い所に達せんとし、もっと勢力を得んとする望より起った奮闘である。衣食足りて後に欲しくなる 、いはゞ贅沢の為にする奮闘である。彼の談を聞いた僕の念 名誉、位地、権力等を増進せんとする 頭には、悲惨よりも寧ろ甚だ不愉快の感が起った 何にしても奮闘とは己の身を進めん為め 少なくとも己の身を落さゞらん為めーー・努力するの 意であるから、少しく謹慎的態度を以て折々反省せなければ、丁度昔しの武士が戦に熱する時は、 おっ 思慮も分別も失ふて狂ひ戦ひ、一匹の猪武者に堕ると同じ観を呈するに至るだらう。 又曾て僕はプルタークの『英雄列伝』の中で、こんな一話を読むだことがある。それは昔日、或 軍隊に評判の勇者があった。併し彼は平素身体が虚弱で、決して強さうに思はれぬ奴であったか ら、大将は若し此者にして健康が良かったならば、定めし益々勇奮して一層の手柄を顕はすであら うと考へ、戦争後種々手当養生を施して強壮ならしめた。愈々次の戦争には天晴れ奮戦し、前にも 倍した功名を揚げるだらうと思ひきや。却って身体の弱かった時よりも怯くなった。大将は不思議 に思ひ「お前は今まで身体が弱かったのに、あれ程武勇を現はしながら、今身体が強壮になって、 なち 尋却って怯くなったのは如何したのである」と詰ったら、彼は「実は私も今までは虚弱な身体で、明 ながいき 日をも知らぬ生命でありました。どうせ長命の出来ぬ身なれば、寧ろ戦場で花々しく戦ふて死ぬが くや 奮ましと思ひましたが、近頃は身体も強壮となり、戦争に死ぬのが何となく口惜しく思はれ、前日の 九様に奮戦されなくなりました」と白状したといふことである。 第 この勇士の戦場に奮闘したのは、全くャケとなったのである。どうせ長命されぬものなら、戦争 よわ 1 イ 5
る。又阿小屋の琴責の談を聞いても、如何に人の性質が図らぬ所に現はれるものであるかゞ分るで まよ、 ) 0 力しカ 今は故人となったが、僕の友人に稲垣満次郎といふ人があった。読者中には氏が全権公使となっ て在任中、西班牙で客死したことを記憶する者もあるであらう。氏が青年の頃、鎌倉の某寺で、禅 学を習ふたことがある。例の隻手の声といふ問題が出たので、氏は思案の末、自分はかうであらう と、大概の所に達したと思ふた答案を携へ、師の僧堂に入った。師は一瞥だも与へず「まだ解決は 出来ない、 もう少し考へろ」といはれ、氏も帰って更に考へると、成程今までの答案は間違であっ たことが分り、更に三四日審思した後、今度は大丈夫と思ふて行き「先生、解りました」と云ふた が、師の僧は振り向きもせずして「まだ、だめ / 、、も一度考へ直せ」といって、氏が解決の要領 を説明せんとしても、更に取上げない。三たび帰って更に一週間ばかり熟慮を凝らし、今回こそは 大丈夫と思ひ、今までとは大に変った考を持って行った。氏が未だ要領を説明せぬ前に、師の僧は 一寸見て「漸く解った様だ。夫なら宜しい」といひ、要領を説明しようとしたが、「ナニ、説明し りなくともよい。説明の言を聞かなくとも、解決の要領は分って居る。前に二度来た時とはお前の顔 の色から、足の運びの音が違ふて居る」といはれたと語ったことがある。 章 観察には不容易の知識と判断が要る 十 第 斯れほど明に他人の性質思想を見るといふは、到底凡人の企て及ぶ所でない。併し前にも云ふた あこや 797
は、独逸語の Schadenfroh であるが、英語にはこの語がない。英国人の間とても、この悪い思想 道 のが全然ないのではないが、割合に薄いと見ゆる。 平生快く思って居ない人が、何か困った事にでも出逢ふと、直ちに「彼奴いゝ気味だ」と喜ぶ。 渡 世而して誠に気の毒である、可哀想であると思ふことがない。人の難儀するのを見て気味がいゝと喜 んで居ては、同情は決して起って来ない。仮令其人に同情心が潜伏して居っても、夫れが外部に発 する機会なく、自然に失はれて了ふ。 此欠点を除く為めには、斯く人のことを「気味がいゝ」などといふて居る自分の将来は、如何に なるかを思ふがよい。敵に降り懸って来た困難は、何時かは自分の上に来ぬとも限らぬ。仮令自分 に来なくとも、敵の困ることは少しも自分の利益とならぬ。之が為に自分の喜ぶべき理由がない。 基督教の中に悪を拝する宗派がある。彼等の説によると、「悪魔は人に害を与へるが、怜悧な ものである。人の知ぬことを知り、人の見ぬことを見る。今こそ悪魔として排斥するものゝ、他日 天国に行かぬものとは限らぬ。若し天国に行った時、怜悧な悪魘を敵として置くときは、非常に不 あだ 利益である。如何なる復仇をされるか分らぬ。今の間に尊敬するが可い」といふので、悪魔を拝し た宗派がある。是は少し極端であるが、人に対しては慥かに之と同じ心懸けを有って欲しい。と云 って僕は己の利益を慮りて同情せよとの意ではないが、現在敵視して居る輩にも、彼等の将来を思 ひ遣って、目前の悪感を弱めたいと思ふのである。 たし 336
する必要はないと思ふが、能く世の中でもいひ、お経にも書いてあるのは、四恩といって、天地の 恩、父母の恩、国主の恩、衆生の恩をいふのである。天の恩といふと、コンナお天気のよい日には 心持がよい。難有い。今日は音楽学校へ行って音楽を聴かう。新渡戸などの演説は、可成短かい方 がよいと思って来て居る人が多いと思ふ。 ( 聴衆笑ふ ) 。そこで雨が降って困るなアと思って居る 時に、天気が好くなる。ア、難有い。それを忘れてはいかぬ。中には怨む人があるかも知れぬ。新 渡戸の演説などを聴かされて、是なら来るのではなかった : : : ( 聴衆笑ふ ) 。併し今に面白いことが ある。それから地の恩といふは、お米でも大根でも、土地がなければ出来ない。天地の恩といぶの はそこをいふのです。次に国主の恩といふは、即ち天子様の恩です。是は勅語や何かで、始終あな た方が聴いていらっしやると思ふ。ところが実際はまだどれほど難有いかは感じない。けれども国 に君がなかったらヒドイものでせう。お爺いさんかお婆あさんに、戦争の時のことを聞いてごらん なさい。国に王様がないやうに乱れた時分は、どんなだらうと聞いてごらんなさい。それは家に居 っても鉄砲の弾丸などが飛んで来て危険である。それは御維新の時分、或は鹿児島戦争の時分のこ とを知って居る人は、成るほどと思ふ。ツィ此間も、四国で抗夫が騒いだ時分に、始めて巡査とい のふ者は難有い、又兵隊さんは難有いと思ふたといふ。平生は雨が降っても外に立番して居るので、 民 いくらか馬鹿のやうに考へて居る人もあるが、さういふ人が居る為に、泥棒も無暗に殖へず、外を 章 二歩るいても女の子に戯談したりする者がないので、それは国主の恩である。それから第三番目の父 5 3 第 母の恩である。是は皆御承知であると思ふからいはない。第四の衆生の恩といふのは、即ち民の恩
かくの如く難有いといふことは、其時は誰でも思ふ。けれどもそれを忘れ易い。それをいつまで 道 のも忘れないで居ることを恩を知るといふのである。詰り恩といふことは難有いと思ったことを忘れ 3 ないことである。そこで此所にコップがある。之を叩くとカンと音がする、是と同じゃうなものだ 世らうと思ふ。途中で怪我をして居ると、誰か来て、膏薬でも張って呉れたり、洗ったりして、痛く ないやうにして呉れると難有いと思ふ。道に迷ふて居る所へ、巡査が来て教へて呉れる。ア、巡査 といふものは難有いものだと思ふ。其良い事をするに応じて、こちらに起る感情は、エ度此コップ に物が当って音が起るのと同じことである。此カーンは即ち難有いといふことである。そこまでは 大でも持って居る。其証拠にはチン / 、しろといふと喜んでする。何かやるとパク / 、食って居 る。其状を見ると難有いといふ感念はありさうだが、情ないことには、カンでお仕舞ひで、いつま でもカーンと鳴って居ない。此カーンが、一時間も、二時間も、一日も、十日も、二年も、三年 も、十年も、死ぬまでも、カーンと鳴って居なくては恩といへない。そこで良いことがあったら、 難有いと思ふ。其難有いと思ふことを忘れまいと始終考へる。之を名付けて恩といふ。唯その時に 難有いと思ふ丈では人間本位でない。 ワン / 、本位である。 四恩五恩の区別よりも大切のこと モウ一歩進めて、其恩といふことに就て、或お経に、四恩といって、四つの恩があるといってあ る。一体私はソンナ四恩だの五恩だのといふことは好まぬ。心の働きゃうでいくつでもよい、区別
長く難有いと思ふが知恩 然らば一体恩とは何んであるか。之を平たくいふとが、恩といふことは有難いと思ふ心である。 殊に私は小さい方に能く之を呑込んで貰ひたい。 恩を知るといふは、難有いと思ったことを忘れないことである。難有いとは思ふが忘れ易いもの である。例へば子供が他の伯母さんから、好きな「リボン」を貰ふと、大きに難有うといふが、翌 日は忘れて仕舞ふ。若し翌日位は覚えて居っても、三四日或は一年二年と経っと、ポンと忘れて仕 舞って、あの人は嫌ゃな伯母さんだ、私に同も呉れたことはないといふ。これが恩を知らないとい ふのである。「リボン」位では、深く難有いといふ感が起らぬか知らぬが、モウ少し深い例を取る と、我々が幼い時は、母が夜眠らずに乳を飲ませて呉れ、寒い晩には自分の着物まで脱いで、風を 引かないやうに着せて呉れたり、お腹が空いたと思ふ時分には、自分の食べる物さへ食べないで、 くらか分る時になって、いろ 父や母が食べさせた。其時分は何も知らないで済んで仕舞ったが、い 恩いろ難有いことをされると、ア、母といふものは難有いものであると思ふ。殊に咽喉の渇いて居る の 時に、「アイスクリーム」を貰ふと、ア、難有いと思ふが、咽喉元過ぎれば熱さを忘れる。寒い時 民 になるとトンと忘れて居る。忘れる所でない、却て仇に思ふやうなことがある。ナーニ夏だって 章 二「アイスクリーム」などが要るものか、夏の氷より寒い時に温い方がよい。コンナに寒いのに着物 3 第 3 が出来ない。帯も思ふやうなのが買へないといふやうに、父や母を怨むことが度々あらうと思ふ。
内部に察してやるべき事情がある。外形に現はれたことばかりで判断すべきものでない。御互に斯 のく内部の事情を思ひやって交際して居れば、自ら同情が修養される。 同情心を行為に現はせ 世 同情を涵養するには、同情心の起ったとき、直ちにそれを行為に現はす様にするがよい。幾度も それを現はして居る間に、同情は益々深くなる。然るに日本人はそれをやらない。斯ういふことを したならば、何とか云はれはせぬか、何とか思はれはせぬかと、始終他人から思はれることを怖っ て居る。併し他人が何と思ふても、それを遠慮するに及ばぬ。動機が正しくさへあれば、進んで之 を行為に現はすがよい。 日本人は古来喜怒を色に現はさぬことを誇として居た。この考があるから、他人の喜怒に対して も、ⅱ情を現はすことが少い。現ーことカ少いから同情がくなる。 他の喜憂に対して同情を現はすには、必らずしも金銭を以てするを要せぬ。一挙手一投足の労で も優に先方に同情し得ると思ふ。電車に乗っても、老人とか大な荷を負ふて居る者に対して、此方 へおかけなさいといふ。只の一言であるが、それを受けた人は如何に感謝するであらう。僕は同情 を養ふには、斯かる些細のことからでも始めて貰ひたいと思ふ。遠慮することはない、他人の思惑 に怖れる必要はない。 『べン・ハア』と云ふ史的小説にかういふ話が出て居る。或青年が国事犯の為め捕縛され、数多 こわが 8 3 3
です。お経の方で衆生といふは、私のいふ民とは少し違ふか知らぬが、私は仏教を知らないから、 6 の大間違であるとお笑ひになる方があるかも知れぬが、さういふ方には笑はせて置く。そんなことで 3 笑はれるのはどうもない。知らないことを知ったやうにいふのであるから、間違さうであるが、併 世し見当は余り違はないと思ふ。私はさういふ意味に取る。是は兄弟や友達のことではない。見す知 らずの国に居る人々の恩である。これを四恩といって居る。或人は之にモウ一つ先生の恩を加へて 五恩といふて居る。けれども私は前にお話する通り、五恩であらうが、六恩であらうが、十恩であ らうが、数はどうでもよいと思って居る。大事の所はカーンである。外へ出ると難有いと思ふ。何 んで難有いか。その難有さはどこから起ったか知らない。天から牡丹餅が落ちた訳ではないが難有 いと思ふ。それは天地の恩であらう。ズット上野を歩るいて見ると、奇麗になって居る。 いくら天 気が好くっても、馬糞や犬の糞があると穢ないと思ふ。さうして見ると矢張天地の恩ばかりではな 、難有いナといふ心の起るのは、国主の恩が、警察といふものを通じて、人に難有いといふ感念 を起さすものと思ふ。又いくら公園が奇麗になってゐても、コンナ好い天気でも、真ッ裸で外へ出 て難有いと思ふ人はない。他人に恥かしくない丈の着物を着て、女ならば帯なり袴なり着けて居ら なければならぬ。さうして見ると、其内には父母の恩も這入って居る。又其衣服や帯はどこから買 って来た。三越から買った。そうすると三越の恩も這入って居るかも知れぬ。 ( 聴衆笑ふ ) 。これは 三越がどこから持って来たかといふと、先づ絹の着物なら、上州なり、信州辺から買入れた。蚕を 飼って呉れた百姓の恩の為に柔かい着物が出来る。木綿着物も到る所の紡績場で造って呉れた御恩
ても、そこに言ひ得べからざる人情がある。宿屋の下女に人情といふとをかしいやうだが、そうで ない。極く単純の意味に於て、此辺の菓子は不味うございますとか、旨さうなのを取って来ました とかいふところが、難有いのである。唯お茶を呉れといふので持って来たのが難有いのではない。 亜米利加の宿屋へ行くと手を拍っても来ない。五階十階位の高い部屋で、茶を飲みたいと思ふと、 針で示す廻る機械があって、それを押すと来る。其時に其器機に向って難有うとはいへない。又近 丿ース」といって、葡萄酒でも、ビールでも、五銭の白銅な 頃東京にも出来たか知らぬが、「バ 、十銭銀貨なりを入れると、コップに一杯出る仕掛になって居るものがある。丁度コップに一杯 丈出る。モウ少し出て来やせぬかと思っても出て来ない。さういふ時分に、大きに難有うといふ必 要があるか、決してない。なぜいはなくてよいかといふに、それには少しも情も何もない。之に反 して下女がお茶を持って来ると、人と人との交りになる。お茶を持って来て、お辞儀をして出す。 それは宿屋の勘定には這入って居ないのである。恐らく宿屋の勘定に、下女のお世辞いくらとはな い、お辞儀一ついくらといふことはない。それが難有いと思ふ所である。何事でも此難有いといふ 恩方を見ると、必らずさういふことがあるものと思ふ。 の 民 水戸烈公の案出せし農人形 章 一一そこで我々は人間と生れて、人間本位でやらうといふに就ては、何につけても難有い、喜ばしい 第 といふ考を起して、今の恩を知らなくてはならぬと思ふので、それをするに就ては、一つよい工夫 367
である。さう思ふと見ず知らずの人の御恩が皆這入ってゐるから、ちょっと外へ出て、何んだか今 日は心持が好いといふのは、第一の恩か第二の恩かといふてもはっきりいへぬ。四恩悉く這入って 居る。恐らく四恩ばかりではあるまい、百恩も、千恩も交って居ると思ふ。であるからして、第一 の恩とか、第二の恩とかいふと、ちょっと学者らしいが、ソンナ分解をするのはヘボ学者である。 大切なのは此難有いと思ふカーンである。 ( コップを叩く ) 。其難有いと思ふことを忘れないやうに ノし小馬鹿の人は、何んでも難有く して貰ひたい。で何事でも、考へれば難有くないものはない。小 ないと思って、不平ばかりいってゐる。折角お父うさんやお母さんが、着物を着せて呉れる。何ん だコンナ着物は縞が気に入らない、柄がいやだ、袖が長いとか、絎が短いとか、帯が似合はぬと か、帯や着物はよいが、リボンの色が好かないとか、帯揚がどうとか、不平ばかりいって居りはし ませぬか、難有いといふ観念がどれほどあるか、恐らくない。朝起きて夜寝るまで、先づ十あるも のならば、小言が七八分で、難有いと思ふことは二分ほかない。お飯を食べるときお膳に向って座 る、アー又お豆麕だナー。 ( 聴衆笑ふ。 ) 飯を食ふと、今日のは硬い、昨日のは軟か過ぎたといふ て、何一つとして難有いと思はない。それでズット行くから、偶まに難有い事が一つあっても、直 恩 のぐにカンで仕舞って、カーンと残ってゐない。それだから私はこゝで皆さんと一つ御相談をした 民 コンナ話がある。 。何事につけても難有いといふことを考へたい。 章 十 第 357