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検索対象: 新渡戸稲造全集 第七巻
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1. 新渡戸稲造全集 第七巻

ことがある。 僕は如斯自分の実験談をしたからとて、決して自分を手本にしろと人に勧める考ではない。僕見 たやうな者にさへ、出来る事であれば、他人にも勿論と云ふ意である。 世の中のことは大抵斯ういふもので、仮令敵意を挿んで反対しても、若し自分から其志の存する ところを述べ、どうかこの立志に免じて許して呉れといへば、大抵は聴くものである。打明けて頼 んだとて、恥づることはないと思ふ。 二生活状態の変化による継続心の妨害 次に生活状態の変化から、継続を妨げられる場合が多い。青年学生の場合を見るに、大学に入る 迄は、操行端正であったものが、大学に入ると共に、一変して堕落するものもある。又学校生活中 は、品行方正であったものが、学士となり、社会に出てから、見違へる如く、変るものがある。 又細君が居た時は、非常に品行の正しかったものが、細君を失ふと共に性行一変し、始末に了へ 続なくなるものもある。真直に進んで来た者が、突然の出来事の為め、低い水平に堕ちて、自暴自棄 のとなる者もある。子供を失ふた場合にも、亦さういふことがある。斯く生活の状態が変化すると、 心 決烈しく精神上に打撃を受け、今まで継続して来たことを中止することが多い。これは世間に沢山あ 四る事実であり、僕の如き気弱き者は度々かう云ふ場合に会ひ易い 第 105

2. 新渡戸稲造全集 第七巻

地方に旅行の時「御迷惑でも、どうか、先生の御手許にお置なすって、お世話をして戴きたい」と 8 頼まれ、其後僕の家に来たが、どうも健康が宜くない、呼吸器が悪いらしいので、診察を受けさせ 2 たら、果して胸部に少し弱いところがある。 併し之を打明けて彼女に語ったなら、如何に失望し力を落すことであらう。彼女は沁々と前途の 暗黒を思ふて如何なることになるかも知れぬ。かく想ふと、迂濶に実情を打明けることも出来ぬ。 僕もこの事には大分に苦心し、度々彼女を呼び、委しく彼女の健康のことを告げ、且っ慰安を与ふ るに努め、而して東京に置くことも出来す、親切なる友人の世話で、有名なる医師にして、慈善心 の深い某氏の病院に入れ、働きながら心安く療養することが出来る様にした。 愈々出発するといふ朝、僕は彼女を呼んで繰返して慰藉の言をかけた時、沈んだ、而も決心した らしい調子で「斯ういふ弱い身体に生れて来たのは、私の不運で、今さら如何することも出来ませ ん。併しかうして病院に入り、空気の清い所で心安く療養を受けられる様にして戴きましたのは、 一に先生と奥様の篤き御情によることは、申上げるまでもありません。私は終生この御恩を忘れま せぬ。併し又先生の御恩を受けるに至りましたのは、某学士のお宅で始めてお目にかゝったのが最 初で、もしあの時にお目にかゝる機会がありませんでしたなら、今日の御恩を受けることが出来た か否か分りません。それ故、かうなりましたにつけて、某学士の御恩を深く思ふて居ます。某学士 あちら に上る様になったのは、私共が彼地に行ったからで、彼地に行ったのは、父が同地に居ったからで あります。故に私が今日御恩を受けることが出来る様になったのも、父のお蔭もありますから、是 どう

3. 新渡戸稲造全集 第七巻

ます。私は東京に出て、大に勉強したいと思ひますが、親が承知して呉れませぬ。如何したら宜い か、迷ふて居る所なのです」といふ。 「僕も君自身のことだらうと推量して居た。渡米でも上京でも、何れでも宜しい。夫では君の場 合を取って、学問をしたいが、親が承知して呉れぬ。併し君は其立てた目的を充分に達し得る見込 があって、親の意志に反して出京したとする。其時は親に背いた丈けの弁償を払ふが至当と思ふ。 例へば東京へ出たら能く運動をして、身体を強壮にする、日夜能く勉強して学業に励む。青年に有 がちな誘惑に打克って品性を練る。而して折さへあれば頻々と手紙を出して、自分の近状を報告 し、近頃は身体も斯の如く強壮になったとか、勉強して試験の成績は斯く / 、に優等であった、と いふことを親元に通知する。スルト何時しか親の心も解けて、田舎に引込めて置いたよりも、出京 させた方が実際よかったといふことが、真実に感ぜられる時代が早晩必らず来る。最初は親の心に 背き親に苦痛を与へるが、右に述べたことが出来る決心と見込とがあれば、最初に与へた苦痛に優 る喜悦を以て酬ゆることが出来る。君はこの二条件に適する見込があるかどうか。」 択僕が斯う言ふと青年は莞爾として了解したらしく、喜んで去った。 選 の 是は一の例に過ぎぬけれども、青年が折角立てた志も、一家の事情境遇によって、之が遂行を許 業 職されぬ為め、煩悶するものは此事例で其問題を解決することが出来ると思ふ。即ち 7 ナ苦痛に酬ゆるだけのことが出来る見込があるか否か。

4. 新渡戸稲造全集 第七巻

修 とする勇気は自ら出て来る。 勇気を鼓吹する読書のカ 偉人の伝記を読むことも、亦勇気を修養する一方法である。若し之を読むでかう云ふ場合に、此 人はかふいふことをしたといふことが解れば、其に倣はんとする心が起り、あの人が行ったことで あるから、自分にも出来ぬことはないと、惰夫も振ひ起っ。 偉人の伝記は中々人を感化する力を有って居る。勇気を鼓吹することが大きい。世の中に出て、 名を揚げ仕事を成した位な人は必らず勇気がある。勇気のない人に仕事の出来る筈がない。従って 必らずしも偉人豪傑の伝でなくとも、多少世に出た人のであれば、読んで勇気を養ふ補助となる。 なんびと 彼も人なり、我も人なり、堯舜何人ぞといふ考が勃然として起って来る。 他と比較して勇気を得る修養 偉大なる人物でなくとも、自分に近い人の行為を記憶することも、亦勇気修養の一となる。それ は親属でもよい、友人でも差閊はない。遠い例を引かずとも、僕一個に就ても然うである。流転の 世の中とは云ひながら、僕の家は実に浮沈が多かった。僕の三代前は儒者であったが、花巻の築城 について藩主と意見を異にしたため、流罪に処せられ、祖父も藩政に関して同僚と意見が衝突し て、網籠に乗せられ、父は切腹したと噂された。尤も父に対する噂は無実であったが、閉門を仰付 Z78

5. 新渡戸稲造全集 第七巻

に動くのも、此日が其最後である。生前には如何な悪党であったかも知れぬが、人としては今が其 最後である。敬礼すべき値があるといふ考を起して敬礼する。斯様に些細なことでも、実行を積ん で行けば、其中に含まれる原則が自ら会得されると、僕は固く信ずる。 継続で臆病者が大胆となった 或一事に具体的に熟達すれば、それが如何に些細な事でも、自ら他にも通ずるものである。事々 物々、皆別々のことの様に思ふて居るものも、その内外部に顕はれぬ関係が密であって、実際は総 てに共通して居るものがあるらしい。故に一を以て十を貫ぬくことが出来るやうである。 僕は曾て或人に斯ういふことを聞いたことがあった。昔時極めて臆病な武士が或長屋に移転し た。或時隣の商人が来て「私は撃剣を嗜むものでありますが、どうか少し御指南を願ひたい」と申 し込んだ。 「私は二本佩した武士であるが、恥しいことには武芸の心得がないから、御指南致すことなど夢に も出来ぬ。」 続 の「デモありませうが、どうか御指南に預りたい」といって頼む。 決「実際私は剣術の心得がない。恥を述べねば分らぬことであるが、家は貧乏士族で、武芸を学ぶこ 四とも出来す、又生来非常に臆病もので、どうしても武芸を学ぶことが出来なかったので、全く其心 第 得がござらぬ。」 どん 9

6. 新渡戸稲造全集 第七巻

れなくなる。是は各人の心が異ふから止むを得ぬのであるが、善いことまでも反対を受けて自滅さ せられることは困ったことである。 明治十四年頃であった。北海道に蝗虫が非常に多く発生して、農作に害を与へたことがある。時 の北海道長官は数万円の金を支出して、之が駆除を命じた。僕は学校を出たばかりで、駆除係の役 人となって、田の間を歩いたことがある。蝗虫は群をなして飛翔する。何十億居るか、その数が知 れぬ。この群集が飛んで来ると、一天暗くなる。試みに棒を高く振り廻はせば、蝗虫に触れてバタ バタと音がする。只歩いてさへも蝗群が、顔にバタ / 、と当る。子供などは、その為に窒息したも のさへあった。実に非常な群をなして来たものである。 この蝗虫は軟い地中を求めて産卵し、其卵は一匹に就き幾百個といふ巨多に達するから、之を放 任すれば、来年になって、夫が孵化して、更に多数となり、更に巨額の損害を与へる。故に卵の間 に早く之を採取して、来年孵化せぬ様にせなければならぬのである。 僕はこの時にこんなことを考へた。蝗虫は何故に斯く残酷に、人間から殺されるのであらうか。 なにも人間に憎まれ怨まれる為に生れて来るのであるまい。只蝗虫はその生れ来った天職を完うし みな て居るのである。天職を完うするばかりの為に、一匹に付き何百といふ卵が、親子ともに人間に鏖 黙 殺される、洵に奇体なものだ。若し殺されるのを厭ふて、天職を完うせなかったなら如何である 章 + か、殺されもせすに一代を安全に送ることが出来る。而して子孫も亦安全に繁殖することが出来る 3 第 3 と云ひ度いが、其の代り子孫を遺すことは出来ぬのである。之に反し其天職を完うせんとしたな ごろし まこと

7. 新渡戸稲造全集 第七巻

来る。壁一重を越えれば順境に出ることが出来る。この狭い短い逆境内に陥って狼狽すると、所謂 あとより晴れる村雨にあふて、自ら進んで黒雲に入るので、即ち好んで逆境に入るのである。故に 逆境に陥った時は冷静にこの逆境は如何なるものであるか、如何に遠きものか、又何年続くもので あるかを分析的に考へるがよい。かく考へるだけでも、逆境の悩ます力を半以上消すことが出来 何しかも物くるしげに , つめくらむ 月と花とのおもしろの世に 伊達千広 こも′」 古人の言に「是非交も結ぶ処、聖も亦知ること能はず。逆順縦横する時、仏も亦弁ずる能はず」 と。実に其通り、何れが逆境か、何れが順境か、両者の間分別し易きが如くなれども、中々容易の 判断では決し難い。東と西の別れ目、右と左の相合ふ所は果して何処やら : : : 。此分別は当事者其 得 心人の心次第ならん。此区別は恐らく己の境遇に心を奪はれてゐるものには、到底出来ぬことではあ 時 るまいか。所謂超然として、自己の境遇以上に考を延いて、其立場より境遇を見下ろして、始めて る あ こ 何れが順、何れが逆たるを知り得るのではあるまいか。かくいふたなら境遇より脱することは不可 境 逆能で、既に境遇といへば、己の周囲を意味し、之を脱すれば最早境遇はないといふものがあらう。 + 論理上これは尤もなことであるが、恐らく論理以外の精神作用があって、仮令身は境遇を脱し日寸よ 第 2 くとも、思想は自由自在に飛行し得るものでありはせぬか。高きに達しない僕は残念ながら、所謂

8. 新渡戸稲造全集 第七巻

第九章余が実験せる読書法 は「自分は趣味を有たぬから、能くは分らぬが、其様なことは大分説いてあった」とか云ふ。有っ たと聞いたならば、自分もそれを一読する。かうすれば十冊の大体が解るばかりでなく、其内自分 の研究に必要なことの有無や其内容を研究することも出来る。 折々大学生や高等学校生を集めて、僕の宅でこの読書会を開いた。茶と煎餅でも食ひながら、一 人十分間位とすれば十人で百分間、約二時間あれば充分に出来る。時間のかゝることでなく、経費 もかゝらぬ、読書法としては最も有益なことと思ふ。加之同趣味の輩が交を睦じくすることも出 来る。僕は一般の青年学生にこの種の会を設けることを奨励したい。 しかのみならず 3 2 2

9. 新渡戸稲造全集 第七巻

見した、、 又乗人も美事に乗ってゐる、あの外人にお頼みして鞍を見せて貰ふことは出来まいかと 警 申します。途中でお止め申して、甚だ失敬であるが、折角の望であるから、見せて頂きたい。主人 じようず 自が籠を下りて来るのが本当ですが貴方は乗馬が巧手ですから、籠の前に来て見せて下さらぬか」と いふ。外人は得意になって、籠の側に来て鞍を見せんと下馬し脱帽して挨拶した。其の時通訳官 は、「此の外人は誠に恐入った次第であるといひ、斯く脱帽してお詫を申上げてゐます、何分にも 命だけは御許を願ひたい」と申上げる。殿様も外人が下馬して脱帽し詫ることなら許して遣はせと いはれた。そこで通訳は外人に向ひ「美事なお鞍を拝見して有りがたい、籠の中から甚だ御無礼で はあるが、誠ー , こ御苦労であったと厚く御礼を申して居ります」といふ。外国人は恐縮し日本に来て 大名と直接に御話した事は始めてゞ、名誉な事であると喜び、再三脱帽した後で去った。通訳官は かく再三脱帽して御詫を申上げてゐますといふと、大名は「苦しうない、苦しうない。」 最大侮辱を最大敬礼として誤訳 翻訳といふものは斯うも出来るものだ。併し更に烈しい翻訳の仕方もある。幕府時代に使節が始 かみしも めて欧羅巴へ派遣されたことがある。髪をチョン髷に結ひ、裃を着け、二本佩し、和蘭へ行った。 是れより先、外国で日本人が来るさうだ、毛が頭の半分だけ生え、其の毛がっッ立ってゐるさう だ、是れは見物だといふので、子供も女も寄集まって見に出た。使節の一行は幾台かの馬車を列ね てホテルから宮廷に拝謁に出懸けた。何万といふ人々は沿道に立っ異様な装した日本人を見、ぞろ のりて 660

10. 新渡戸稲造全集 第七巻

履持であった。若党にすれば又理想的の若党になれる。大名になると理想的の大名になる。何故か 2 といふと自分の職業はちゃんとやって居る。低い道を歩いて居るが、思想は高い所にある。草履持 修は詰らぬと、胸には思って居ても、一躍して大名になることは出来ぬ。分りきったことではある が、その分り切ったことが分らんで大概不平をいふ。或は社長に対して、彼是いって見たり、或は 同僚のことを云って見たり、自分の職業に甘じない。不平ばかり持ち出して来る。さうなると、悪 いことをしても悪いと思はぬ。旋毛曲になるものと見えて、総ての標準が違って来る。 僕は甞て中学校とかの教師が、教場で生徒から質問を受けた時、今の月給ではそれは説明が出来 ないとロ僻に言ふて居た人があったと聞いたことがある。また「君、出来るもんかね、金でももう 少し出したならば、もう少し奮発も出来るけれど : : : 今のやうなことで、丁度月給だけの働をして 居る」と厭味をいふ者がある。役人などにはよくあることである。僕も人を使ったこともあるが、 斯る時には彼にもっと金をやったらもっとよく働くだらうといふ鑑定はなか / 、つかぬ。敢て憎い のではないが、金をやった所が、あゝいふ風では迚もむづかしいと思はれ、結局月給を上げるのが 後廻りとなる。併し金のことなど考へずに能く働いて居れば、あれは感心だといふので、月給も上 げてやりたくなる。又実際早く昇進するに相違ない。 如何なる人が月給を増されるか 僕が人を使って居った頃のことである。金を与ふると直に遣ひはたして始終貧乏し、遂には破廉 つむじまがり とて