているあいだにも、わたしたちは自分が身ぐるみ剥がれたことを思い知った 今や ( 毛髪もない ) この裸の体以外、まさになにひとっ持っていない。 文字どおり裸の存在以 外のなにものも所有していないのだ。これまでの人生との目に見える絆など、まだ残っている だろうか。たとえばわたしには、眼鏡とベルトが残っていた。もちろん、遠からずひとかけら の。ハンと交換しなければならなくなったが。 きも 容脱腸帯をしていた者は、その夜のうちにさらに胆を冷やすことになった。わたしたちの居住 階棟の班長が歓迎のあいさつをしたのだが、そのなかで、「はっきり言っておく」が、脱腸帯に 段 一「ドルや貴金属」を縫いこんでいるやつは自分がこの手で「あの梁に」 ( と、上をさししめし た ) ぶら下げてやる、と請けあったのだ。その男はえらそうに言ったものだ。自分はここの班 おきて 長であり、収容所の掟にてらしてそうする権利があるのだ、と。
どこに求められるのだろう、というのが、つぎの問いた 元被収容者についての報告や体験記はどれも、被収容者の心にもっとも重くのしかかってい たのは、どれほど長く強制収容所に入っていなければならないのかまるでわからないことだっ た、としている。被収容者は解放までの期限をまったく知らなかった。もしも解放までの期限 などということが問題にされたとしたらだが ( たとえばわたしがいた収容所では話題にのばっ たことがなかった ) 、それは未定で、実際、無期限であっただけでなく、どこまでも無制限に 引き延ばされるたぐいのものだった。ある著名な心理学者がなにかの折りにこのことにふれて、 強制収容所におけるありようを「暫定的存在ーと呼んだが、この定義を補いたいと思う。つま り、強制収容所における被収容者は「無期限の暫定的存在」と定義される、と。 新たに送りこまれた人びとは、収容所についたとき、そこを支配している状況をなにひとっ 理解していなかった。そこから出てきた者たちは沈黙せざるをえなかったし、ある収容所に、 たっては、まだだれももどってきた者はいなかった : 収容所に一歩足を踏み入れると、心 内風景は一変する。不確定性が終わり、終わりが不確定になる。こんなありように終わりはあ るのか、あるとしたらそれはいっか、見極めがっかなくなるのだ。 ラテン語の「フィニス (finis) 」には、よく知られているように、 ふたつの意味がある。終