このような「家の秘密」には、つぎの三つの要素が必ず含まれている。 アルコール中毒の親本人による「事実の否定」 だれがみてもその人間はアルコール中毒だという圧倒的な証拠があるにもかかわらず、 そして、その人間の行動は家族にとって苦しみであり恥であるという事実にもかかわら ず、本人がその事実を否定する。 ・本人以外の家族のメンバ ( たいていは配偶者と子供 ) による「事実の否定」 これには通常、「ママが飲むのはただリラックスするためなんだよ」「いま転んだのは何 親 の かにつまずいたからさ」「パパが失業したのは意地悪な上役がいたからだ」などの言い 呻訳が用いられる。 コ 3 ・自分たちは″ノーマルな家〃なのだという取りつくろい ア この取りつくろいは、家族のメンバー同士のあいだでも、外部の人間に対しても行わ 章 四 れる。自分たちを″ノーマルな家みのように見せかけようとする家族の態度は、とりわ 第 け子供の心を歪めてしまう。なぜなら、子供は生まれつき自然なので、家のことについ ては当然疑問がわくが、そういう自分の感覚を無理やり否定しなければならないから ゆが
かで酔いつぶれている母親をなだめて世話をしなければならなかった子供が、人生を台無し にされた事実をなぜ″見過ごして〃あげる必要があるというのか。親から性的な行為をさ れ、そのために正常な情緒を回復するために一生苦しまなくてはならなくなった人間が、そ んな親の罪を免除してやる必要がいったいどこにあるのか。七歳の少女をレイプした父親を 許さなければならない理由が本当にあるのか。 さらに被害者の観察を続けた結果、私はそのような「罪の免除」は「事実の否定」 ( 第一 章三十九ページ参照 ) の一形態にすぎないと確信した。親を「許した」と言っている多くの 要 人たちは、本当の感情を心の奥に押し込んでいるのに過ぎず、そのために心の健康の回復が 必 許妨げられていたのである。 を 親 「許す」ことの落とし穴 る 人間の感情は理屈に合わないことを無条件で納得できるようにはできていない。許さない 毒 「といけないからという理由で無理やり許したことにしてしまっても、それは自分をだまして 章いるだけなのである。そのもっとも危険な点は、閉じ込められた感情がそのままになってし 第まうということだ。それで怒りが本当に消えたわけではもちろんなく、心の奥に押し込まれ ているのである。しかし「許した」と言っている以上、その怒りを認識することなどできる わけがない。
ることすら認めたくないという気持ちがあったためだろうと思われる。だがこの十年間、圧 倒的な証拠の量という現実の前に、そのような「事実の否定」は力を失い、現在のアメリカ ではそのことについて大っぴらに議論を交わすことがーーそれでもなお居心地は悪いとして もーーできるよ一つになった。 そうは言っても、いまだに誤解はたくさんある。そしてそれらの誤解の多くは、一般には 長いあいだ真実として信じられてきた。だがそれらの誤解は真実ではないし、過去において も真実であったことは一度もない。では、、 〃誤解〃なのか、以下にいくっ とのよ一つなことカ = = か列記してみよう。 親 る す ( 誤解 1 ) 近親相姦などというものはめったになく、まれなことだ。 為 ( 真実 ) 米国保健福祉省を含む、あらゆる信頼のおける機関によるデータによれば、すべて 行 なのアメリカ人の子供の十人にひとりは、十八歳になるまでに家族のメンバーから性的ないた 性ずらをされている。近親者による子供への性的な行為がこれほどまでに多いことは、一九八 章〇年代はじめになるまでは認識されていなかったことである。それ以前は、そのようなこと 第はあったとしても十万家庭に一件くらいのものだろうと思われていた。 ( 誤解 2 ) 近親相姦などというものは、貧困家庭や教育のない人々のあいだで、あるいは都
時期の設定は慎重に考える必要がある。準備もせずにやぶから棒にはじめたのではもちろ んよい結果は生まないが、いつまでも延期しているのもまたよくない。 多くの人は、実際の行動に移るまでにつぎの三段階の心理状態を通過する。 第一段階そんなことは自分にはとうていできそうにない。 第二段階いっかするが、いまはまだできない。 道 の第三段階いつやればいいのだろうか ? 独 カウンセラーとしての私の経験では、ほとんどすべての人ははじめ「そんなことはできな 章 い」と言い張る。そしてつぎに、私が〃それ以外ならなんでも症候群〃と呼んでいる反応を 十 第示す。それ以外のことならなんでもするが「それだけはできない」と言うのだ。カウンセリ ングを受け、ほかの練習はすべてうまくいっていても、第二段階に進むまでには二カ月近く かかるのもまれではない。だがそこまでいければ、第三段階にはたいてい数週間で進める。 トナー ( 妻や夫 ) や自分の子供のうえに吐き出してしまうことになる可能性が非常に高いの である。 な対決々はいつ行うべきか
て心理学的治療を受けにきた何百万人もの被害者が事実を認めてもらえず、必要なサポ 1 ト を受けられないまま放置されてきたのである。 ( 誤解 7 ) 子供がいたすらされるのはほとんどが見知らぬ相手からであって、家族などよく 知っている人からそのようなことをされることはあまりない。 ミーによって起こされている。 ( 真実 ) 子供に対する性犯罪の大多数は、家族のメン、ノ 一見な素晴らしい″一家に、なぜそのようなことが起きるのか 暴力を振るう親のいる多くの家と同じように、近親相姦 ( 的行為 ) のあるほとんどの家庭 は、外部の人間からはノーマルな家庭のように思われている。加害者である親が地元では顔 役だったり、熱心に宗教活動をしていたりして、立派な人と評判であることもめずらしくは どのような家庭にそのようなことが起きるのか、当事者以外の家族のメンバーはどのよう な役割を演じているのか、などということについてはさまざまな議論がなされているが、カ ウンセラーとしての私の経験では、そこには常に存在するひとつの要素がある。それは、事 とかくなんでも隠したがる、依存 件が起こりやすい家には、人と心を通わせようとしない、 心が強い、ストレスが高い、人間の尊厳を尊重しない、家族のメンバー同士がお互いに自分
こういう親は、実は自分に能力がないことに対してフラストレーションを抱えている。な いかには子供をけなすことで自分の優越性を示そうとする親もいるが、そういう親は、そのよ うな行動をすることによって自信のない自分を隠しているのである。彼らは子供をクラスメ ートの前でこき下ろして恥ずかしい思いをさせるようなことも平気で行う。思春期の少年少 女にとって、それはもっとも恐ろしいことである。だが「毒になる親ーは、そんな子供の気 持ちより自分の気持ちのほうが常に大事である。 子供と競おうとする親 何事でも人を自分と比較し、自分のほうが優れていないと気がすまない人がいる。こうい う人は、相手に能力の欠ける点を思い知らせることによってでしか、自分に能力があると感 じることができない。そういう人間にとっては、相手が自分の子供であっても同じことだ。 特に、子供が思春期を過ぎて大きくなってくると、自分に自信がなく不安な親は脅威を感じ るよ一つになる。 心の健康な親にとっては、子供が成長してさまざまなことができるようになってくるの は、喜び以外のなにものでもない。だが心の不健康な親は、自分から何かが奪われていくよ うな気分になり、子供に「かなわなくなってくる」ように感じる。だが、子供に対抗しよう とする親のほとんどは、なぜ自分がそういう気持ちになるのかに気づいていない。
286 ったらどんなにいいだろうと思ってきました。でも、それは自分に対して要求しすぎだ と思うようになったのです。自分を犠牲にして親との関係を続けるか、それとも自分の 正気を保つ道を選ぶかという選択しか残されていないのなら、どうやら自分を選ぶしか ないようです。それが多分、私が生まれてから行ってきたことのなかで、いちばん健全 な行動だと思います。でも、そう決断した自分が誇らしく感じられたかと思うと、つぎ の瞬間にはものすごく空虚な気分になります。 彼にとって、両親に永遠の別れを告げるというのは大変につらい決断だったが、そうして 自分の人生に対する新たな決意を示すことによって、彼の心のなかには新しい強さが生まれ てきた。その結果、女生に対しても落ち着いて接することができるようになり、六カ月後に は新しい出会いがあって、それまでにはなかったような安定した関係に発展することができ た。そして、自分の価値に対する自覚が増すとともに、彼の人生も上を向いていった。 以上の三つの道ーー親とよりよい関係を作り出すために話し合うことができるのか、それ とも表面的な関係だけに限定していくのか、完全に断ち切るのかーーのどれを選ぶかは、自 分の健康と正気を守るためにはどうする必要があり、どこまでが可能か、ということによっ て決まってくるだろう。だが、どの道を選ぶことになっても、あなたにとって自分を縛りつ
立て上げて自分の罪を逃れようとする者もいるだろう。そうなると、なかにはあなたの味方 をしてくれる親戚もいるかもしれないが、叔父や叔母などを含み親しい親戚のなかには詳し い事情も知らずにあなたの親の味方をして、あなたにつらくあたる者も出てくることだろ う。だが、どういう状況になっても、あなたは自分の心身の健康と正気を守るために必要で 建設的な行動を取ったのだということを彼らに誠実に説明することは大切だが、彼らがどち らかの側につかなくてはいけないと感じるような話し方はすべきではない。 時には親の友人や、家が所属する寺の僧侶や教会の牧師などが何かをいってくることもあ るかもしれないが、それら外部の人間には必ずしもすべてを詳しく説明しなくてはならない 義理はない。もし彼らと話したくなければ、つぎのような言い方をするといし 道 の ・「あなたが心配してくれていることには感謝していますが、これは私と親との個人的な間 へ 竝題なのです、 ・「あなたが手助けしようとしてくれているのはわかりますが、この間題はあなたには理解 章 一一一できないことなのです。だからいまあなたと特に話し合いたくはありません」 第 ・「あなたは、ご自分のよく知らないことに対して独断的な決めつけを行っています。事態 がもう少し落ち着いてきたら、あらためてお話ししましよう」
第十章から第十一一章までの三つの章で考察し練習してきたことは、すべてこの第十三章で 行うことのための準備だった。準備を終えたら、いよいよ「毒になる親」と正面から向き合 〃対決〃する段階に入る。ここでいう〃対決〃とは相手をやつつけるという意味ではな 、十分に考えたうえで勇気をもって正面から向き合い、苦痛に満ちた過去と困難な現在に ついてはっきり話をするということである。これは生涯でもっとも恐ろしく、また同時に、 生涯でもっとも自分に力を与える行動となるだろう。 道 の このプロセスはシンプルだが、実行するのはたやすいものではない。、 心の準備が完全にで へ 立きた時、あなたは静かに、しかしきつばりと、子供時代の自分の身に起きた不幸な出来事に ついて親に語るのだ。そして、それらの出来事がいかにあなたの人生に害を与え、また現在 章 三の彼らとの関係に害を与えているかについて、あなたは親に語るのだ。また、彼らとの関係 第のどのようなところが現在のあなたにとって苦痛であり有害であるかについて、あなたはは つきりと親に示すのだ。そして今後の関係のあり方について、あなたは新しい基本原則を提 示する。 第十三章独立への道
ういう親のことをいう。 私はこのような親をどう呼んだらいいのかとさんざん考えてみた。そして、さまざまなパ ターンはあるにせよ、そういうたぐいの親を一言で表現するのにびったりな言葉はないもの かと考えるたびに、頭をよぎったのは、「有毒な」とか「毒になる」という一 = ロ葉だった。ち ようど公害を引き起こす有毒物質が人体に害を与えるのと同じように、 こ一ついう親によって むしば 子供の心に加えられる傷はしだいにその子供の全存在にわたって広がり、心を蝕んでいくか らである。そして子供が成長するに従い、負わされた苦しみもまた大きくなっていく。この ような、成長した後もなお子供を苦しめ続ける、いわば「くり返し継続しつづけるトラウ マ」とでも呼べる苦痛の原因となっている親を表現するのに、これ以上びったりな一一 = ロ葉があ るだろうか ? ところで、いまここで「くり返し継続しつづける」と書いたが、そうでなくても当てはま る例外が二つだけある。それは肉体的な暴力と性的な行為である。これらの場合は、ほんの 一回の出来事であっても、子供の心には計り知れないネガテイプな影響を与えてしまうこと がある。 私たち人間にとって、子育てというのは決定的に重要な技術を必要とする仕事のひとつな のだが、残念なことに、ほとんどの家庭においては経験から学んだ勘を頼りに手探りで進ん でいかなくてはならないのが実状だ。この分野の研究が進んだのはごく最近のことであり、