か喜に非ざる。故に達人は当に順逆一視し、而も欣戚両ながら忘るべし」とある。道に達した人は 順境も逆境も之を同一視し、喜も憂も、両ながら忘れて、それ以上に超越し、天を楽み、命に安じ て居るが、一般の人は逆境に陥れば常に逆境々々と只悲み怨んで居る。併し喜も憂となり、憂も喜 びとなるから、逆境も若し之を善用すれば、大なる修養の資となり、且っ順境に達する手段となる。 一逆境の人はヤケになり易い 但し注意すべきは逆境に陥った人が其精神上に種々なる影響を受くるを免れぬことである。是は 逆境にある人の最も注意し、警戒せねばならぬことである。 逆境に陥った人は、直に逆境其ものを悲み怨み、「自分はこれほどまでに努めて居るのに、尚こ んな禍を受け逆境に陥る。これでは全く努める甲斐もないーと憂へて、逆境を切り抜けることを 思はずに、却ってャケとなり、堕落するものが世間に沢山ある。人間が折角立てた志を遂げず、終 心に堕落して一生を不幸に過ごす理由は種々あるが、一時の困難の為にヤケとなり、之を切り抜ける 時 勇気と知識とを欠くより生ずる者が極めて多い。最大多数は殆ど之に由るといふても可い位であ る あ にる。 境 おもんばかり 逆逆境に陥った人がヤケになるのは短慮の人に多い。遠い慮のあるものは、なか / 、ヤケになら 十ぬ。短慮の人は目前の逆境に目が眩み、一歩先を見ることが出来ぬ。従て乱暴な心にもなれば、又 5 2 第 不心得もする。故に教育を受けた人、多くの経験を積んだ人は仮令逆境に陥っても、ヤケになるも ふたっ
次 目 三逆境に処する態度 : ・ 「濡れた毛布」の如き人ー逆境者の乞食根性・ー逆境の苦痛は之を親友に打明 けよーー逆境の時は退て冷静に思慮せよ 四逆境の善用・ : 逆境の善用とは何かー一、逆境の善用より得べき同情ーーー御歌に現はれた陛下 の厚き御心ー・ー二、逆境の善用より得べき寛容ーー三、逆境の善用より得べき感 謝の念ーー逆境を善用した感心な少女ーー四、逆境の善用によりて得べき慰安の 光明ーー五、逆境は自他に対する試金石ー六、逆境より得たる超俗的修養 高所より見れば順逆はない。 第十一章順境にある時の心得 : 一境遇の順逆 : ・ 順境とは如何なることか て不平も愉快の種 二順境の人の警戒すべき危険・ : 一、順境の人は傲慢となり易いーー二、順境の人は職業を怠り易いーー・三、順境 の人は恩を忘れ易いーー四、順境の人は不平家となり易いーー五、順境の人は調 子に乗り易い 三順境に処する心得・ : 家康公の遺訓の解釈ーー順境の人は足に暇なき水鳥の如しーーー油断すると順境に 居て心は逆境ーー境遇の順逆は心の外にないー・順境には如何に処するか 心懸により逆境も順境となれるーー・自の付方一つに : 三 00 : 元四 7
養 修 我々凡夫は斯の如く徳を積むーー徳の与ふる黄金以上の満足ー積徳は誰にも何 時にても出来るーー人生の幸福は如斯して得らる 第九章余が実験せる読書法 : 余の実験せる多読の利害ーーー如何なる読方が有益なるかーー参考的研究の読書法 新刊書は如何にして読むかーー一冊を通読するに必要な心得ーー誤りたる今 の勉強法ーーー、多忙の人が利益を受ける読書法ーー実際生活には耳学問が殊に必要 ーー懇意なる人々間の読書会 第十章逆境にある時の心得 一逆境とは何ぞ 逆境に陥る 得意の人も儘ならぬことが多い 順境にも想像以上の苦痛あり 想像より自ら描き出した逆境 二種の原因ーーー逆境の最多数は自ら作るにあり 一一逆境者の受け易き危険・ : 「ハテ此先は : ・ : ・」と 人間万事塞翁の馬ーー一、逆境の人はヤケとなり易い 二、逆境者は人の善を羨み易いーーー羨の 考へよーー社会は決して無情でない 情は心の狭少より起るーーー共同的利害を考へよーー三、逆境の人は他を怨み易い ー・逆境の人が他人を怨む最多の理由ーーー人の世話の種子蒔けば怨の収穫ーー逆 境の理由を己に反省せよーー・心懸一にて何人にも出来るーーー四、天を怨む二種の 逆境者ーー逆境の人は何故に天を怨むかーー逆境を過大視するの弊ーー五、逆境 の人は同情を失ひ易しーーー余が母と子を失ふた以後の所感ーー・狭い経験で他人を 測る危険ーー六、逆境の人は心に疵を受け易いー逆境に陥りて疵を受けたる老 人ー疵を受けた者は疵を善用せよ : 一三四 6
四逆境の善用 逆境の善用とは何か 大抵の人は必らず逆境に陥るものである。而して一たび逆境に陥ったものは、動もすれば其精神 上に、前に挙げた六ヶ条の影響を受け易い。それでは、逆境は之を避け或は之を除くべきかといふ に、僕は寧ろ之を善用したい。 逆境に陥ったならば、逆境其ものを善用して、我精神の修養に供するが宜い。例へば夏の日のな たたす らひとして、空俄に掻き曇り驟雨、沛然として降りそゝぎ、雨具さへ持たぬ身の、暫時木陰に彳む ふるやしろ か、又は道のほとりにある古社の廂に、晴るゝを待つも一法であるが、又之に反し雨降らば降れ、風 吹かば吹け、身はひた濡にぬれながらも、行く所まで行くといふ覚悟で、雨にり風に打たれても 得 心進み、雲霽れ日耀き、濡れた衣が自然に乾いて、旧態に復するを待っといふも亦一法である。僕は 時 逆境に陥ったならば、之を避け之を防ぐことを悪いとは思はぬが、必らずしも宜いとも思はぬ。善 る あ 悪は全く動機と方法に在る。卑怯な心から逃れんとするか、或は禍を他人に被ぶせんとするが如き 境 逆は、無論我々の取るべきことではない。僕は寧ろ飽までも逆境に堪へ忍び、終には逆境そのものよ 章 り、或修業を求める様にしたい。僕のいふ逆境の善用とは即ち此意味である。菜根譚に「天の機緘 十 第 は測られす、抑へて伸べ、伸べて抑ふ。皆是れ英雄を翻弄し、豪傑を顛倒する処、君子は只是れ逆 にはか きしん 271 , スをうらむを - い
といふ気になれ 烈しい不幸の人に比ぶれば、自分の不幸は未だ軽い、夫程に悲むべきものでない、 0 る。是は多少の修養を要することではあるが、逆境の人が其勇気を求むる一端であらうと思ふ。此 2 修は勇気の処で述べたから此所では詳しくは云はぬ。 五、逆境は自他に対する試金石 自分が一たび逆境に立っ時は、世人の心が赤裸々となって、現はれて来る。平生得意の場合に、 互に飾ってあった心の汚れも、逆境に逢ふときは見苦しきまでに其本性を現はすものである。順境 にある時は、何とか彼とかいって訪ねて来たり、縁も由縁もない人が、僅かの事情を以て親戚だと か、親友だとかいふ。然るに一朝逆境に立っときは、知らぬ人は勿論、平生懇意にして、殆ど莫逆 の友らしく振舞ふて居たものすらも、寄りつかなくなる。自分が逆境に立っときは、人の心の浅ま しさが歴々として現はれて来る。 基督が十字架上の人となったとき、今まで彼に附随し居た、幾十の門弟は殆ど総て彼を捨てゝ遁 えんざい げ去ったといふ。又僕の知って居る某名士は、寃罪の為に一時獄裏の人となったことがある。世に ある頃には、最も懇親にし、頼るべき人と思ふた知人さへも、名士の境遇が一変すると共に、再び 訪ふことを廃めたといふ。順境にある間は、人は友情を育成するが、逆境に陥ると、人の友情は始 めて試めされる者である。順境にある間は、人々の友情は、真偽なく同様に見えるが、一度自ら逆 境に陥ると、世人は忽ち其本性を発揮し、蔽ふことが出来なくなる。所謂家貧ふして孝子出で、国
小説なる為に之を読まぬものが多く、一生涯芝居を見たことさへもないといふ人がある。 6 養 曾て僕が自分の子供時代に、非常に玩具を欲しがったが、終に貰へなかったことがあるので、今 2 修の子供が同じく玩具を欲しがっても、夫を与ふるは贅沢であるといふた時、この派に属する僕の友 人は之を聞いて、「夫はよくない。自分が子供の時に欲しくても買はれなかったものなら、今の子 供も定めし欲しく感ずるといふことが、深く思ひ遣られるであらう。自分が欲しかった情に引き較 べて、欲しがる今の子供に買ふてやるのは当然である。自分が貰へなかったから、子供にも持たせ ぬといふは間違である」と説いて呉れた。僕も尤なことと思ふた。 逆境に陥った人は、自分の逆境を思ふて、兎角他人が自己と同じ逆境に陥るのが、当然であるか の如く見傚すものが多い。 余が母と子を失ふた以後の所感 逆境に苦んだ人が斯ういふ観念を起すのは、逆境の為に同情心を失ふ故である。人が逆境に苦む を見ると「なに、俺だってその位なことをやって来たのだ」といって、其逆境に同情せす却て反抗 の念を養ふものである。僕が母を喪ふた後の数年間は、恥しながら斯る考を脱することが出来なか った。 僕は十年ぶりに懐しい母に逢ふを楽として、北海道から郷里に帰った。着いた時には図らざり き、母は三日前に既に亡くなり、昨日既に葬儀を執行したといふ時であった。札幌にも通知は発さ
に来る所を順に受け、安に居て危きを思ふ、天も亦其技倆を用ふる所なし」とあるのは、境遇の順 2 逆は之を善用する人の心懸一つで、如何様にもなることを示したのである。又「逆境の中に居れ 2 ば、周身皆緘能薬石、節を砥き行を礪いて、而も覚らず」といって、失意の境遇の悲むに足らざる ことを説いて居る。 然らば逆境は如何に之を善用することが出来るか、以下少しく之を述べて見たい。 一逆境の善用より得べき同情 今日基督教が、幾億万人に慰安を与へて居るのは、耶蘇といふ人が、常に逆境にあって、具に人 生の辛酸を甞めた為であらう。ゲーテは基督教のことを、悲哀の神殿 (TempIe 望 Sorrow) とい ふた。これは我々に最も趣味深い言葉である。所謂逆境があればこそ、我々は人に対する情を覚ゅ るなれ。若し終日踊り跳ねて、一生を落花の中に迷ひ暮らすならば、何で人の情を解することが出 来やう。人の情を知らぬものが、如何にして人情の真味を味ふことが出来やう。武士はものゝ哀を 知るといふ、之を知らぬは真の武士でない。身を捻ってこそ人の痛さを知れといふ如く、逆境に陥 り、逆境の何たるを知ったものにあらねば、人情の真味を味ふことが出来ぬ。 喜があれば喜を共にし、悲があれば悲を共にするは、人情の最も美はしい点である。喜を人と共 にするは、誠に美はしいが、喜は独り自ら喜んで居ても、それがために他人に苦痛を与へぬ。尤も 世間には、喜があれば、之を他人に頒っことを、吝むものさへあるが、それでも他人に別に迷惑を しんへん みが つぶさ
の 逆境を過大視する弊 時 る あ 例へば富者が金を失ふと、逆境に陥ったといって天を怨む。併し金のないことが、果して天を怨 境 逆むだけの逆境と称することに値するであらうか。貧困になったから、天を怨むといふが正しけれ 章ば、金は天の賜といふ結論となりはせぬか。併し古来の歴史、或は聖人英雄等の伝記を見るに、金 3 2 第 を以て天の恵となし、金を得た為に、始めて天恵を知ったといふたのを見たことがない。 逆境の人は何故天を怨むか 昔時司馬遷が伯夷叔斉を論じたとき、天道是か非かと疑問を発して、天を怨むの語気を示した。 今の学者は天に是非なし、天を道徳的に見ることは学理の許さぬことと論ずる。英国のハックスレ ーは自然即ち天をインモーラルといはずにアンモーラルといひ、道徳観は人の作るもので、天とか 地とかに客観的にあるものでないといふて居る。故に天道是か非かといふ議論は、恐らく古来一歩 も進んで居らぬ。又人智の未だ説き得ざる問題と仮定することが出来やう。然るに既に云ふた如 人が逆境に陥ると、其罪を他に嫁したがる。而して他に嫁することの終局は、天にまでも責を 負はせるに至る。この問題は宗教の力によらねば説けるものでないが、僕は爰に一言青年に注意し たいことがある。其は外でもない、人は逆境とか災難とかいふことを、兎角過大視する弊があるこ とである。
なり、順境に立ったらしく見えたのであるが、氏の如き、実に逆境に始り、逆境の中に働き、逆境 に終った人と云ふてもよからう。 ホワイトハウス 修然るに彼の白館に在りて世界の注意点と成り、最大共和国の統治者たる様子を見、又彼れに 接逢ふて、おどけ話を聞いた者は、決して、英雄の心中憂慮あるを察せなんだであらう。水戸黄門 が隠退して、太田村で春は花、秋は月、冬は雪と楽むを見て、公の閑楽を羨んだものがあった時、 公は筆を執って傍の紙にスラ / \ と 見ればたゞ何んの苦もなき水鳥の 足にひまなき我が思ひかな と書かれたといふ。得意らしく幸福らしく見える人でも、誰かは其裏面に逆境不幸を味はぬものが あ、ら一つ 0 逆境に陥る二種の原因 以上僕は逆境は総ての人にある。得意に見える人にも、大統領の尊に居る人にも、必らず自分の わざはひ 思ひ通りにならぬことがあると説 1 一三した。この自分の思ひ通りにならぬこと、換言すれば禍には二種 あると思ふ。所謂天の授くるものと、自ら作るものとがそれである。即ち慮らざるの誉もあれば、 そしり みづか 全きを求むる毀もある。吉凶、禍福、貴賤、貧富、生死等天命にあらぬものはなしとしても、自ら 招くものと、自ら至るものとある。一は所謂自業自得、一は運命或は正命などと称してある。尤も おの・つか とうとき 2
養 修 かその結果だらうと思ふ。僕は斯る経験があるので、苦学生のことを聞くと、仮令金力を以て助け ることは出来なくとも、せめて励ましの言葉位は真実かけてやりたくなる。 御歌に現はれた陛下の厚き御心 併し同情を養ふことは、決して逆境に陥った場合に限るものでない。他の場合にも修養される。 逆境を善用するは其手段の一たるに過ぎぬ。皇太后陛下の御歌に あや錦とり重ねてもおもふかな 寒さおほはむそでもなき身を といふがある。僕はこの御歌を拝誦する毎に、寒風烈しく吹き荒み、手足の凍ゆる時、細き一個の 灯火に手を暖めつゝ、客待ちせる車夫の憐さを想起し、陛下の厚き御仁徳の為に、国民は皆自ら風 おんいつく 雨寒暑の苦を忘れざるを得ぬであらうと思ふ。併し是は陛下の国民を御慈しみ給ふに出させたもの である。故に必らずしも自分が逆境に陥らなければ、他人に対する同情の養はれぬといふことはな いと思ふ。 二逆境の善用より得べき寛容 又逆境を善用すれば、対手の短所を赦すことも出来れば、自分の短所を除く手段ともなり、勇気 を養ふことも出来ると思ふ。例へば人と交はって居る間にも、「あいっ何だか気に障る」とか「嫌 2