言 十月ニ十三日 一恐るべきものは傲慢の心。少し学間すれば朋友が無学に見え、少し用ゐられると同僚が愚に見え、 少し歩並が進めば他人は時勢後れに見え、少し修養が積めば世は修羅に見え、少し油断する間に高 ぶる心は増長する。 気もっかず目にも見えねど知らぬ間に ほこりのたまる袂なりけり 十月ニ十四日 忘れ易きは人の恩。我れが人の為にしたことは、一つを十にも計上するが、人の我が為にすること は、十あっても、一つとしか数へぬゅゑ、人の薄情を怨みて、己の薄情に気が付かぬ。 世の中に人の恩をば恩として 我がする恩は恩と思ふな 550
世渡りの道 第十八章親切の修養 : 一、内外人の親切の異同 : ーー此悪習慣は存 我国人は親切気を外に現はさぬーー我国人の感情には深みがない 外早く矯正されるーー親切は法律以上のカーー偽善と思はれても親切を外に現はせ 二、親切の修養・ 一、親切と気づけば直に実行せよー二、人に対して城壁を設くるなーーー三、親切 らしくするも修養の一法ーー・尽した親切は廉く評価せよ 第十九章同情の修養 : 一、同情の偉カ・ 同情とは如何なるものかーー飼大が表はした同情の話ーーー同情は処世の最大要件 社会に於ける法律と同情との関係ーーー武士道の根本は同情に在り 二、同情の修養法・ 同情は何人にも修養されるーー・同情の修養に偉効ある親友のカーーー世人の陥り易き 悪習慣ーー親友の交際は斯くありたしーー同情心を行為に現はせーーー実行で融和し た親子の情愛ーー苦楽に対する同情 三、同情を受くべき人・ 同情を受くる者と反感を受くる人ーーー如何なる人が真の同情を受くるかーー聖賢の 受くる永久の同情・ーーー感謝の念なき者には同情来らずーーー同情は積極的なるべし 第二十章民の恩・ 名を借りてゐる日本の思想ーー恩の観念は人間の特有ーー長く難有いと思ふが知恩 : ・三四九 8
修養に出た臨機応変の才 僕はかく平生の修養を重んずるとても、決して事に当って機智を運らし、臨機応変の才を発する ことを謗るのではない。寧ろ高尚に此等の才能を養成せんと欲するのである。平生の修養があれ ば、機智も策略も道に適ふが、日頃の修養を怠って事に当れば、出るものは邪知悪才のみとなる。 よく人は飯の喰ひ溜は役に立たぬといふが、僕は経験深き老人から、心配の仕溜もまた同様であ ると教へられたことがある。それは其通りであると思ふ。僕が爰に平生から精神を修養せよといふ のは、毎日心配の仕溜をせよといふのでない。又取越苦労せよといふのでもない。飯の喰ひ溜は出 来ぬが、日頃三度の飯を満遍なく喰へるものは、不時の病に罹っても早く治り易い。京都の人が病 気に罹ると、全快までに比較的長い日数が要る。それは日頃の営養が充分でない為であると、某医 師から聞いたことがある。滋養分の貯蓄の意味なら、喰ひ溜といふことは我々の正しく努めねばな らぬことである。 尋又百姓の談に草木を栽培するに、草木その者を培養するものもあり、又草木を支へる土地の力を ä培養するものもある。何れにしても、平年なれば同じ収穫を得るが、水害、暴風其他天変地異に遇 奮ふた場合には、根元丈けに施された肥料のみにより、生長に必要な営養分を取ったものと、広く其 九周囲より施肥して、充分に肥沃となった地カの内より養分を吸収して生長したものとは、大に異ふ 第 と聞いた。是に於て僕は繰返して云ふ、奮闘して成功するのは、勝っ時に勝つのでなく、日頃の修 Z62
説 解 う人は、例がないのではなかろうか。こう考えてみると、彼が近代日本の学者、知識人のうちでも 独自の姿勢を持った人であることが理解されると思う。 「世渡りの道」は著者もその「序」の中でのべているように、大部分は『実業之日本』に掲載さ れたものを訂正増補し、その上新たに本書のため稿を起したものをつけ加えて完成された。本書刊 行の前年に出た『修養』と同じ趣旨のもとに書かれていることはいうまでもないが、両者を比較し てみるならば、『修養』が主として己に対する務めに重きをおいているのに対して、『世渡りの道』 は他人に対する関係、義務を主として説いている。『修養』と『世渡りの道』、つまり個人倫理と 社会道徳を合わせて人生となす新渡戸の考えは、本書の第十三章につぎのようにのべられている。 「世の中は相持ちで持って行くのであるから、助け助けられ、惜み惜まれ、苦も楽も皆相互に分 ちながら行くものである。併し度々いふ通り、人生は人と人との関係のみでなく、己自身に対する 即ち自己に対する関係も無論其間に含まれてあって、寧ろ人生の根本は此点にあると思ふ。 : : : 併 し如何せん此事を少しく詳細に論すると、説く所が宗教的の性質を帯び、口外し難いことが多いか はなし おもき ら、暫く此方面の談は預りとして、例の如く重を人と人との関係に置いて談をすれば、前に述べた 通り、助け助けられ、惜み惜まれて世渡りするを人生といふ。」 このような人生をどう生きていくかについて、新渡戸はたとえば「人に対する礼節」「応対談話」 「団体的道徳」「廉恥心」「親切の修養」「同情の修養」「民の恩」「慈善」などの章を設け、古今啝 098
慈善は個人の一の修養 の 基督信者はその所得の十分一は神の為めに捧ぐべきものと称し、月給其他の所得の一割を貧民救 世助等の為めに費す人が多い。想ふに今後は所謂社会問題なるものが、益々世に賑はしき問題とな り、之を解決する一手段としては、慈善なるものを度外視することは出来ぬと思ふ。然るに心なき の慈善者は、其方法を誤り、却って慈善を度外視するものよりも、より以上の害を与ふることがあ ると思ふ。社会の事に当るものは能く此点を注意して貰ひたい。 僕は、平生、奮闘努力とか、各自の個人的修養を、主として説くが、読者にして少しく念を入れ て読めば、自己の修養も全く自己一人で出来るものでない、人間そのものは社交的動物である故 に、世の中と共に進み、共に退くのが進化の大法であり、如何に仙人を気取っても、世の風潮を悉 く避けることの出来ぬことが解るであらう。故に世渡りするときは、辛いこともある、世渡りの要 素たる情を心に懐いて行かねばならぬ。これは僕が本書の中に、折々諷したり 、或は明に述べたり したことであるが、慈善の如きも、世の情の表示であると同時に、個人の修養であることを念頭に . 置きたい。 37 イ
解題 『世渡りの道』は大正元年十月、実業之日本社より発行された。『修養』の初版発行より一年一 カ月後のことである。本書は世に出るやたちまち版を重ね、大正元年のうちに五版、大正十五年八 月には七十二版、昭和四年五月には八十六版を出し、その普及ぶりは『修養』と並ぶものがあっ た。内容の点から見ても、『修養』が自己に対するモラルを説いているのに対して、『世渡りの道』 はもつばら他人に対するモラルを説いており、両者はあたかも車の両輪の如き関係にあるといえよ う。本全集では初版本を底本とし、編集に当っては、本文の校訂、ルビの扱いなどすべて『修養』 の場合と同じ方針にしたがった。 『一日一言』は大正四年一月、実業之日本社より発行された。本書もまた次々に版を重ね、大正 四年の間に二十四版、大正九年七月に五十版、大正十五年八月には八十四版を出している。原版は 題一ページごとに一日分を入れる小型本で、漢字にはすべてルビがつけられてあるが、本全集では極 端に余自の部分が大きくなるのを避けて、一ページに二日分を収め、またルビの取扱いも本全集の 3 解 5 統一的な編集方針にしたがった。
二怒気の抑制法 怒気は修養で抑制さるる 併しこの怒気は必らす之を抑制し得ると信ずる。絶対に根本的に排除することは出来ないとして も、大概の場合には抑制して、対手に不快の感を与へぬまでにすることが出来る。僕は之を抑制し て、大敵に克った様な、快感を有するものを見たことがある。然も夫を多く見たのである。及ばず ながら、自分も小い範囲内で、或点まではこの怒気抑制に成功したと信じて居る。僕は幼少の頃、 非常に短気であった。人と喧曄をした。悪口をした。殴りもした。勿論、今日とても尚之をするこ とがある。君子でないから免れぬが、幼少の頃に比べると、極めて少くなった心地がする。折々は 自分でも「自分は斯く意気地なしになって、よいであらうか。モ少し怒らぬと悪くはあるまいか」 と思ふことさへある。併し君子ならぬ悲さには、時ならぬ時に、不意に怒気を萠すことがある。未 法だ凡人の域に居ることが分り、修養の足らぬを思ふて恥づるのみである。 制 気 一、他事に紛らす抑制法 四怒気の起るのを抑制する工夫は、人に依て種々な方法もあらうが、僕は次に其二三を挙げて、青 第 年修養の参考に供したい。怒気が萠した時は、「平生注意して居るのはこゝだな」と思ふて、之を きざ 3 5
序 僕は曩に『修養』なる題の下に一巻を公にし、引続き今又本書を上梓するに就ては、如何にも所 謂「ブックメーカー」の如く、粗製品を濫りに発行するの感なきにしもあらぬ。本書を公にするに 当り、一言、読書界に対して申訳するが至当であらうと感ずる。 本書も亦前書と同じ様に、過去二三年間雑誌『実業之日本』に掲載したるものを訂正増補したる が多く、中には新に稿を起したものもある。前書に於ては主として自己の修養即ち己に対する務 に、重を置いたが、本書は之に反し他人に対する関係義務等を主として説いた考である。僕は平 生、人間が此世に生れた以上は、既に母の胎内にある時から、愈棺を葢ふて穴に入るまで、終始他 人の世話を受け、又は他人の手を煩さないで、全く独立し或は孤立しては何事をも為し得ぬもので あると信じてゐる。故に自己を修むると称しても、周囲を憚らず、或は実際の境遇を去り、或は首 あく 陽山に上って蕨を作り、或は比叡山に退いて読経すべきものとは思はぬ。厭までも世と共に移り、 塵の世に交はりながら、品性を磨き以て人たるの義務を完うせねばならぬと思ふ。或は塵の世にあ りては、思ふ程の修養が積まれぬと称して隠退することも、其人により、其時代にありては、止む 序
道 の 渡第十章鬼ヶ島征伐 世 最も古く最も広く伝はれる教訓 修養にも個人的のものと、団体的のものとがある。個人の修養といへば、何人も知って居り、今 更之を説明する必要もない。団体の修養といへば、或は耳新しく聞くものがあるかも知れぬが、是 に関しては古来我国に存在する有益の教訓がある。之れは極めて大切なことであるが、我々日本人 は余りに其事に慣れて居るから、殆ど意味も解らずに聞き棄にして居る。遠く我々の祖先より語り 伝へられ、今も尚生きて居る教訓である。然らばそれは何であるか。小学校の教科書か、否な教科 書などは僅に明治維新後に出来たもので、それも三十年前のと、二十年前のと、又十年前のとは大 に相違して居る。又同じ時代にしても、甲の地方のと、乙の地万のとは同じからぬことがある。宗 教か、否、宗教も宗派によって異同あり、年代に従ぶて宗旨の説き方が一様でないこともある。此 等は僕が爰に我祖先以来継承せる教訓と称すべきものでない。 然らば我々の生れない前から伝はれる教訓とは何か。日く桃太郎の鬼ヶ島征伐の噺である。匕よ 北海道の端から、南は九州の端に至るまで、全国中恐らくこの噺の行渡って居らぬ所はあるまい 766
第十九章同情の修養 武士道の特性は物のあはれを知ることである。あはれを知るといふのは、世の無常を悟り、悲哀 を感ずることである。これは抽象的の談でもなければ、一身上のことでもない。人の苦を見て、あ よわき あさぞ苦しからうと思ひ、弱を扶けるとか、義を守るとかいふのも、総て物のあはれを知るからで ある。古来君辱めらるれば臣死すと教へてある。是は君が辱められたから、自分も残念であるとい ふ丈けではない。君はさぞ御無念であらう、臣下として見るに忍びない、誠にお気の毒であるとい ふに対する同情から起ったのである。若し単に君が辱められたから、自分がくやしいとか、或は 恥しいとか云ふので、臣たるものが死するなら、それは極めて意味のないことになる。武士は相身 いひあらは たがひ 互とは、古来武士の間に用ゐられた言葉であるが、人の苦を吾が憂とする武士の特徴を言明したも のと思ふ。故に武士道の武士道たる所以は要するに同情にあると思ふ。維新以前にはこの武士道が あって社会を維持した。優勝劣敗とか法律万能とかいふことは、一部の真理を含んで居るであらう が、之は単に消極的の働をなすのみで、真の社会の維持と進歩とは之のみでは得られぬ。更に同情 てふ大要素がなければならぬ。 二同情の修養法 同情は何人にも修養される うまれ 元来人間は生ながらにして同情があり、且又既に此世に生れると共に、同情を深くする様に育て あひみ 337