「上出来」 ほかの男が、ライトパンから、ふた振りの木刀を持ち出してきた。袋におさめてある。 「位置についてくれ。木刀は、あとから、持っていってやる」 「それから、言っとくけど、オート・ ( イごと突っかかっちゃ、いけないぞ。あくまでも、すれ ちがいざまに、木刀で相手を突くなり叩くなりするんだ。ヘッド・ラン・フは消しとけ」 沢田が、 CB750 にまたがった。すぐに始動させ、道路の突き当たりにむかって、ゆっくり 走った。 「おまえは、あっち」 言われるままにカワサキにまたがり、道幅いつばいにターンし、三〇〇メートルほど走った。 島とまって、振りかえった。もっとむこう、と男たちが合図をしている。 女さらに五〇メ 1 トル、・ほくは走った。再びタ 1 ンし、センター・ラインのすぐわきにカワサ キをつけた。 イ 男がひとり、木刀を持って、沢田のほうへ走っていく。 ・ほくのほうにも、走ってきた。木刀を無言でぼくに渡し、なにも言わずに、走ってひきかえした。 彼ライト・ ( ンの前から道路に出てきた男が、両腕を大きくあげた。沢田と・ほくのほうを、交互に 見た。 木刀とアクセル・グリツ・フを右手でいっしょに持ち、ぼくは合図を待った。有明に着くなり、
152 てしまっていた。 道路から歩道をこえ、裏口に入った。駐車場の奥を曲がったところに守衛のいる詰所があり、 そのさきが、文書受付だ。 暗い駐車場のスペースに入ったとたん、・ほくは、 ( ンドルにつかまっていた両腕の、肩からす こし下のあたりに、重い衝撃をお・ほえた。衝撃は、両腕に、同時にきた。 と、声を出すよりもさきに、・・ほくの尻は、カワサキのシートから浮きあがっていた。 両足がステッ。フからはずれ、ハンドルが手からもぎ取られた。 ばくの体は、両腕にきた重い衝撃と共に、空中に浮いた。 ヘッド・ラン。フをつけた・ほくのカワサキが、・ほくなしで、まっすぐ走っていく。ラン。フの光の 輪に、コンクリ ] ト敷きの駐車場が照らしだされていく。いくつか黒く、水たまりがある。 空中にいた時間が、とてもながいように思えた。 ひとりで走っていくカワサキを見ながら、・ほくは、オ 1 ト・ハイにまたがっていたままの姿勢で、 落下した。 両足がコンクリートにぶち当たり、そのショックで体が右へ横だおしになった。右腰をしたた かに打ちつけ、水たまりのなかへ右腕から倒れこんだ。 カワサキは、まだ、走っている。
が、体の左半分を駆けまわる。 不思議に、車はそれから、一台もこなかった。 路面のむこうに、カワサキがひっくりかえっている。そのむこうが、のぼり坂の頂点だ。スモ ッグにおおわれた東京の、重い灰色の空が、かぶさっている。減多に体験しない、新鮮なアング レ・こっこ 0 ノ / 十ー やっとのことで起きあがった・ほくは、片脚をひきずってカワサキまでいき、おこして道路のわ きに寄せた。見たところ、カワサキにはダメージはなさそうだ。 ヘルメットを脱いで尻もちをつき、両手で頭をかかえ、しばらく、そのままじっとしていた。 やがて、痛みは、ひいた。 の腰の左に鈍痛が残った。だが、骨までは、やられていないようだった。 彼カワサキにまたがり、ヘリポートにむかった。左のステッ。フが、すこし曲がっていた。 イそれから三日後に、また、転んだ。転んだというよりも、落馬にちかい。 かすみせき 霞ヶ関の役所へ、夜、書類を届けこ、つこ。 冫しナ一日に何度か官庁をまわり、原稿や記事を届けた オ りもらったりするコ 1 スがある。 の このときは、夜のいちばん遅い時間のコースだった。 昼のあいだ開いている入口は、もう、 門が閉ざされている。だから、いつものように、裏口に むかった。官庁街の周辺に自動車の流れはすくなくなっていた。ビルの明かりも、ほとんど消え しり
あいだ一日おいて、ぼくは、毎日、学校へいった。 お昼すぎからタ方まで、正門の前にカワサキをとめ、そばの芝生に転がり、本を読んですごし 五日目。正門のわきにカワサキをとめ、サビが出ている部分を・ほくは調べていた。メッキが浅 いから、いろんなところにすぐサビが出てくる。 「橋本さんですか」 と、頭上で涼しい声がした。 ふりあおぐと、かわいい女のこが、そばに立っていた。 「うん」 とこたえ、あっ、冬美だ、と・ほくが思うのと、 「冬美です」 と、彼女が言うのと、美しく同時だった。 「久々のヒットだ」 と、・ほくは、立ちあがった。 「ずっと待ってた」 冬美は目を伏せた。そして、カワサキを見た。そのあとで、ぼくに目をむけ、やさしく微笑し こ 0 こ 0
136 ぼくが体を寄せると、ミーヨは、灯台から体をはなした。抱き合い、唇が、かさなった。ほん のみじかい口づけ。だけど、そのあいだだけ、確実に時の流れは、とまった。 かんべぎ 「これで、完璧なのよ」 ミーヨが一一 = ロった。 はなれて、 この三日間、夕方になるとかならず、ミーヨは、カワサキに乗りたがった。中学の校庭まで押 ミーヨはカワサキに乗った。 していき、・ほくの・フーツとヘルメットで、 オートパイで走れる道路は、この島では、一本しかない。港の広場の端から、海岸のほうへの びている道路だ。その道路は、港からゆるやかなの・ほり坂になりつつカー・フしていく。カ 1 プを 抜けると、下り坂だ。坂を降りきると、右側が海岸だ。まっすぐにいくと、旅館の前をとおり、 切りだした石を船に積むクレーンのあるところで、行きどまりになる。 二日目の昼さがり、一度だけ、この道をカワサキで走らせてあげた。ミーヨは、あぶなげなく 走った。 夜の小さな港をひとまわりし、むかい側の防波堤に出た。内側に漁船が何隻も、もやいである。 船のうえで生活している人たちもいるらしい。防波堤には、網が干してある。黒やオレンジ色の、 プラスチック製の丸い浮きが、いくつもころがっている。 「コオ。あなた、あのカワサキのオ ートパイが、とっても好きなんでしよう」 「好きだよ」
四 「まさか。去年より、もっといいはずー 「カワサキは、どうだった」 「もう、最高」 ミーヨの家に、みんなはいた。 「写真を撮るんだ」 小月が、縁側の前に一眠レフを三脚に取りつけていた。 「ジャケットの裏いつばいに、カラ 1 で、使うんです」 と、ディレクターが説明した。 ミーヨの家の、二枚のすだれの垂れた縁側いつばいに、午後の陽が当たっている。その縁側に 、、川は三脚を立てた。 向けて、庭のずっと奥にる ・ほくは、ファインダーをのそいてみた。ミリの望遠レンズだ。構図は、ちょうどいい。 ミ 1 ョの両親 が、すだれのわきにすわり、ディレクターがそのすだれを持ちあげて縁側に立ち、 が、持ちあげられたすだれの下に、腰かけた。中原麻里は、いちばん右だ。 「ついでに、カワサキもいれよう」 小川に言われて、 ミ 1 ョは、縁側の前の大きな石の踏み台まで、カワサキを押してきた。 「またがれ」 ト川は、ファインダーをのそいた。
『道草』を出て、駅とは反対のほうに、歩いた。ミーヨと手をつないだまま、黙って。 ・ショッ。フの石板に、明かり しばらくいくと、路地の入口があった。路地の奥には、コ ] ヒ 1 がともっていた。 ぼくは、ミ 1 ョをつれて、その路地に入った。 まだ、なにも喋れない。だから、・ほくは、ミーヨを抱きしめた。彼女も、・ほくを抱きかえす。 「信州でーー」 と、彼女が言う。 ぼくたちの額が触れあった。至近距離から、彼女はぼくの目を見ていた。 「信州で、カワサキにまたがってるコオを見たとき、ものすごくうらやましかった。カワサキ しっと 島に嫉妬したの。自分でも乗りたいと思ったし、あのカワサキみたいに好かれてみたいとも思っ 女た」 ばくの喉の奥の熱いかたまりが、ますます大きくなっていく。次第に上へあがってくるみたい イ レだ。押えこむのに、ばくは、懸命だった。 だから、ミ 1 ョをきつく抱きしめ、じっとしていた。 オ ミーヨが、さがした。唇がかさなる。これで二度月だ、と冷静に考えたら、喉の 彼・ほくの唇を、 奥の熱いものが、すこしおさまった。 「さっきは、ごめん」
ヘッド・ランプの光が、ふら、と左に振られた。左へむかってカー・フを描きつつ、急速に車体 っしゃん、と重い音がした。 は倒れた。が 水たまりの水で上体から腰まで存分に濡らしながら、・ほくは、カワサキが倒れるのを見守った。 このときも、減多にないアングルからの、減多に見られない光景だった。 起きあがって、・ほくは、調べてみた。・ほくが両腕に衝撃を感じてカワサキから浮きあがった原 因が、判明した。 の、重い台座に立てた鉄のポー 裏口に、ロー。フが張り渡してあったのだ。大きなコンクリ 1 ト ルが裏口の両側にあり、それに、太い麻のロープが張ってある。 ヘッド・ランプの明かりのなかにロー。フは浮かびあがったはずなのに、気づかずに突っこんで 島しまった。 女ばくは、倒れたカワサキへ走った。 仕事をおえ、アパートに帰って服を脱いだら、両腕のロ 1 。フにぶつかったところに、太く赤黒 イ いアザができていた。 彼ろくなことがない。 早く来すぎた秋のせいだ。 転ばない日は、女に、オナニーのためのダッチ・ポーイがわりに使われてしまう。
286 •r よかった。心配してたの」 「なんてことないさ」 「カワサキが、できてきたわ」 「早いなあ」 「予定より早くあがったのですって」 「おまえ、とってきたのかー 「そう。これ以上の 3 は日本には一台もないって言ってた」 「悪かったとこは ? 」 「特にないみたい。音が、すこしかわった」 「おさえてあるのか」 「ちがうの。前よりもいい音になってる。はじける音。ガレ 1 ジの電話で、聞かせようか」 ミーヨは、笑ってる。 「京都は暑いでしよ」 「東京もひどい。それでねえ、コオ、お願いがあるの。うん、って言ってほしい」 「なんだよ」 「このカワサキに乗りたい」
というこたえが、かえってきた。 「それに、こりゃあ、ツ 1 リングじゃねえよ。オート・ハイの障害物レ 1 スさ。ツーリングだと 思ってたら、死ぬよ」 ほんとに、死ぬ思いで、午前中ずっと、・ほくは、飛ばしに飛ばした。 カワサキ 6 5 0 は、もともと、加速がどうの、カープがこうのというマシーンではないと ぼくは思う。でも、そうは言ってられない。 トップをきっていく連中のうしろからおくれずについていくのが、・ほくにできるぎりぎりのこ とだ。あたまをとって飛ばせば、ぼくは会社の原稿輸送員の全員から一目置かれるのだが、 プなんて、とても無理だ。でも、あきらめたわけではない。 島 夕方の五時になったら、どこを走っていようと自動的に解散することになっている。五時まで の 彼には、しばらくトツ。フをとることくらい、できるだろう。 れ九〇〇円の「高原弁当」が腹の底に落ちつき、こなれつつある。二杯飲んだコ】ヒ 1 が、こな れつつある「高原弁当」に、ほどよくしみこんでいる。 オはじめは、吐き気がして食べられなかった。長時間にわたって飛ばしすぎ、肉体的にも心理的 彼にも緊張の連続だから、その結果の、軽い吐き気だ。 それに、カワサキの震動。四〇〇〇回転をこえると、すさまじくなってくる。 いつもなら、この震動も、愛するカワサキの大きな魅力のひとつなのだが、今日のような殺人