察され、描写される : : : このトリックのおかげで、わたしはこの状況に、現在とその苦しみに どこか超然としていられ、それらをまるでもう過去のもののように見なすことができ、わたし をわたしの苦しみともども、わたし自身がおこなう興味深い心理学研究の対象とすることがで きたのだ。 スピノザは『エチカ』のなかでこう言っていなかっただろうか。 「苦悩という情動は、それについて明晰判明に表象したとたん、苦悩であることをやめる」 ( 『エチカ』第五部「知性の能力あるいは人間の自由について」定理三 ) しかし未来を、自分の未来をもはや信じることができなかった者は、収容所内で破綻した。 そういう人は未来とともに精神的なよりどころを失い、精神的に自分を見捨て、身体的にも精 活 生神的にも破綻していったのだ。通常、こうしたことはなんの前触れもなく「発症」した。その 容 収あらわれ方を、わりと古株の被収容者はよく知っていた。わたしたちはみな、発症の最初の徴 階候を恐れた。それも、自分自身よりも、仲間にあらわれるのを恐れた。なぜなら、もしも自分 第にそれがあらわれたら、もう恐れる理由もなくなるからだ。 ふつう、それはこのように始まった。ある日、居住棟で、被収容者が横たわったまま動こう としなくなる。着替えることも、洗面に行くことも、点呼場に出ることもしない ど , っ働きか
ろう。このことは度外視するわけにはいかない。そこで、いわゆるプライヴェートなことには できるだけふれないことが、しかし他方、必要な場合には個人的な経験を記述する勇気をふる いおこすことが重要になってくる。なぜなら、このような心理学的探求のほんとうの危険は、 それが個人的な調子をおびることではなく、かたよった色合いをおびることにあるからだ。そ こで、わたしがここに書いたことを今一度、こんどは没個人的なものにまで蒸留し、ここにわ やす たしが差し出す経験の主観的な抄録を客観的な理論へと結晶させることは、安んじてほかの人 びとの手にゆだねようと思う。 る ここで展開する心理学的論考は、すでに数十年前から知られている拘禁にかんする心理学や す 体精神病理学に寄与するものである。周知のように、そうした研究はすでに第一次世界大戦のこ を 所ろから成果をあげてきた。まず発見されたのは、捕虜収容所で観察された病的心理反応、「鉄 収 条網病」という病像だ。第二次世界大戦時には、 ( ル・ボンの著作のタイトルとして有名にな 強 った言葉を応用すれば ) 「群集精神病理学」がさらに充実した。第二次世界大戦が「神経戦」 者 学 理の様相を呈し、また強制収容所経験の記録が知られるようになったからだ。 ここでわたしは、はじめこの本を実名ではなく、被収容者番号で公表するつもりだったこと に留意をうながしておきたい。経験者たちの露出趣味に抵抗感を覚えたからだ。しかし、匿名
しなかったからだ。だが、それでも効かないこともしゆっちゅうだった。するとわたしは、手 を上げないよう、全身の力をふりしぼるのだった。なぜなら、わたしのいらだちは、ほかの者 の感情の消滅にぶつかり、またそれにより今にも回ってくる点検の際にひきおこされる危険が 目の前にちらついて、際限なく高まっていたからだ。 精神の自由 長らく収容所に入れられている人間の典型的な特徴を心理学の観点から記述し、精神病理学 の立場で解明しようとするこの試みは、人間の魂は結局、環境によっていやおうなく規定され 活 生る、たとえば強制収容所の心理学なら、収容所生活が特異な社会環境として人間の行動を強制 収的な型にはめる、との印象をあたえるかもしれない。 階しかし、これには異議がありうる。反問もありうる。では、人間の自由はどこにあるのだ、 第あたえられた環境条件にたいしてどうふるまうかという、精神の自由はないのか、と。人間は、 生物学的、心理学的、社会学的と、なんであれさまざまな制約や条件の産物でしかないという のはほんとうか、すなわち、人間は体質や性質や社会的状況がおりなす偶然の産物以外のなに
いよいよ強制収容所の心理学の最後の部分に向き合うことにしよう。収容所を解放された被 て れ収容者の心理だ。 解解放の経験を記述しようとすれば、おのずと非個人的なものにはなりえない。すでに述べた アっ か極度の緊張の数日を過ごしたのち、ある朝、収容所のゲートに白旗がひるがえったあの時点か ら語り起こしたいと思う。この精神的な緊張のあとを襲「たのは、完全な精神の弛緩だ「た。 階わたしたちが大喜びしただろうと考えるのは間違いだ。では当時、実情はいったいどうだった 第のだろう。 疲れた足を引きずるように、仲間たちは収容所のゲートに近づいた。もう立っていることも できないほどだったのだ。仲間たちはおどおどとあたりを見回し、もの問いたげなまなざしを 第三段階収容所から解放されて
心理学者、強制収容所を体験する 知られざる強制収容所 / 上からの選抜と下からの選抜 / 被収容者 一一九一〇四の報告ーー心理学的試み 第一段階収容 : アウシュヴィッツ駅 / 最初の選別 / 消毒 / 人に残されたものーー裸 の存在 / 最初の反応 / 「鉄条網に走る」 ? 第二段階収容所生活 : 感動の消滅 / 苦痛 / 愚弄という伴奏 / 被収容者の夢 / 飢え / 性的な ことがら / 非情ということ / 政治と宗教 / 降霊術 / 内面への逃避 / もはやなにも残されていなくても / 壕のなかの瞑想 / 灰色の朝のモ
わたしは当惑した。彼女の一 = ロ葉をどう解釈したらいいのか、わからなかった。譫妄状態で、 ときどき幻覚におちいるのだろうか。それでわたしは、木もなにかいうんですか、とたずねた。 そうだという。ではなんと ? それにたいして、彼女はこう答えたのだ。 しるよ、わたしは命、 「木はこういうんです。わたしはここにいるよ、わたしは、ここに、、 永遠の命だって : : : 」 暫定的存在を分析する 活 強制収容所の人間の内面生活がいびつに歪むのは、つきつめればさまざまな心理的身体的な 収ことが要因となってそうなるのではなく、最終的には個々人の自由な決断いかんにかかってい 階た、と述べたが、これはもっとくわしく説明すべきだろう。 几又 第被収容者を心理学の立場から観察してまず明らかになるのは、あらかじめ精神的にまた人間 せいしやく ( く、とい , っ古尹 的に脆弱な者が、その性格を展開していくなかで収容所世界の影響に染まって、 実だった。脆弱な人間とは、内的なよりどころをもたない人間だ。では、内的なよりどころは 「あの木とよくおしゃべりをするんです」 せんもう
「鉄条網に走る」 ? だが、わたしたちの心理学的研究はまだ序のロだ。当時わたしたちは、自分たちの状況にま だそれほど深くはいりこんでいなかった。わたしたちは心理的反応の第一段階にとどまってい た。出口なしの状況、死の危険に日々、時々刻々つけねらわれていること、まわりで人がばた ばた死んでいくこと。こうしたことがほとんどすべての人に、たとえほんのいっときなりと自 わたし自身は、アウシュヴィッツでの第一夜、眠りに 殺を思わせたとしても不思議ではない。 つく前に、「鉄条網に走る」ことはけっしてすまい、と誓った。この決意はある世界観をふま えた基本姿勢から発するのだが、この世界観については稿を改めてくわしく語りたい。 「鉄条網に走るーという収容所特有の言い回しは、収容所ならではの自殺方法を言い表して いる。つまり、高圧電流が流れている鉄条網にふれるということだ。鉄条網に走らない、と否 定形で決意することは、アウシュヴィッツではそれほどむつかしいことではなかった。自殺を 試みるということは、結局のところあまり現実的ではなかった。ごくふつうの被収容者は、確 率論や数字であらわされる「平均余命」に望みをつなぎ、これから被収容者たちを待ちうけて
したことがこんにちの科学で説き明かされることにあり、第二のグループにとっては、それが 理解可能なものになる、ということだ。つまり部外者にも、他者である被収容者の経験を理解 できるようにし、ひいてはほんの数パーセントの生き延びた元被収容者と、彼らの特異で、心 理学的に見てまったく新しい人生観への理解を助けることが、ここでの眼目なのだ。なぜなら、 これはなかなか理解されないからだ。当事者たちがよくこう一言うのを耳にする。 「経験など語りたくない。収容所にいた人には説明するまでもないし、収容万こ、 , ( したことの ない人には、わかってもらえるように話すなど、とうてい無理だからだ。わたしたちがどんな 気持ちでいたのかも、今どんな気持ちでいるのかも」 このような心理学的な試みには、言うまでもなく方法論的な困難がっきまとう。心理学は、 学問的な距離をとれ、と要請する。しかし、収容所生活を体験した者に、体験のさなか、彼自 いとま 身を観察する暇などあっただろうか。もとより、部外者は距離をとってしオオた 、こ。こ、こー」、ル」り ) 、す一 ぎていた。経験の激流から遠く離れていた部外者は、妥当なことを言える立場にはない 「まっただなか」にいた者は、完全に客観的な判断をくだすには、たぶん距離がなさすぎる だろう。しかしそうだとしても、この経験を身をもって知っているのは彼だけなのだ。もちろ ん、みずから経験した者の物差しはゆがんでいるかもしれない。、 しや、まさにゆがんでいるだ
わり、そして目的だ。 ( 暫定的な ) ありようがいっ終わるか見通しのつかない人間は、目的を もって生きることができない。ふつうのありようの人間のように、未来を見すえて存在するこ とができないのだ。そのため、内面生活はその構造からがらりと様変わりしてしまう。精神の 別の人生の諸相においてもすでにおなじみで、似たような心 崩壊現象が始まるのだ。これは、」 理的状況は、たとえば失業などでも起こりうる。失業者の場合もありようが暫定的になり、あ る意味、未来や未来の目的を見すえて生きることができなくなるからだ。かって、失業した鉱 山労働者を心理学の立場から集団検診した結果、このゆがんだありようが時間感覚におよぼす 影響をさらにくわしく調査しなければ、ということになったことがある。心理学では、この時 間感覚を、「内的時間」あるいは「経験的時間」と呼ぶ。 生収容所の話に戻ろう。そこでは、たとえば一日のようなわりと小さな時間単位が、まさに 収限に続くかと思われる。しかも一日は、権力をかさにきたいやがらせにびっしりと埋めつくさ 階れているのだ。ところがもう少し大きな時間単位、たとえば週となると、判で捺したような 第日々の連続なのに、薄気味悪いほどすみやかに過ぎ去るように感じられた。わたしが、収容所 の一日は一週間より長い、というと、収容所仲間は一様にうなずいてくれたものだ。ことほど さように、収容所での不気味な時間感覚は矛盾に満ちたものだった。
1 20 ここから連想されるのは、トーマス・マンの『魔の山』に記された、心理学的に見ても正鵠 を射た観察だ。この小説は、心理学的に収容所と似通った状况に立たされた人間、すなわち退 院の期日もわからない、「未来を失った」、未来の目的に向けられていない存在として便々と過 ごす結核療養所の患者の精神的な変化を描いたものである。療養所の患者は、まさにここで話 している強制収容所の被収容者そのものだ。 ある被収容者が、かって、新たに到着した被収容者の長い列にまじって駅から強制収容所へ と歩いていたとき、まるで「自分の屍のあとから歩いている」ような気がした、とのちに語っ ほねみ たことがある。この人は、絶対的な未来喪失を骨身に染みて味わったのだ。それは、あたかも 死者が人生を過去のものと見るように、その人の人生のすべてが過去のものになったとの見方 を強いるのだ。 「生きる屍」になったという実感は、さらなるほかの要因によっていっそう強まった。この 拘東は無期限らしいとの感触が徐々に強まると、空間的な制限、すなわち拘禁ということもま たひしひしと感じられてくる。鉄条網の外にあるものは、とたんに近づきえないもの、手の届 ゝないものとなり、ついにはどこか非現実なものとなる。収容所の外の出来事も人間もふつう の生活も、収容所にいる者には、なにもかもがどこか幽霊じみた、非現実なものに思えてくる。 しかばね せいこ′、