消滅 - みる会図書館


検索対象: 夜と霧
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1. 夜と霧

心理学者、強制収容所を体験する 知られざる強制収容所 / 上からの選抜と下からの選抜 / 被収容者 一一九一〇四の報告ーー心理学的試み 第一段階収容 : アウシュヴィッツ駅 / 最初の選別 / 消毒 / 人に残されたものーー裸 の存在 / 最初の反応 / 「鉄条網に走る」 ? 第二段階収容所生活 : 感動の消滅 / 苦痛 / 愚弄という伴奏 / 被収容者の夢 / 飢え / 性的な ことがら / 非情ということ / 政治と宗教 / 降霊術 / 内面への逃避 / もはやなにも残されていなくても / 壕のなかの瞑想 / 灰色の朝のモ

2. 夜と霧

ー 04 らだち ここまで、収容所で被収容者を打ちひしぎ、ほとんどの人の内面生活を幼稚なレベルにまで 突き落とし、被収容者を、意志などもたない、連命や監視兵の気まぐれの餌食とし、ついには みずから連命をその手でつかむこと、つまり決断をくだすことをしりごみさせるに至る、感情 どんま の消滅や鈍磨について述べてきた。 感清の消滅には別の要因もあった。感清の消滅は、ここまで述べてきた意味における、魂の 自己防衛のメカニズムから説明できるのだが、それだけでなく肉体的な要因もあった。いらだ ちも、感情の消滅とならぶ被収容者心理のきわだった特徴だが、これにも肉体的な要因が認め られる。 ふつうの生活でも、こ 肉体的な要因は数あるが、筆頭は空腹と睡眠不足だ。周知のように、 のふたつの要因は感情の消滅ゃいらいらを引き起こす。収容所での睡眠不足は、居住棟が想像 を絶するほど過密で、これ以上はないほど非衛生だったために発生したシラミにも原因があっ えしき

3. 夜と霧

このようにして生じた感清の消滅といらだちに、さらなる要因が加わった。すなわち、ふた んは感情の消滅といらだちを和らげてくれた市民的な麻薬、つまりニコチンとカフェインが皆 無だったのだ。そうなると、感清の消滅にもいらだちにもますます拍車がかカた そしてさらにこうした肉体的な要因からは、被収容者独特の心理状態、ある種の「コンプレ ックス」が生じた。大多数の被収容者は、言うまでもなく、劣等感にさいなまれていた。それ ぞれが、かっては「なにほどかの者」だったし、すくなくともそう信じていた。ところが今こ こでは、文字通りまるで番号でしかないかのように扱われる ( より本質的な領域つまり精神性 に根ざす自意識は、収容所の状況などにはびくともしなかったのは事実だが、どれだけ多くの 人びとが、どれだけ多くの被収容者が、そうした確乎とした自意識をそなえていただろうか ) 。 活 生ごく平均的な被収容者は、そうしたことをさして深く考えることも、それほど意識することも 収なく、なりゆきにまかせてとことん堕落していった。 階堕落は、収容所生活ならではの社会構造から生じる比較によって、まぎれもない現実となる。 ちゅうばう 第わたしの念頭にあるのは、あの少数派の被収容者、カボーや厨房係や倉庫管理人や「収容所警 官」といった特権者たちだ。彼らはみな、幼稚な劣等感を埋めあわせていた。この人びとは、 「大多数の」平の被収容者のようには自分が貶められているとは、けっして受けとめていなか おとし

4. 夜と霧

感動の消滅 ここまでに描いた反応には、数日で変化がきざした。被収容者はショックの第一段階から、 第一一段階である感動の消滅段階へと移行した。内面がじわじわと死んでい「たのだ。これまで 述べてきた激しい感情的反応のほかにも、新入りの被収容者は収容所での最初の日々、苦悩に 階みちた情動を経験したが、こうした内なる感情をすぐに抹殺しにかか「たのだ。 几又 一一その最たるものが、家に残してきた家族に会いたいという思いだ。それは身も世もなくなる ほど激しく被収容者をさいなんだ。それから嫌悪があ「た。あらゆる醜悪なものにたいする嫌 悪。被収容者をとりまく外見的なものがまず、醜悪な嫌悪の対象だ「た。彼はおおかたの仲間 第一一段階収容所生活

5. 夜と霧

いに召使いが泣き出した。なんでも、今しがた死神とばったり出くわして脅された、と言うの だ。召使いは、すがるようにして主人に頼んだ、いちばん足の速い馬をおあたえください、そ れに乗って、テヘランまで逃げていこうと思います、今日の夕方までにテヘランにたどりつき いっかくせんり やかた たいと存じます。主人は召使いに馬をあたえ、召使いは一瀉千里に躯けていった。館に入ろう とすると、こんどは主人が死神に会った。主人は死神に言った。 「なぜわたしの召使いを驚かしたのだ、恐がらせたのだ」 すると、死神は言った。 驚いたのはこっちだ。あの男にここ 「驚かしてなどいなし恐がらせたなどとんでもない。 で会うなんて。やっとは今夜、テヘランで会うことになっているのに」 脱走計画 もてあそ 自分はただ運命に弄ばれる存在であり、みずから連命の主役を演じるのでなく、連命のなす がままになっているという圧倒的な感情、加えて収容所の人間を支配する深刻な感情消滅。こ うしたことをふまえれば、人びとが進んでなにかをすることから逃げ、自分でなにかを决める おど

6. 夜と霧

: 1 0 ものでもないのか、と。そしてとりわけ、人間の精神が収容所という特異な社会環境に反応す るとき、ほんとうにこの強いられたあり方の影響をまぬがれることはできないのか、このよう な影響には屈するしかないのか、収容所を支配していた生存「状況では、ほかにどうしようも なかったのか」と。 こうした疑問にたいしては、経験をふまえ、また理論にてらして答える用意がある。経験か らすると、収容所生活そのものが、人間には「ほかのありようがあった」ことを示している。 その例ならいくらでもある。感情の消滅を克服し、あるいは感情の暴走を抑えていた人や、最 後に残された精神の自由、つまり周囲はどうあれ「わたし」を見失わなかった英雄的な人の例 はばつばっと見受けられた。一見どうにもならない極限状態でも、やはりそういったことはあ ったのだ。 強制収容所にいたことのある者なら、点呼場や居住棟のあいだで、通りすがりに思いやりの いくらでも語れるのではない ある一一一一口葉をかけ、よけなしの。ハンを譲っていた人びとについて、 だろうか。そんな人は、たとえほんのひと握りだったにせよ、人は強制収容所に人間をぶちこ んですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかとい う、人間としての最後の自由だけは奪えない、実際にそのような例はあったということを証明

7. 夜と霧

しなかったからだ。だが、それでも効かないこともしゆっちゅうだった。するとわたしは、手 を上げないよう、全身の力をふりしぼるのだった。なぜなら、わたしのいらだちは、ほかの者 の感情の消滅にぶつかり、またそれにより今にも回ってくる点検の際にひきおこされる危険が 目の前にちらついて、際限なく高まっていたからだ。 精神の自由 長らく収容所に入れられている人間の典型的な特徴を心理学の観点から記述し、精神病理学 の立場で解明しようとするこの試みは、人間の魂は結局、環境によっていやおうなく規定され 活 生る、たとえば強制収容所の心理学なら、収容所生活が特異な社会環境として人間の行動を強制 収的な型にはめる、との印象をあたえるかもしれない。 階しかし、これには異議がありうる。反問もありうる。では、人間の自由はどこにあるのだ、 第あたえられた環境条件にたいしてどうふるまうかという、精神の自由はないのか、と。人間は、 生物学的、心理学的、社会学的と、なんであれさまざまな制約や条件の産物でしかないという のはほんとうか、すなわち、人間は体質や性質や社会的状況がおりなす偶然の産物以外のなに

8. 夜と霧

いきたい」衝動に駆られるのだが、わたしも何度となくそんな経験を余儀なくされた。一時期、 わたしたち医師は徹夜をした。発疹チフス病棟にあてられたむき出しの土の床の棟では、暖を とるために火を焚くことができたのだが、おかげで夜中にストー。フの火が消えないよう、だれ かが見張らなければならなかったのだ。そこで、まだ少しでも体力のある者には、ストープ番 という夜勤が回ってきた。真夜中、ほかの者たちは眠っているか、熱に浮かされているかする なかで、病棟の小さなストープのそばの地べたに寝転がり、自分の「勤務」時間のあいだ、 を見守っている。そして、どこかからくすねてきた煉炭の熱で、やはりくすねてきたじゃがい もをあぶる : : : それは、実際はどれほど悲惨だろうと、収容所で経験したもっとものんびりし たうるわしいひとときだった。 活 生ところが、徹夜し、疲労がたまると、つぎの日は感情の消滅といらいらがいっそうつのるの だ。解放間近のころ、わたしは発疹チフス病棟に医師として配属されていたわけだが、そのほ 階 かにも、病棟の班長の役もこなさなければならなかった。それで、あんな状況では清潔もなに 段 第もあったものではなかったのだが、収容所当局にたいして、病棟を清潔に保つ責任を負ってい 病棟に目配りを怠らないためと称してしよっちゅう点検するのは、衛生のためというより たんなるいやがらせでしかなかった。もっと食料をあたえるか、あるいはもう少し医薬品があ

9. 夜と霧

108 ったほうが、どれほどかましだったのに、中央通路に藁が一本も落ちていないことや、患者の ぼろぼろで汚れきった、シラミだらけの毛布が、その足もとできれいに一直線になっているこ とばかりが問題視された。点検が告げられると、わたしは、収容所長や上官が身をかがめてわ いちへつ たしたちの病棟の入り口から内部を一瞥したとき、藁一本落ちていないように、あるいはスト ー、フの前に灰がほんのひとつまみも落ちていないように、といったことに心をすり減らさなけ ればならなかった。 しかし、点検する者にとってこの穴蔵にいる人間の連命は、わたしが被収容者の制帽を坊主 頭からむしり取り、かかとを音立てて合わせ、直立不動できびきびと、「六の九号病棟、発疹 チフス患者五十一一名、看護人一一名、医師一名」と「報告する」だけで充分だった。点検にやっ てきた連中は風のように去った。 だが、来るまでは長かった。点検が告げられてから数時間後のこともざらだった ( あるいは、 まるで来ないこともあった ) 。その間わたしは絶え間なく毛布を直したり、寝床から落ちた藁 を拾ったりしなければならなかった。さらには、見せかけにすぎない秩序や清潔を、土壇場に なって「台無しにする」おそれのある患者たちを、どなって回らなければならなかった。なぜ どんま なら、感情の消滅や鈍麻は高熱を発している者ほどはなはだしく、大声でどならなければ反応 わら

10. 夜と霧

その直後、スープの桶が棟に運びこまれた。スープは配られ、飲み干された。わたしの場所 は入り口の真向かいの、棟の奥だった。たったひとつの小さな窓が、床すれすれに開いていた わたしはかじかんだ手で熱いスープ鉢にしがみついた。がつがっと飲みながら、ふと窓の外に 目をやった。そこではたった今引きずり出された死体が、据わった目で窓の中をじいっとのぞ ( ていた。二時間前には、まだこの仲間と話をしていた。わたしはスープを飮みつづけた。 がくせん もしも職業的な関心から自分自身の非情さに愕然としなかっとしたら、このできごとはそも そも記意にとどまりもしなかったと思う。感情喪失はそれほど徹底していた 苦痛 容感情の消滅や鈍磨、内面の冷淡さと無関心。これら、被収容者の心理的反応の第一一段階の徴 候は、ほどなく毎日毎時殴られることにたいしても、なにも感じなくさせた。この不感無覚は、 二被収容者の心をとっさに囲う、なくてはならない盾なのだ。なぜなら、収容所ではとにかくよ く殴られたからだ。まるで理由にならないことで、あるいはまったく理由もなく。 たとえを挙げよう。わたしが働いていた建設現場で「食事時間」になった。わたしたちは列 とんま おけ ばち たて