ぃ 6 「運命に感謝しています。だって、わたしをこんなにひどい目にあわせてくれたんですもの」 彼女はこのとおりにわたしに言った。 「以前オ リ、よに不自由なく暮らしていたとき、わたしはすっかり甘やかされて、精神がどうこ うなんて、まじめに考えたことがありませんでした」 その彼女が、最期の数日、内面性をどんどん深めていったのだ。 「あの木が、ひとりぼっちのわたしの、たったひとりのお友だちなんです」 彼女はそう言って、病棟の窓を指さした。外ではマロニエの木が、いままさに花の盛りを迎 えていた。板敷きの病床の高さにかがむと、病棟の小さな窓からは、花房をふたつつけた緑の 枝が見えた。 との記意を追うことだろう。 たとえば、強制収容所で亡くなった若い女性のこんな物語を。これは、わたし自身が経験し た物語だ。単純でごく短いのに、完成した詩のような趣きがあり、わたしは心をゆさぶられず にはい , りれない この若い女性は、自分が数日のうちに死ぬことを唐っていた。なのに、じつに晴れやかだっ
に出なくてすむよう、病気届を出してもらおうと無駄な試みをしたために、今、罰を受けてい るのだ。ながめる被収容者はすでに心理学で一言う、反応の第一一段階にはいっており、目を逸ら さざなみ したりしない。無関、いに、なにも感じずにながめていられる。心にト波ひとったてずに。 あるいはまた、被収容者は夕方、診療所で押しあいへしあいして立っていた。彼らは、怪我 ふしゅ か飢餓浮腫か熱のために、一一日間の「静養」を処方してもらえないだろうか、そうすれば、一一 日は労働に出なくてすむのだが、というはかない望みを追っていた。そこに十一一歳の少年が連 びこまれた。靴がなかったために、はだしで雪のなかに何時間も点呼で立たされたうえに、 と・つしよう 日じゅう所外労働につかなければならなかった。その足指は凍傷にかかり、診療所の医師は壊 死して黒ずんだ足指をピンセットで付け根から抜いた。それを被収容者たちは平然とながめて 苦し 嫌悪も恐布も同情も憤りも、見つめる被収容者からはいっさい感じられなかった。 む人間、病人、瀕死の人間、死者。これらはすべて、数週間を収容所で生きた者には見慣れた 心か麻痺してしまったのだ。 階光景になってしまし 一一短期間、わたしは発疹チフス病棟に入っていた。まわりじゅうが高熱を発し、譫妄状態にあ る患者で、多くは死を待つばかりだった。またひとり死んだ。するとなにが起こるか。回め したいなにが起こるの に、そう、 >< 回めに。感清的な反応など、もはや呼び覚まされない。、 せんもう
いきたい」衝動に駆られるのだが、わたしも何度となくそんな経験を余儀なくされた。一時期、 わたしたち医師は徹夜をした。発疹チフス病棟にあてられたむき出しの土の床の棟では、暖を とるために火を焚くことができたのだが、おかげで夜中にストー。フの火が消えないよう、だれ かが見張らなければならなかったのだ。そこで、まだ少しでも体力のある者には、ストープ番 という夜勤が回ってきた。真夜中、ほかの者たちは眠っているか、熱に浮かされているかする なかで、病棟の小さなストープのそばの地べたに寝転がり、自分の「勤務」時間のあいだ、 を見守っている。そして、どこかからくすねてきた煉炭の熱で、やはりくすねてきたじゃがい もをあぶる : : : それは、実際はどれほど悲惨だろうと、収容所で経験したもっとものんびりし たうるわしいひとときだった。 活 生ところが、徹夜し、疲労がたまると、つぎの日は感情の消滅といらいらがいっそうつのるの だ。解放間近のころ、わたしは発疹チフス病棟に医師として配属されていたわけだが、そのほ 階 かにも、病棟の班長の役もこなさなければならなかった。それで、あんな状況では清潔もなに 段 第もあったものではなかったのだが、収容所当局にたいして、病棟を清潔に保つ責任を負ってい 病棟に目配りを怠らないためと称してしよっちゅう点検するのは、衛生のためというより たんなるいやがらせでしかなかった。もっと食料をあたえるか、あるいはもう少し医薬品があ
ぶん、わたしがびりびりしていたのだろう ) 。力ない声でたずねた。 わたしは打ち消した。だが、相手のまなざしから目を逸らすのは容易ではなかった。回診が 終わると、わたしはもう一度、この仲間のところへ行った。するとまたしても、絶望しきった まなざしがわたしに向けられた。なぜか非難されているような気がした。仲間と脱走すること に同意し、みずから運命の主役を演じないというそれまでの原則を破って以来抱えこんだやま しさという感情がふくらんだ。 わたしは突然、病棟を飛び出し、担当病棟にいた仲間のもとに急いだ。そして、わたしは行 , カオし と告げた。くどくどと説明するまでもなく、仲間はわたしの同行をあきらめるしかな いと察した。今まで通り患者のもとに残ると决心したとたん、やましさは嘘のように消えた。 これから数日のあいだに事態はどう転ぶのか、一切は不明だった。それでも、心はかってな いほど安らかだった。 一歩一歩踏みしめるように発疹チフス病棟にもどり、あの同郷人が横た わる板敷きの足一兀に腰をおろしてなだめ、ほかの高熱を発している患者たちにも、せめてもの 気休めの一 = ロ葉をかけた。 そして、わたしたちの収容所の最後の日がやってきた。前線が迫り、ほとんどすべての被収 「やつばり逃げるのか」
ュックサックを見せ、上 こんだ。そしてほどなく喜色満面で出てきて、どうだ、とばかりにリ 着の下に隠した。そして、中にもうひとつあった、取「てこいよ、と言った。こんどは仲間が 立ちはだかり、わたしが棟に侵入した。乱雑に打ち捨てられたがらくたの山をあさると、ふた つめのリ = ックが見つかった。ついでに使い古した歯プラシまで発見して、わたしは大喜びし、 また驚きもしたが、そんなわたしの目に突然飛びこんだのは、大あわてで捨てていかれた物の ただ中に横たわる、女性の死体だった : わたしは急いで受け持ちの病棟にもどり、わたしの一切合財、つまりスープ椀、この発疹チ フス病棟で亡くなった患者から「遺贈された」ぼろぼろのミトン、数十枚の小さな紙切れ ( す でに述べたように、わたしはアウシヴィッツで失「た学術書の草稿を速記記号で再現する作 業に取りかかっていた ) をリュックにつつこんだ 苓そしてこれを最後に、急いで回診した。わたしは病棟の、むき出しの土の中央通路をはさん 階で、腐りかけた板敷きにぎゅう詰めにな「ている患者を、まずは右の列、そして左の列と診て 几又 いった。わたしはたったひとりの、同じ町の出身者のところにやってきた。すでにほとんど匙 第 を投げる状態だったが、なんとしても助けたいと力をつくしてきた人だ。言うまでもなく、脱 それでも、相手はなにかをかぎつけたらしい ( た 走計画はロが裂けてももらしてはならない。
また、下水溝に通じる竪穴があって、木の蓋がしてあった。 病棟での医師の仕事の手が空くと、わたしはいつもそこに行って、いっとき腰をおろした。 ノイエルンの田舎の そこにうずくまり、いやおうなく視野をさえぎる鉄条網の縁飾り越しに、ヾ 広びろとした花咲く緑の牧草地や、青くかすむ遠い丘陵をながめたものだ。そして憧れを追い、 愛する妻かいるとおぼしい北や東北の方向に思いを馳せるのだが、そこには不気味なかたちの 雲が認められるだけだった。 かたわらにシラミだらけの死体があることは、まるで気にならなかった。わたしを夢から引 き離すのは、ときおり鉄条網に沿って巡回してくる監視兵の足音か、薬が収容所に到着したか ら、担当の隔離病棟への割り当てを渡すので持ち場にもどれとの、病棟からの叫び声だけだっ た。割り当てと言「ても、五錠 ( 一度だけは十錠だ「た ) の代用アスピリンかカルジアゾール 所 容 が、患者五十名の数日分だった。 収 階わたしは薬を受け取り、仲間をひとりひとり回診し、脈をとり、重篤患者には薬を半錠あた 二え、危篤状態の患者にはなにもあたえなかった。薬が無駄になるだけだからだ。そして、その ほかの者にはいたわりの一一 = ロ葉をかけた。こうして、わたしは仲間から仲間へと、ようやくの 思いで歩いていった。わたし自身、重症の発疹チフスの病みあがりだったので、極度に衰弱し、 たて しゅ・つとく あこか
108 ったほうが、どれほどかましだったのに、中央通路に藁が一本も落ちていないことや、患者の ぼろぼろで汚れきった、シラミだらけの毛布が、その足もとできれいに一直線になっているこ とばかりが問題視された。点検が告げられると、わたしは、収容所長や上官が身をかがめてわ いちへつ たしたちの病棟の入り口から内部を一瞥したとき、藁一本落ちていないように、あるいはスト ー、フの前に灰がほんのひとつまみも落ちていないように、といったことに心をすり減らさなけ ればならなかった。 しかし、点検する者にとってこの穴蔵にいる人間の連命は、わたしが被収容者の制帽を坊主 頭からむしり取り、かかとを音立てて合わせ、直立不動できびきびと、「六の九号病棟、発疹 チフス患者五十一一名、看護人一一名、医師一名」と「報告する」だけで充分だった。点検にやっ てきた連中は風のように去った。 だが、来るまでは長かった。点検が告げられてから数時間後のこともざらだった ( あるいは、 まるで来ないこともあった ) 。その間わたしは絶え間なく毛布を直したり、寝床から落ちた藁 を拾ったりしなければならなかった。さらには、見せかけにすぎない秩序や清潔を、土壇場に なって「台無しにする」おそれのある患者たちを、どなって回らなければならなかった。なぜ どんま なら、感情の消滅や鈍麻は高熱を発している者ほどはなはだしく、大声でどならなければ反応 わら
0 をかけてくれる」 ( これは事実に反していたたか、この情報がとんでもない間違いで、この「医師」の態度 がどれほど悪魔的だったかをここで語るつもりはない。ひとつだけ例を挙げる。自身被収容者 である、六十代のプロック担当医から聞いた話だ。この医師は、ガス室送りと決まった自分の 息子を助けてほしいと懇願したが、博士はそれを冷酷にはねつけた。 ) ひけそ 「頼むからこれだけはやってくれ。髭を剃るんだ。できれば毎日。わたしはガラスの破片で やっている。それとも、最後の。ハンのひと切れをやってでも、だれかに剃ってもらえ。そうす けっしよく れば若く見えるし、頬がひっかき傷だらけでも血色はよく見える。病気にだけはなるな。病人 のように見えちゃだめだぞ。命が惜しかったら、働けると見られるしかない。靴づれみたいな ほんのちょっとした傷で足を引きずったら、ここでは命取りだ。親衛隊員たちは、そんなやっ を見つけたら、こっちに来いと合図する。つぎの日にはガス室送り間違いなしだ。君たちはも う知っているか、ここでムスリムとあだ名されている連中を ? やつれて、疲れきって、病人 みたいに見える連中だ。痩せて、体がもう労働についていけない連中。ムスリムはひとり残ら ず、遅かれ早かれガス室に送られる。たい ていは即刻だ。だからいいか、もう一度一言うぞ、髭 しつもびしっとしてろ。そうすれば、ガス室なんて恐 を剃れ、立ったり歩いたりするときは、、 や
孤独への渇望 もちろん、群集から離れることはときには必要だし、また可能でもあった。 苦しみをともに する仲間と四六時中群れて、日常のこまごまとしたことをつねにすべて共有していると、この 耐えざる強制的な集団からほんのいっときでいいから逃れたいという、あらがいがたい衝動が わきおこることは、よく知られた事実だ。ひとりになって思いにふけりたいという、心の底か らの渇望、ささやかな孤独に包まれたいという渇望がわきおこるのだ。 ハイエルン地方の別の収容所、言うところの病囚収容所に移されてからのことだ。わたしは、 発疹チフスが猛威をふるっていたその収容所で、ようやく医師として働けるようになったのだ が、そこでときおり、渇望していた孤独に、すくなくとも数分引きこもる幸福にあずかった。 せんもう 発疹チフス病棟は土の床の掘っ立て小屋で、そこにおよそ五十人の、高熱にうかされ、譫妄 状態にある仲間が重なりあうように横たわっていたが、その裏手、収容所を囲む二重の鉄条網 の柵の隅に、ひっそりとした一角があった。そこには杭や木の枝で仮設テントのようなものが 張られていて、この小規模収容所で「くたばった」死体が、毎日半ダースほど投げこまれた。
1 0 2 ないからトラックに乗りなさい、すごいチャンスをものにしたもんだ、よかったな、と語りか まだ体力の残っている者は、早くも荷台に殺到し、重症患者や衰弱しきった者は足場を使っ て乗りこんだ。最後のトラックに乗る十一二名の確認が始まったとき、仲間とわたしは、もうこ うなったらおおっぴらにリュックを持って、いつでも乗れるようにしていた。医長が十三名と したのだが、わたしたちは十五名いた。医長はわたしたちを員数に入れていなかったのだ。十 三人がトラックに乗せられ、あとに残されたわたしたちふたりは驚くやら、失望するやら、憤 慨するやらで、この最後の車が発車するとき、医長に抗議した。医長は、あまりに疲れていて ついうつかりした、と謝った。わたしたちがまだ脱走をくわだてていると誤解していたのだ、 とも一 = ロった。 わたしたちは、リ ュックを背負ったまま、憤懣やるかたなくその場に坐りこみ、最後の数人 の被収容者とともに車を待った。わたしたちはいつまでも待たされた。そこで、病棟の今やが らんとした板敷きに横になり、「神経戦」の最後の数時間、数日の緊張を解いた。天にも届か んばかりに歓喜の声をあげたかと思うと、ふたたび死ぬほどの落胆へと突き落とされた希望と 失望の交錯から、完全に緊張を解いたのだ。わたしたちは「旅装を整え」、着衣のまま、靴も