感動の消滅 ここまでに描いた反応には、数日で変化がきざした。被収容者はショックの第一段階から、 第一一段階である感動の消滅段階へと移行した。内面がじわじわと死んでい「たのだ。これまで 述べてきた激しい感情的反応のほかにも、新入りの被収容者は収容所での最初の日々、苦悩に 階みちた情動を経験したが、こうした内なる感情をすぐに抹殺しにかか「たのだ。 几又 一一その最たるものが、家に残してきた家族に会いたいという思いだ。それは身も世もなくなる ほど激しく被収容者をさいなんだ。それから嫌悪があ「た。あらゆる醜悪なものにたいする嫌 悪。被収容者をとりまく外見的なものがまず、醜悪な嫌悪の対象だ「た。彼はおおかたの仲間 第一一段階収容所生活
靴は、原則として持っことが許されたが、これとて事情は同じだった。そこそこましな靴を 履いていた者は取りあげられ、代わりにサイズの合わないものを渡された。先ほどの控え室で、 いろいろ見聞きしている古顔の監視兵が親切心からしてくれた忠告にしたがって、カナダ製の 、すば「らし、 しハイク用ロングプーツを切って短くし、さらにこの「サポタージュ」を隠すために 切り口に石けんを塗りつけた人は、笑いごとではすまされなくなった。親衛隊員はまるでそう しうことを予期していたかのように、わたしたちを整列させて、靴の点検をしたのだ。靴を見 せ、切ったと疑われた者は、小さな隣室に来るよう、命じられた。そしてほどなく、ばしっと むち いう鞭の音と痛めつけられる人間の悲鳴がまたしても、しかしこんどはいっ果てるともなく聞 こえてくるのだった。 最初の反応 こんなふうに、わたしたちがまだもっていた幻想は、ひとつまたひとっと潰えていった。そ うなると、思いもよらない感情がこみあげた。やけくそのユーモアだ ! わたしたちはもう、 みつともない裸の体のほかには失うものはなにもないことを知っていた。早くもシャワーの水
ー 04 らだち ここまで、収容所で被収容者を打ちひしぎ、ほとんどの人の内面生活を幼稚なレベルにまで 突き落とし、被収容者を、意志などもたない、連命や監視兵の気まぐれの餌食とし、ついには みずから連命をその手でつかむこと、つまり決断をくだすことをしりごみさせるに至る、感情 どんま の消滅や鈍磨について述べてきた。 感清の消滅には別の要因もあった。感清の消滅は、ここまで述べてきた意味における、魂の 自己防衛のメカニズムから説明できるのだが、それだけでなく肉体的な要因もあった。いらだ ちも、感情の消滅とならぶ被収容者心理のきわだった特徴だが、これにも肉体的な要因が認め られる。 ふつうの生活でも、こ 肉体的な要因は数あるが、筆頭は空腹と睡眠不足だ。周知のように、 のふたつの要因は感情の消滅ゃいらいらを引き起こす。収容所での睡眠不足は、居住棟が想像 を絶するほど過密で、これ以上はないほど非衛生だったために発生したシラミにも原因があっ えしき
それ自体は正常な反応であって、このような状況との関連に置いて見るかぎり、典型的な感情 の反応なのだ。
いに召使いが泣き出した。なんでも、今しがた死神とばったり出くわして脅された、と言うの だ。召使いは、すがるようにして主人に頼んだ、いちばん足の速い馬をおあたえください、そ れに乗って、テヘランまで逃げていこうと思います、今日の夕方までにテヘランにたどりつき いっかくせんり やかた たいと存じます。主人は召使いに馬をあたえ、召使いは一瀉千里に躯けていった。館に入ろう とすると、こんどは主人が死神に会った。主人は死神に言った。 「なぜわたしの召使いを驚かしたのだ、恐がらせたのだ」 すると、死神は言った。 驚いたのはこっちだ。あの男にここ 「驚かしてなどいなし恐がらせたなどとんでもない。 で会うなんて。やっとは今夜、テヘランで会うことになっているのに」 脱走計画 もてあそ 自分はただ運命に弄ばれる存在であり、みずから連命の主役を演じるのでなく、連命のなす がままになっているという圧倒的な感情、加えて収容所の人間を支配する深刻な感情消滅。こ うしたことをふまえれば、人びとが進んでなにかをすることから逃げ、自分でなにかを决める おど
: 1 0 ものでもないのか、と。そしてとりわけ、人間の精神が収容所という特異な社会環境に反応す るとき、ほんとうにこの強いられたあり方の影響をまぬがれることはできないのか、このよう な影響には屈するしかないのか、収容所を支配していた生存「状況では、ほかにどうしようも なかったのか」と。 こうした疑問にたいしては、経験をふまえ、また理論にてらして答える用意がある。経験か らすると、収容所生活そのものが、人間には「ほかのありようがあった」ことを示している。 その例ならいくらでもある。感情の消滅を克服し、あるいは感情の暴走を抑えていた人や、最 後に残された精神の自由、つまり周囲はどうあれ「わたし」を見失わなかった英雄的な人の例 はばつばっと見受けられた。一見どうにもならない極限状態でも、やはりそういったことはあ ったのだ。 強制収容所にいたことのある者なら、点呼場や居住棟のあいだで、通りすがりに思いやりの いくらでも語れるのではない ある一一一一口葉をかけ、よけなしの。ハンを譲っていた人びとについて、 だろうか。そんな人は、たとえほんのひと握りだったにせよ、人は強制収容所に人間をぶちこ んですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかとい う、人間としての最後の自由だけは奪えない、実際にそのような例はあったということを証明
その直後、スープの桶が棟に運びこまれた。スープは配られ、飲み干された。わたしの場所 は入り口の真向かいの、棟の奥だった。たったひとつの小さな窓が、床すれすれに開いていた わたしはかじかんだ手で熱いスープ鉢にしがみついた。がつがっと飲みながら、ふと窓の外に 目をやった。そこではたった今引きずり出された死体が、据わった目で窓の中をじいっとのぞ ( ていた。二時間前には、まだこの仲間と話をしていた。わたしはスープを飮みつづけた。 がくせん もしも職業的な関心から自分自身の非情さに愕然としなかっとしたら、このできごとはそも そも記意にとどまりもしなかったと思う。感情喪失はそれほど徹底していた 苦痛 容感情の消滅や鈍磨、内面の冷淡さと無関心。これら、被収容者の心理的反応の第一一段階の徴 候は、ほどなく毎日毎時殴られることにたいしても、なにも感じなくさせた。この不感無覚は、 二被収容者の心をとっさに囲う、なくてはならない盾なのだ。なぜなら、収容所ではとにかくよ く殴られたからだ。まるで理由にならないことで、あるいはまったく理由もなく。 たとえを挙げよう。わたしが働いていた建設現場で「食事時間」になった。わたしたちは列 とんま おけ ばち たて
にしようと、できるかぎりのことをする監督もいた。そんな彼らですらくどくどと、ふつうの 労働者はわたしたちのノルマよりも数倍の仕事をもっと短時間でこなす、と言った。けれども、 ふつうの労働者はわたしたちのように、日に三百グラムの。ハン ( というのは表向きで、実際は もっと少ない ) と一リットルの水のようなスープで暮らしてはいよいし、わたしたちのように、 収容所に連れてこられた家族がすぐさまガス室送りになったのかどうかまったくわからないと おびや しオ ( 、などと抗 う精神的重圧にうちひしがれてもいないし、毎日毎時、死に脅かされても、よ、 弁すると、この監督たちは、それもそうだと言ってくれた。わたしは気のいい現場監督に向か って、こんなことを一言ったこともある。 「現場監督殿、わたしがあなたから土木作業を習得したように、あなたがわたしのもとで数 のうせんし 週間のうちに脳穿刺をものにしたら、心から尊敬しますよ」 容すると、現場監督はくつくっと笑った。 階第二段階の主な徴候である感情の消滅は、精神にとって必要不可欠な自己保存メカニズムだ 段 った。現実はすっかり遮断された。すべての努力、そしてそれにともなうすべての感情生活は、 第 たったひとつの課題に集中した。つまり、ただひたすら生命を、自分の生命を、そして仲間の 生命を維持することに。それで、夕方、作業現場から収容所にもどってきた仲間たちが、あの
ている ) 。 数日が経過し、さらに何日も過ぎて、舌がほぐれるだけでなく、内面でなにかが起こる。突 然、それまで感情を堰き止めていた奇妙な柵を突き破って、感情がほとばしるのだ。 解放後、何日かたったある日、あなたは広い耕作地を越え、花の咲き乱れる野原をつつきっ ひばり しく。あなたは雲雀があがり、空高く飛びな て、収容所から数キロ離れた小さな町まで歩いて、 がら歌う讃歌が、歓喜の歌が空いちめんに響きわたるのを聞く。見渡すかぎり、人っ子ひとり 。あなたを取り巻くのは、広大な天と地と雲雀の歓喜の鳴き声だけ、自由な空間だけだ。 れあなたはこの自由な空間に歩を運ぶことをふとやめ、立ち止まる。あたりをぐるりと見回し、 解頭上を見上げ、そしてが「くりと膝をつくのだ。この瞬間、あなたはわれを忘れ、世界を忘れ かる。たったひとつの言葉が頭のなかに響く。何度も何度も、繰り返し響く。 「この狭きよりわれ主を呼べり、主は自由なるひろがりのなか、われに答へたまへり」 階 どれほど長いことその場にひざまずいていたのか、何度この一一一一口葉を繰り返したか、もう憶え 段 : だがこの日この時、あなたの新しい人生は始まったのだ、ということだけは確 第てまい、よい・ かだ。そして一歩また一歩と、ほかでもないこの新しい人生に、あなたは踏みこんでい
106 、こ。よゝこはミニ皇帝幻想をはぐくむ者もいた った。それどころか、出世したと思って ( オオカこ 少数派のふるまいにたいし、眼みや妬みでこりかたまった多数派は、さまざまなガス抜きと いう心理的反応で応じた。それは、ときには悪意のこもったジョークだったりした。 たとえば、こんなジョークがある。ふたりの被収容者がおしゃべりをしていて、話題がある 男におよんだ。男はまさに例の「出世組」だった。ひとりが言うには、「おれは知ってるぞ、 あいつは : : : 市でいちばん大きな銀行のただの頭取だったんだ。なのにここではカボー風吹か しやがって」 収容所生活には、食事の配り方に始まって、下の下に落とされた多数派と出世した少数派の らいらが爆発し、頂点にたっするのも、決まっ しざこざの種はいくらでも転がっていたカ、し てそんなときだった。先に挙げたさまざまな肉体的要因から引き起こされたいらだちは、当事 者全員の眼みつらみの感情という心理的要因が加わることによって、いやがうえにも高まった。 このようにして高まった興奮が被収容者同士の乱闘騒ぎに終わっても、別段驚くにはあたら ちょうちゃく おうた 怒りの感情を殴打というかたちで解放するという反応は、打擲が日常茶飯と化し、その 光景をいやというほど見せつけられていたことによって、いわば道をつけられていたのだ。 ふんぬ 空腹で徹夜をした者が憤怒の発作に襲われると、「手がぶるぶる震え」、「体ごとぶつかって