10 2 とに耐えがたい怒りを抱いている。母はもういい年だが、飲酒はあいかわらずだ。先日 も、久しぶりの休暇で旅行にいこうとしていたところ、出発の三日前になって電話がか かってきた。ろれつがまわらなくなっており、酔っているのはすぐわかったが、驚きは しなかった。電話をかける前には泣いていたようだった。父は釣りの仲間とやはり旅行 にいってしまい、寂しさで気が滅入って耐えられないので、二、三日一緒にいてくれな ~ いかと一 = ロう。ちょうどこれから休暇で旅行にいくところだと一一一一口うと、電話ロのむこうで 泣き出した。叔母のところへでもいってみてはどうかと勧めたが母はおさまらず、なん とひどい娘だと言って責めはじめた。あの時もああだったこうだったと昔のことまで持 ち出してとまらなくなったので、やむなく旅行をキャンセルして会いにいくことを約束 せざるを得なかった。どのみちこんな状態では、旅行にいっても楽しめまいと思った。 その出来事は、彼女にとって特に新しいことではなかった。子供の時からずっとそういう ようなことばかりだったのだ。 , 彼女はいつも母の機嫌をとって世話を焼いていなくてはなら なかった。だが母は感謝することもなく、機嫌が悪いといつも彼女をなじってばかりいた。 いちばん嫌だったのは、いつも一一一一口うことが変わるので、どうすれば機嫌がよくなるのかわか らないことだった。 彼女の母は、息が詰まりそうになるほど優しいかと思うと、信じられないほど残酷になっ め
難しくなる。 ある女生は、そのようなことをする父親がいかに許しがたいかとは思っても、オーガズム を感じた自分も親と同じように罪深いと感じていた。私は彼女にこう説明した。 刺激に対して体が快感を感じるのは、ひとつもいけないことではない。人間の体は、生 理学的にそのようにできているのである。その時にいい気持ちがしたからといって、そ のようなことをした親に罪がないということにはならないし、快感を感じたあなたに罪 があるということにもならない。あなたがどのように感じようが感じまいが、あなたは 被害者であり、あなたにそのような行為をした責任のすべては、大人である親のほうに ある。 さらに、父親と娘の関係の場合、多くの被害者にはもうひとっ別の独特な罪悪感が生じ る。娘には「私は母から父を奪っている」という意識が生じるということだ。その場合、し ばしば娘は母親に対抗する存在としての〃女〃を意識することがあり、そうなると、もちろ ん母親に秘密を打ち明けて助けを求めることは非常に困難である。その娘は母を裏切ってい るという意識のためにさらに罪悪感を深めてしまう。
はじめー 「そりゃあ、子供のころ親父にはよくぶたれたけど、それは僕が間違った方向にいかないよ はたん うにしつけるためだったんですよ。そのことと、僕の結婚が破綻したことが、いったいどう 関係あるんですか」 ) ことで評判の三十八歳になる整形外科医だった。彼は六年間一 そう言ったのは、腕がいし 緒に暮らした妻に出ていかれ、私のところにカウンセリングを受けにきていた。なんとかし 彼女のほうでは彼がかんしやく持ちの性格をなおさないかぎ て妻には戻ってほしいのだが、 , り絶対に戻らないと言っているという。彼女は、彼が腹を立てると突然怒りを爆発させるこ おび ゝ , 彼よ自分がかんしゃ とに法え、しかも情け容赦もなくののしるのにはもう疲れきってした。 , 冫 く持ちで時としてロやかましくなることはわかっているが、まさかそのために彼女が出てい こくとは思わなかったという。 私は彼自身のことについて質問しながら面談を進めていった。両親についてたずねると、 ほほえ 彼は微笑み、著名な心臓外科医だという父親について誇らしげに語った。彼の話によると、 父はすべての患者から聖人のように慕われている素晴らしい人物で、その父がいなかったら はじめに
3 1 1 エピローグ 人間として真に成長するのは平坦な道のりではない。上り坂もあれば下り坂もあり、進ん だり戻ったりすることもあるだろう。たじろぐことも、ためらうことも、間違いを犯すこと も当然あると思っていたほうがいい。、 不安、恐れ、罪悪感、心の混乱、などといったもの が、永久に完全になくなるということはあり得ない。そういうものがないという人間はこの 世に存在しないのである。だが、あっても、もう左右されなくなる。これがカギなのだ。 過去や現在の親との関係に対するコントロ 1 ルを増していくにつれ、あなたはそれ以外の 人間関係、特に自分自身との関係が劇的に改善されていることに気づくだろう。そうなった 時、あなたはおそらく生まれてはじめて、「自分の人生を楽しむ」自由を手に入れることに なるだろう。
ぎゅう 取りつくろうための見せかけであり、内心は苦痛だった。 , 。 彼よ人生を母親に好きなように牛 耳られたことにいまだに怒りを覚えていたが、何かをいったらショックで死んでしまうかも しれないと思うと、やはり何も言えなかった。母が一兀気だった十五年前にはっきり″対決〃 しておけば、自分の一生は救われていたかもしれないと思うと海やまれた。 だが、〃対決みしてはっきり話をするというのは、相手をやつつけて打ちのめすというこ とではない。傷ついた心やたまった怒りをコントロールされた形で解き放っ方法を見つける ことができれば、真実を話すことを避けているよりは語るほうがずっと大きな平和を見いだ すことができるはずだ。年老いて体の弱っている母親に対して、後になって後毎することが 起きるようなことはすべきではないが、正直な気持ちを伝え合う会話ができれば、ふたりの 関係を改善できるチャンスはあるのである。それをしないのなら、本当の気持ちは抑えつけ 道 のて、何も問題はないというフリを続ける以外にない。 立結局彼は「あなたは親子関係について私がどう思っていると思うか」と母に問いかけるこ とによってうまく話を切り出し、自分の正直な気持ちを冷静に語ることができた。母は事実 章 彼の話を多少は理解することがで 三を否定し、傷つき、自己防衛的になって彼を攻撃したが、 , 第き、そんな時には目に涙をためさえした。 , 。 彼ま長いあいだ背負っていた重荷を肩から下ろし て苦痛が和らいだ気がした。長いあいだ、母には会うのすら苦痛だったが、いま目の前にい る母は、彼が子供の時からずっと知っていた強力でエネルギーを吸い取ってしまう支配的な
けている過去からのネガテイプで巨大な力を切り離す大きな一歩となる。いずれの場合でも 「毒になる親ーとの古い関係のパターンは打ち破られ、自分にも他人にも心を開いて愛情を 感じる人間関係が持てるようになっていくだろう。 病気または年老いた親の場合 親が年老いていたり、病気で体が弱っていたり、障害があったりする場合、子供はなかな か〃対決〃には踏み切れないことだろう。親に対する嫌悪感に哀れみや可哀相だと思う気持 ちが混ざり合い、身動きがとれなくなってしまうからだ。そのような親に対するいたわりは 人間としての義務ではないか、という気持ちが事態を複雑にする。 「そんなことは親がもっと若い時にやっておけばよかった。いまでは昔のことなどもう覚え 道 のていまい」とか、「いまそんなことをしたら、母は卒中を起こしてしまう」などと思う人も 立多い。だが、そう言っている人も、子供の時から心にたまった苦しみを相手にぶつけもせず このまま引き下がってしまったら、永久に心の平和は訪れないこともまた知っている。 章 = 一困難なのは当然だが、だからといってそういう状況でも〃対決〃などまったく論外だとい 第うことではない。親が医師にかかっているのなら、話をした場合にどの程度のリスクがかか るかどうかを相談してみるのもよいだろう。もし精神的ショックやストレスが親の病状を悪 おびや 化させたり、生命を脅かすほど大きいようであれば、直接的な対決の代わりになる方法はい
ない場合にはどうにもならないと思われる方もいることだろう。だが、親がすでに存在しな くても、〃対決〃を行う方法はいくつかある。 そのひとっとして、言い分を手紙に書き、親の墓の前で読み上げるという方法がある。そ んなことが、と思われるかもしれないが、これは実際に非常に効果のある方法であることが 多くの人によって証明されている。この事実はちょっと意外かもしれないが、そうすること によって実際に親に語りかけているような感覚が心のなかに呼び起こされ、長いあいだ抑え 込んできた感情をようやく吐き出した実感を与えてくれるのである。私は長年のあいだに、 この方法によりポジテイプな結果が出たというリポートをたくさん受け取っている。 つぎに、親の墓まで出かけていくのが現実的に難しい人には、同様の手紙を親の写真に向 かって読む、あるいはだれも座っていない椅子を目の前に置いてそれに向かって読み上げ 'G る、またはあなたの問題を理解しサポートしてくれている親しい人のなかから協力者を見つ 立けて ( あるいはカウンセラ 1 に ) 親の役をやってもらいロール・プレイをするという方法もあ る。 一一一もうひとっ強力な方法がある。親戚の人 ( 願わくは親と近い世代で、叔父や叔母など血のつ 第ながりが近い者がよい ) に相手になってもらい、親から受けた体験や人生についてその人に 話すのである。もちろんこれは、親からされたことについてその人に責任を取ってもらおう 9. = 一口 というのではない。だがこの方法によって真実を語ることができれば、実際に親に向かって
168 う片方の親はどうしているのだろうか ? 私は以前、子供時代に父親から性的な行為をされ ていた女性をはじめてカウンセリングしはじめたころ、被害者の多くは加害者の父親に対す るよりむしろ母親のほうに強い怒りを抱いていることに気がついた。被害者の多くの女性 は、「父のしていたことを母は知っていたのだろうか」という、しばしば答えを知り得ない 問いを自問し、自らを苦しめていたのである。彼女らの多くは、時として父は母の目をほと んど気遣うことなく行動したと述べており、母は知っていたに違いないと確信していた。ま た、そこまでは考えないという被害者も、娘の態度や行動が変わったことに母はなぜ気づか なかったのだろうか、と感じていた。何かが起きているに違いないということはわかりそう なものだし、もっと注意を払うことはできたはずだ、というのである。 だが結論から先に言えば、必ずしも母親は気づいていたのに知らぬフリをしていたとはか ぎらない。本当に知らなかった、知っていたかもしれなし ) 、はっきり知っていた、の三つの 可能性がある。知らなかったはずがないという意見もあるが、本当に知らなかったというこ ともあり得るのである。 「知っていたかもしれないーというケースでは、その母は、何かがおかしいとは思っても 「恐ろしそうなことは見たくないとばかりに目の前にカーテンを下ろし、何も見ない道を 選んだのである。だが、「見ないこと」によって自分と家の平穏を守ろうとするのは、見当 違いな努力である。
288 くつかある。 いうべきことを手紙に書き、投函する代わりに親の写真に向かって読み上げるという方法 もある。カウンセラーに親の役をやってもらい、ロール・プレイを行うのも効果がある。こ れらについて詳しくは、一一百九十ページの「すでに死亡している親の場合」の項で述べる。 意外に思われる方もいるかもしれないが、私がカウンセリングしたいくつかの例では、こ れらの方法は、親が同居していて二十四時間介護を必要としている人の場合でも有効である ことが証明されている。また、そういう親に対して子供のほうからオープンに接しようと努 力することが、テンションを和らげることもあり、その結果、世話がしやすくなったケース もある。 だが、直接の " 対決〃をしたために不和が拡大し、同居生活がそれまで以上に耐えがたい ものとなる可能性も大きい。そうなっても同居をやめることができない場合には、直接的な " 対決〃ではなく代わりの方法を用いるほうがよいかもしれない。 第三章に登場した、母に反抗するあまり結婚しないで生きてきた実業家は、その後ようや 彼よ言いたいことはたくさんあったが、問題は母 く母と″対決〃して話をする決心をした。 , 。 親が八十一一歳という高齢のうえ、数年前に心臓発作を起こして以来、健康状態が衰えている しまだにああしろこ ことだった。だがそれにもかかわらず、母は電話や手紙をよこしては、 ) うしろと指図し続けていた。彼は中年を過ぎたいまになっても、母に会いにいくのは平和を
286 ったらどんなにいいだろうと思ってきました。でも、それは自分に対して要求しすぎだ と思うようになったのです。自分を犠牲にして親との関係を続けるか、それとも自分の 正気を保つ道を選ぶかという選択しか残されていないのなら、どうやら自分を選ぶしか ないようです。それが多分、私が生まれてから行ってきたことのなかで、いちばん健全 な行動だと思います。でも、そう決断した自分が誇らしく感じられたかと思うと、つぎ の瞬間にはものすごく空虚な気分になります。 彼にとって、両親に永遠の別れを告げるというのは大変につらい決断だったが、そうして 自分の人生に対する新たな決意を示すことによって、彼の心のなかには新しい強さが生まれ てきた。その結果、女生に対しても落ち着いて接することができるようになり、六カ月後に は新しい出会いがあって、それまでにはなかったような安定した関係に発展することができ た。そして、自分の価値に対する自覚が増すとともに、彼の人生も上を向いていった。 以上の三つの道ーー親とよりよい関係を作り出すために話し合うことができるのか、それ とも表面的な関係だけに限定していくのか、完全に断ち切るのかーーのどれを選ぶかは、自 分の健康と正気を守るためにはどうする必要があり、どこまでが可能か、ということによっ て決まってくるだろう。だが、どの道を選ぶことになっても、あなたにとって自分を縛りつ